父ヴィクトールの誓い─春─
久しぶりの投稿です。
拙いと思いますが、生暖かい気持ちでお願いします。
父ヴィクトールの話です。全3編
どうかよろしくお願いします。( ˊᵕˋ ).°⑅
ヴァリエール侯爵邸。
亡き夫人エレーナが植物を慈しみ、その知恵を書き留めていた数冊のノート――「栽培手記」が遺されています。
侯爵邸に咲き誇る数多の薔薇は、『緑の手』を持つ母エレーナが遺したものでした。
めくられる「栽培手記」の後半は、植物の記録に代わり、息子レオンへの溢れんばかりの慈愛を綴った「母からの手紙」へと様変わりしていました。
たった3ヶ月……、エレーナにとってレオンを日だまりのように慈しむ優しい時間でした。
ヴィクトールはこのページを開くたびに、今も隣でエレーナが微笑んでいる錯覚に陥るのです。
土いじりを始めた3歳のレオンが、あまりにも立派な菜園を作り始めた時、その叡智を知られる事に父ヴィクトールは恐れました。
この小さな幼子が政治の道具として利用される事を……。
「……皆の者よいか!レオンが何かを成し遂げた時はすべて、『エレーナの手記に書いてあった』ことにするのだ」
それは家族と使用人たちの、優しい嘘の始まりでした。
亡くなる一ヶ月前、レオンを抱きながらエレーナは微笑みながら言葉を遺しています。
『この子はね……きっとみんなを照らす宝物になるわ。……この子をよろしくね』
その言葉を胸に刻む屋敷の者たちにとって、レオンは何よりも守るべき宝だったのです。
当初……、最愛の妻エレーナを亡くしたヴィクトールは、屋敷で彼女の面影を探す自分に嫌気がさし、その辛さに耐えきれず公務に没頭しました。
子供たちと向き合えば、エレーナに似た瞳や仕草を見つけ、胸が締め付けられるからです。
それを避けるため、……彼は「厳格な侯爵」という仮面を被り、子供たちとは最低限の会話しかしない遠い存在でした。
……当時の侯爵邸は掃除は行き届いても、どこか寒々しい生活感のない場所だったのです。
そんな時に3歳になったレオンが庭をねだり、小さな身体でコツコツと菜園作りを始めました。
トコトコポテポテ……♪
今も小さな身体でちょこちょこと菜園で動く姿は、どこかエレーナを彷彿とさせます。
「ちち、しょと、ひ、いいに、おい。いっちょよ?」
土だらけの小さな手が裾を掴み、その無邪気な様子にヴィクトールは目を細めます。
彼女が我が子に注ぐはずだった愛情も、自分が注ごうと決意するのです。
掴まれた裾には、泥の手形が残っていました。
ふかふかの芝生に座るヴィクトールの膝の上で、レオンは優しい母の字を見ています。
ヴィクトールは彼女がレオンに伝えたかった言葉を指でなぞりながら伝えていきます。
【エレーナのメッセージ】
レオン、やりたいことは何?
たくさん遊んでいるの?楽しそうね。
いろんな事に興味があるの?挑戦するのは素敵よ。
男の子だもの♪外でたくさん遊んだ後は、身体をキレイにしてね。清潔は大事!
わがままを言ってもいいの。ただみんなを困らせるのは程々にしましょうね。
元気にあなたらしく生きてね、母様の願いよ。
母様は楽しんでいるレオンを、見るのが大好きよ。
天から見守っているわ、レオン。
「……ボク、ちゅち、いーぱい、あそう。ニコがピカピカちた」
レオンは空を見上げて母親に報告します。
ヴィクトールはレオンを抱きしめ、鼻の奥がツンとするのを堪えました。
「あぁ、レオン。お前が笑えば、お母様は嬉しいんだよ。さあ、今日はもうおしまいだ。美味しい夕食にしよう」
夕暮れの菜園に、穏やかな笑い声が響きます。
レオンという「宝物」は、今日も自分らしく、健やかに光り輝いているのでした。
荒い息遣いと木剣がぶつかり合う訓練場の熱気の中で、ヴィクトールはふと動きを止めました。
不意に鼻腔をくすぐる、甘く気高い薔薇の香りがしたからです。
(……エレーナ?)
彼女が好んだ芳醇な香りに、ヴィクトールは誘われるように足を動かしました。
鼻をフンフンと香りを辿ります。
するとそこには、料理長のマルコに見守られながら、小さな背中を丸めて何かをコクコク飲むレオンの姿がありました。
「くんくん……んん?」
ヴィクトールは、傍らに置かれたバラジャムの瓶と、レオンのマグを交互に見つめました。
状況を察した料理長のマルコが何か言いかけますが、レオンは人差し指を口に当てて「シ──……ッ」と可愛らしく牽制します。
どうやら父を驚かせたい、あるいはこの贅沢を独り占めしたい遊び心のようです。
そんなレオンのイタズラに、ヴィクトールは応じることにしました。
「くんくん、くん……」
ヴィクトールはわざと鼻をピクピクと動かし、レオンの顔のすぐそばまで顔を寄せます。
その動きはまるで獲物の匂いを追う野良犬のようです。鋭い騎士の顔を脱ぎ捨てた父の滑稽な姿に、レオンはたまらず吹き出しました。
「ちち、ワンワン!」
キャッキャと声を上げて笑うレオン。
ヴィクトールはさらに欲しそうな顔をし鼻をヒクつかせ、「いい香りだなぁ……父様にも一口くれないかなぁ」と甘えるような声を漏らします。
「ダメ~、ボクの~♪」
レオンは楽しそうな様子で、宝物を守るように、マグカップを隠しました。
その拒絶さえも、ヴィクトールには心地よい響きです。わがままを言い、無邪気に笑うレオン。
その小さな身体から漂う薔薇の香りは、かつてエレーナが注いだ愛情そのものようで、彼女が命を削って遺してくれたこの温もりを、今はこうして肌で感じることができます。
(ああ……君はこの子の中でも生きているんだな)
エレーナを懐かしむ寂しさは、いつしか目の前の小さな命を愛でる喜びへと溶けていきました。
主人の見せる親バカな一面と、それに応える幼子の賑やかなやり取りに、マルコはヤレヤレと肩を竦め、静かに温かな笑みを浮かべていました。
「ブルーノ、庭の苗木はあの方からか?」
「……はい」
「そうか……、バラジャムを渡して貰えるか」
「……とてもお喜びになられるかと」
「だろうな。懐かしい香りがするから……」
そんなヴィクトールに悲劇が起きます。
裾に残った泥の手形は、託した最愛の妻エレーナに捧げる「決意の証」でした。
しかしレオンによる洗濯革命により、ヴィクトールの服にあった「決意の証」は、跡形もなくキレイに落とされてしまったのです。
「ちち!キレイキレイよ♪」
「……あぁ、そうだな、……キレイキレイだな」
「ボク、できるこ♪」
「……」
3歳の幼児に、父親の感傷などわかりません。
【─ヴァリエール侯爵邸─】
今日はカトリーヌの婚約者として、お忍びでエドワード皇太子が訪問されます。
ヴィクトールは、レオンに何度も伝えました。
「いいかい、レオン。お相手は皇太子殿下だ。ご挨拶は『レオン・フォン・ヴァリエールです』。これだけでいい。言えないなら『レオン』だけでもいい。 あとはニコニコして、私の後ろに隠れていなさい」
「……れ、れおん・ふぉん……。あい、がんばゆ……!」
レオンは小さな手をぎゅっと握り、緊張で頬を膨らませます。
アルベルトもレオンの頭を撫でています。
どちらかというと、自分の平穏の為に……。
「レオン、ニコニコだけでもいいのよ。無理な時は姉様が代わりにご挨拶するわ」
カトリーヌも心配して声を掛けるが、「だいじょーう」と言うレオン……。
(……大丈夫だろうか?)
皇太子が急遽わざわざ足を運んだのは、洗濯板と固形石鹸を考えたレオンの実情をその目で確かめるためでした。
3歳の幼児に過度な礼節を強いていないことは、もちろん通達済みです。
やがて静かに扉が開くと、そこには一国の世継ぎとして威厳を湛えた、エドワード皇太子の凛とした姿がありました。
「ヴィクトール、楽にしてくれ。今日はカトリーヌに会いに来ただけだ」
その声にレオンはヴィクトールの足の間からヒョコッと顔を出しました。
目の前にいるキラキラしたお兄さんが、エドワード殿下のようです。
「レオン、ご挨拶を……」
心配げなヴィクトールに促され、レオンは一歩前にでます。
「え、えどわーど……でんか!……れおん・ふぉん・ゔぁえー、りゅれす。……ごきげん、よぉ」
たどたどしくも、なんとか名前を言えたレオンに、ヴィクトールはホッとしました。
アルベルトや後ろで控えていたカトリーヌ、更に使用人たちも、「言えた……!」「粗相がなかった……!」と、心の中で一斉にガッツポーズをし、安堵の溜息を漏らしました。
しかし……、レオンの挨拶はそれではありません。
レオンの挨拶は違いました。
「……えいっ!」
可愛い掛け声の後にレオンは、短い足をシュタッと美しくクロスさせ、穿いている半ズボンの裾を、ドレスの裾を持ち上げるように優雅に指先でつまんでいます。
淑女が最高礼装で披露するように、深くしなやかな洗練されたカーテシーをしたのです。
いつも鏡の前で練習しているカトリーヌの挨拶を、レオンはコッソリ見て練習していました。
「…………っ!!」
大広間に静寂という名の爆弾が落ちました。
ヴィクトール、カトリーヌは息を吸うのも忘れ、目を見開いたまま石像のように固まります。
アルベルトは剣の柄を握る手が震えたまま、頭が真っ白状態になり、使用人たちは「殿下の前で、よりにもよって女性の挨拶を……!」と、あまりの不敬(?)に顔面蒼白で震え上がりました。
「……は?」
エドワードの思考は、その一言を最後に完全に停止します。
目の前で3歳児が披露したのは、王宮のどの令嬢よりも深く、息を呑むほど優雅なカーテシーだったからです。
エドワードは口を半開きにしたまま、彫像のようにその場に固まるしかありません。
そんな中レオンだけが、得意げな顔をしてフニャリと笑いました。
「……でんか。きれい……したの」
キラキラした皇太子に褒めて貰おうと、3歳児がカーテシーをしたまま待っています。
しかし3歳児のカーテシーに一瞬目を奪われた羞恥心と、愛らしさに抱き締めたい本能が激しくぶつかります。
「……レオン……お前、男の子だろう……?」
声を震わせアルベルトは言いました。
しかしレオンはキョトンとし、顔を上げて言うのです。
「ねーたまと、いっしょよ? ……きれい、ちたの!」
カトリーヌは自分の「勝負カーテシー」を3歳児にマネされ、破壊的な可愛さに崩れ落ちました。
「……申し訳ございません、殿下。私が挨拶を、と言ったばかりに……」
ヴィクトールは己の失態に顔を青ざめ、心の中でエレーナに助けを求めました。
「いや、いい。……面白いものを見せて貰った。これほど低い位置から挨拶を受けたのは、生まれて初めて、いや……最後かもしれん。レオン、……よく出来たな」
葛藤の末、エドワードは引き攣った笑みを浮かべ、歩み寄りレオンの頭を撫でました。
使用人たちはお咎めがない事に、心底ホッとし神に感謝します。
ヴィクトールもこれほど心臓に悪い事はないと思い、とりあえず挨拶から勉強させようと決意したのです。
「 ヴァリエール侯爵、初っ端から驚かされたよ」
応接室でバラジャムの入った紅茶を飲みながら苦笑を浮かべるエドワードは、トコトコと廊下を歩むレオンの姿に和む自分に驚きました。
そして幼子が持つには過ぎる叡智に、やはり危惧を抱いたのです。
常日頃、堂々したヴィクトールの佇まいは、なりを潜め心做しか疲れた様子……。
「……王家の意向は?」
「侯爵、初めから決まっている。レオンはまだ3歳だ。母上など我が子同然に思っているよ」
王妃とエレーナは学生時代からの友人でした。
今までレオンを、何かと気にかけていたのは王妃です。
「……サボンソウを手配したのも王妃だ。レオンが汚れの落ちる植物はないかと、ブルーノに聞いたらしい。元々手記にも書いてあるはずだよ」
王家もレオンの隠蔽には、端っから参戦していたのです。
ヴィクトールの膝に座り、キョトンとした幼子の無垢な姿は、決意を固めるのに充分でした。
エドワードが腕を組み、真剣な顔で提案します。
「先程レオンに聞けば、身体用の石鹸も出来るそうだ。それをカトリーヌが作ったことにすればいい。亡き母君、エレーナ殿の手記を読み、次期王妃が考え作ったとな!先の洗濯用は研究の過程で出来上がったモノにする」
カトリーヌは父親から、膝の上のレオンを奪い言いました。
「レオン、いいですわね? 泥石鹸は『ねーたまが作った』ことにします。貴方はただねーたまのお手伝いをして、泥遊びをしていただけ。……いいわね?」
「あい。ねーたま、しゅごい! ……ボク、のほほん、しゅる」
レオンは状況を察したのか(単に反射的に)、元気に頷きました。
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─数日過ぎ─
ボディ用石鹸の制作が始まると、ニコはサボンソウに生のローズマリーを加え煮出し始めました。
そこへブルーノが湧水の泥を丁寧に精製し、すり潰したものを運び入れます。
「ブルーノ……これ、きれい、した?サボンソウ……まぜまぜ、して?」
「……坊ちゃまが仰る通りしましたよ。この泥と煮出し汁を練り合わせると……ほう、いい粘りだ」
「ニコ……これ、まるめる……ねんねするの」
その後レオンは小さな手で、一生懸命に泥を丸めます。後は天日に干して乾かすだけです。
「まんまるよ。どろの、だんご♪」
キャッキャッ喜ぶレオンは、これからも知らず知らずに、知識を渡していくのです。
カトリーヌは頭を撫でながら、「レオン天才だわ」と感激中です。
「まさに3歳児、本来の姿だな……」
「ただの泥団子ならば、確かに……」
エドワードとヴィクトールは、泥団子を作り見せ合うレオンとカトリーヌを眺めながら、深々と溜息をついたのでした。
そんな二人を生暖かい目で見守る使用人たちにも、苦難はまだまだ続くのです。
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〖─泥石鹸の誕生─〗
その後、次期王妃のカトリーヌが、母エレーナの手記をもとに、ボディ用の石鹸を作りました。
「……母エレーナが残した古い手記の中に、薬草と大地の配合が記されており、ようやく母の遺した知恵を形にすることができましたわ」
「……エレーナの研究が形になって嬉しいわ。カトリーヌ、見事よ。よくやったわ」
【─侯爵邸の執務室─】
ヴィクトールは、目の前に置かれた「妙に香りの良い泥の塊」を指先で触れながら、長年の腹心であるマルクスに声を掛けました。
「……マルクス、笑うなよ。これをどう思う?」
マルクスは怪訝そうにその塊を見つめ、手に取り匂いを嗅ぎました。
「……素晴らしい香りです。見た目は泥の塊な分、ギャップが酷過ぎて違和感が凄いです。何ですか、コレは?」
「レオンが作ったモノだ」
ヴィクトールは深いため息をつき、背もたれに体を預けました。
「坊ちゃんが……、なるほど、泥団子ですか!私も子供の頃、何が面白いのか作りました」
「……お前も作ったのか?」
「はい、ツルピカの綺麗な丸い団子にしてました。坊ちゃんの泥団子指南役ですか?」
ニコニコ笑いながら訊ねるマルクスに、なにが指南役だとヴィクトールは脱力します。
「違う。……、だいたいこれは石鹸だぞ」
……親バカ過ぎて付いていけません。
マルクスは思わず、訝しげな目でヴィクトールを見ました。
「……もともとは、皇太子殿下からの要請だったのだ。信じられるか? 菜園の草花と湧水の泥をこねただけの代物だ。だが、試しに体を洗ってみれば、翌朝には自分の肌が若返ったようにスベスベになっていた。三歳児の泥団子が、最高級の化粧品を容易く超えてしまったんだよ」
どうやら親バカじゃなくて、天変地異の前触れらしい。その事実を彼は即座に理解し、幼子の価値もまた理解できました。
「ハァー、閣下。……これはただの泥遊びじゃすまないですよ。もし他家、いや、他国に知られれば、レオン坊ちゃんは『黄金を生む鶏』として狙われます!」
「わかっている。だからお前を呼んだんだ」
ヴィクトールは鋭い視線をマルクスに向けました。
「領内にある湧水を使い、その近くに小さな工房を建ててくれ。そして働く者は信頼できる身内だけにするんだ。表向きは『亡きエレーナの手記をカトリーヌが再現した』という体裁にする。……レオンは、ただ姉の横で泥遊びをしてる幼児という筋書きだ。……守れるか?」
マルクスは不敵な笑みを浮かべ、深く頭を下げました。
「お任せを!坊ちゃんの『のほほん』を守るためなら、このマルクス!泥まみれになる覚悟はできております。しかし閣下……、本当は坊ちゃんの才能を自慢したくて仕方ないのでしょう?」
上目遣いで、ヴィクトールをみると……。
「……フン、余計なことを。……さっさと行け!」
ヴィクトールの耳が少し赤いのが見え、マルクスはクスクス笑いながら、足取りも軽く執務室を後にしました。
〖─ある日の出来事─〗
「……レオン、お勉強をしよう」
「……べんきょ?ボク、今、バタバタよ」
キョトンとした顔で頭を傾げるレオンに、なぜかとても言い難い……。
「きちんとご挨拶できる様に練習しよう」
「ボク、ちゃんと、キレイした」
「つっ!……確かによく出来ていたが」
「ボク、おしごと、いっぱいよ」
「……」
その様子を見ていた使用人らは、少しづつマナーを教えようと考えました。
自分たちの平穏の為にも……。
読んでくれて、ありがとうございます(*´ω`*)




