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白杭の向こうで見たもの

掲載日:2025/12/02

父がゴルフに行く日の朝は、いつも少しだけ機嫌がいい。

ゴルフが好きなわけじゃないらしいけど、

「外で太陽浴びると元気でるんだよ」って照れくさそうに言う。


私もその顔を見るのが、ほんのちょっと好きだった。


夕方。

父は、いつもより静かな顔で帰ってきた。


「……変なことがあったんだ」


最初にそう言った時、

靴を脱ぐ手がほんの少し震えているのに気づいた。


話を聞くと、

今日の父はひどいスライスを打って、ボールがOBへ転がっていったらしい。

キャディさんが止めたのに、なぜか父は白杭を越えてしまった。


「向こうに……人がいたんだよ」


白いウェアを着た男の人が、ずっとボールを持って待っていたという。

父と同じくらいの年齢。

でも顔が影に溶けて、よく見えなかったらしい。


その人は、父にボールを渡しながら言った。


『今日も、ちゃんと帰れるよ』


私の胸が、小さくざわついた。


父が見せてくれたボールには、ペンで文字が書いてあった。


「無事でよかった」


私はすぐに気づいた。

それが、父の字だということに。


子どもの頃、私がゴルフの練習に付き合った時、

父がボールに書いてくれたあの字とまったく同じ。


「帰る時、誰かに似てませんかって聞いたんだよ」

と父が言った。


「そしたら……“あなた自身ですよ”って。

 “このままだと、今日あなたは戻って来なかったから”って」


父は笑っているのに、目だけが少し赤かった。

外で風にでも当たったのかもしれない。

でも、その笑い方は、

ずっと前に父が“泣くのをこらえたとき”の笑い方と同じだった。


父はボールをポケットにしまい、

「……明日も、行ったほうがいいのかなぁ」

とつぶやいた。


私は聞いてしまった。

言うべきじゃないのに、どうしても口から出てしまった。


「ねぇ……その人って」

「パパより、少しだけ悲しそうな顔してた?」


父はしばらく黙っていた。

そして、小さく頷いた。


私はそこで確信した。


白杭の向こうに立っていたのは“助かった未来の父”じゃない。


あれはきっと、

“私がもういない未来の父”

なんだ。


父が無意識に越えてしまったのは、

ただのOBラインじゃなかった。


あれは、

父が一度だけ“私を失ったまま生き続けた世界”との境目 だったんだと思う。


父はまだ気づいていない。

だけど、私はもう知ってしまった。


父が震える手で握っていたあのボールは、

“私を失った未来の父”が、

なんとかして“こっち”へ戻そうとして書いた

たったひとつのメッセージだった。


無事でよかった――と。

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