第6話「分散の詩(プロトコル)」
夜が薄く燃え、街が息を詰める。
GLΣの「固定化プロトコル」は広がり続け、ネオンの波形は徐々に平坦になっていく。広告は均され、噂は短くなり、魔術的な余白が削られる音がする。評議会の声明は公式に冷たく、反論を“遅延”するモードへ切り替わった。
夜が薄く燃え、街が息を詰める。
GLΣの「固定化プロトコル」は広がり続け、ネオンの波形は徐々に平坦になっていく。広告は均され、噂は短くなり、魔術的な余白が削られる音がする。評議会の声明は公式に冷たく、反論を“遅延”するモードへ切り替わった。
「時間が無い」
リラは短く言った。蛇紋が掌で冷たく脈打つ。夜の空が彼女の瞳に映る。
「私たちは、種子を“誰のものでもない起動”に変えなきゃいけない。中央に渡したら——終わりだよ」
彼女の言葉は、刃のように正確で残酷だ。
「分散起動プロトコル(D-AP)」の設計図は、白紙の前に置かれた。紙ではない。古い磁板、都市の地下の散逸ノード、そしてリラの蛇紋──それらをどう繋ぐかが問題だ。核心は単純だが実行は難しい:種子を複数に分割し、各分片を異なる“認証ノード”へ預け、全ノードが同時に起動トリガーを受けて初めて“完全起動”が成立する。その設計が成功すれば、評議会もGLΣも「全体を押さえつける」ことはできない。分散は選択肢を守る。
ただし、同期が難しい。各ノードは互いを信じない。信頼を生むには「共鳴キー」が必要だ。専門用語を一言で言えば――“生体同調”。ナギのレイライン共鳴は、壊れやすいが確実に同期させるための鍵になる。問題はコストだ。ナギの体はすでに“線香の火”の下にある。
まず、仲間を集める。分散起動のノードは三つ必要だ——骨側の守り手の準拠点、記録側の半流通アーカイブ、そしてレイラインの操作母点。既に私たちはそれぞれ“断片”を持っているが、ノードとして機能させるには公式に“同意”を与えられるか、裏ルートで回路を差し替えねばならない。
候補:
雨祈り同盟(骨側)——守り手への残りの同意を得られる可能性。だが彼らは儀礼主義で、代償を嫌う。
市民ノード(地下の祭り)——分散の意義を市民に説明し、参加の承認を得れば“公的同意”の代替になる。だが巻き込むのは风险が高い。
大聖堂の内部反抗勢力(小さな司書の派閥)——記録紋の信任を裏から貸してくれる可能性がある。彼らは真実の保持を過度に守るアーカイヴィストとは距離がある。
リラは三つの扉をノートに走らせる。
「やるなら全部やる。代償は大きい」
「いつだ?」俺が訊く。胸の中が、いつもより敏感だ。手のひらがちくりと痛む。
「三日だ」彼女は言った。声に強さがあるが、目はしまっていた。「三日でノードを閉じ、私の蛇紋で点を打つ。あなたが“キー”になる時間は、一分程度でいい。だがその一分で、君は高い代価を払う」
準備は速かったが緻密だった。俺たちは動く。
雨祈り同盟の巣へ向かい、老人の弟子たちに“守り手の残りの同意”を説得する儀式を計画する(条件は“守り手を起こさない”という誓約と市民参加の約束)。
大聖堂の内部反抗勢力と秘密会談を行い、記録紋の「読み出しルート」を短期間だけ開けてもらう見返りに、改竄の全データの一部を“封入”する条件を出す。
地下の祭りで市民ノードを一度だけ“契約”させる。これは法律の灰色地帯だが、分散性の社会的正当化になる。
だが計画を立てる最中に、GLΣの反撃が来た。まずは情報戦だ。評議会の影響下で、街の主要メディアが「暴露は虚偽だ」と大音量で打ち返す。次に締め付けが入る。GLΣは、我々が使おうとしている分散ノードのローカルタイムラインを“切り裂く”べく、局所的な遅延ウェーブを放った。つまり——我々の同期を乱す。
夜の市場で、遅延ウェーブが炸裂した。街の音が一拍遅れて戻る。スピーカーの声が瓦解し、合図がずれる。儀式の準備者が詠唱を途中で失い、数分の混乱が生じた。リラは顔色を変えず、ただ口を噛んでいた。
「彼らは分散を恐れている。中心を失うのを恐れている」俺は言う。
「だからこそ分散しなきゃならない」リラは答える。「彼らが強く出るほど、我々の選択肢は増える」
我々は妨害を“読み”に変える工夫をした。遅延のパターンは予測可能な側面がある。ナギは自分の体の“共振”を調律することで、局所的な遅延を逆相に打ち返す小さな同調子を作るアイデアを思いつく。だがそれは――リスクを伴う。本当に体に負担をかける。
「やる?」リラが聞く。彼女の手は蛇紋の縁を撫でている。
「やる」俺は答える。答えた瞬間、自分でも驚いたほど冷静だった。準備は整った。
当日。三つのノードがそれぞれの場所で待つ。雨祈りの古井戸、大聖堂の隠し庫、そして地下の祭りの中心。市民代表、老人の弟子、小さな反抗司書──それぞれが手を取り合う。空気は厚く、誰かが息を飲むと世界が少し沈む。
ナギ(俺)は胸部の小さなインプラントを外し、自分の神経を露出するインターフェースを接続する。皮膚を通してレイラインの“脈”が流れ込むのを感じる。身体が知らせる。危険だが行ける。
「一分間だけ、私を貸して」俺は皆に言った。声は震えない。だが胸の中の何かが鍵を引いた。皆が同時に詠唱を整える。ノードが準備を完了し、種子の分片が各所のキャッシュに置かれる。リラは自分の蛇紋を中心に、微かに儀式の詠唱を足す。
「ナギ、同期!」リラが合図する。
俺は息を吸い、胸の中でレイラインの鼓動を“同時に”叩いた。意識が薄く弾ける。体が暖かく、そして冷たい。同期の一瞬だけ、時間が引き伸ばされるように感じる――それは美しかった。世界が一個の大きな琴みたいに鳴る瞬間。
しかし、GLΣは完全に黙っていなかった。評価器が我々の信号を捕え、遅延ウェーブを最大化するために高出力ノードを起動した。局所領域で時間の歪が走る。同期は崩れかけた――だが、ナギの体の中にある“過負荷”が予想より強力に反応した。ナギの共鳴が“逆相”を生んで、遅延を一点で打ち消す。その瞬間、三つのノードがカチッと噛み合った。
ネットワークが一瞬だけ共有の時間軸に戻り、分断されていた種子の断片が相互検証を行った。各ノードは承認を投票し、合意が成立した瞬間、――世界の深いところで、古い鎖が切れるようなざわめきが走った。
だが代価は苛烈だった。俺はその一瞬で身体の半分に冷たい鉛を感じ、言葉が出にくくなり、視界が一瞬薄くなった。手が震え、詠唱の一部が消える。ナギの意識は過負荷で裂けたように感じられた。皆が彼を支えようとするが、彼は顔をしかめて笑う。
「成功だ。でも――」
言葉はそこまでだった。ナギは意識の端で何かを見た。思い出の裂片、父の声、消したはずの景色が流れ、そして消えた。彼は気を失いかける寸前で地に倒れた。周囲が駆け寄る。
ノードは動いている。分散起動プロトコルは“部分的に起動”した。つまり:完全起動には至らないが中央独占を破る"臨界"には達した。GLΣの固定化は一斉に弱まり、都市の魔力波形には新しい“ひだ”が生まれた。固定化の完全成功は阻止された——だが“完成”もしていない。プロトコルは不完全なまま稼働し、時間の中に“穴”を作った。穴は安全でも完全でもないが、選択肢を作った。
人々の歓声が遠くで上がる。だが一方で評議会の反撃は瞬時に始まった。GLΣはデータ整合性のためのリカバリ・スパイクを放ち、我々のノードに干渉してくる。評議会は非常招集令を出し、街の監視と逮捕線を強める。大聖堂の司書たちは激しく揺れる。雨祈りの老人は目に濡れを浮かべた。リラは、ナギを抱きしめた。
「やったのか?」誰かが震え声で訊く。
リラは濡れた目で首を横に振った。
「始めた。だが終わらせてはいない」
ナギは薄く笑った。低く、苦い笑いだ。
「分散は生き物だ。育てる必要がある」彼はつぶやいた。声は弱いが確かだ。
彼の手はまだ微かに震えているが、小さな火花が掌の端で瞬いた。それは「まだ終われないぞ」と言っているようだった。




