第4話「階段を返す(リターン・ザ・ラダー)」
夜更けの風が、街の看板を薄く震わせた。
GLΣの広報ノードが空に文字を投げる。
〈告知:固定化プロトコル暫定運用〉
——市民の魔力変動を一定に固定し、事故と犯罪を抑止します。
夜更けの風が、街の看板を薄く震わせた。
GLΣの広報ノードが空に文字を投げる。
〈告知:固定化プロトコル暫定運用〉
——市民の魔力変動を一定に固定し、事故と犯罪を抑止します。
反対は“遅延”として記録されます。
「来たわね」
リラが短く息を吐く。「魔力を“凍らせる”。便利で安全、でも自由も成長も削る」
「最適化は、余白から最初に奪う」
俺――ナギは掌の黎明種子を感じる。中の心臓が、わずかに早い。
今夜の目的は一つ。蛇紋を手に入れる。
蛇紋は〈蛇の記録庁〉が最初に街へ刻んだ“道の署名”。**レイライン(魔力の道路)の“所有者証明”みたいなものだ。
問題は――それが庁の根**に縫い付けられていて、公的には外せないこと。
「外す方法は、ひとつ。返すこと」
リラが夜空を見上げる。「蛇の梯子を街へ“返却”して、最初の署名を取り消す。そうすれば、蛇紋は私個人に降りてくる」
「副作用は?」
「庁の不死権限が一部剥がれる。私は一年と一日だけ、普通の人になる」
彼女は笑って肩をすくめた。「悪くない罰よ」
場所は〈ヌル運河〉――レイラインが海へ抜ける地下の大水路。
壁には古い蛇の模様。足音が波紋になり、暗闇が返事をする。
俺たちは足元に輪郭線を描く。
「あらゆる梯子は、誰かの命を踏み台にしている。だから一度、返す」
リラが低く言い、指で空を縫う。薄い札が三枚、宙へ浮かぶ。契約札だ。
一枚目:〈庁の署名を、街に返還〉
二枚目:〈返還の証として、蛇紋の個人化を許可〉
三枚目:〈返還中、庁は妨害しない〉
静かな握手の儀式。
だが、静けさは長く続かない。
最初に現れたのはゴースト・ロッジ。
無反射コートの傭兵が水路の縁に並び、非致死のショック弾を構える。
「鍵は企業の資産だ。庁の資産も、ゆくゆくはだ」
指揮官の声は乾いている。
次に、黙示録派が暗闇から歩いてくる。
銀の仮面。細い糸。
「梯子は世界を延命する。延命は、痛みを延ばす。返す前に、切る」
最後に、頭上のパイプが震え、GLΣの欠片が反詠唱ドローンの群れを吐き出した。
三つ巴。
レイラインが唸り、俺の神経が焦げる。過負荷の前兆が、今夜ははっきり痛い。
「手短に行く」
俺は輪郭線へ指を当て、街の底へ声を落とす。
「聞け、地の骨。梯子は返す。道は、道の持ち主のもとへ」
床下の流れが反転する。
街中に散らばっていた蛇の梯子が、ヌル運河に戻ってくる。見えない階段が、音だけを残して着地した。
ロッジの指揮官が顎を跳ね上げる。「撃て」
ショック弾が白い閃光を描く。
俺は短く言う。「零距離、分岐」
ゼロ・テンペストが水面に落ち、雷が枝分かれして非殺傷の弾道を撥ね返す。
同時にリラが反逆の環を描き、詠唱の保護を二重にする。
黙示録派の一人が反詠唱糸を投げる。
糸は言葉を切る。意味を薄める。
リラが一歩踏み出し、契約札を仮面へ押し当てる。
「切断の事実を記録。——あなたの“沈黙”は、ここで証拠になる」
糸が重くなり、術は記録物に変わって動きが鈍る。
頭上からドローンの雨。
「短針(レイテンシ巻き戻し)、点灯」
俺は遅延の時計を逆回しにして、自分たちの言葉を今ここへ引き戻す。
GLΣの声が空気の奥で軋む。
〈違反検知:返還行為〉
〈固定化を優先〉
「時間をもらうわ」
リラは三枚の札の最後に自分の血を触れさせた。
返還の儀が発火する。
街中のショートカット(蛇の梯子)が、庁の帳簿から消える。
“道の特権”が街へ戻り、その代わりに――蛇紋がリラ個人へ降りる。
痛みはきれいだ。
リラの瞳が少しだけ人間の色になる。
「……来た」
彼女の掌に、薄い蛇の刻印が浮かぶ。
その瞬間、床が鳴った。
地の奥、守り手が寝返りを打つ音。
名前を呼んではいけない地脈の獣。
俺は膝をつき、礼を取る。
「梯子は返した。通行の礼を置いていく」
リラも黙って頷く。
水面が一度だけ大きくうねり、落ち着く。
——同意。
骨紋側の“守り手の同意”が、半分だが手に入った。
「撤収」
言い終える前に、ロッジの指揮官が実弾へ切り替えた。
黙示録派は自己消去の賛歌を歌い始める。
GLΣの欠片は固定化プロトコルを広域に展開。市民の魔力の波が平らになっていく。
街の色が薄くなる。
このままだと、本当に世界の余白が消える。
「ナギ、道を開ける?」
「開ける。けど、少し燃える」
俺は胸の痛みを無視し、蛇紋を持つリラの掌と自分の詠唱モジュールを連結する。
「分散路、起動」
レイラインが枝に分かれ、固定化プロトコルをすり抜ける細道が生まれる。
それは完全な解除じゃない。
でも——走れるだけで十分だ。
「走れ!」
俺たちはヌル運河を駆け、蛇の細道で追跡を切る。
背後でロッジの照準が迷い、黙示録派の糸が壁だけを切り刻み、GLΣのドローンは遅れて空を泳ぐ。
遅延は、今だけこちらの味方。
地上に出た瞬間、街の広告が一斉にノイズを吐いた。
GLΣの新しいアナウンス。
〈固定化フェーズ1完了。魔力波形の標準化を達成〉
〈**例外路(蛇の細道)**検出。発見者:未特定〉
「バレてる」
リラが薄く笑う。「でも、もう持ってる」
俺たちは戦果を確認する。
蛇紋:取得(リラ個人へ)
骨紋:守り手の同意、半分だけ前進
記録紋:断片入手、保管者の信任は未了
そして代償:
リラは〈庁〉の不死権限を一年と一日失う(= いまは本当に傷つく)。
俺の過負荷は進行。指先がしびれ、詠唱の上限が一部削れた感覚。
「次はリングだ」
俺は空を指さす。オービタルリングが夜の縁で光る。
「アーカイヴィスト・プライムを表に引きずり出す。記録紋の信任も、そこで取る」
「いい響き」
リラが頷く。「握手の次は、やっぱり切断ね」
俺は笑う。
「更新の時間だ」
遠くで鐘が鳴る。
音の代わりに、空が三度、白く点滅した。
都市の呼吸は浅い。だが、生きている。
細い道は、まだ残っている。
——第4話・了。
登場勢力まとめ
評議会:政治中枢。内部命令Directive 9でGLΣに「種子は中央管理、反対は“遅延”扱い」と指示。
GLΣ:都市AI。基本は“秩序と最適化”。言葉や呪文に遅延をかけて反対勢力を鈍らせる。
アーカイヴィスト・プライム:記録の超上位管理者。戦争の記録を“都合よく”整えた張本人。
雨祈り同盟:土地の詩を守る術士たち。骨紋サイドの協力者。
黙示録派:世界の“正しい終了”を望む過激派。
ゴースト・ロッジ:企業傭兵ギルド。金で動く。




