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狩り


 弓矢を手に愛馬を操り、手練れの部下と共に肥えた雄鹿を追い詰める。

 かつて数え切れぬほどの兵を屠った腕前は容易く雄鹿の心臓を貫き、見事仕留めた大きな獲物の姿を見た貴族等は盛大な拍手を送った。


「流石は叔父上。もう三頭目ですか」


 設けられた天幕(テント)にて、早速仕留めた鹿の解体をしているとそんな声が掛けられた。

 真新しい狩場衣装を纏った王子フリードリヒであった。

 狩猟はこの国の貴族男子にとってポピュラーな嗜みであり、同時にその勇姿を将来の伴侶となる乙女達にアピールする場でもある。

 間もなく十八を迎える王子は、狩りそのものを楽しみたい様子だが着飾った乙女の群れはそれを許してはくれない。

 虎視眈々と王太子妃の座を狙う雌豹の数の多さに、近頃の王子は女嫌いになりつつあった。


「僕もそろそろ腕試しをしたいのですが、ご一緒にどうですか?」


 その誘いは助けてくれと言う意味である。

 部下達に残りの肉の処理を頼み、ヴォルフレンは快くその誘いに乗った。


「…しかしながら叔父上、今日は一段と気合が入ってますね?」


 獲物を探しながら、王子は何やら含みを持って訊ねる。

 並んで愛馬を進めつつ、ヴォルフレンは困ったように笑った。


「先日、助けて頂いた御婦人にお礼の品をと思いまして…」


 そう答えつつ、木々の隙間から見えた古びた塔に目を遣る。

 約束通り皆には塔の周辺には近付かぬよう通達した手前だが、そこに彼女――テルーがいると思うと訪ねてみたくなった。


「あれがお話にあった善き魔女の住まいですか…」


 興味深そうに呟き、王子は徐ろに塔の方へ。

 塔にはバリケードのように木苺の茨が周囲を取り囲んでおり、来るものを拒むような雰囲気があった。


「王子、そちらは行けませんぞ?」


 透かさず注意するヴォルフレンに王子はニヤリ。

 怒られる前にとくるりと馬を翻した。


「見ただけですよ。叔父上が惚れたという御婦人が住まわれている塔が気になってね」


「王子…、貴方まで誂わないでください」


 眉を下げ、彼は勘弁してくれとばかりに告げる。

 その御婦人のことは居合わせた近衛騎士団の若手から漏れ伝わり、王宮内では専らの噂になっていた。

 仕事一辺倒でこれまで浮いた話一つ無かった冷徹大公を、瞬く間に骨抜きにした魔性の女人―――。

 その素性を暴かんと動く者も少なからず居たが、出て来る素性は村人に愛される世話好きな優しい魔女という事だけだった。


「やはり似ているのですか?例の夢の中の愛しい人に…」


 そんな問いにヴォルフレンは、酷く困った顔をした。

 若い頃から時折、夢の中に現れる見知らぬ筈の異郷の女性―――。

 見たこともないこことは違う世界で、その人と己は恋人であり夫婦だった。

 心から愛し合い、娘を授かり、幸せの絶頂の中、傲慢な者の手によって理不尽に殺された。

 今際の際、血に塗れたその人と動かぬ娘に手を伸ばすも、いつもその手は透明なガラスの壁に阻まれて届かない。

 そんな残酷で夢とは思えぬほどに生々しい夢の事は、気の知れた叔父と甥の関係だからこそ知り得る秘密だった。


「もしかしたら天啓なのかも知れません…」


 塔へと目を向けながら、ヴォルフレンは物思いに呟く。

 (はた)から見れば、その目は少年のように恋い焦がれていた。


「…でしたら今度は狐を狙いましょうか。毛皮にして贈れば喜ばれましょう」


 そんな王子の提案に彼は、俄に我に返った。

 今は王子の護衛兼狩りの指南役である。

 それは名案だと返しつつも気を取り直し、二人は早速獲物を探しに愛馬の手綱を手繰った。


 ***



 王子達の狩りが行われてから数日後の事だった。

 塔の周りを囲む木苺が完熟のピークを迎え、テルーがその収穫をしていると軽快な蹄の音がした。

 村からの急患かと急いで、戸口へと向かった彼女はそこにあった姿に目を剥いた。


「御免下さい」


 その声と共に、古びた壊れかけの木戸を前にヴォルフレンが会釈する。

 護衛も付けず、まるで近所への散歩感覚である。


「ヴォルフレン様、ご機嫌よう?まさかお一人?どうされたんです?」


 辺りを見回し、他はどうしたと視線で訊ねる。

 王弟ともあろうお方が何とも不用心だ。

 一先ず連れている馬ごと庭先へと招き入れた。


「こんにちは。ヴァイスと脚の治療のお礼を持って来ました」


 そう言って彼は鞍から下ろした荷物を広げてみせる。

 彼が持ってきたのは燻製にされた鹿肉の塊に狐の毛皮の襟巻きが二つ、更には上等な布地も入っていた。


「こ、こんなにっ?これは困ります!こんなに沢山受け取れません!」


「感謝の気持ちです。あの時、脚を治して頂けなければ仕留められませんでしたから」


 困惑するこちらに対し、彼は当然とばかりの反応。

 あまりに過ぎたお礼の量に素直に受け取って良い物かと悩んでいた時だった。


「お母さん!そちらはどなた⁉」


 上から降ってきた声に、ハッと顔を上げる。

 長い髪を垂らしてラプンツェルがウキウキで顔を出していた。

 初めて見る男性の姿に興味津々な娘に、テルーは思わず苦笑い。

 村の人間以外にはお客など来ない為、その目は好奇心に溢れていた。


「母さんの知り合い!ほら、前に話したヴォルフレン様…!あ、そうだ。ララ!キッチンにビスケットと蜂蜜があったでしょ!それと紅茶のセットを下ろしてくれる⁉」


「嗚呼!大公様ね!ご機嫌よう!お母さん分かったわ!あ!丁度木苺のパイも焼けたよ!切って一緒に下ろすね!」


「ナイフに気をつけるのよ〜!」


「はーい!」


 そんな元気な声で塔の中に消えた娘へと手を振る彼女に、ヴォルフレンは興味深そうな笑みを零した。


「今のがお嬢さんですか?」


 些細な問いだったが、テルーは思わず回答を躊躇った。

 不思議と彼には本当のことを話したくなった。


「…血の繋がりはないんです。本人にはまだ秘密ですがね」


 その返答に案の定、ヴォルフレンは息を呑んで目を丸くした。

 一瞬にして様々な推測を駆け巡らせて固まる彼に、テルーは自嘲するように肩を竦めた。


「…前に住んでいた家の隣に住んでいた夫婦の子です。以前から旦那さんの手癖が悪くて…、色々あって引き取りました。まあ、あちらからは子供を攫われたと散々罵られましたがね…。立ち話も難ですから、こちらへどうぞ?」


 淡々と事情を話しつつ、辺りに置きっ放しにしていた鎌やスコップを片付け、切り株を利用したテーブルへと誘う。

 手早く汲み上げておいた井戸水で手を洗い、気休め程度に風呂敷として下ろしていたクロスを敷いて場を整えた。


「手癖が…と言うのは、具体的には?何をされたんです?」


 怪訝な顔で訊ねつつ、ヴォルフレンは手綱を手頃な木に括ってテーブル脇の丸太に腰掛けた。

 その間、彼女は塔から降ろされたバスケットを受け取り、娘にありがとうの合図。

 ラプンツェルが塔の中に下がったのを確認して、意を決したように事情を口にした。


「度々育てていたチシャ菜を盗まれました。それだけならまだ良かったのですが、嵐の夜に泥棒に入られて蜂蜜と薬草を盗まれて…、乳児だったあの子にまで食べさせたのを見て、我慢ならなくなって…」


 そう語りながら入っていたお皿を取り出し、手際良くビスケットにチーズを乗せて蜂蜜を垂らした。


「乳児にとって蜂蜜は猛毒なんです。一歳未満の子に与えれば、容易くその命を奪います」


 当時の怒りを思い出しつつ、物思いにヴォルフレンにビスケットを差し出す。

 警告じみた説明に、彼は何処か緊張の顔を見せた。


「…随分と博識なのですね」


「世にいう魔女ですから…」


「成程…、頂きます」


 淡々と受け答えしながら、気まずさを飲み込むようにビスケットを齧る。


「ここにはずっと二人で?」


 言葉を躊躇いつつもヴォルフレンは更に質問。

 魔法で湯を沸かして紅茶を入れながら、テルーは小さく頷いてここで暮らす理由を話した。


「蜂蜜と一緒に食べさせられてしまった薬草の影響で、あの子には本来無い筈の魔力が宿ってしまったんです。複雑で特殊な力の為、悪用される懸念から人目を避けています」


「具体的にはどう言った力が?」


「確認している限りでは髪色の変化とそれに伴う魅了効果。髪の伸びるスピードが尋常では無い事と…、最近では治癒の力も確認しています」


 指折り数えながら返された答えに、彼は眉を顰めた。

 確かにそれでは人目のある場所では暮らしてはいけない―――。

 魔法そのものも地域によっては奇異の目で見られる場合があるのに人を魅了するとあっては不埒な輩に絡まれる危険がある。

 加えて治癒の魔法が使える者は、有事に王命で強制召集が係るほど宮廷が欲している人材でもある。


「あの子が自分の身を守れるようになるまでは、この塔で暮らすつもりです。魔女とは言え、私がいつまで守ってあげられるかは分かりませんから…」


 憂いげに語りつつ、紅茶と焼き立てのパイを差し出す。

 甘酸っぱい湯気を立てるパイに食欲を唆られ、彼は会釈の上で早速香ばしい甘味を口へと運んだ。

 そしてその味に息を呑んだ。

 何度も夢に見る不思議な記憶の中―――、幼い娘と一緒に食べた懐かしい味だった。


「美味しい…」


 漠然とそう口を吐いた。

 その声に彼女はニコリと笑みを零した。


「お口に合いました?」


「ええ…、昔、大切な人が作ってくれた味がします」


「あら?もしかして恋人ですの?」


 誂い半分でテルーは訊ねたが、ヴォルフレンは途端に悲しみを湛えて嗤った。


「………、それ以上でした。酷い事故で亡くしましたが…」


 返ってきた思わぬ返答に、彼女は言葉を失った。

 またいつものお節介で、このパイに合う料理や紅茶の種類などを紹介してあげようなんて――、安易にそんな事を思っていた。


「それは気の毒に…」


 しまったと口籠るテルーに、ヴォルフレンはハッとした。

 夢の中の話だと言うのに、まるで自分がそれをあたかも体験したような錯覚を起こした。


 ―――あれ?

    本当に錯覚?


 不意に浮かんだ疑問に違和感を覚えた。

 思い返してみれば、あの夢には確かに感覚があった。

 匂いも味も痛みも生々しく、そのリアルさに耐え兼ねて自然と忘れようとしていたが―――。


「ごめんなさい、辛い記憶を…」


 戸惑うように言葉を躊躇うテルーに、再び我に返った。


「いや、こちらこそ失礼を。重い話を持ち出してしまいましたね」


「いえ…、私にも今亡き忘れられない人は居ますから…」


 そう答えた彼女は酷く哀しげに微笑んだ。

 それは誰にも言えないかつての記憶―――、彼と話す中、最愛の夫の面影が脳裏を掠めた。

 彼とは全くの別人の筈なのに不思議とその顔に夫の姿が重なり、その所作に懐かしささえ覚えた。


「……っ…」


 沈黙の中、今にも泣きだしてしまいそうな彼女の微笑みにヴォルフレンは、堪らず手を伸ばしかけた。

 その頬に触れ、彼女の心を慰めたい。

 柔い唇へと口吻をしたいとさえ―――…。


「お母さ〜ん‼私もそっち行って良い〜っ⁉」


 轟いた素っ頓狂な声に二人してビクリと肩を揺らす。

 息を合わせたように塔へと目を向ければ、ラプンツェルが自分も混ざりたそうにこちらを見つめていた。


「だ、駄目よ!貴女、まだ鼻が出るでしょ!ヴォルフレン様に移したらどうするの!」


 平静を装いながらもテルーは声を荒げる。

 ラプンツェルはさもつまらなそうに「は〜い…」と返事を寄越し、不機嫌そうに塔の中へと引っ込んだ。


「ごめんなさい、来客が少ないものですから好奇心が凄くて…」


「いえ…。お嬢さん、風邪を召されて?」


「もう治り掛けなんですがね。最近、ロマンス小説に夢中で夜更かし気味で…」


「おやおや、それは困ったものですね…」


「…あっ、紅茶にお砂糖やレモンは?」


「嗚呼、では頂きます」


 互いに気不味けに言葉を交わし、気を取り直す。

 話題を変えるように、残りの木苺パイを一緒に味わいながら暫しの談笑を楽しんだ。

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