悪役魔女
くそったれな交通事故だった。
イカれた信号無視の車に正面衝突した挙げ句、車間距離を取らなかった後続のトラックに追突され、茉莉とその夫、そして幼い娘を乗せた車は大破した。
朦朧とする意識の中、車外に投げ出された幼い娘を血塗れの手で抱き締めたのが茉莉としての最期の記憶。
彼女が俗に言う異世界転生した先は童話の世界だった。
「ララ〜?ラプンツェル〜?ご飯よ〜?」
出来立てのパンケーキとベーコン炒めをテーブルに運びつつ、床に寝転がって無邪気にお絵かき遊びをする尋常ではない長さの金髪少女に声を掛ける。
「はーい!あ、パンケーキだ!やった!お母さん、ありがとう!」
可愛らしい声にかつて茉莉という名だった魔女テルーはニコリと笑みを零した。
その声は亡くなる直前まで耳にしていた愛しい娘の声。
そして、その顔は前世で亡くした娘に瓜二つだった。
***
今いる世界が童話ラプンツェルの世界だと気付いたのは、前に住んでいた家での近隣トラブルからだった。
茉莉が転生した人物は、治癒の魔法を得意とする魔女で小さな農村の片隅で薬草園と家を構えていた。
生まれながらに魔力を持っているのと異常なまでの博識さを除けば、ぶっちゃけ何処にでもいる小母さんである。
人付き合いも悪くなく、それなりに上手く暮らしていたのだが、ある時、隣に越してきた若夫婦が大問題だった。
「ちょっと!何勝手に人の畑に入ってるのよ!」
薬草採取の最中、彼女は怒号を上げた。
堂々と我が物顔で育てていたチシャ菜を毟っていたのは、隣の旦那である。
「妻がこれが欲しいと言ってるんだよ!妻は身重なんだ!」
被害者ぶった口調で旦那は叫び返し、止める間もなくチシャ菜を強奪。
どうやら隣の夫婦は魔女は天性の悪人と思っているらしく、やりたい放題。
野菜泥棒だけでも腹立つのに、薬草まで踏み荒らすものだから堪まったものではない。
「テルーさん、大丈夫かい?」
そう声をかけてくれたのは村長の老人である。
原作での魔女は無愛想だったようだが、彼女の前世は三十路のお節介小母さん。
ある時、何の前触れもなくかつての記憶が蘇って以来、過去の性格が困っている人を放っておけず、あれこれと村の人の世話を焼いている内に、すっかり善い魔女の評価を貰った。
元々は原作通り名付け親と呼ばれていたが、近頃は愛称のテルーが板についていた。
「すまんね。領主の頼みで受け入れてしまったが…」
「村長の所為じゃないわ。大方、街でもトラブル起こしてこっちに引っ越しを命じられたんでしょうね」
「もし良ければ、以前話した西の森の塔を譲るよ?古いが水場も近いし、あそこの周りなら好きなだけ薬草園を作れるだろう」
「ありがとうございます。前向きに検討するわ」
そんな会話をしつつ、一先ずその場を別れた。
それまでの行いが功を奏し、村の人々は友好的であったが、問題はラプンツェルが誕生してからのシナリオであった。
この世界の魔女ゴーテルは、悪役であるので殺されるなどの不幸に見舞われる可能性もあった。
―――できる事なら、この世界の主人公ラプンツェルには関わりたくない。
そう思っていたのだが、運命は心底意地悪だった。
それは、とある嵐の晩だった。
雨風で薬草が傷まぬように畑に対策を施し、その日は早めに就寝。
その真夜中だった。
キッチンから聞こえる物音に気付いてテルーは飛び起きた。
まさか―――!
嫌な予感は的中し、駆け付けたキッチンでその目に飛び込んで来たのは堂々と戸棚を漁る隣の旦那の姿だった。
「こんの泥棒!」
即座に怒鳴り付け、手近にあった本を投げ付ける。
旦那は悲鳴を上げながら、パンパンに膨れた鞄を抱えて逃げ出し、一目散に自宅へと逃げ込んだ。
「あーあー…」
散乱した室内に溜息しか出なかった。
貴重品は寝室に置いていたので盗られたのは食べ物や薬であったが、物色されたキッチンや薬草の棚はグチャグチャ。
取り敢えず、朝一で村長に報告すべく片付けながら被害の状況を確認。
暗がりで漁られた所為で交ざってしまった薬草も多く、一部は泣く泣く捨てる羽目になった。
(これは暫くお店を閉めるしかないわ…。流石に許せん…)
甚大な被害に商いの薬屋の営業停止を余儀なくされ、沸々と怒りが滾った。
苛立ちながらも最後にキッチンの戸棚の整理に当たり、そして気付いた。
ごっそり蜂蜜がない。
しかもその隣に仕舞っていた筈の特殊な薬草まで――…!
途端に警鐘を鳴らした胸に外套を引っ手繰って嵐の中、隣の家に突撃した。
「ちょっと!開けなさい!」
雨に打たれながら戸を叩き、何とか抉じ開けようと怒鳴りつける。
近頃、隣の家の奥さんが出産したものの乳が出ずに悩んでいるとの噂を聞いた。
四六時中聞こえる赤子の声から育児が上手く行っていないのは感じていたが、恐らく旦那はまた奥さんにせがまれて盗みに入ったのだろう。
(どうしよう…、蜂蜜もやばいのに、あの薬草は…!)
開かぬ戸に焦りが募った。
盗られた薬草や蜂蜜をもし赤ん坊が口にしてしまったら命に関わる―――。
刹那の躊躇いの後、簪代わりにしていた魔法の杖を髪から引き抜いた。
声高らかに呪文を唱え、直後バキンと中の閂が砕ける。
途端に戸を押し開け、駆け込んだ室内ではロッキングチェアの上で虚ろを見つめる奥さんと、その腕に抱かれる赤ん坊の姿があった。
その子の顔を見た瞬間、テルーは息を呑んだ。
髪や瞳の色は違えどもその顔はかつての自分が愛した娘にそっくりで―――、直感でその子が前世で最愛の娘だった蘭々の生まれ変わりだと気付いた。
「ま、魔女め!出ていけ!」
こちらの襲来にキッチンに立っていた旦那は悲鳴を上げながら掴み掛かる。
その声にハッと我に返った。
「退いてっ!」
追い出そうとする旦那を押しのけ、生気のない奥さんの腕からぐったりする娘を奪い取る。
その口元に付いていた青い花弁と甘い香りで、テルーは一歩遅かったと顔を歪めた。
「蜂蜜は赤ん坊には猛毒なのよ⁉第一、この薬草も…!」
呆然とする奥さんの足元に転がっていた青い花を掴み取り、何てことをしたのだと怒鳴りつける。
それは魔法薬に使っていた特殊な薬草で、飲めば魔女でなくても魔法が使えるようになる花だった。
本来は魔女が魔力の底上げに使ったり、調合した薬の効能を上げるために使われるが、その花の効能には大きな副作用があり、乳幼児が口にしては猛毒となる毒草でもあった。
(既に中毒症状が出てる…!急がないと…!)
状態を確認し、手立てを必死に考える。
家の状況からして具合の優れない奥さんの慰めに甘く爽やかな香りのする花を渡し、子供に見せて遊ばせている内に誤って食べてしまったのだろう。
兎に角、飲んでしまった毒を吐き出させなければと前世の記憶を引っ張り出し、娘の腹に力を込めた。
途端にパチャと口元から乳と一緒に、青い欠片が吐き出される。
(上手く行った!)
ホッとしたのも束の間、テルーは外套の中に泣き出した子を包み込み、キッと夫婦を睨みつけた。
「あんたたちみたいな教養もない恥知らずな親に世話されてたら、命がいくらあっても足りやしない!この子は私が貰う…!次に私の前に現れたら死を覚悟しなさい!」
そう吐き捨て、壊れた戸から豪雨の中を家へと駆け出す。
背後で旦那は何かを喚いていたが、奥さんは終始、虚ろを見つめていた。
様子からするに産後鬱なのだろう。
哀れには思ったが、手癖の悪い旦那を窘めもしない者に同情などしなかった。
***
それからの数日間は必死だった。
家にあった魔法の本を搔き漁って、その命を失わせまいと寝る間も惜しんで治療に当たった。
二度と娘を失いたくない―――。
その思いで我武者羅だった。
「お母さん、どうしたの?」
そんな声にハッとした。
一緒に昼餉のパンケーキを食べながら、美味しそうに頬張る姿に見入っていたら、過去を振り返っていた。
何でもないと微笑んで返し、少し冷めたベーコンを齧る。
幸い娘はあの後、無事に回復して元気一杯に育ったが、魔法の薬草の後遺症で当時茶髪だった髪は黄金に染まり、恐ろしいほどの速さで伸びるようになってしまった。
何度か散髪を試みたが切るだけ伸びるスピードが上がり渋々諦めた。
挙げ句、鮮やかな金の髪には人を魅了する効果があり、老若男女問わず虜にしてしまう為、誘拐未遂が何度もあった。
故に人目のある場所では暮らしてはいけず、以前から誘いのあった森の中の塔への引っ越しを余儀無くされた。
物語の鍵となる髪の為、簡単には短く出来ないらしい―――。
今時点で五メートル近い髪の毎日の手入れも中々の手間である。
「ねえ、お母さん。そろそろ暑くなってきたし、また水浴びしたい」
そういう娘に私は分かったと頷いてみせる。
原作では塔から出してもらえなかったラプンツェルだが、前世の感覚を持つテルーにしてみれば、それは娘の成長に良くないとの見解。
人目が無いことを確認の上で週に一度は、近くの滝で髪洗いと運動を兼ねて塔から下ろしていた。
また、教養の為に度々以前暮らしていた村に足を運び、図書館で本を借りたり教材になる物を持ち帰った。
無論、村に行く度にラプンツェルの本当の両親に罵詈雑言を浴びせられるが―――。
「ごめんくださーい!薬を取りに来ました〜!あと、頼まれてた買い物も〜!」
そんな声に二人して窓辺を振り返る。
ラプンツェルは弾けるような笑顔で席から立ち上がると、元気に塔の下へと手を振った。
テルー達の状況を憐れんで月に一度、村長や村の人々が薬の受け取り序でに必要物資を運んでくれている。
お陰で近頃は村まで行かずに済み、夫婦とも顔を合わせなくて助かっている。
「いつもすみませーん!」
「こちらこそー!」
塔の窓から籠を付けた長いロープを垂らし、品物と代金を交換。
大声で他愛も無い会話を交わし、笑顔で解散した。
不便はあるが、悪くはない日々である。
***
この世界には、カメラや写真という物がまだ存在しない。
村人に頼んで定期的に運んで貰っている新聞記事は文字ばかり。
時たま風刺画が載っているが、子供が読むには退屈らしい。
「お母さんは新聞好きだね〜」
新聞を読むテルーに、ラプンツェルは退屈そうに呟く。
この世界では学校という概念もまだ存在せず、髪の魔力故に人気のある場所も出歩けない。
その分、試行錯誤で手作りした問題集をやらせているが飽きてしまったらしい。
「新聞には世の中のことが沢山書いてあるからねぇ…」
そう答えながら彼女は気になった記事に印を付けた。
この童話の世界を現実として真っ当に生きていくには、世の中を知らなくてはならない。
今暮らす場所はとある王国の一角で、これからラプンツェルが出会うであろう王子は国王唯一の嫡子であることが既に判明している。
――となれば、ラプンツェルは行く行くは王太子妃となり、順当に行けば王妃となるだろう。
今のところ国の情勢は落ち着いているが、現実は残酷なことが多いし、先のことは分からない。
物語のシナリオ通りに未来が進むなら、未来の王妃として苦労せぬよう何かと教養を身に着けさせる必要があった。
「さて、何処が分からない?」
「何処が分からないのかが分からない…」
そんな返答に思わず苦笑い。
一旦、新聞を置き、難航している問題を一緒に考えた。
今のラプンツェルは八才で、シナリオ通り歌が上手で素直な優しい子に育った。
前世の記憶から覚えている限り、王子と出会うのは十六歳前後なのでまだ時間の猶予はある方だ。
「ララは物覚えが早いから、母さん鼻が高いわ…!」
教えたポイントをすぐに掴んでスラスラと問題を解き始めた娘にテルーは誇らしげ。
あの問題だらけの夫婦から産まれたとは思えない程にラプンツェルは頭が良く、運動神経も抜群。
今の調子ならば、将来は安泰である。
「ねえ、お母さん。おやつまだ?」
「ん?お腹空いた?じゃあ、クッキー出そっか」
「わーい!」
そんな元気で無邪気な声に、テルーは母性に溢れた笑みを浮かべた。