ゆめゆめ
毎年恒例の書き下ろし。
今回は前日に一気に書き下ろした。
それでは、どうぞ
瞳に光が差し込む。
あぁ、久しぶりに夢を見た。
それはそれは、暗い夢。
色も形も何もない、暗い暗い夢。
見ている時に、これは夢だと気がつけぬほど現実感がある暗闇。
夢なんて大体、そんなものだろうか。
目覚めて思ったのが、夢で良かったと。
あぁ、いつからだろうか。「夢」を見られなくなったのは。
あの頃、手放してしまったはずのものが、突然戻ってきたようで――ふと、考えてしまった。昔、私はどんな夢を見ていたのか。
私は現実的な人間だと自負していた。
幼い頃から大層な「夢」は抱かず、現実的な将来を思い描いていたと思う。
それでも、小学生の頃には将来の夢として『総理大臣になる!』などとほざいていたのだから、実際には現実味がある小学生ではなかったのだろう。
ふと、小学校の卒業アルバムを読み返してみれば、そこには総理大臣になったら地元の町にビルを建てて、その中で野菜を育てるなんて記述がある。
今でこそ別に珍しくもない、いわゆる「スマート農業」だが、当時そんなことを夢見ていたなんて。
なんとも現実味がなくて。でも、あのときは本気で“未来”を作ろうとしていたのだろう。
ちなみに、高校生の頃の夢は「公務員」だ。
うむ。実に現実的だ。
しかしながら、現在から当時を振り返れば、高校生時代に抱いていた現実的な「夢」すらも現実離れした途方もないものであったと思い知らされる訳なのだが。
「夢」なんて持つものではない。
そう思ったのは、大学時代。
最後の学生時代。
誰もが一度は経験するであろう就活という一大行事で、例にも漏れず挫折した訳だ。
これは決して、運命を呪うものではない。
ただ単純に、自らの過去の怠慢を批判するものである。
少なくとも、当時抱いていた夢は努力次第で叶えられる「夢」だったのだから。
他の誰かに左右されることが比較的少ない、自らとの戦いだったのだから。
過去を否定すると共に、未来に問いかける。
あなたは、今の私と同様に後悔していますか?
長くも短い今までの人生というものを振り返ろう。
私は恵まれていた。
片親などではなく、両親の元に五体満足で生まれ。
少し歳の離れたきょうだいと共に、愛されてきた。
衣食住に何一つ不自由なく、贅沢というほどではないが上流に片足を突っ込んだような生活だった。
いっそ不幸ならば、それを理由に堕落出来ただろうか。
小学生時代は苦労なんてものを全くしなかった気がする。勉強にも困っていない。人間関係も程々に。故に、特徴がないやつだった。通信簿は定型文。担任教師も数年後には存在を忘れるような当たり障りのない児童。
それは中学に入ってからもその存在感のなさは変わることなく、といった感じだった。
多分、担任だった教師は十数年前に卒業した私のことなんて、もう覚えていないだろう。
それで別に良いじゃないか。
卒業したら2度と関わるようなことがないだろ、担任教師なんて。
これは、もし忘れられてしまっていた時に、自らが傷つかないようにするための言い訳だろうか。
それならそれで、別に構わない。
どうせ、確かめることはない。
先に、当たり障りのないやつだったと自ら述べたが、中学生ぐらいから変人度合いは増していったとは思っている。
大人からは特段心配のない、無害なやつ認定を受けていたとしても、共に生活していた学友からしてみれば、恐ろしい存在だったのではないだろうか。
別に身体的な害は無いとしても、精神的恐怖や未知のものに対する恐れを抱かせていた。
言っておくが、謎キャラ気取っていた訳ではない。
ただ単純に馴染めなかっただけ。友達がいなかっただけ。
だけど、虐めたりする理由はないし、関わらなければ無害。
なんだ。結局、当たり障りのないやつじゃないか。
いや、待てよ。
強制されない自由な人間関係の環境に慣れすぎて、今は強制される人間関係の環境について忘れてしまっているだけではないか。
大人の作為で、一箱およそ36人詰め込まれた、教室という名の箱庭で、強制的に繋げられる人間関係。
別に、現状の学校制度を批判する気もないし、代案として妙案がある訳でもない。
それでも言っておきたいことは、あれほど気持ちが悪い環境はこの世になかなかないと思う。
学校における人間関係色々は、『社会に出るための準備』『大人になれば、嫌な人とでも付き合っていかなければならないから仕方がない』などと、言われたりするが。
実際、大人になれば付き合う人は選べるし、強制的に関わらなければならない機会なんてぐっと減るような気がするのだが、いかに。
これは、私が今置かれている状況が恵まれているからだろうか。
大学が良い例だ。好きな授業をとって、好きな人と一緒の授業を受けて。
ゼミ活動があれば多少は望まぬ人間関係を強要されることはあるかも知れないが、同じ事柄に興味関心を持ち、好きだから集まっている連中なのだから、少なくともある一点で結びつくことは容易だろう。
例え、その他は一切相容れぬ存在だとしても。
いや、待てよ。
その、人生の夏休みから脱して、社会に出たらどうだろうか。
私個人は現状苦労していないが、強制的に関わらなければならない存在は数多く存在するのでは無いだろうか。
職場の上司、同僚、部下や取引先など諸々。
想像してみれば、確かに望まぬ人間関係の強要は多々ありそうだ。
だが、小中高時代と明確に違う点がある。
それは、金をもらって強要されるということだ。
小中高時代は、わざわざお金を払って、望んで強制されに行っているのに対して、大人になれば、仕事上での人間関係な訳で、必ず収入が発生する。
それに見合うかどうかは置いておいて、少なくとも対価を得て行なっているのだから。
それでも、学生時代に望まぬ強要された人間関係の耐性を身につけておかないと、対価や報酬があったとしても苦労するのだろうか。苦しむのだろうか。
話がだいぶ、脱線したが。
一体、何の話をしていただろうか。
そう、「夢」の話。
私は「夢」の話をしていたのだ。
私の現実たる人生の話など、もうどうでもいい。
「夢」を見ていたのは学生時代まで。
それから夢すら見られなくなったのだろう、どうせ。
今度はちゃんと夢の話をしようか。
色はありますか?音は?匂いは?感触は?
人によっては、色なし・音なし・匂いなしの感触なし、という人がいるらしいのですが、私は全てあるので、ちょっと理解が難しい。
色も音も感覚もない夢を見ている人は、さぞ眠る時にはつまらないのだろうな、などと思うわけです。
まぁ、久々に見た夢が真っ暗な夢だった人に言われたくないだろうが。
頻繁に夢を見ていた私にとって、夢はドラマや映画と似たり寄ったりのものだった。
それこそ、自らが見たい夢を自ら作って見ることができた。
その世界は自由だった。
本当の意味で何でもあり。
私の知っていること、想像できることの中で無限大に広がる世界。
スーパースターにも、ヒーローにも。はたまた世界最強にもなれた。
幸せだった。
ふと。気がついてしまった気がする。
あぁ。
私は「夢」を見られなくなったから夢を見なくなったのだ。
「夢」はいわば願望だ。
あれがしたい、これがしたい。
あれになりたい、これになりたい。
現実離れしていようが、夢ならばその「夢」は叶う。
ゆめゆめ忘れないように。
何かに書き記しておこう。
起きあがろうと、重力に抗うように振り上げた右腕は何も掴むことなく自然落下してきた。
顔にぶつかる。差し込んでいた光が遮られる。痛くはない。
再び腕を振り上げ、自然の摂理と戦った。
しかしながら、腕は重く、体は起き上がらない。
いつの間にか、瞳に差し込む光は消えていた。
終
今回も後書きを担当します
御宝候 ねむ です。
うーん。
難解というか。
訳が分からない私小説だね。
かつては「夢」みた少年が
「夢」を見られなくなってしまったお話。
深いようで浅いようで。
うん。
私は好きだよ。
作者誕生祭の書き下ろしとしては適当なのかな、と思う。
御宝候 ねむ