第4話 宴の間
聖暦1795年3月 八幡皇國 筑羽 亀寿
「出発前の宴?」
山梨貞観に呼び出された山梨善一郎は、父親の提案に頭を傾げていた。
目的地の選定が出来ないままに時間を過ごしてしまった一同を見た母与那が提案してきたらしく、既に厨房での陣頭指揮を行っているようであった。
「かまわないと思いまするが、何故急にこのようなことを?」
「昔から、出陣前に良いものを食って、活力を付けさせる事で旅の無事を願うのだと言っていたからな。また、客人が来ているのに、もてなしをしないのは、礼儀に反するからな 」
「そのような理由で。まぁ、ニシア殿達にはお伝えしておきますよ 」
そう言って善一郎が席を立とうとすると、貞観がまだ終わっていないかのように裾を握る。
「なんですか?まだ何かあるので」
「うむ。実は、そちの元服についてな」
貞観がそう言うと、善一郎も静かに腰を下ろす。
「烏帽子親が決まらず今の歳まで伸びてしまったが、ようやく出来そうなのだ」
現在善一郎の歳は16歳。
よその家であれば、元服の儀式が済んで夫婦を探してもいい頃合いの歳であったにも関わらず、今日まで出来なかったのは、山梨家の家柄にある。
山梨家は、亀寿南部に住む城付き武者であったが、郡代だった若狭が没落した時に素早く領民を収めると、そのまま郡代となった。
その為、元々関わりのあった家との家格が変わってしまい、上にも「新参」と軽く見られるようになっていた。
これが原因で、善一郎の元服といった他家を招いた行事が滞り、家の影響力低下にも繋がっていた。
何とか、権威を回復する為にも、今回の元服式を行うつもりであった。
「本当なのですか?いったい誰が」
「国守の畠野様じゃ」
この筑羽の国を受け持っている国守畠野泰久は、山梨家の親戚筋にあたる家であり、父貞観とは兄弟と慕う間柄である。
先代の頃は、ひ弱な後継者のイメージを持たれており、武断派の家臣から軽く見られていた。
しかし、力無いながらもしたたかに、彼らの影響力を削いでいき、自身が当主になった途端に自身の側近や時勢を読める者達に首をすげ替えて、抵抗する者を纏めて討伐した。
後に「畠野の苗狩り」と称されるこの出来事は、近隣に逃げ延びた武断派や侮っていた中立派を震え上がらせた。
「国守様がしてくださるのですか!」
「何を言っている。お前から見たら叔父になるのだ。来てくれないわけが無いではないか」
「しかし、しっかりとした用意などを行わなければならないものです。すぐに準備出来るでしょうか?」
「しっかりしたものは、帰国後行うことになる。今回は、略式にて行う。お主が元服して烏帽子親が国守殿だと示すのが目的だ」
相変わらず、行事を重ねて済ます癖が抜けない人だな、と思いながら善一郎は、席を立った。
宴の話を聞いたニシア・マシューバルは、笑みを浮かべて参加を承認する。
マキシム・ザウバーら大半のエリザ帝国の者たちもここをよく受けてくれた。
ただ、近衛のサディアと古風な執事からは、難色を示される結果になった。
夜も更けてきて、急ピッチに進んだ屋敷の飾り付けも準備された。
軒には、領内にて奉納田楽をしていた田楽隊を呼んでおり、家臣たちも見世物の準備をしていた。
「美山。いささか腰帯を締めすぎではないか?動くと痛いくらいだぞ」
美山藤次郎が善一郎の正装をしっかりと備えさせる。
「このくらい締めとかねばだらし無く見えまするからな。ここは、念入りに」
「イタタタ!」
善一郎たちの準備をよそに、列席した者達は、次々と宴をする会所へと入っていった。
エリザ帝国の者たちには、椅子と机、ナイフやフォークなどが用意されていた。
「まあ!しっかりした机と椅子が」
「この配膳の様式は、ベルク王国のものではありませんか。何故にこの様式を」
「この机や椅子もきれいな装飾がされていますわ」
エリザ帝国の者たちは、未開の国と思っていた八幡皇國が、しっかりとしたもてなしの準備をしていた事に驚いていた。
「いやはや。わが家臣ながら惚れ惚れする対応じゃないか」
貞観に肩を叩かれながら褒められている眼鏡の男こそ、このテーブルなどを用意した山梨家家臣篠田金義である。
彼は、豊島にて八幡皇國と唯一交易をしていた文明圏国家ベルク王国の通訳をしていた。
だが、当時の仕官先から解雇されてしまい、ゆく宛がなかったところを商談に訪れていた城付きだった貞観に拾われて仕官し、主に商談などを行っていた。
彼が商談していた ベルク王国は、エリザ帝国の対岸にある小国であったが古中海にある未知(八幡皇國)より、貴重な品々を入手して、莫大な利益を入手していた。
「元々は、あちらの商人を招くように用意していたのですが、役立ってよかったです」
篠田がそう言って肩を竦めると貞観は、軽く笑みを浮かべてから彼の顔を見る。
「殿。畠野様一行が到着なさいました」
「そうか。私たちを出迎えよう」
貞観と家臣団は、玄関へと向かう。
砂利を敷き詰められた廊下にて羽織袴を身にまとった赤ら顔の男性がゆっくりと歩いてきていた。
「貞観殿!参りましたぞ」
「畠野の兄弟!久しぶりだな」
畠野を出迎えた貞観は、そのまま会所へと案内した。
会所につくとエリザ帝国の一同の前に畠野が歩いていく。
「帝国の御一同様。漂着したとは言え我が領国へようこそ。国守としてごあいさつのみではありまするが、ごゆるりとなさってください」
畠野が彼らを出迎えると、ニシアが代表とりて彼に礼を返す。
「善一郎様がお越しになられました」
近習がそう伝えると淡い青色の羽織袴を身にまとった善一郎がカチカチになった体で中に入ってくる。
「それほど硬くならずとも良いぞ。本来の元服の儀は、別の日なのだからな」
畠野が笑顔で善一郎の肩を叩く。
「まぁ、硬くなっている者にそんなのことを言っても仕方ないでしょうに。早速始めましょうか」
貞観が手を叩くと、奥から家臣たちが配膳していく。
「これより、山梨善一郎様の元服の儀を行いまする」
篠田が外にいる家臣にも聞こえるように伝える。
庭先に並ぶ家臣たちは、それを聞いて大きな歓声を上げる。
美山が烏帽子をかぶる前の髪を結い、畠野は、横に座り黒い帽子を彼の頭に被せる。
「山梨善一郎。今日よりそなたを貞久と名乗るが良い」
「はは!」
善一郎もとい貞久は、烏帽子を深々と被って頭を下げる。
「名前は、貞観殿の貞と私の久をとって名付けた。今後とも山梨家のために尽力して下されよ」
「ははー。今後とも山梨家と畠野家の為に尽力いたす所存。各々方、今後ともよろしくお願いいたします」
善一郎の前には、一振りの刀と家紋入りの祝品が片木盆に乗せて置かれていた。
「その刀は、わしからの祝いである。隣は、畠野様からの祝の品である」
貞観が善一郎の前に置かれている品が誰からなのかを説明する。
「皆様からの祝品、ありがたく頂戴いたしまする」
善一郎がそう言って、奥の部屋に祝の品々を持っていく。
「美山。あの明かりは、一体なんだ?」
祝いの品を置いて善一郎と美山が戻ろうとしていると、屋敷外の明かりと騒がしさに気づく。
「確かに、何か騒がしいですな。」
美山が善一郎に同意すると同時に貞久が塀の方に走っていく。
「若!何をやっているんですか」
美山の制止を無視して塀の上に登った貞久は、塀の向こうにいる者達に我が目を疑ってしまう光景が広がっていた。
塀の反対側にいた鎧甲冑を身にまとった数十人が集まっており、皆が松明を構えていた。
「まずい!」
善一郎は、塀から飛び降りると慌てて会所へと走っていく。
「若様!」
会所にてもてなしを受けている一団の前に飛び込んだ貞久の後から美山が入ってくる。
「貞久!何をしているか」
怒りの顔で貞観が前の方にでてくると、塀の向こういある明かりに気づく。
「敵襲!敵襲であります」
善一郎が伝えると同時に塀向こうから松明が投げ込まれる。
「何事だ!」
慌てて家臣たちが手に武器を取って庭先に出ていくと、塀を叩き壊して襲撃者達が突っ込んでくる。
「ここを山梨家の屋敷と知っての狼藉か!」
「知ってたらなんだ!」
襲撃者と山梨家臣団がぶつかり、宴を台無しにした。
怒りの顔のままに貞久が持っている刀を抜くとそのまま前に出て、突っ込んでくる襲撃者に振り下ろす。
振り下ろされた襲撃者の身体が縦割りに切り倒される。
「賊共よ!この山梨貞久が相手だ。かかってまいれー!」
善一郎が大声を出して前に出ると他の家臣団も後に続いていく。
「怖気づいてんじゃねぇ!お前らそれでも『郎蛇党』の者どもか」
塀の向こうから鱗肌の細身男性がスタスタと歩いてくる。
「お主!武田か」
「またか。なんであのジジイのことばっかり言うのかね」
蛇男がため息混じりに愚痴を言うと、近くにいた山梨家臣を切り倒す。
「よく聞くのだな、鬼の家臣でも!我こそは、若狭勝信!隆信の子である」
「若狭の倅か!何故ここに居る」
貞観が驚きながらも目の前にいる若狭に問う。
「貞観様ですか!お久しぶりですな」
「貴様は、若狭衆討伐時に討ち取られたはずだ!」
「残念ながら、この通り生きておりまする」
若狭は、持っていた刀を貞観の方に向けると、気味の悪い笑みを浮かべる。
「まあ、今日の予定では、山梨も国守にも用はないのでして、邪魔立てしないなら置いておきますよ」
若狭がそう言って、端に体を躱していたニシア達の方に刃を向ける。
「そこにいる異国人共よ。恨みは無いが、片付けさせてもらうぞ」
若狭は、体をかがみ込んで、バネのように飛び出していくと、前にいた家臣達を潜り抜けてニシア達の前に出る。
だが、若狭の刃がニシアに届くは無かった。
「若狭の小倅!山梨を舐めてもらっちゃ困るな。わしの腕は、そこまで衰えておらんわ」
「さすが山梨の頭領だな。だが、蛇の速さに鬼がついていけるのかな?」
「やかましい。お前の腕じゃわしの力を抑えることなぞ出来まい」
貞観の刀と若狭の刀が火花を散らしながら鍔迫り合いをしていた。
「阿寒!」
貞観の声に答えるように阿寒の鉄棍が、若狭の持っていた刀に振り落とされる。
刀を叩き折られた若狭は、パッと後ろにのけぞると、腰の小太刀を抜いて対峙する。
「さすがは、天狗の系譜を継ぐ男だ。その剛力は、鬼に並ぶものがありますな」
「抜かせ蛇頭。貴様ごときに我らを倒すことが出来ると思っておるのか!」
阿寒がそう言うと若狭は、小太刀を軽く降ろすとにやけながら続ける。
「いやはや、完敗ですよ。だが、今日の目的は、あなた方じゃない」
そう言われた途端に貞観の脇腹に鋭い痛みが走る。
そこにいたのは、救出したエリザ帝国の執事であった。
「何・・・・!グフッ」
「殿!」
「ジョウガン様!」
貞観が倒れ込むと、そこにニシアが駆け寄ろうとするも、隣にいた執事にグッと抑えられる。
阿寒は、慌てて鉄棍を振るうも数人の郎蛇党に止められてしまう。
「大人しくし下されニシア様。暴れられると迷惑です」
「セバスチャン!一体何のつもりなの」
サディアが慌てて彼を抑えようとするも、その間に若狭がわり込んでくる。
「おい、爺さん。さっさとずらかるとしようじゃないか」
そう言って若狭は、執事と共に郎蛇党のほうに近づいていった。
「きえい!」
掛け声とともに貞久の刃が郎蛇党数人を捉えると、そのまま彼の手を切り落とす。
「うぐ!」
「ゼンイチロウ様!」
ニシアが執事の腕を払おうともがきながら、貞久に助けを求める。
「奇抜!」
「承知」
善一郎の声に答えるように短刀で執事を切りつけると、彼の手がニシアを抱えられなくなる。
善一郎と奇抜は、ニシアを救出した後に、若狭と負傷して距離をとっていた執事を睨みつける。
「まったく。予定通りに行かないものだな」
「痴れ者が!父上を傷つけておいて、そのまま帰れると思うなよ」
善一郎がそう言うと、若狭の周りには郎蛇党の者たちが集まりだした。
「生憎だが、おぬしに討ち取られる予定は、今日入っていなくてな。このまま失礼させてもらうぞ」
若狭は、煙玉を投げて自身の姿を隠す。
「追え!逃がすな」
山梨家臣が大声で彼らの後を追う横で貞久とニシアは、貞観のものとに向かう。
鋭い2本のニードルが刺さっていた貞観は、傷口からドクドクと赤黒い血が流れていた。
「父上!」
「善一郎か。無事であったか」
他の家臣に担がれて起こされた貞観は、二人の無事を見て安堵する。
「傷が深いので、すぐ処置をいたしまする」
家臣達がそう言って部屋へと連れて行こうとすると、ニシアが貞観のそばに寄って、傷口に手を触れる。
「何をなさる!不届き者」
「待て!」
止めようとした家臣を善一郎が手を出して制止する。
「ベリエージュ」
ニシアがそう唱えると、傷口からの出血が止まり、貞観の顔色が少し落ち着いてくる。
「治癒術か。かなりの腕前だな」
畠野が離れたところから見ながらニシアの術に感心する。
「これで、少しは良くなったはずです」
「すみません、ニシア様。ありがとうございます」
「いえいえ!私が出来ることをしただけにございまする」
ニシアが謙遜する様に首を振る。
「しかし、若狭の連中とあの老人が繋がっているとは。一体どうやって」
善一郎の疑問にニシアも首を横に振った。
ニシア達を狙う者達とは一体何者なのか?彼らは、何故この島の者達を利用できているのか?