第1話 異国船
聖暦1795年3月 鼎国上空
この日、エリザ帝国の飛行船「ケンドル」は、最悪に見舞われ続けていた。
古中海にある帝国租借地「蕃芭」の視察を行うために数人の要人を乗せて、大陸航路を渡っていたところ、新人観測員が空図を読み間違えて大陸の少し内側に入ってしまい、その地域特有の砂嵐に巻き込まれ、航行禁止させている鼎の国上空に入ってしまったのである。
ケンドルの乗員たちは、慌てて「漂流中」を示す発光信号を点灯させて、故意に侵犯したわけではない事をアピールしていた。
たが、「文明圏」の人々に好意的ではない鼎の住人からしてみれば関係のない話であった。
一部の過激派達は、直ちにこれを撃ち落としてしまおうと、大砲などを準備し始めていた。
ボロボロな状態で浮遊する飛行船は、至近弾を何発も受けているものの、装甲と操舵手の腕によってなんとか体制を維持していた。
艦長であるマキシム・ザウバーが艦橋にて指示を飛ばしながら、何とか逃げられないかと砲撃の隙間を探していた。
「左舷にて至近弾1!船体5度下げ」
「よーそろー」
「第3デッキにて負傷者発生!」
「衛生兵を回して対応しろ!振り落とされないようにしておけよ」
伝言管より伝わる連絡に素早く指示を返すマキシムに対して、奥の扉から一人の男が入ってくる。
古風をスーツを身にまとった彼は、マキシムに対して高圧的な態度のままに向かってきた。
「艦長!これは一体どういうことかね。安全な航路であると保証したではないか」
スーツの男は、勢いそのままにまくし立てた後、再び受けた至近弾の衝撃でバランスを崩してしまう。
「ご安心をセバスチャン。必ず皆様を目的地までお送りする所存です」
「そうでなければ困ります。あの方にもしものことがあったら」
スーツの男は、そう言って顔を青くする。よっぽど彼の主は、恐ろしい人なのだろう。
「艦長!」
操舵手の大声に反応してマキシムは艦橋の窓に目をやる。
黒い煙とともに無数の破片が窓を破って艦橋要員たちの体を引き裂いていく。
魔力を込めて編まれたマキシムの服は、なんとか致命傷を防いだものの、要員の殆どが負傷して動けなくなっていた。
「まずいな」
マキシムが呟くと同時に壊れた艦橋の窓から、コウモリのような皮膜を生やした人型の者たちが飛び込んでくる。
「腐れ文明人どもめ。覚悟しろ」
皮膜を生やした者は、手に持った槍で艦長たちに襲いかかる。
だが、この船を任されている男であったマキシムは、乗客守る覚悟がしっかりのであった。
彼は、槍を持っていた者に向かい突っ込んで行くと、そのまま舵輪に押し付けて艦を大きく旋回させる。
八幡皇國 筑羽の国 亀寿
大陸から海と雲の壁に隔たれた向こう側にある島々「八幡」は、8つの主島と連なる数百の島が「雲塀」より囲まれており、一部の出入り口を知らない国以外は、入ることが出来ない場所となっている。
亀寿郡を治める山梨貞観の息子である山梨善一郎は、この日の責務をサボって古びた見張り台にて雲塀を見つめていた。
「若!またこんなところで油を売って。殿を含めて皆が探しておりましたぞ」
彼を探しにやってきた近習の美山藤次郎が馬にて見張り台へと近づいてくる。
「美山か。どうだ、お前も風に当たっていかないか?」
「馬鹿なことをしている場合では御座ません。今日は、大事なご予定があるのですから」
馬上より美山が告げると、気分を害した善一郎が、その場で横になる。
寝転んでいる善一郎が眺める雲塀はいつものように外界の景色を塞ぎ、内界にある海や花々の色を淡く反射させており、吹き抜ける風も心地よく穏やかなものである。
いつもと変わらない景色を眺めながら横になり、高いびきをかこうとする善一郎に美山は、登っていきこぶしを見舞う。
「イッター!何しやがるんだ寸胴頭」
「こうでもしないと、人の話を聞いてくれませんからね。多少は痛い目をあってもらわないと」
美山は、関節をパキパキと鳴らしながら善一郎の前に迫ってくる。
「よせ、美山!家臣が主を叱ってどうする」
「仕事をしない当主に勤めさせるのは、家臣の勤めですからね」
美山と善一郎が見張り台にてはしゃいでいると、雲塀の一部がゆっくりと膨らんでいる様子を見せていた。
「なんだ?」
二人がソレに気づいた途端、雲塀を破って一隻の飛行船が弾き出されてきた。
「浮舟?またデカい舟だな」
美山が驚いた表情で、飛行船に目をやる。
善一郎も唖然としながら、その飛行船が向かう行く先に目をやる。
「あのままでは、山の方に落ちるな」
「そうですな。山の神社に落ちないことを祈りましょう」
二人は、慌てて下にある馬に飛び乗ると、そのまま飛行船を追いかける。
しばらく、稼働エンジンの頑張りにより浮いていたものの、片翼のエンジンか止まったことで徐々に偏っていき、次第に近くの山へと引き寄せられていく。
周辺の木々を薙ぎ払っていきながら山を横滑りしていくと、周囲を炎上させながら機関を停止させる。
墜落したのを見ていた近隣の村人たちは、慌てて救助活動に赴き始めていた。
善一郎と美山も到着すると、村のまとめ役をしている者たちが声をかけきた。
「山梨様に美山様!あれば、いったい何なのでしょうか?」
「わからんが、人助けをするのに理由は要らないからな。早急にかかってくれ」
善一郎がそう言うと、近くの村人たちは、慌てながら山の方に走っていく。
善一郎達も馬に乗ったまま山を駆けていく。
墜落したケンドルから這い出てきた乗客たちの先頭に立っていたマキシムの指示でなんとか安全なところに向かうことにしていた。
しかし、鼎で襲って来た悪魔どもは、彼らの船にくっついて来たまま、ここまで乗ってきたのである。
彼らは、マキシム達を真上から襲い掛かると、数人を血祭りに上げる。
「クソ!なんなんだ?こいつらは」
サーベルを抜きながら空兵達と共に要人を囲むマキシムであったが、混乱状態の要人達を統率できることはなく、瞬く間に散り散りになって逃げ回り始めた。
あちらこちらで要人達を刈り取られて行く状況を目の当たりにしたマキシムは、なんとかこの場より離れようと、必死になっていたが、彼の力不足は否めなかった。
「キャー!こっちに来ないで」
森の奥から聞こえてきた悲鳴が聞こえた善一郎と美山は、馬を走らせて森を駆け抜けて行くと、そこに居た声の主に出会う。
普通より長い耳と青い瞳の少女は、手に持っていたレイピアを突き出しながら、数人の襲撃者達を相手に怯えながら立ち向かっていた。
彼女の後ろには、おそらく姉弟であろう男女が震えながらへたり込んでいた。
「そこを退いてもらおうか、女」
「ぬかせ、下賤な獣め。こちらの方々には指一本触れさせん!」
「へっ!威勢のいい女だな。やっちまえ!」
襲撃者達が一斉に槍を突き立てていった。
一本はなんとか防いだものの、残った槍が彼女のくびれた胴回りに向かって突き立てて来る。
「くっ!」
彼女が覚悟を決めたとき、彼女と槍の間に鋭い銀色の刃が割り込んで来る。
彼女の目の前で盾となったのは、少し赤い肌をした頭にコブのある男であった。
「人の領内で何をしている。鼎のコウモリどもが」
「邪魔をするな八幡の赤ダルマ!お前もまとめて殺されたいか」
襲撃者は、赤ダルマと呼ぶものに対して槍を突き立てるも、その切っ先がカチカチと震えていた。
「何を震えておる。さっさと来ぬか!」
彼の大声は、襲撃者を威圧するような勢いを持っており、恐怖を耐えていた彼らの精神をへし折るには十分であった。
襲撃者達は、慌ててその場から逃げ出していき、残った者達も怯えきって戦える状態ではなかった。
「若!ご無事に」
そう言って馬を乗り入れた人物は、川辺の石を顔に貼り付けたようにゴツゴツしており、けが人か奇病の者にしか見えないものであった。
「大事ない。所でこの者共だが」
赤顔の男は、刀をしまいながらレイピアを構えた女性に近寄る。
「お主ら怪我はないか?」
「寄るな、化け物!どこぞの亜人のたぐいであろう。汚らわしい体で近寄るでないわ」
赤顔の男に彼女はレイピアを突き立てて嫌悪の言葉を並べる。
「なんと無礼な!若様に向かって」
ゴツゴツ顔の男は、腰に下げた刀に手を掛けて彼女に向かい飛び込む姿勢を取る。
「よせ美山。おびえさせて申し訳なかった。拙者は、山梨家一門の善一郎という。隣は家臣である美山だ」
赤顔の男こと善一郎がそう名乗ると後ろの美山もゆっくりと刀から手を離す。
「ヤマナ?聞いたことのない名だが覚えておこう。私は、エリザ帝国マシューバル公に仕える近衛サディアだ。そして、こちらにおわすお方こそ、エリザ帝国マシューバル公の長女ニシア様とエリセン伯の嫡子キューナー様でいらしゃる。お控えになられよ 」
サディアの口状一通り聞いた善一郎と美山は、彼女らの身分や権威などを測りかねていた。
「フン!恐れをなして言葉も出ないか」
「はあ」
言葉が見つからず善一郎達がしているのを良しとしたのか、彼女の自信に満ちた態度をとってた。
しかし、そのような事をしている間に周辺には、火の手が近づいてきており、このままではこちらも危ない状況となっていた。
「若。彼女らの所在などは後にしましょう」
「そうだな。美山は、この子たちを頼む」
そう言って善一郎は、サディアのレイピアを鞘で払い除けると、後ろの二人を抱え込み、美山が乗る馬に乗せた。
「何をする!無礼者」
「暴れないでくださいよ」
暴れるサディアの手を抑えると、そのまま馬に投げ置き、自身も手綱を握って飛び乗る。
善一郎と美山の愛馬は、燃え広がりつつある火を避けながら、険しい岩肌の山渕を駆けていく。
善一郎の前で腹ばいになりながらもがくサディアにバランスを持っていかれながらも、手慣れた馬さばきで麓に降りてきた。
麓には、村の者たちにより救助された乗組員達がいたが、殆どが討ち取られてしまっていたようである。
生き残った者たちも船長のマキシムと執事の男、数人の要人だけであった。
「山梨様。殆どの者は鼎の連中にやられたおりました」
村の長が善一郎には説明する。
「そうか。生き残った者たち看護と火消しになるべく人を割いて欲しい。頼めるか?」
善一郎の要請に村長は、笑顔で頷くと、人員の配置を指示し始める。
「ところで、そちらの御仁は?」
村長がそう言って善一郎の前に伸びているサディアを指さす。
「そうであった。この者らも頼めるか」
善一郎は、サディアを片手で持ち上げると、そのまま村長ら数人に手渡す。
「美山。その子たちも降ろしてやりなさい」
善一郎の命令にコクリと頷いた美山は、馬から降りるとまずニシアを降ろす。
彼女が降りた後にキューナーを降ろそうと美山が手を伸ばした途端、彼の体が宙に浮いていく光景を目にする。
咄嗟に背後へと飛び退いた美山は、善一郎同様刀に手を掛ける。
上を見上げると、キューナーを抱える女性と周辺に集まる襲撃者の一団が空中より見下ろしていた。
「文明圏より来る者たちよ。わが名は蘭伯灑!貴様らに殺された蘭門の妻である」
蘭伯がそのように名乗ると、怯えきっているキューナーを抱えた手を、持ち上げる。
「聞け!この者を無事に祖国に返したくば、わが国より奪いし土地を返せ。我ら『門花団』は、鼎の小役人みたく直ぐに頭を下げるものではない」
「キューナー様をどうするおつもりか!」
フラフラになりながらもサディアがレイピアを突き立てて蘭伯の方を威圧するも、彼女や他の船員の状態を見てから、哀れむような目で蘭伯が見下す。
「この子は、私どもの交渉に使わせてもらう。服装からしていい家の者だろうからね」
蘭伯は、キューナーを他の襲撃者に手渡すとそのまま、山向こうへと飛び去っていった。
「キューナー様!」
サディアがフラフラの足で追いかけるも、人の足で追いつけるものではなく、しばらく走ったあとにへたり込んてしまった。
「キューナー様。私が付いていながら、なんと情けない結果に・・・・」
「焦っても仕方ありません。まずは、自分たちの治療をしましょう」
善一郎は、サディアの肩を叩いて励ます。
「この雲塀を生身で乗り越えることは不可能です。もし、外に出るとしたら船を使わねばなりますまい」
美山が近づきながらこの国から出る手段が少ないことを説明すると、サディアが彼の方に目をやる。
「この八幡で、他国へと渡る船が出ているのは1箇所、『豊島』のみです。他は、雲塀の内にあるため安全に出ることが難しいのですよ」
善一郎は、そう言うと立ち上がり目を真っ赤にしたニシアへと歩み寄る。
「君の友達は、儂らが何とかしましょう。まずは、君らを館にて手当するところから始めよう」
こうして、エリザ帝国と八幡皇國は、奇妙な出会いをすることになった。