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1 人質姫は籠絡したい

 隣国から遠路はるばる輿入れし、顔合わせに毛が生えたような簡素を極めた結婚式を終えた日の、夜更けのことである。


「姫。今宵は一応初夜、ということになるが……」


 夫婦の寝室にやってきたグレアム・バクスターは、スッケスケのネグリジェ姿でベッドに腰かけるフィオナから距離を置いて立ち止まった。

 グレアムの大柄な体が身にまとうのは、夜着ではなくかっちりとした軍服。

 額から左頬にかけて斜めに傷跡が走る厳めしい顔は、戦場で強敵と対峙したときのように強張っている。


「姫にとって不本意な結婚だということは理解しています。俺は姫に無理を強いるつもりはない。この結婚は当面の間、白い結婚ということに致しましょう」

「……当面、というのは、どのくらいでしょうか」


 長い睫毛を伏せ、楚々とした声で、フィオナは尋ねる。

 

「姫の心の準備が整うまで、半年でも一年で」

「それは困りますわ! わたくしそんなに待てません!」


 台詞を途中でぶったぎり、勢いよくぴょこんと立ち上がると、グレアムはぎょっとした様子でその巨体を揺らした。


「初夜どんとこい、ですわ! 今すぐわたくしを、バクスター将軍の妻にしてくださいませ!」


 気合いたっぷりにグッと握りしめた拳を、


(あら、これではいけないわ)


 と慌ててゆるめ、胸の前で手を組むお願いポーズに変えて一歩足を前に出すと、グレアムは反射のように一歩身を引いた。

 厳めしい顔が驚愕に歪み、ほんのりと赤みが差す。

 丸っこい三角の熊耳が、緊張したように頭の上でピンと立つ。


「……い、いやお待ちください、無理をすることはありません、この結婚は完全なる政略結婚なのであって――」

「はい! 完全なる政略結婚で、本日わたくしはバクスター将軍の妻になりました! というわけで、遠慮なくわたくしを押し倒してくださいませ! あっ、獣人国ではこのような夫婦の営みを『番う』というのですよね? さあバクスター将軍、今すぐわたくしと番いましょう!」

「はぁ!? おっ、押した……つがっ!? い、いや、落ち、落ち着い……つ、妻と言っても、姫はプレジュード王国とヴィゴラス獣人国との休戦の条件として嫁いできた、いわば人質なわけで――」

「人質でも妻は妻ですわ! バクスター将軍……あらいやだわ、これから番おうかというのにこんな他人行儀な呼び方ではムードもへったくれもありませんわね。グレアム様とお呼びしても? わたくしのことはどうぞフィオナとお呼びくださいませ!」


 コテンとあざと可愛く首をかしげ、長身のグレアムを見上げる。

 戦場では一歩も引かない激烈な戦いぶりで敵軍を蹴散らしたグレアムであったが、その威容はどこへやら。フィオナが一歩踏み出すと、よろめくように足を引いた。

 一睨みで敵兵を失神させた鋭い目線はすっかりなりを潜め、黒い目はきょどきょどと落ち着きなく揺れている。ついでに熊耳もピクピクと揺れる。


「いや、ですが姫――」

「フィ オ ナ ですわ、グレアム様?」

「……フィ、フィ、フィオ……フィオナ…………姫」

「はい、なんでしょう、グレアム様!」


 にっこり微笑んで見せると、グレアムはますます顔を赤くした。


「そ、その、人族が我々獣人族を『粗野で野蛮な獣』と思っていることは知っています。あなたはプレジュード王国第七王女。純粋な人族にして高貴なる姫君だ。獣との結婚など、さぞや不本意でしょう。だからと言って自暴自棄になってはいけない。もっとご自分を大切にしなければ」

「まあ……グレアム様はお優しい方でいらっしゃいますのね。確かに、獣人族に不当な偏見を持つ人族がいることは否定できません。ですが皆がそうではありませんわ。わたくし、幼い頃からヴィゴラス獣人国に憧れを抱いておりましたの。嫁ぎ先が獣人国で嬉しく思っているくらいです!」

「そ、そうはおっしゃるが……人族にかろうじて人気があるのは、獅子獣人や狼獣人でしょう。俺は熊の獣人ですよ」

「素敵ですわ、熊さん! ふさふさのお耳も可愛らしいし」

「えっ、耳!?」


 グレアムがごつい両手を熊耳にやる。


「抱きつきがいもありそう!」

「だっ……!?」


 フィオナがずいっと一歩進むごとに、グレアムは気圧されたように一歩後退する。熊耳を両手で押さえたまま。

 そうしてついに、グレアムはドンと壁に追い詰められた。こめかみにふつふつと玉のような冷や汗が浮かぶ。


「それとも、グレアム様は人族の女は相手にできませんか?」

「い、いや、そういうわけでは……」

「もしや、すでに心に決めた方がいらっしゃる?」

「そ、そういう相手もいないが……」

「良かった! でも、それでは……わたくしがお気に召しませんか?」


 至近距離で上目遣いにグレアムを見つめたまま、悲し気に眉を下げた。一分ほどまばたきを我慢した甲斐あって、じわりと涙が滲む。祖国からただ一人付き従ってきた侍女のエリーに伝授された技の一つである。

 つぅっと頬を伝った涙を見て、グレアムはぎょっと目を剥いた。


「そ、そんなことはない! 姫は俺のような熊男にはもったいないほど美しく愛らしい方です。蜂蜜色の髪も白い肌もなんだか甘い匂いがするし、茶色の目はどんぐりのようにつぶらで愛らしいし、小さな唇は赤く熟れたさくらんぼのように美味しそうで――」

「まあ、嬉しいですわ! でしたらどうぞ思う存分味わってくださいませ。唇も……それ以外もぜんぶ」


 とどめとばかりに両の二の腕でぎゅっと胸を挟み、ぺったんこの胸になけなしの谷間を作って見せる。これもエリー直伝の技である。

 グレアムはフィオナの胸元にちらりと視線を落としたが、次の瞬間ものすごい勢いでぎゅんっと目をそらした。その顔はこれ以上ないほど赤く染まり、だらだらと汗が流れ落ちる。


「い、いや、その……」

「遠慮なさらないでくださいませ! さあ、さっそくベッドに――」

「す、す、すまないっ!」

「あっ」


 のばしかけたフィオナの手をさっとかわすと、グレアムは巨体に似合わぬ素早い動きで扉を開け、逃げるように寝室から出て行った。


「もうっ、グレアムさまったら! わたくし、絶対にあきらめませんわよー!」


 廊下を走り去る大きな背中に向かって呼びかける。

 その姿が廊下の角に消えると、フィオナは静かに扉を閉めた。

 一人で寝るには広すぎるベッドにぽすんと身を投げ出し、ふぅとため息をつく。


「……あーあ、失敗しちゃった。エリーに叱られちゃう。こんな恥ずかしいモノまで着て頑張ったのになぁ……」


 てろんとした純白のネグリジェ。

 エリーが準備したキャミソールタイプのネグリジェは、胸元も背中も大きく開き、深く入ったスリットで太股まで露出する大胆なデザイン。

 おまけに胸元と腰の辺りにたっぷりレースがほどこされているおかげで、大事なところが透けて見えそう……というかたぶん見えていたと思う。


(これって夜着ではなく下着じゃないの……?)


 と、白目を剥きながら寒々しいネグリジェに着替え、エリーに仕込まれた『お色気メロメロ大作戦』を忠実に実行したのだが、残念ながらグレアムに逃げられてしまった。


「やっぱり色気が足りないのかしら……」


 ネグリジェから突き出た腕も足もひょろりと細く、胸もぺったんこ。自分でも色気があるとは思えない。


「だけどわたくし、あきらめないわ。一ヵ月以内に必ず、グレアム様をメロメロにしてみせるんだから!」


 ――だってそれが、フィオナが生き延びるための、唯一の道なのだから。

たいへん申し訳ないのですが、続きの投稿は不定期となります。

ブクマの上で気長にお待ち頂けると、とってもとっても嬉しいです……!

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