グッバイ雑音共
一人だけの、噎せ返るほどの熱気が籠もった六畳間。
その中で鈴野はがさごそと音を立て、物をひたすらにダンボールやゴミ袋に放り込んでいた。
「あーこんなんあったなぁ。あーそういや買ったなこれ。……げっ、カートンで放置してやがったのかよ私。もったいねえ」
思い返せば自分でも驚くが、それでも確かに通っていた学び舎の教科書。
本屋でバイトしていた際、何故か売られて社割が効いたので買いまくった知らない魚の缶詰。
挙げ句いつ買ったかもさっぱりな、とっくの昔に賞味期限の切れた一カートン。
どうでもいい物ばかりだと掘る度にため息を吐きながら。
それでも一つ一つを懐かしみながら、けれどもテンポ良く仕分けを続けていく。
物置から始まり、服やら雑貨やら何かやら。
あんなにも物が散乱していた部屋は埋まっていき、そして次にキッチン周りを掃除し始めた。
「あっ、これ結月のか。……ま、いっか」
やがて夏に入る前、家に来るのならと買った元弟子用の箸やらコップやらの一式を手に取り。
ぼんやりと眺めていると、鈴野のはふと昨日の光景を思い出してしまう。
『なんで、どうして……!!』
『別れなんてのはいくらでもある。それだけだよ、結月』
『ま、待ってくださ──』
『じゃあな。私の事なんて忘れて、楽しくやれよ』
昨日の夜、免許皆伝を言い渡したあの後。
最早話すことはないと。この会話を最後に、結月の制止と懇願を振り切り電波塔から飛び降りて別れてきり。
何度か来たアプリの連絡に既読も付けず。魔伝もシャットアウト。
「……最低な師匠だな、我ながら」
心底己を馬鹿にするよう吐き捨てながら、それらも新聞紙で包みダンボールへと優しく入れる。
我ながら酷いことをしていると自分でも自覚している。
それでもこうしたことに間違いはない。それだけは間違っていないと、私は思っている。
だって残されるというのはそれほどまでに辛いことだから。あいつを巻き込めないのなら、話す気がないのなら、いっそ恨まれて忘れられた法が遙かにましなのだ。
「……うん、終わり。なんていうか、
そうして仕分けを終え、汗を拭きながら片付けた部屋を見渡す鈴野。
ダンボールが積まれ、ゴミ袋が端に置かれているが、逆に言えば後はそれらと唯一片付けていないパソコン周りだけ。
よしと意気込み、掃除機を掛け、床や窓を拭き、風呂場やシンクなどの水回りも掃除して。
そうして今度こそ締めだと、大して綺麗でもないが、そんなんでも少し名残惜しくは感じてしまいながら誰かへと魔伝を繋いだ。
『はいへいほーい! こちらあなたの愛しのマイハニー☆ 狐峰めいとはボクのことさ☆』
「準備出来たぞ。さっさと来い」
『りょーかい! というわけでボクめいちゃん☆ 今あなたの後ろにいるの☆」
「死ね」
いつの間にか部屋にいて、当たり前のように背後から鈴野へと抱きついためい。
そんな巫女服姿の魔法少女を雑に撥ね除けた鈴野は、埃を払うかのように服を叩きながら、ぴょんと跳ね起き周囲を見回す魔法少女に冷めた視線を向けた。
「わおっ☆ これまた随分多く……別に多くもないね☆ で、報酬はどこかな?」
「……あれだ」
「わおっ☆ なるほどなるほど☆ まるでサンタさんの袋が如し☆ ひゃっほーい☆」
指差した先にある大きな袋へと、一目散へと飛び込んでいくめい。
もういらない、一応は洗って置いてあったお古の服やら下着の何がそんなに嬉しいのか。
やはり変態の思考は理解出来ないと、首を横に振りながら側に寄っていった。
「まさに宝の山☆ ボクの心はハリケーン☆ でもいいの? その辺、売れる物もちらほらあるんじゃないのかな?」
「やるのがかったるい。お前が買ってくれるならそれでもいいけど」
「うーん☆ 正直面倒臭いかな☆ キッスは間接より直接派だし☆」
ほんの一秒ほど考え、あっさり否定してから下着の吟味に戻るめい。
まるで服やら下着は洗ってなくて、お前の臭いがたらふく残っていますと言わんばかり。
そんなあんまりで直球な言葉に鈴野はまたもため息を吐いていると、イナリは尾を三本に増やしながらぱんと大きく手を叩く。
「はい終わりー☆ じゃあ帰るねー☆ あっ、夜はうち来る?」
「……相変わらず出鱈目だな。これ、売るとこまで出来なかったの?」
「む・り☆ そんなまどろっこしくてかったるいのイメージ付かないし☆」
めいの否定に「だろうな」と何ら落ち込みもせず、どうでもよさそうに頷いた鈴野。
大概は何でも出来るが、同時に何も出来ない。万能であるが故に無能。
めいの魔法はそういうものだと鈴野は知っている。それがここまで出鱈目に見えるのは、偏に狐峰めい──魔法少女イナリという生き物の精神によるものだということも。
「それでこっちは保管しておけばいいんだね☆ りょーかいりょーかい☆ というわけで、ひょい☆」
「……そういえば、お前は家とかどうするんだ? 税金とか大変だろう?」
「問題なし☆ その辺任せられる人と契約してるからさー☆ 五年でボクが戻ってこなきゃ全譲渡☆ 正直相手大得な契約だよね☆」
別に分けてあった一つのダンボールを消失させながら、自慢げに笑うめい。
そんな彼女に「金持ちめ」と恨みがましい目を向けていると、狐耳の魔法少女は光に包まれ始める。
「じゃあまた後で☆ 楽しみにしてるよ☆ ボクも最後までちゃーんと貢ぐからね☆」
「……おう。さんきゅーな、めい」
「あーん名前で呼ばれちゃった☆ これはまさにデレ? デレだよね!? いやーん色んなとこがびしょびしょに──』
長くなりそうだった変態の戯れ言を蹴り飛ばし、そのまま無理矢理転移させる鈴野。
静寂の戻った部屋の中を軽く一周し、それから唯一片付けなかったデスクへと辿り着いた。
「……さて、こいつも随分と古くなったもんだ。……ほんと、よくもまあ持ったもんだよ」
ゆっくりと、愛おしい恋人を撫でるみたいにパソコンに触れる鈴野。
確か高校を卒業してバイトを始めてしばらく後に買った一台。
当時であれば中々に高性能だったが、今となってはポンコツも良いところ。正直な話、持ち主である鈴野でさえ今日まで持ったことにすら感動を覚えてしまうほどだ。
「今日でお役御免だ。よく頑張った、最後まで気張ってくれよな」
鈴野は一言掛け、それからスイッチを押して起動してから席に着く。
昔よりも長くなった起動時間。立ち上がるまでに一服を終え、灰皿に吸い殻を擦りつける。
今日は機嫌が良いのか。それとも最後だからと振り絞っているのか。
そんなくだらないことを考えながら、鈴野は丁度一本分で終わったことにちょっとだけ機嫌を良くしながらもう一本に火を付けつつ、慣れた手つきで配信の準備を進めていく。
「……ふうっ。なんだ、割と人いるじゃねえか」
鈴野待機画面を開けば、そこに集まっていたのはおおよそ三百の視聴者。
大事なお知らせと告知したとはいえ、いつもより多い、何なら燃えた直後や一番乗っていた時期よりも上な人の数に鈴野は少し面食らってしまいながら、つい微笑みを零してしまう。
こんなに待ってる人がいるとはな。閑古鳥が鳴いてた初期を懐かしく思っちまうよ。
「時間は……ちょうどか。まあ、ぼちぼち始めっかね」
二本目を吸い終わり、確認したパソコンの時計が予定通りの時間を指していることに満足し。
大きくゆっくりと体を伸ばしてから気持ちを切り替え、ぽちりと配信開始のボタンを押した。
「……あー♥ あー♥ 雑音のみんな聞こえるー♥ もしもーし♥ ベルだよー♥」
『おつ』
『大事なお知らせと聞いて』
『おつ』
『ベル、嫌な予感がするんだけど』
「うんうん♥ みんな夏の暑さに負けじと元気そうだねー♥ ベルも嬉しいよ♥」
声を作るのもこれが最後かと少し感慨深く思いながら。
それでも不思議と気分が落ちることなく、鈴野はむしろいつもの三割増しに張りのある猫撫で声で挨拶しつつ、不安がりながらも挨拶してくるコメントに答えていく。
「まあ今日はゲームじゃないんだよね♥ 告知通り、大事なお知らせ♥ というわけで……あーあー、こっちでやらせてもらう。ってなわけでどうも、中の人こと姫野鈴だ」
『鈴さん』
『中の人!』
『何話すの?』
『そんなに興味引きたいのかよ、自己顕示欲の塊が』
そうして声を切り替え、いつものようにへらへらとではなく平らな口調で話す鈴野。
そんな殊勝な、がさつな中の人らしからぬ態度にコメント欄は不安と諦観の色が増え始め、その変化に鈴野は少しだけ胸を締め付けられたような感覚を抱いてしまう。
「まあ、配信云々に慣れた人の多い昨今だと、こういうときって大体察せちまうよな。だって普段馬鹿やってるだけの配信者が、似合わないくらい真面目な声と調子で話そうとしてるってんだからさ」
『ああ』
『辞めちゃうの?』
『嘘だよね?』
『なんでさ』
「大方みんなの予想通りだ。この私こと、魔法少女ベルは今日を以て活動を終了する。急になってしまったのは本当に悪いと思っている。本当に申し訳ない」
誰に見られているわけでもないのに、画面の前で深々と頭を下げる鈴野。
十秒、二十秒。それからまた十秒ほど沈黙を続け、それから鈴野はゆっくりと頭を上げて再度話し始める。
「あんま話すのも言い訳になっちまうんだが、別に荒しがどうとか炎上でまいったとか彼氏がいるとかそういうんじゃねえんだ。ただ本当に一身上の都合というか、身内と己の不始末の清算とかそういうものでよ。本当はまだまだ続けていきたいし、もっと好きなだけお前らと戯れていたいんだ」
「一応休止にしておくって案もあったんだが、復帰できない可能性の方が高くてな? まあこんなのを下手に待たせるのなら、すっぱり終わらせて他のやつを推してやって欲しいってな」
休止にするという選択もあった。それは事実、というか最初はそうしようとも考えた。
けれど結月との一件を経て、それはあまりに自分に都合が良すぎると却下した。
どうせ捨てるのなら全部捨てようと。それが少女の信頼を裏切ってしまった自分が出来るせめてもの筋の通し方だと、鈴野はそう考えたのだ。
「お前らには本当に感謝している。雑音なんて呼んでたけどさ、お前らのおかげで続けてこられたようなもんだ。それにここだけの話、私は雑音って罵倒だとは思ってないんだぜ?」
『辛い』
『真面目に生きる希望だったのに』
『裏切りだろこんな終わり方』
『いや罵倒だろ』
『金返せ』
『本当は配信辛くなったんだろ?』
『コンちゃんもいなくなっちゃったのに』
「そんなことないさ。配信は楽しくて仕方ない。というかそうじゃなかったらさ、こんな最近まで馬鹿みたいに耐久枠やらないだろ?」
阿鼻叫喚に非難囂々。あまりに突然すぎる引退に、思い思いの言葉をぶつけてくるコメント欄。
それらの反応に鈴野はデスクに頬杖を突き、そんな彼らに少し嬉しくなりながらも申し訳なさを抱きながらじっくりと、持ち前の胴体視力で全てのコメントに目を通していく。
『実はどこかからスカウト来たんだろ? そうなんだろ?』
『或いはプロゲーマーとか? ベルの腕ならいけるって』
「こないって。散々やらかしてるし、何より来てても今は受けらんねえ。そういう時期なんだ」
どうにもならない、他でやるつもりもないことだけは断言する鈴野。
それを信じるかは視聴者次第だが、そういう話であればもっと明るく話せたのにと小さく苦笑いをしてしまう。
「つうわけで、今日は時間が許す限り今までの振り返りと……まあ、後はお前らの要望に応えよっかなって。何して欲しい?」
『愛を囁いて欲しい。どっちのパターンでも』
『やめないで欲しい』
『姪ちゃんの声聞かせてほしい』
『……やめちゃうのね』
「ああ、姪ちゃん? ……ああ、実はこのことで喧嘩しちまってな。流石に許しちゃくれないだろうさ。……まあ、悪いことしたとは思ってるよ」
「次回配信? ねえよそんなの。まあチャンネルは残すから、忘れた頃にアーカイブでも見てこんなのがいたなって思い出してくれよ」
途中鶏マークのコメントを見つけ、どこかで消沈している友人の姿を思い浮かべながら。
それでも最後なのでと、隣などお構いなしに歌を歌い、声を切り替えながら質問に答え、まだ不慣れであった初期の配信を振り返ったりして。
そして瞬く間に時は過ぎて。時計が日が変わる直前を指した頃、鈴野は小さく息を吐いた。
「……そろそろいい時間だな。もう行かなきゃならないんだ。だから悪いな、お前ら」
『やだ』
『もっと』
『やめないで』
『終わったら殺す』
『はよいなくなっちまえ、清々する』
「ははっ、応援してくる人もアンチも最後まで煩いねぇ。だがまあ、それでこそ雑音ってわけだ」
瞳に無念を滲ませ、僅かに下唇を噛み、少しだけ声を震わせてしまいながら。
けれど目の前の視聴者には気取られぬようにと、それでも無理だろうなと諦めながら鈴野は締めの言葉へと入っていく。
一言を紡ぐ度に近づく終わり。その実感一つ一つに一層、魔法少女ベルとしての自分が本当に最後なのだと自覚させられていく鈴野は、片目を手で押さえながらそれでも続けていく。
「そんじゃ、そろそろさよならだ。今まで本当にありがとう。……じゃあさようなら♥ 騒がしくて鬱陶しくてうざくて、けれどとっても愉快なお友達だった雑音さんたち♥ 体に気をつけてね♥」
最早取り繕えていないのが分かる程度にせめて早口にならないようにと。
今の自分が心底情けない有様なのを自覚しながら、最後の一言まで紡いだ鈴野は手を振りながら配信終了のボタンを押す。
『さようなら』
『ありがとう!』
『今までありがとう!』
『ありがとう!』
最後まで、枠が閉じ人がいなくなるまでじっと画面を見つめ。
そうしてついに誰一人としていなくなり、一人の配信者の墓標となったのを見届けた鈴野は、全身から力を抜いて溶けるように椅子へ座り込む。
「……ふうっ。……終わっちまったな、これで」
ぼんやりと天井を眺めながら、手探りでデスクに置いた煙草の箱を掴み取り一服する鈴野。
空へと上がっていく白い煙。この硬い椅子で喫煙するのも最後だと、何にも邪魔されぬ最後の時を噛み締めながら吸って吐くを繰り返す。
これで最後、か。あんなに泣きそうだったのに、終わっちまえば不思議と気持ちは軽いもんだな。
ああも動揺するとは我ながら驚きだよ。卒業式でさえ欠片も泣かなかった私であれば、もっと冷静に、余裕を持って熟せるもんだと思っていた。やっぱり思い入れって大事なんだな。
「お前もさんきゅーな。こんな雑で適当な人間のために頑張ってくれてよ」
役目を終えたポンポンと軽く叩き、そして咥えていた吸い殻を手にデスクへと置き立ち上がる。
「……黒塗りの雑音。全部全部、黒に染まって消えちまえ思い出共」
鈴野が小さく呟いた直後、部屋中へと広がる黒色の魔力。
部屋に残されたダンボールやゴミ袋、パソコンの置かれたデスクなど鈴野の私物の全てを呑み込んだ黒色は、その全てを塗り潰して魔力へと変わり、鈴野の体内へと溶け込んでいく。
やがて黒色の魔力が消えた後、その部屋には後には何も残らず。
あんなに積み重なっていた物はなく、煙草の臭いもなく、誰かが暮らしていた痕跡もなく。
まるで長い間誰も住んでおらず、清掃だけされていたような部屋に立っていた主は小さく頷き、唯一残っていた小さなバッグと鍵を手に取り玄関へと歩いていく。
「今までありがとうございました。さようなら、名残惜しき六畳間。次はヤニ臭くならないといいな」
最後に一礼し、部屋と別れを告げてからそれから扉を開ける。
がたんと音を立てて閉まった扉に鍵を掛け、そうして管理人のポストに鍵を返そうと歩みだし。
そして止まる。こんな夜遅くに扉の側で蹲り、スマホを片手に鈴野を見つめる魔法少女がそこにいたから。
「……なんだお前、ずっといたのか。往生際の悪い女だなぁ」
もう会うことはないと思っていた、不義理を持って遠ざけたかつての弟子。
青い髪の魔法少女、ブルームーン。結月が少し腫れた目で、じっと鈴野を見つめていた。




