おめでとう
例え昼でなくとも、夏の暑さと冬の寒さは現世も鏡界も変わらないと。
そんなどうでもいい感傷を抱きながら、都内で最も高い電波塔の最上に魔法少女姿で立つ鈴野。
彼女は明かりだけの夜の街を見下ろし、肌を撫でる生温い風を感じながら誰かへと魔力を繋いでいた。
『えっと、今八時ですけど。夜の』
「おー悪い。家族で飯食ってたか? 風呂入ってたか? だったら謝るよ」
『……いえ別に。今は宿題中です。お姉さんの配信を聴きながら、夏休みの宿題を』
「ほー。流石今時の中学生。実に勤勉で結構だ」
魔伝の繋がった先──結月は若干の不機嫌さを醸しながらも応答する。
鈴野は苦笑いながらまず出てくれたことに一安心しつつ、声色を変えないよう意識しながら話を続けていく。
『で、何の用ですか? ここ最近、あの地獄の釜の中みたいな部屋で私を放置して配信に勤しんでいたお師匠様は』
「棘強いなぁ。我が愛弟子はそれでこそって感じだけども」
『……何かありました? 声が軽い気がします』
「お、分かる? 悩みの一つを開き直れたんだ。やっぱり魚は釣るもんだよな」
声に露骨な戸惑いを乗せる結月。
きっとここに本人がいればさぞ訝しげに目を細め、その首を傾げていることだろうと。
鈴野はそんなことを考え、誰もいない夜空の中で薄らと優しく微笑んでしまう。
「そんなわけで今からかくれんぼだ。一時間以内に私を捕まえろ。それが出来たらお前の勝ちだ」
『……はっ? 今夜なんですけど』
「待ったはなしだ。はい、よーいドン」
『え、ちょっ──』
言いたいことだけを言い終えて、魔伝を雑に切り上げる鈴野。
再度、それも数度着信がありながらも無視しつつ座り、懐に手を伸ばして古ぼけた懐中時計を取り出し蓋を開く。
主を失いながら、未だ時を刻み続ける哀れな道具。
受け継いだわけでもない、返すのを忘れていたからこの手にあるだけのそれに見つめながら、開いては閉じを繰り返す。
「それ、てめえが持ってたのか。道理であいつの墓前に飾れねえわけだぜ」
「……持っていろと言われてたんだ。あの戦いの前に、まるで大事なものを壊さないために」
するりと背後に湧いた気配に驚くことはなく。
すっかりあの頃のようだと自虐しながら、後ろに現れ話しかけてきた紅髪の魔法少女──レイドッグへ目を向けることなく言葉を投げる。
「どうやって来た?」
「そりゃ辿ってよ。目星は付いてんだ、後は鼻任せでどうにでもなる」
かつかつと音を鳴らして隣へと歩き、「どっこいせ」と座るレイドッグ。
レイドッグは手に持つボトルに口を付けて喉を鳴らし、その後にボトルを差し出してくるが、鈴野は「いらない」とばっさり拒否する。
けれどレイドッグはその返答が分かっていたのか、さして眉を動かすこともなく「そうか」と返して再びラッパ飲みしていく。
「……その姿では煙も酒も飲まない。それが魔法少女の掟ってやつじゃなかったのか?」
「あんなのただの心構えだよ。あの馬鹿の酒を減らしたかったから出来ただけ。ババアなんて昔は葉巻上等、けじめにエンコなヤクザの女頭スタイルだったんだぜ?」
「何それ、知らないんだけど。……まあ永婆だし、想像出来ちまうな」
何時の時代もどこの家庭も、孫にはそういう汚い部分は見せないものなのかと。
あの一歩後ろで温和に笑い見守るだけの魔女の意外な一面に驚きながら、鈴野はレイドッグに空の手を伸ばして指を曲げる。
それを受けたレイドッグは一瞬きょとんとしたものの、すぐに察したのかにやりと笑みを浮かべながら持っていたボトルを鈴野へと差し出した。
「ぷはぁ! やっぱまずい、アルコールってのは苦いだけだ」
「酔えねえやつにはそうだろうな。だがこの苦さが、辛さが癖になる。後はシンプルに香りを楽しめれば満点さ」
「……受け売りだろ、それ」
「残念。あいつが受け売りなんだ。この俺のな」
葡萄の香りなど微塵にも理解出来ず、ただ苦さで顔を渋めながらボトルを返す鈴野。
そんな様に腹を抱えながら声を出したレイドッグはボトルを受け取り、鈴野へ見せつけるように酒を呷ってみせた。
「そんで何してんだ? こんな所で、わざわざ、ひとりぼっちで」
「……待っているんだ、弟子を」
「道理で。お前は一人で黄昏れてるとき、そんなの側には置かねえもんな」
「……うるさい。そういうあんたこそ、こんな所で油売ってていいのかよ?」
「残念ながら、万事恙なくってやつよ。……一度くらい、お前とサシで話しておきたくてな」
足下に置かれたペットボトルを指摘され、つい顔を逸らした鈴野。
そんな鈴野の態度ににやけながら、空になったのか、逆さにしたボトルから垂れ落ちる雫に舌を伸ばすレイドッグ。
数滴の後、完全に出なくなったそれを惜しみながらもボトルを置き、ごそごそと懐から小さなスキットルを取り出した。
「……そんなに飲んだくれだったか?」
「俺もいい歳だからな。表でも飲んで歌ってギター鳴らしてばっかりで、今じゃ酒だけが友達だよ」
ぷらぷらと見せつけるように振り、そして再び酒を飲んでいくレイドッグ。
かつては酒を止める立場だった忠犬が、今じゃ酒に浸るだけの負け犬に落ちるとは。
だが煙草と酒。逃げるように、真似するように吸い始めた私とこいつの何が違うのだろうと。
目の前の酔っ払いの飲みっぷりを過去のあの人に重ねながら、鈴野はそんな風に考えていた。
「……あー、うーん、やっぱ駄目だ! お前と面と向かってなんて耐えられねえ! はずい! だからやめだ!」
「なんだそれ。大事な話なんじゃないのかよ?」
「いや、答え自体はこの前の戦いで知ったからいいんだよ。昔も今も、お前はお前だってさ」
互いに口を閉じ、それから十数秒の沈黙の後。
その静寂に耐えきれなくなったのか、突如レイドッグは叫び、鈴野の頭をぐしゃぐしゃと撫で始めた。
「……痛い。下手くそ」
「うっせえ。お前の頭がでかくなったんだっつーの」
粗雑な撫で方に不満のありそうな顔をしつつも、決して振り解こうとはせず。
鈴野が何だかんだその撫でを受け入れていると、やがて少しだけ、少しずつだが頭に掛かる力と雑さが薄れていくのに不思議がる。
「なあ、後悔してるか? 魔法少女になったこと。あの日、響の阿呆に助けられたこと」
「……何言ってるんだか。恨んでなんてないさ。響さんも、あんたも」
呟かれた問いに、鈴野は小さく笑みを零しながら答えを返す。
それは本音。どこまでいこうが嘘のない、滅多に曝け出すことのない一人の魔法少女の心の裡。
あの日、真っ白な部屋から引っ張り上げてくれた二人の魔法少女。自らが担うべき罪も責任も、その一切を背負ってくれたあの人とこの人。
確かに最初は恨みもしたけど、今となっては感謝しかないと鈴野は思っていた。例えそれが、打算塗れだったものだとしてもだ。
「……そうかい。ならもういいさ。それよりあれ、噂の弟子か?」
「ん? ああ、そうだな。随分と早いもんだ、まったく」
その答えを聞いて、やがて手を放したレイドッグ。
少し後に感知した魔力。その方向を指差しながらの質問に、鈴野はにやりと笑みを浮かべながら首を縦に振った。
「……じゃあなクソガキ。残り数日、精々楽しくやれよ」
「なんだ、もう行くのか?」
「用件なんてねえからな。……それに、弟子との時間は大事にしないとな」
スキットルを懐へと仕舞い、地面に置いていたボトルを手に取ったレイドッグ。
紅い魔法少女は鈴野に背を向けて数歩歩き、そして飛び去ろうとした直前に立ち止まる。
「なあばか姫。お前は俺達みたいにはなるなよ。背負わせる苦しみは、誰よりも知ってるだろ?」
「……無理だろ。どこまでいっても、残していく側だよ。大人ってのはさ」
「……違えねえ。どうしようもねえな、大人ってのは」
吐き捨てるように笑い、そして飛び去っていったレイドッグ。
鈴野は紅髪の魔法少女の背を目を向けることなく、再度懐中時計を取り出しながら近づいてくる魔力を、そして街から上がってくる青色の魔法少女を到着までじっと見つめていた。
「見つけましたよ。はあっ、はあっ、なんでこんな場所に、いるんですか……」
「……約三十分。よく見つけたな、正直無理だと思ってたわ」
「はあ? はあっ、はあっ……」
よほど急いできたのか、荒めに息を乱しながら鈴野の横に降りた結月。
そんな彼女の成果に多少驚きながらも、鈴野は上々だと頷いて懐中時計を懐へと仕舞おうとしてやっぱり止めて、それから息を整える少女に足下のペットボトルを手に取り投げ渡す。
「あ、どうも。……ぬるい」
「まあ、ここに冷蔵庫なんてないしな。我慢しろ、弟子なら」
「令和だとパワハラですよ。……冷たくないスポーツドリンクって美味しくないんですよね。……一口どうです?」
「ははっ、いらねえ」
一口含み、何とも言えなさそうに顔を歪める結月。
大げさに笑い飛ばしながら、鈴野は押しつけられたペットボトルをやんわり躱す。
「それで何の用です? わざわざ魔伝で呼ぶなんて、珍しいですよね」
「……ああ。まあ座れよ」
ぽんぽんと隣を叩く鈴野。
結月はまだ他称不機嫌そうながらも、するりと隣へと座り鈴野の方に視線を飛ばす。
そんな顔をしながらも、何だかんだ従う弟子に苦笑いつつ。
鈴野は一瞥し、眼下に広がる夜景の方に視線を戻してからしばらく口を閉じてしまう。
「……あの?」
「……なあ結月。この夜景、どう思う?」
「綺麗だと思います。デートだったら、きっと心はイチコロです」
「はっ。そいつぁ結構。それで女が堕ちるんだから、世の男共も横浜でデートでもするわな」
しばらく経ち、痺れを切らしたのか結月が声を掛けたのだが。
鈴野は結月の方を向くことなく、どうでもいいことを話して笑うだけ。
「……お姉さん?」
「なあ結月。お前、今楽しいか?」
そんな曖昧な鈴野の態度に、怒りではなく心配そうに問う結月。
そんな弟子の言葉に、鈴野は視線を落とし懐中時計を指で撫でながら尋ねた。
「は、はあ? ……楽しいですよ、今は。お姉さんと会って、少しだけ自分に自信が持てて、友達も出来て。全部お姉さんのおかげです」
「……そうかい。そこまで言ってもらえるのは怖いやら嬉しいやら」
少し照れくさそうに、けれどどこか楽しそうにそう話す結月。
その好意的な答えに鈴野は指を止め、小さく鼻を鳴らしてから結月の頭に手を置いた。
「なんです、もうぅ……」
「実際お前は強くなった。心身共にたくましく。良くも悪くも、私の想像以上にな」
「……お姉さん?」
「教えることは全部教えた。魔法少女として私がしてやれることはもう何もない。……すごいやつだよ、お前はさ」
「……何ですそれ。まるでもう会えないと、そんなお別れみたいに」
先ほどの、実に雑な手つきだった紅色の魔法少女とは違いよそよそしく。
まるで割れ物を撫でるかのように優しく力なく、その柔らかな青色の髪を触っていく鈴野。
だが紡がれた言葉を耳にして、最初こそ目を細めているだけだった結月は戸惑いを隠せず尋ねてしまう。
「実はな。訳あって引っ越すことになってよ。……だから、その前にどうしても言っておきたくてな」
「……えっ?」
きょとんとした顔で呟かれたそれは、まるで自分の困惑を全て詰めたかのように重く。けれども小さくか細い、想像すらしていなかった反応そのものであり。
そんな反応に鈴野は少しばかり心を痛めるも、それでもと意を決し、いつものようにと心がけながら弟子の方に顔を向ける。
「おめでとう結月。今日で弟子卒業だ。誇れよ、免許皆伝ってやつだぜ?」
そして闇夜の中。
鈴野は戸惑いを隠せない弟子に対して、今日一番の笑みでそう告げた。




