厨二センスは難しい
「それでねー♥ ベルぅ、ひょんなことから年下の娘の勉強見てあげることになっちゃったのー♥」
かちかちと、狭い部屋にてキーボードの打鍵音を響かせながら、風貌に似合わぬ甘ったるい声で独り言つ女。
ひとまず明日からだと、夕暮れよりも早く結月を帰した鈴野は、とりあえず気持ちの整理をつけるために配信をし、いつの間にか日が変わる直前へと突入していた。
『へー』
『かわいい』
『そうなんだ』
『¥500 ベルは面倒見が良いんだね、流石だ』
「あ、鐘の嫁さんスパチャありがとー♥ 雑音さん達が寄り添ってくれて、ベルとっても嬉しいなー♥」
画面上でボス戦を繰り広げているゲームを余所に、砂糖を凝縮したかのような声ででお礼を言う鈴野。
それも当然だ。現在無職の鈴野からすれば、五百円という端金であってもお金も立派な収入。そして自分が求められているという、唯一無二の証拠なのだ。
例え手数料だのなんだのでほとんど手元に入らなかろうが、その価値は膨大。承認欲求は無限大。
特にそのお金を恵んでくれたのは、配信初期からこうしてお金を投げてくれる鐘の嫁という最古参リスナー。この人に捨てられたら生きていけないと、鈴野は必死に媚びを売るしかないのだ。
「おーあとちょっと♥ おっ、おお♥ おー! やったー勝ったー♥」
だがそんな真っ黒な打算に反し、鈴野は実に繊細なタイピングでキャラを操作し、ついにはボスを倒してしまう。
『三十四分。ま、中々だね』
『¥500 かわいい』
『¥1000 それでこそだ。凄いね、ベルは』
『初見です。初見で三十分なんですね。凄いです』
ぽつぽつと、流れることない程度に埋まる鈴野……いや、Vtuberベルへの賞賛。
だがそれもそのはずだ。そもそもこのゲーム、少し前に大手の配信者共の間でちょっと話題になっており、鈴野は当然初見などではない。
そして鈴野は魔法少女。その胴体視力、反射神経を以てすれば、多少苦戦という魅せプをしつつ短時間で勝つなど造作もないことだった。
「ありがとー♥ 鐘の嫁さんまたスパチャありがとー♥ Cさんもありがとー♥」
そうして一通りお礼を言いつつ、鈴野配信を閉じて一息つく。
「……はあっ。だーめだ、ぜんっぜん気晴らしにならねえ」
新品を吸う気はないのか、鈴野はデスクの側に置かれた灰皿から一本取って咥え、火を付けながらぼんやりと考え込んでしまう。
思い浮かべるのは無論、先の厄介な拾い物──結月と名乗った黒髪の少女について。
勢いに負けてつい請け負ってしまったが、冷静に考えれば私が人の指南なぞ愚行中の愚行。
終わってみれば、どうしてまたこんな面倒事を引き受けたのかと後悔しか湧いてこないわけで。
「そもそも今の界隈ってどうなってんだ。まず何と戦ってんだ、あいつら」
更に自分に教えられるのはおおよそ七年前。魔法少女ベルが引退したまでの知識と戦い方のみ。
最新の流行りなど、それこそ配信者のゲームくらいしか知らないわけで。
つまりは圧倒的知識不足。鈴野は安請け合いしてしまったが、今の人様に何かを教えられるのかと、不満以上に不安がだらだらであった。
「……ま、いいか。基礎だけ教えて解散で。ふあぁ……眠いし寝よ。明日考えよ」
とはいえ直ぐさま改善出来るわけもなく、その上改善する気など微塵もなし。
これ以上考えても仕方がないと、鈴野は煙草を灰皿へとこすりつけ、歯を磨いてから布団を敷き直し、そのまま飛び込んで瞼を閉じる。
眠りに落ちる最中、鈴野が思うのはただ一つだけ。
今日の訪問と問答が夢であり、明日には元通りの日常が戻ってきてほしいと、それだけであった。
「ふあぁ。うーし、んじゃやんぞー」
「はい。よろしくお願いします。お姉さん」
涼しくも暖かい春の陽気の中。
最初に出会った、休日だというのに何故か誰もいない小さな公園にて。
欠伸をしながら開始を告げたジャージ姿の鈴野に、動きやすそうな私服の結月が手を掲げ、表情に出ないながらもやる気の籠もった返事をした。
「しかしまさか二日連続で爆撃されるとは。……お前、意外と常識ないわけ?」
「結月です。だってお姉さん、今日も起きてなかったじゃないですか」
「だったら連絡くらい……ああ駄目だ、教えてねえもんな。番号も、やり方も」
「やり方?」
「あー、まあおいおいな。しょうみ今はまだ必要ねえからな」
こてんと首を傾げる結月だが、鈴野はひらひらと手を振るのみ。
「──さて。昨日言った通り、まずは名前だ。宿題出したけど、何か思いついたか?」
「……」
「そっか。まあそりゃそうだな、急だったし仕方ねえか」
鈴野の問いに少し顔を沈ませ、ふるふると首を横へ振る結月。
別にそこまで落ち込むことはないのにと、そんな少女を前に鈴野は頭を掻いてしまう。
……あー気まずい。ガキの手前で躊躇うが、是非ともヤニを含みたい所だわぁ。
「……名前は、戦い方より必要なことなんですか?」
「当然だな。魔法少女の名前ってのはもう一つの真名であり誓いなんだ。その名を被ったその日から、お前はその名を体現しなきゃならない。それこそが、魔法少女の強さと責務ってやつだからな」
結月の訝しげな問いに、鈴野はからかい口調などなしに断言する。
「ごめんなさい、思いつきません。……でも」
「でも?」
「でも、一つ。私の中で、ずっと何かがぐるぐるしているんです」
結月は胸を押さえて顔を上げ、鈴野の目を真っ直ぐ見つめながらそう呟く。
「ん、なら言葉にしちまいな」
「……良いんです、か?」
「構わねえよ。貯め込んで得する感情なんて憎悪だけだ。燻ってんなら吐き出しちまうのが一番さ」
鈴野にきょとんと、瞳を揺らして戸惑う結月。
そんな少女のぎこちない反応と、これまでの言動から鈴野は薄々察してしまう。
結月の胸の内に抱える重さ。それは一介の少女が持つべきでない訳ありなことに。
「きっと私は鏡なんです。言葉を必要とされない、映るだけの鏡像。劣った偽物でしかない私は、きっとこれだけしかないんです」
「お、おう……」
「だから、本物になりたい。私が私であるための、一人でも寄りかかれる縁が」
静かな結月の心の吐露、まるでそれ自体が詩の一節だと鈴野は辟易してしまう。
やべえ、こいつ重い。それに予想以上に抽象的且つ独創的。IQの違いを感じてならねえ。さては厨二病か?
しかし……ふーん? こりゃ似ているようで昔の私とは違うタイプだな。根底も知能も。
あーやだやだ。やっぱ似合わない感傷で根負けなんざするんじゃなかったぜ。
促した手前あれだが、私カウンセリングの才能なんて皆無だぞ? 特に利口なガキの気持ちなんざ分からねえからな。
……最悪、恨まれてでも止めさせねえとな。
「偽物であり本物、んで結月か。……んじゃまあ、ブルームーンとでも名乗っとけ」
「ブルー、ムーン?」
「ああ。そうは見えるが存在しない幻想の星。地球の鏡でありながら、けれど確かにそこにある誰かの本物。お前の名前から肖った、仮初めの名ってやつだ」
鈴野はにやりと笑みを浮かべ、如何にも名案ですと言わんばかりと言葉にする。
しかしブルームーンか。……我ながら安直だが、中々どうして悪くないだろこれ。
小難しいドイツ語やラテン語の言葉遊びよかよっぽど分かりやすい。問題は月要素が実名にしかねえって部分だが、まあどうせ仮なんだしそこは丁度良いだろうさ。
「ブルームーン。魔法少女、ブルームーン……」
「ま、あくまで仮だ。本来なら確定してから始めるのが理想だが、まあ今は仮称で充分──」
「それでいきます。お姉さんがくれた、その名前がいいです」
ひとまずこれで一段落と、次に進もうとした鈴野。
けれど結月はその仮初めの名を噛み締めるように反芻し、変えがたい宝物でも貰ったかのように瞳に涙を溜めてしまう。
……大層な名じゃないだろうに、そんな顔されちゃこっちが申し訳なくなる。
こんなことなら、もっと格好いい名前を出しておくんだったぜ。それこそ外国語の小洒落たやつを。
「ま、お前がいいならそれでいいさ。変えたくなったら変えればいいだけだしな」
「変えません。……でも、変えられるんですか?」
「事例は少ねえろうがな。ま、経験者が語るってな?」
あっけらかんと言いながらも、「えっ」と小さく驚いた結月をよそに変身する鈴野。
ものぐさでヤニの臭いが滲んだ服の長身女性から一変、瞬きよりも早く、結月よりも背の低い桜が如き桃色髪の魔法少女へと。
「……あの、こんな往来で変身して良いんですか?」
「ん? ああ良いんだ、人払ってるから。まあ気にすんなって、この辺も交えて教えるからよ。さ、お前も変身しな?」
配信用テンションとは違い、容姿に合わぬ鈴野そのままの口調。
そのギャップに結月は多少目を戸惑いながらも、促されたまま手鏡を取り出し、「変身」と口に出す。
「ん、初心者なら上々か。慣れれば速度は上がるし、変身なんて言わずとも出来ようになる。ま、しょうみ言った方が強度も安定度も増すけどな」
「……お姉さん」
「ベルと呼べ。魔法少女の時は魔法少女の名で。暴かず、暴かせずは暗黙の了解であり、他の魔法少女への礼儀だ。私相手なら良いが、普段で心がけねえと咄嗟に口に出ちまうからな。気をつけろ、ブルームーン」
「……はい、ベルさん」
数秒の変身に鈴野はよしと頷きつつ。
青髪の魔法少女のやる気の灯った瞳に満足しながら、自ら張った網に何かが掛かったのを知覚する。
「というわけで、今日の特訓に入ろうか。ちょうど講義相手も到着したことだしな」
「とう、ちゃく……?」
意味深な言葉に結月が困惑した、まさにその瞬間だった。
突如響く破砕音。硝子が割れたような、どこかの空が劈かれたような、そんなひび割れの音。
分かっていたかのような余裕さの鈴野と、そんな突然に慌てて身構える結月。
「見つけたよぉ魔法少女っ! このメケメケ団のホイップ! 昨日の雪辱、ここで……え゛っ!?」
そして彼女達の視線の先──青白混ざる空を食い破るように現れたのは、双方見覚えある女。
空に負けずの青い肌。蝙蝠が如き一対の羽に、長く滑らかな尾。
つい一昨日の夜、ブルームーンを追い詰めベルに夜空の星にされた悪魔風貌の青肌が、高々と見下ろしながら、地面に一点──ベルの方を凝視しながら声を裏返した。
読んでくださった方へ。
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