やるじゃん先輩
その日、東京周辺の魔法少女達は統括会の、正しく言えば魔法少女シロホープの招集に応じ、数カ所にて行われる集会に参加していた。
東京、埼玉、千葉、神奈川。新人から各地で名を馳せたベテランなど、数多の、錚々たる面々が集まった魔法少女達が一堂に会す機会などそうそうない。
内々で集まることはあれど、勢力でまとまりをみせることの少ない魔法少女達。
そんな彼女達が統括会の招集に応じたのは、今までの功績と治安維持能力、そして魔法少女シロホープを筆頭にした三勢力の呼びかけによるものだろう。
その集まりの主題は、ある魔法少女襲撃集団について。
通称アンダードッグの存在を改めて勧告すると同時に警鐘、及び連携を促し危機感を煽るため。
現状、被害は東京内を大部分としているが、このまま行けば彼女らの縄張りまで踏み込みかねない。
なので日頃の因縁は一旦横に置き、地に蔓延る野良犬共の掃討に協力して欲しいと、統括会はそのように訴えかけ話し合うつもりだったのだ。
そうして行われた集会は恙なく進み、終盤に差し掛かった頃。
説明を終え、方針もまとまり、ひとまずの安堵によって空気の緩んだ、まさにその瞬間だった。
数カ所の会場は突如として襲撃され、その全てが瞬く間に乱戦状態と化した。
犬の仮面を被った赤い外套。犬のエンブレムを胸に宿した、主題であった狩るべき野犬の一団。
アンダードッグ。その不意すぎる強襲に、会場の魔法少女達は後手に回ってしまっていた。
「ううっ……」
「痛い、痛いよぉ……」
あちこちで鳴る衝突音。響くのは少女達の苦悶、恐怖。流れるのは魔力と赤い飛沫。
倒しては倒され、振り払おうが奪われる。地獄絵図とはまさにこのこと。
だが集まった魔法少女達も決して無力ではなく、むしろ抗いではなく蹂躙を以て応えられる強者さえ混じっている。
この日開かれていた集会は五箇所。
そのうち一箇所はシロホープに、二箇所は統括会幹部によって制圧。また一箇所は力ある神奈川の魔法少女によって鎮圧された。
だが残り一つ。新宿内の高層ビルにて開かれていた集会の戦局は、著しく不利なものであった。
「……くそっ、厄介ねッ!!」
そしてその中に橙色の魔法少女──ミカンオレンジで必死の形相で奮戦していた。
負傷し倒れる魔法少女を庇いながら、ひたすらに敵へと立ち向かうミカンオレンジ。
状況はあまりに不利。会場責任者である統括会三幹部の一人、魔法少女ルーラキャットが相手の中で一際強力な魔力を持つ敵に倒され、追い詰められる一方となってしまっていた。
「も、もう無理だよぉ……」
「死にたく、死にたくない……!!」
「弱音を吐かないッ!! 大丈夫! 私がいるんだから!!」
戦意が折れ、負傷し、恐怖で震える他の魔法少女達。
そんな少女達にミカンオレンジは必死で声を掛けながら、徐々に進む状況の悪化に歯噛みしてしまう。
「……魔法少女ミカンオレンジ。クルサイダー、アマコーラと同じく無勢力の古株で最優先対象。貴様ならさぞ上質な養分となってくれるだろう」
「お生憎様ッ!! 誰かのための柑橘系だけど、吸われるだけの養分なんかじゃないの!! オレンジスプラッシュッ!!」
一際大柄で、先ほどルーラキャットを倒した相手に、ミカンオレンジは吠えながら橙の魔力を放出する。
液体の放出でありながら、吹き抜ける強固な槍ですらあった橙の魔力。
だがそれは相手の負傷に届くことはなく。腰を下げて放たれた、重く鋭い拳に砕かれてしまう。
「なっ……」
「……無駄だ。私の硬化はお前如きの魔力じゃ貫けない……っ!!」
渾身の攻撃が通じなかった、その一瞬の動揺。
その瞬間に距離を詰められ、魔法を砕いた拳が勢いのままミカンオレンジの胴に叩き込まれる。
「オレンジさんっ!」
「……貫通したつもりだったが、意外に頑丈だ。やはりお前は、相当に優れた魔法少女だな」
膝から崩れ落ちるミカンオレンジと、その後ろで叫ぶ魔法少女達。
この場を辛うじて保っていたミカンオレンジの敗北。
最早戦いはこれまでだと、拳を入れた赤い外套の敵は拳を懐に入れて透明な水晶玉を取り出そうとして──。
「……まだ立つの? もう無理だと思うけど」
「はあっ、はあっ。……お生憎様。この私がっ、ミカンオレンジがっ、こんな所で膝を突くわけがないんだからっ、げふっ」
目の前の光景に、最早呆れの声色をみせる赤い外套のヒト。
膝を震わせながら、言葉の後に血と透明な液体を吐き出して尚、ミカンオレンジは。
魔力も切れかけ。なのに相手は以前余裕。……もう、勝ち目がないのはこの場の誰の目にも明らか。
希望も可能性もない。既に窮地ですらなく詰み。
だというのに。ミカンオレンジは、息も絶え絶えになりながら、両手を広げて目の前の敵をひたすらに鋭く、苦しそうな形相で敵を睨み付けた。
「……分からないな。君一人ならいくらでも逃げられただろうし、役立たずなんて守らなければ私にも勝てる可能性があったんじゃない?」
「うる、さい。わた、しは、みんなより歳上なの……。お姉ちゃんなの……。見捨てるなんて、格好悪いじゃない……」
「……そう。君が馬鹿で良かったよ。どうでもいいほど優しく、どうしようもないほど愚かなミカンオレンジ。哀れでちっぽけな養分さん」
拳を握り直し、溢れ出る魔力を一点に圧縮させていく外套の敵。
その凝縮にミカンオレンジはふらふらと、けれども真っ直ぐに相手を見据えながら橙の魔力壁を展開する。
(……ここまでね。くそっ、情けないなぁ)
最早音すら耳に入らず、曖昧な意識の中、一人後悔に耽るミカンオレンジ。
年下であろう魔法少女、後輩達を守れなかった後悔と悔しさに浸りながら、せめて後一撃くらいはと気力を振り絞って両の足に力を入れて備えていく。
「じゃあねミカンオレンジ。我らの成就、精々彼岸で指咥えながら眺めているといいさ」
最後の言葉はミカンオレンジの耳に届くことはなく。
そうして拳が振り抜かれ、その場の魔法少女の全滅と敗北が確定しようとした。
その瞬間だった。
拳が橙の魔法少女へと届く寸前、けたたましく粉砕音が響き渡り、赤い外套の敵を横から吹き飛ばしたのは。
「やるじゃん先輩。正直、ちょっと見直しちゃったぜ」
気軽に、けれども確かな賞賛の言葉と共に。悠然と割れた窓から部屋へと入り、ミカンオレンジの前へと優しく降り立つ魔法少女。
桜色の髪に花の匂い、ひらひらとしたドレス。
微笑みだけが多少獰猛で、けれどそれすら如何にもな少女は、たった一人で場の空気の全てを吹き替えた。
「……痛いな。何者だよ、お前?」
「野生の魔法少女様さ。名前なんて大層なもん、卑しく吠える野良犬に語る理由もないだろ?」
ばたりと倒れるミカンオレンジ。
そして壁を突き抜け、廊下まで飛ばされた赤い外套の敵──そうであった女が、手で頭を押さえながら部屋へと戻ってくる。
外套を脱ぎ去り、ひび割れた犬の仮面を自らの手で粉砕する筋肉質な女。
突如現れた乱入者の軽口に、苛立ちを露わにし、怒りを示すように筋肉と魔力を膨らませていく。
「かっこつけるのは結構だが、たった一人で何が出来ると思う? この数を相手にさ」
「……なんだお前。そのなりで数を誇るのかよ。みみっちいことこの上ないなぁ」
「……ああ゛?」
たった一言。鼻で嗤いながら、意外そうにそれを口にした鈴野。
しかしそれがよほど頭にきたのか、筋肉質な女は額の血管の浮かび上がらせ、魔力を更に膨れあがらせ、ついには全身を銀で染め上げる。
「……ぐちゃぐちゃにしてやる。お前みたいに驕ったやつ、私は大嫌いなんだ」
どしどしと、一歩ごとに床にひびを入れながら、鈴野の元へと歩いていく筋肉質の女。
女は怒りで気付かない。周辺行われていた戦闘の一切が止み、敵味方等しく倒れていることに。
「私の銀硬化の硬度は組織随一! 後悔しながら、全身を砕かれる──」
「……語りが長いなぁ。自信がないのか?」
「──死ねェ!!!」
振り下ろされる銀の腕。流星が如きそれは、宣言通り鈴野を潰さんと落ちていく。
当たれば必死。例え重厚な鉄の塊でさえ、その圧の前には為す術なくひしゃげるであろう。
──ただし。
「なっ、ぐあァあ!!?」
「良い拳だ。畜生に身を落としてなきゃ、素直に賞賛してやったのによ」
ただし相手が彼女でなければ。
旧き時代に怪物が一人、伝説とまで呼ばれた桜髪の魔法少女でなければの話だが。
「馬鹿な、私の腕がッ!? 無敵の銀硬化がッ!?」
「じゃあな小童。精々噛み締めろよ」
全力で殴ったというのに、立つだけで構える鈴野の頭蓋にすら届かず。
その拳を力なく震わせ、銀色も力の圧縮も失わせた筋肉質の女の腹へと鈴野の拳は刺さり、呆気なく地面へと崩れ落ちた。
「はい終わり。……さて、治療だ治療」
「うう……」
そんな筋肉質の女を鈴野は一瞥すらすることなく、「よいしょ」としゃがみ込んでミカンオレンジに手を当てる。
重傷ではあるものの、致命的な損傷がないのに一安心しながら治癒魔法を掛け、傷を塞ぎ尽きかけの魔力を充たしていく。
「う、あれ……? 私、そうだ、あいつは……」
「よう先輩。元気そうで何よりだぜ」
呻き声を上げ、ふらつき頭を押さえながらも体を起こすミカンオレンジ。
状況の呑めなさそうな彼女に、鈴野は安堵の息を零しながら気さくに笑いかける。
「あんれぇ、ベル? ……ああ、そう。そういうこと。助けられたのね、私」
敵味方関係なく地面に転がり、意識を失っているその惨状。
だが意外にも動揺することなく、ミカンオレンジは冷静に周囲を見回してすぐに状況を察する。
「ありがとう。おかげで助かったわ。私も、この娘達も」
「どういたしまして。ま、間に合って良かったよ。ミカンお姉さん♥」
頭を下げるミカンオレンジに、これ以上ないあざとさでウィンクする鈴野。
そんな鈴野を前に、ミカンオレンジは軽く笑いながら息を吐いた。
「しっかしあんた、素はそんな口調なのね。そっちの方が似合ってるわよ?」
「いいの♥ ベルはあくまでラブリィチャーミーなベルだから♥」
「……まあいいわ。そっちの方があんたらしくなくもないんだし」
ゆっくりと、多少の顔を歪ませながらも立ち上がるミカンオレンジ。
ミカンオレンジは軽く唾を捨てた後、「手伝いなさい」という指示を鈴野へ出し、転がる敵を縛ったり重傷な魔法少女の治癒を進めていく。
「それでこの連中はなんなの? そもそも、なんでこんなに魔法少女がいるわけ?」
「……あんた、もしかして知らないの? 今日統括会から、東京と周辺の県の魔法少女に招集がかかったの」
「知らない♥ だってベル、あくまで野良の魔法少女だし♥」
鈴野は適当に返しつつ、先のシロホープの言い残しを思い出し、一応の連絡を入れてやろうと魔伝の波長を合わせていく。
……それにしてもあいつ、もしかして今日集会があって参加して欲しいとか言いたかったんじゃないだろうか。
まあ結月が先約だったしどっちみち断ってたんだが、それでも少しは聞いてやれば良かったかもな。
『ベ、ベル先輩!? すいません今ちょっと緊急で──』
「ああ大丈夫。分かってる分かってる。何か集会を襲撃されたんだろ? 今一箇所制圧したから人員回せ。それと、場所教えるからそこにも人員を回してくれ。そこに負傷してるクルサイダー? ってのと幹部らしいのがいるからさ」
『え、えー!? ちょっと先輩説明を──』
ツッコミも質問も待たず、場所だけ伝えて魔伝を切る鈴野。
きっと今頃慌てているだろう後輩に少しだけ申し訳なさを抱きつつも、面倒事はごめんだし何より一刻も早く結月の下へと帰りたいと内心手のひらを会わせる程度で切り替える。
「……えっと、誰に掛けたの?」
「統括会の会長♥ んじゃ、ベルは帰るね♥ ムーンちゃん待たせてるから♥ 詳細は後日聞かせてね♥」
「え、ええ!? って、あ、ちょっ!!」
ミカンオレンジの言葉も待たず、するりと窓からビルを脱出する鈴野。
そのまま一気に加速し、雲すら千切る速度で結月のいるビルまで到着する。
「うーん良かった。まだ修正されてないな」
修復されておらず、未だ健在の穴に飛び込んだ鈴野。
結月の魔力に異変がないことへ安堵しつつ、そのまま真っ直ぐに降りて地下駐車場へと着地し、弟子の姿を見つけようと見回していく。
「どこだムーン。師匠の帰宅だぞー。温かい出迎えしろー」
「……おや、噂のお師匠お姉さんかい?」
「あ、お姉さん。お帰りなさい。早かったですね」
やがて声のした方向へと首を向ければ、そこにはぐるぐる巻きにされた外套の群れと和気藹々な雰囲気を作る二人の魔法少女が。
手当てしたとはいえ、たった数分で目を覚ましていたことに少し驚きの表情を浮かべようとして、だがそれよりものんびりしている弟子にため息が漏れてしまう。
「……どうしました?」
「いんや。お前の胆力というかずぶとさに呆れただけだよ。……はあっ」
やれやれと、手振りも添えて首を振りつつ。
けれどこちら側に異常がなくて良かったと安堵しながら、鈴野は結月と話す灰色髪の魔法少女へと近づいていく。
「さてそこの魔法少女さん♥ 身体に異常はない? マスコット……あー、魔力の核の戻したし、魔力行使に問題はないと思うんだけど♥」
「ああ、うん。おかげさまでね。僕の名前はクルサイダー。ありがとう、おかげで命を救われたよ」
立ち上がり、お礼を言いながら手を差し出してくる灰色の魔法少女もといクルサイダー。
鈴野はその手を握り、一応クルサイダーの体内を探って異常がないことを確かめる。
「魔法少女ベル……だったね? この借りは必ず返すよ。私は慢心のせいで、取り返しのつかない事態になるところだった」
「いいよ別に♥ それにあなたは多分、奪われても一時困るだけでしょ? マスコットの補助なしで魔力を扱えているんだから♥」
「……驚いたな。そこまで分かるのか。僕は相当なお姫様に救われたようだね」
「??」
話の内容に首を傾げる結月をよそに、二人はすらすらと会話を進めていく。
「じゃあ後は任せるね♥ あっちが一段落したら、統括会のやつらも引き取りに来るだろうさ」
「承ったよ。後はこの僕、クルサイダーがしかと努めてみせよう。そして僕の誇りにかけて、この借りは必ず返すと約束しよう」
「だから良いって♥ あーでも♥ だったらこのムーンちゃんに一つってことで♥ 困ってたら助けてあげてね♥」
「え、えっ?」
結月の後ろに回り、腕を上げてぽんぽんと肩を叩いて笑う鈴野。
いきなり会話に巻き込まれて困惑全開な結月に、クルサイダーは「了解」と苦笑いしつつも確かに頷いてみせた。
「じゃあね♥ 行くよムーン♥」
「あ、はい。サイダーさん、またいつか会いましょう」
「ああ。再び道の重なる瞬間を、僕は心の底で待ち続けているよ」
手を振り合いながらクルサイダーと別れ、塞がり始めた地上までの穴を進む二人。
地上に出て、まるでなかったかのように塞がり元ある形に戻った床。
その速度に結月は少し驚きの顔を見せていると、鈴野が修復された地面へと着地したので同じく地面へと降り立つ。
「さあて飯だ飯。何食べたいか決まったか?」
「……あの、良かったんですか? 情報収集とかしなかったの」
「あー良いんだ別に。今日はお前優先。仕事はしてやったし、後は現役のガキ共の仕事だ」
これ以上引き出そうとするのであれば、未成熟な弟子には今度こそ不健全だと。
もう一つの理由はを言う必要なんてないと、鈴野の軽い踏みつけで二人は鏡界から現実へと帰還する。
「さあ行くぞー。そばでいい?」
「うなぎ食べたいです。施設内にあったので、そこで食べましょう」
「え、たか……げふんげふんっ! 任せなさいよ! この頼もしいお姉さんに!!」
世界に騒がしさが戻る中、再びビルの中へと入っていく結月。
そんなはしゃぐ少女につい笑みを零しながらも、鈴野は財布の中身を思い出しつつ、野良犬共からせしめるのを忘れたのを後悔しながら、その背を追うように歩き始めた。




