高らかに鳴る鐘の音こそ
戦いが終わり、役割を終えたように消え去った白い膜。
山の中にぽっかり空いただけの場所で、結月はゆっくりと意識を取り戻し、ゆっくりと目を開けた。
「あ、私……いたっ」
身体に力は入らず、仰向けの姿勢から動こうとすれば、たちまち全身が痛みという悲鳴を上げてくる。
充ちていたはずの魔力も空っ穴。変身だって解けてしまい、力なき少女へと戻ってしまっている。
どう足掻こうと、しばらくは動くことさえ叶わないと。
現状の諦めた結月は、このまま寝転がって来てくれるはずのお姉さんを待つことにした。
「ははっ、ようやく起きたかい……? 随分お寝坊じゃないか」
そんなとき、結月の耳に入った聞き覚えのある声。
その方向を向くことさえ出来ないと、それでも何とか小声でも返事をしようとしたのだが。
発しようとした音が出てくることはなく、生じた痛みに堪えようとした小さな呻きだけが零れてしまう。
「ああいいよ。あんたの方がぼろぼろだからね。よくもまあ、ここまでぼろぼろになったもんだよ」
全身は服も皮膚も傷だらけで、胴は黒と見紛うほどの赤い血で染まり、脇腹を手で押さえる青肌の女。
そんなボロボロの身体ながらに結月の隣へと立ち、笑みを見下ろすホイップ。
「敗け、た、んですね……私……」
「いいや、あんたの勝ちだよ。まさか、あんな隠し玉があったとはね。恐れ入ったよ」
僅かににやつくように微笑み、どさりと力を失ったように側へと座り込むホイップ。
身体を起こせるホイップと、未だ起き上がることも出来ない結月。
端から見ればどちらが勝者かは一目瞭然だろうに、それでも青肌の女幹部は心なしか爽やかな声色で、青肌の魔法少女の勝利を讃えた。
「しかし、随分とまあ暴れたもんだよ。これならもう、あいつの手を借りるまでもなく満タンかもね」
「……本当に、行っちゃうんですか?」
「何だいそれ。……でも、ああ。故郷に残してきたものも多いし、何よりこの星にはまだ、私達の居場所はないらしいからね」
少し寂しげに、星のひしめく夜空を仰ぎながらぽつりと呟くホイップ。
その返答を聞き、結月は内心で、自分でも意外なほど残念がってしまう。
「……残念です。怖かったけど、不思議と嫌いじゃなかったから」
「はっ、言うじゃないか。会う度の成長といい、つくづく生意気なガキだよあんたは」
結月の問いを吐き捨てるように、けれども悪くはなかったばかりにと笑うホイップ。
「ま、私も悪くなかったよ。少なくとも、他の魔法少女よりかは楽しめたさ」
「……なら、良かったです」
「ああ。……さて、もう飛ぶ気力は残ってないし、バカソルト辺りが迎えに来てくれないか──」
一戦終え、疲労困憊な自分を迎えにでも来てくれないかと。
青肌の女幹部がそう考え出した、ちょうどその時だった。
まるで自分達の戦いが終わるまで待っていたかのように、タイミング良く発生した巨大な力を二人が感じ取ったのは。
「なっ、なんですこれ……」
「なんだいこの力!? こんなどす黒いの、私の星じゃ感じた事もないよっ!?」
吐き気のする程の黒。この世の汚物を詰め込んだかのような醜悪。
この世にあるべきではないと、存在してはいけないものである負の凝縮と本能が告げるもの。
その力を結月は知っている。何故ならそれはこの数日の修行で何度も目にしてきた、けれどこちらの世界では目にしたことのないものだから。
「澱み……?」
多少戻った魔力で身体を鞭打ち、どうにか首をそちらへと向ける結月。
そしてその黒目は確かに捉える。自分が山にいながら、まるで巨大な山があると錯覚するほどの真っ黒な靄の塊を。
澱み。そう、澱みだ。
鏡界に発生する黒い靄。本来人よりも、小型の犬猫よりも小さいはずの払うべきもの。桜髪の魔法少女が自分達の存在する理由と言った存在こそ、目の前に形為すそれだ。
「散らさなきゃ……ぐっ」
「あんたじゃまだ無理だ! なら、ここは私が──」
絶望を顔に貼り付ける二人。
それでも多少ふらつきながらも立ち上がり、結月を庇うように前へと出ながら両の手に紫炎を練り上げるホイップ。
だが戦闘中とは異なり、その巨躯を燃やすにはあまりに弱々しい揺らめく紫の炎。
それでも翼を大きく広げ、こちらへと迫る黒い靄と相対するべく、空へ飛び出そうとして──。
──その直後。絶望を散らす鐘の音と共に、靄の巨人の胴は大きな穴を開ける。
「……っ」
その力の到来に、誰よりも早く気付いた結月の瞳から涙が滲み出てしまう。
例え姿が見えずとも、結月はその音を知っている。
だってそれは、その温かい桜のような魔力は。今響いた、高らかに響く鐘の音は。
あの日からずっと、少女が憧れて焦がれた輝きだから。この十数日共に過ごし、ずっと見続けてきたものなのだから。
「……お姉さんっ!」
「よう、随分楽しんだっぽいじゃねーか。魔法少女ブルームーン?」
結月が痛みも疲労も忘れてその名を叫べば、桜髪の魔法少女──鈴野は白い歯を見せながら笑みを浮かべ、少女達の元へと着地した。
「来てくれたっ、つっ……」
「ああおい動くな。まったく、勢いだけは一丁前なんだから」
感極まったのか立ち上がろうとして、追いついてきた痛みで顔を歪める結月。
そんな向こう見ずな少女に鈴野は少し呆れの表情を浮かべつつ、しゃがみこんで結月の切れた右目へと手を当てる。
鈴野の掌から出でた桜色の淡い光。それは結月の身体へと伝り、全身をその色で帯びさせる。
「温かい……」
「ちょいと待ってろ。……ほらっ、これでましにはなっただろ?」
絶妙な湯船へと身を投げ出したような心地好さに、結月の顔は緩まり。
数秒の後、傷だらけだった少女の身体はみるみるうちに戦う前の綺麗な肌へと戻り、隣で見ていたホイップの顔を驚愕で満たされてしまう。
「うそっ、なんて治癒術……! 専門なの……?」
「ま、こういうのは得意なんだ。ほれ、ついでにお前もだ」
結月の治癒の済ませた鈴野はもう一方の手の指で光を弾き、唖然としていたホイップへとぶつける。
一瞬身構え、反射から目を閉じてしまったホイップ。
だがその光がダメージを与えてくることはなく、むしろ傷の塞がりと今まであったはずの傷が塞がっていくのを実感する。
「……ほんっと出鱈目だね。うちの主だってそんなに器用じゃないよ」
「どうも。……ほら結月、起きろ。ゆーづーきー」
傷一つなくなった目から手を放し、今にも眠りに落ちそうな少女の肩をそれなりに揺する。
数度揺らした後、はっと覚醒して飛び起きた結月は、笑いかける鈴野を見て、そのまま胸へと飛び込む。
「おいおい。まだやることあっから気は抜くな……」
「お姉さん……! お姉さん、お姉さん……!!」
「はいはい。ガキかよお前……いや、ガキか」
今の自分よりも大きい少女のじゃれつきに、やれやれと首を振りながらも背中を撫でる鈴野。
ま、こいつも頑張ったからな。
最後しか観戦出来なかったが、らしくないほど熱くなっちまった。まさか顕現武装まで出せちまうとは思ってなかったがな。
「私、頑張りました……! 頑張ったんです……!」
「おーそうだな。立派に頑張ったよ、お前は」
巨大な澱みに気を配りつつも、功労者である結月が満足するまで宥め続ける鈴野。
目の前の危機をよそに行われる抱擁に、青肌の女幹部は何とも言えない顔で呆れていると、暗がりから黒いマントを羽織った青肌の三ツ目の男が姿を現す。
「スパイス様!」
「見事な戦いであったホイップ。……して、これはどういう状況だ?」
少しずつ再生していく黒い靄の巨人を一瞥し、それからホイップへと声を掛けたスパイス。
すぐに跪こうとしたホイップだが、必要ないと手振りで止められたのでそのまま姿勢を正してあれが正体不明の襲来者であることを報告した。
「……なるほど。瘴気から推測するに恐らくは星の膿、その類か。この青い星も穢れに充ちているというわけか」
「少し違うな。正しく言うなら人類の……この星に蔓延る知的生命体の負の凝縮、星自体に罪はねえよ」
落ち着いたらしい結月を側に置きつつ、考察するスパイスに話す鈴野。
その答えに考えるように頷きながら、再び黒い靄の巨人へと視線を移す。
「さてどうしたものか。我が手ずから消し炭にしても構わぬが、あの規格を散らすのであれば相応の火力を出さねばならん。ベル殿達以外の星の尖兵に我らの船を感知されるのは避けたいのだが──」
「ああ、あいつが私がやるからいいよ。ちなみにだが、出航の準備は万端か?」
「……可能だが、良いのか?」
「構わねえよ。あれを消すのが魔法少女の本分だし、何より派手に一発やる口実が出来た。それにあんたらの旅立ちの景気づけには丁度良いだろうさ」
気軽な口調で答えつつ、準備体操をしてからパキパキと拳を鳴らす鈴野。
愛らしい魔法少女には似合わない獰猛な笑みと急激に昂ぶる魔力に、スパイスは納得して自身の戦意を仕舞い込み、鈴野側まで近づいて手を伸ばす。
「では任せよう。最後の最後まで世話を掛けたな、ベル殿」
「こっちこそ良い経験になった。……あんたとは、もっと違う形で会いたかったよ」
「……我もだ。だが巡りを呪いはせんぞ。例え望まぬ邂逅であれ、確かな価値はあったのだから」
強く握手を結び、互いに頷き合う二人。
そして手を放し、ホイップをお姫様のように抱きかかえたスパイスはマントをたなびかせながら、振り向くことなく飛び去った。
「さて、んじゃまあちょっくら片付けてくる。お前はここでしっかり見てろ」
「……大丈夫、なんですよね?」
「ばーか。私を誰だと思ってるんだ? お前の師匠、魔法少女ベル様だぞ?」
不安そうな結月の額を小突き、胸を指差して自信満々に宣言する鈴野。
再生を終え、濁った黒の目で二人を──桜髪の魔法少女に確かな敵意を向ける黒い靄の巨人。
その塗り潰されそうな黒い意志を涼やかな顔で流し、鈴野は空へと舞い上がる。
「しかしでけえな。こういうのを生ませないために、あの人はシステムを変えたはずなのにな」
腕を上げ、圧し潰さんと動く巨躯に一瞬思いを馳せるは、かつてある魔法少女が願った理想。
遠き未来を想い、命と引き替えにその時代を終わらせた正しい鐘の名残。
あれはその否定。八年前、システムの改変と共に出現しなくなったはずの大型な澱み。
それが現れるということは、現代の魔法少女が相当に怠慢なのか。或いは我らがせざるを得なかった封印に異常が──。
「……ま、いいや今は。若者の旅立ちに余計な思考、無粋にも程があるだろ」
不穏な想像や雑念を全て、いらぬ思考だと切り捨てながら魔力を上げていく鈴野。
考えるべきはこの場の対処。そして戦いを終えて一皮剥けた魔法少女が、これから歩むであろう苦難と希望に満ちた未来について。
大分急ピッチだったが、教えるべきことは全部教えたしあいつは見事に応えてくれた。
気骨、魔力量、センスのいずれもが予想以上。順当に育てばきっと、魔法少女ブルームーンはあいつらに並ぶ素晴らしい魔法少女になるだろう。
その大成を見届けたい気持ちもあるが、生憎私はもう、あの世界に深く関わる気なんて微塵もない。
だからあいつと私の師弟関係はこの夜が最後。来ないことを願う最後の仕事以外は関わる気のない私と、これからも魔法少女であろうとするあいつじゃ進む道は違うのだから。
……ま、悪くなかったぜ。この十数日。
家まで尾けてきて土下座しやがる面倒なガキだったが、久しぶりに煙草と配信以外の刺激的な味ってやつを感じれてさ?
「散々魅せてくれた礼だバカ弟子っ!! これから見せるのは魔法少女の最奥が一つ!! そして私からの餞別の音だっ!!」
そちらに視線を向けず、けれど一人の少女へ向けて高らかに叫んだ鈴野。
そして桜髪の魔法少女は首元に飾られた小さな鐘を手に掴み、その言葉を真っ直ぐに告げる。
「変身、現想混合っ!!」
轟く宣言と共に、鈴野を覆う桜色の光と鐘の音。
夜空に輝く桜色の光の中で、魔法少女の輪郭は大きくなり……いや、元の背丈へと戻っていく。
長い手足に大きな胸。そして桜色の髪は、明るさを失わせた黒の髪へと。
衣装はそのままながら身体は鈴野姫本来の姿への回帰していき、そして魔力は先ほどまでとは比較にならないほど純度の高い桜色へと変貌する。
これこそが魔法少女の最奥。その一つとはつまり、理想の自分である変身と現実の自身の融合。
境地に至った魔法少女のみが行える奇跡。理想の具現とされる魔法少女の肯定と否定の両立、それこそが皮肉にも魔法少女を一段上へと進ませる。
それが現想混合。理想で真実を覆うのではなく、共にあるための変身。
これを行使出来る魔法少女は、鈴野が知る限り三人だけ。
そのうち一人は既に命を落とし、一人はその方法を否定し、残るはその変身を嫌悪している鈴野のみ。
故に失伝したとも言っていい、魔法少女達からですら忘れられた形態変化。
それがたった一人の、これから茨の道へと踏み出すであろう少女のために一夜限りの復活を遂げたのだ。
「魔法少女ラブリィベル、ってね。……うわ、やっぱ昔に比べて恥ずかしいな」
衣装はそのままに、昔よりも似合わなくなった己の姿を自虐しつつ、鈴野はぐっと拳を握って魔力を高めていく。
それを地上で捉えた結月は鳥肌が立つほどに圧倒され、その本能が確信してしまう。
鈴野の拳に集まる桜色の魔力。バチバチと稲妻を弾けさせ、空すら捻れさせる力の密は、今の自分じゃどう転がっても発すること何て出来ないものであると。
「さあてご覧じろッ! これこそがッ!! 本当の鐘撃だッ!!」
振り下ろされた黒腕などお構いなしに、真っ直ぐに振り抜かれた拳。
そして放たれた無職の衝撃は黒い靄は跡形もなく吹き飛ばし、重く轟く、けれど不思議と優しい鐘の音がどこまでも響き渡る。
その音色は山だけに留まらず、秘匿などなしに周辺数キロ範囲で強く強く響き渡る。
人はその鐘の音を聞く。人はその鐘の音を感じる。
そしてその範囲におらずとも魔法少女達は、そしてかつて鐘の音と肩を並べた四人の同胞は、はち切れんばかりの魔力を否応がなく知覚させられる。
魔法少女ラブリィベル。その鐘の音と魔力は未だ衰えなく、かの伝説はここに健在なりと。
「ふう……百点だな」
一撃で上半身が消し飛ばされ、力なく霧散していく黒靄の巨人を前に満足する鈴野。
魔力の欠片から瘴気まで、その一切の消失をきちんと確認してから、ぽかんと口を開けて座り込む結月の側へと着地した。
「さ、帰ろうぜ……お、どうした?」
「……今ので腰が抜けちゃいました。立てそうにないです」
ぺたんと女の鈴野子座りをする結月。
立ち上がれそうにない少女に鈴野はやれやれと首を横に振り、「よっこらせ」と口にしながら結月を背に乗せる。
「え、わわっ」
「んじゃ帰るぞー。ちなみに時間は……げっ、お前の門限過ぎちまってるじゃねえか」
ふわりと空へと上がりつつ、思い出したように懐から懐中時計を取り出した鈴野。
蓋を開き、短針が示す七の数字に顔をしかめてしまいながら、おぶった少女の負担にならない程度で速度を上げる。
このペースだと結構かかっちまう。……非行には違いねえし、どうやって言い訳させっかなぁ。
「……お姉さん、あれ」
「ん? ああ、多分あいつらだ。無事行ったようだな」
大人としてどうすべきか考えていると、背中の結月がもぞもぞと動き空を指差す。
空に浮かんだ星々の中で、一際大きく、少しずつ動く青白の一等星。
端から見れば少し強いだけの光。けれどその正体を、あの光の中で星と別れを告げているであろう者達がいると、鈴野達だけは察している。
「……また、会えますかね」
「どうだか。ま、星の巡りに期待するんだな」
背中の少女の言葉に同意も否定もせず、ふわふわと空を進んでいく鈴野。
いかに距離が離れていようとも。いかにそれが今生の別れのような幕引きであろうと。
死という理さえ阻まなければ、再び巡り会う可能性はいくらでもあるのだと。いつかどこかで、ある魔法少女にそんな様な事を言われたのを思い出しながら。
「……やっぱりお姉さんは凄いです。私は、お姉さんみたいになりたいです」
「そうかよ、変なやつめ。……ま、煙草だけは見習うなよ」
光がどんどんと小さくなり、やがて見えなくなってしばらく経ち。
不意に結月が言った言葉に、鈴野は照れくさくなるも、すぐに聞こえ始めた寝息に微笑んでしまう。
「……お疲れ様、結月。魔法少女、ブルームーン」
誰に聞かせるわけでもなく、本人すら届かない労いを掛ける鈴野。
少しばかり急ぎながらも、疲れ切った少女を起こさぬよう細心の注意を払いながら誰もいなくなった山を去っていく。
そんな鈴野の背で気持ちよさそうに眠る少女を、まるで自らの名を冠する魔法少女を祝福するかの如く、今宵の月は青く光り輝いていた。