行ってこい
翌日、いつもお世話になっている公園にて準備運動に勤しむ二人。
だがその片方──桜色の髪をした魔法少女の目に微塵たりとも覇気はなく、それどころか気合いの入った結月と違って真逆と言っていいほど上の空であった。
「お姉さん? おーねーえーさーん?」
「ん、ああ。どうした結月。お前は今日もかわいいなぁ」
「かわっ……!? い、いえそうじゃないです。さては話聞いてませんでしたね?」
以前よりも少しだけ澄んだ目を光らせ、頬をふくらませた結月。
そんな彼女に生返事をしつつ、鈴野はどうにか気持ちを切り替えようと努力する。
だがそれでも胸と脳を占めるのは、やはり昨日起きてしまった悲劇について。
ミュートミス。恐らく配信者であれば大なり小なり経験する音声ミス、その中で比較的やってはいけない類のミスなのだが。
それでも見事に、それも表に出すのがNGであった魔法少女に通ずる会話をしている最中にやらかしてしまったのだから、それはもう落ち込むのも当然であろう。
……とはいっても、これでもましにはなった方ではある。
昨夜なんて碌に眠れず、ヤニパワーで落ち着くことすら出来ないほどの狼狽っぷりであったのだが。
横になれば冷や汗を実感し、目を閉じればその失態に気付いたあの瞬間がフラッシュバックする始末。それでも寝られたのは奇跡と言えよう。
「しっかりしてください! 一日前倒しになったってお姉さんが言ったんですよ?」
「悪かった、悪かったって。ほらっ、私はいつも通りさ」
ともあれ、そんな個人の失態は今は関係などなく。
精一杯の虚勢を張る鈴野に、結月はまだ不満気ながらもひとまず納得する。
「っていうか、どちらかと言えばお前が気張んなきゃだぜ? 今回の親善試合はお前がメインなんだからよ」
「……分かってます。だから、こんなにも緊張してるんです」
震えるほどに強く拳を握る結月。
少女が抱えるのは緊張か恐怖か、どちらにしてもそれは当たり前のものだろう。
何せ今宵、彼女が挑むのは情け容赦なしな戦いの場。それも相手は二度雪辱を味わわされ、敗北という恐怖を少女の身に刻んできた青肌の翼女であるのだから。
「結局顕現武装は出なかったしなぁ。ま、なくてもゴー出せる程度ではあるから心配しなくてもいい……って言っても、やっぱり怖いものは怖いよな」
「……お姉さんは、戦いが怖くなかったんですか?」
「ん? 私? あーそうだなー、私は特殊だったからなぁ。ま、それはそれで手を焼かせちまったわけだが」
何かを思い出すように、結月が察せられるほど露骨に言葉を濁した鈴野。
結月が質問をしようとするよりも早く、すぐにその場の空気を切り替えるように目の前で不安がる少女の肩を二度ほど優しく叩く。
「ま、お前なら平気さ。幸いにして今回は命の奪り合いじゃねえからな。全力でぶつかってくればいいさ」
「……そう言われても、やっぱり怖いです、だってお姉さん、来れないんでしょ?」
「露払いが終わったら行くさ。……あー、よしっ。ならこうしよう。終わったらまたお菓子買ってやる。勝ったら二つ、敗けても一つ。これなら元気出るだろ?」
少し頭を悩ませた後、名案のように自信ありげな顔でそう提案する鈴野。
だが反面、結月は不満ですと言わんばかりの渋い顔になってしまう。
「……私、そんなに子供じゃないんですけど」
「なんだよー。前は喜んで選んでただろー?」
「あ、あれはたまたまです!」
今度は顔を赤くし頬をふくらませて拗ねる結月。
そんな姿に微笑しながらも、鈴野は軽く謝りながら少女の頭を撫でる。
手入れの行き届いていた柔らかな髪。恥ずかしがりながらも、手を弾かれることなくその場で顔を下げる結月。
なんていうか、妹とかいたらこんな感じだったんかな。……一応いたらしいけどさ。
「……あの、いつまで」
「ああ悪い。まあともかく、精一杯やってこい。その全力はガキの、若さの特権ってやつだぜ」
頭から手を放した鈴野は、懐から懐中時計を取り出し時間を確認する。
短針が示すのは五。長針は十と十一のまた一つ揺れ動き、ちょうど一つ刻が進んでいく。
「よしっ、そろそろ行くぞ。覚悟は決まったか?」
「……はい」
鈴野の声に結月は頷き、そして二人の魔法少女が空へと上がる。
誰の目を気にすることなく速度を上げ、無人の東京を目的の場所まで飛行していく。
その間に言葉はなく、視線が合うこともなく、思うことすらまったく別で。
新米の魔法少女は緊張を、そしてもう片方はやはり別の問題の対処を考えながら目的地へと向かっていた。
そして市街地を越え、彼女らの視界に夕暮れで昏く染まりつつある山が見えてきた辺りで鈴野は速度を落として後ろへと振り向く。
「さて、それじゃあ私はここまでだ。鏡界移動は問題ないな?」
「……はい。問題ないはずです」
「よし。じゃあしっかりやれよ。二度の借り、ここできちっと返してこい!」
「……はい!」
結月の出発前とは違う、力強い頷きに満足しながらにやつく鈴野。
一瞬の集中の後、結月の周辺はぶれ、ついさっきまでいたその場から影も形も失わせた。
「……さてと。んじゃまあ、私は私の仕事をしなくちゃな」
魔法少女の軽装には少し肌寒いであろう春の夕風に当たりつつ。
誰もいなくなった空中にて、結月への笑みを引っ込め、懐へと手を伸ばす。
「とはいってもいつ来るか。ちゃっちゃか来てくれりゃあ、ぱぱぱっと終わらせてあいつの観戦にいけるってもんだが」
取り出した白い箱から真っ白な棒を一本抜き、火を付けることなく口へと咥えながら空へ漂う鈴野。
昨晩の惨劇という名の失態の最中にウサギが言った言葉が真実であれば、鈴野達の計画を潰し、メケメケ団との最終決戦に洒落込もうとするだろう。
そして強襲するのであればやつらは直前まで迫ってくるはず。少なくとも、自分だったらそうやって彼らの隙を突くだろう。
その結論を基に、彼女らを阻止するべくここで張り彼女らの接近を待つ。それが鈴野が思いついた、手っ取り早い露払いの方法だった。
「……暇」
そうして何分も待ち、空の色以外は変化のない退屈さで三本目のシガレットを噛み砕いた頃だった。
徐に鈴野の感覚に引っかかる魔力。
小さくはあれど、隠す気のなさそうなのが十以上。恐らくだが、鏡界を通っていればバレることはないからと高を括っているのだろうと鈴野は推測し、あからさまなため息を吐く。
それにしても、薄々察してはいたが、それにしたってここまで温いのかよ今の魔法少女は。
あの様子じゃ私に気付いてもいない。敵はいないと思って気を抜きすぎだっつーの。
まったく、ホープのやつも甘やかすのに限度があるだろう。……システムの改変、やっぱり失敗だったのかなぁ。
パキパキと拳を鳴らし、魔法少女には似合わないほど攻撃的な笑みを浮かべる鈴野。
直後に鈴野の姿はぶれ、瞬き未満の速度で魔法少女の一団との距離を詰め、その勢いのまま適当な一人を蹴り落とす。
「……えっ」
「なっ!?」
一人が地に墜ち、それでようやく鈴野を認識したらしい魔法少女達。
困惑や怒り、果ては恐怖など。
各々が隠そうとせず表情に出しながらも戦闘態勢へと切り替える様に、鈴野はまたしても、けれど先ほどよりも遙かに深いため息を吐いてしまう。
遅い、遅すぎる。一人やられてなお、臨戦態勢に入るまでがあまりにとろすぎる。
二人三人はましなやつもいるが、それでも大半がぺーペーの結月以下の反応速度。よくもまあこれで統括会なんてやれてるもんだよ。
「お、お前何者!? あなた、魔法少女のくせにメケメケ団の仲間!?」
「仲間に何するのよ!?」
「いやなに、ちとお痛の過ぎるガキに灸を据えてやろうと思ってな。お前らの大好きなホープの代わりによ」
鈴野が軽薄な口調でホープの名前を出した途端、数人の目の色が変わる。
「上等じゃない! 邪魔するなら無事じゃ済まさないわよ!」
そのうち最も怒りを見せた、赤に染まった魔法少女が鬼のような形相で鈴野へと怒鳴る。
内で魔力を練り上げつつ、けれども我先にと飛びかからずに回りを窺う。……いいね、あいつがこの集団のリーダーってとこか。
喝にも近い声に反応の遅かった魔法少女達も態勢を立て直し、四方は愚か八方まで敵を取り囲こむ。
その様子に少しだけ満足しつつ、逃げ場のなくなった鈴野はその数に動揺することなく、むしろ一層愉しげに口角を上げた。
「んじゃまあやるかガキ共。時間がねえし、意地の悪いOG様が少しだけ可愛がってやるよ」
読んでくださった方へ。
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