1-57嘘みたいな提案 ☆
油井は立ち上がった後にふと見た幸恵さんは、口を引き結び、顔を俯かせていた。これまでに無い表情だった。
不甲斐なく感じている? いや、そういった感じではない。何か迷っているかのような。
視界の端で油井が扉に手をかけたのが見えた。
その扉が開かれると同時に、幸恵さんが立ち上がった。
「あの!」
油井は振り返った。突然の呼びかけにも驚いている様子は無かった。
「……もし、福成くんさえ良ければ、だけど。……私、福成くんの勉強、手伝えないかな?」
「え?」
油井は幸恵さんに向き直って遂に驚きを声に出していた。僕なんか驚きすぎて口は動いたのに声は出なかった。
「幸恵さんは、それでいいの?」
「うん。私、子どもの頃から夢とか目標とか無くて。でもそれって、誰かの夢や目標を支えられるってことだと思ってたから。それに元々天文学は興味あったし、ここ遺跡が出るような街だから考古学も無縁じゃないし」
「なんの補償もできなくても?」
「学んだことは無駄にならないよ」
「どうすればいいか決めてもいない」
「私もそうだよ。一緒に考えていこう」
「無理させたり困らせたりもするだろう」
「大変だと思う。だからこそ手伝いたい」
油井は顔を上に向けて大きく深呼吸する。
「この話をしたら幸恵さんをすごく困らせると思ってた。まさかこんな答えを出すとは考えなかったな」
再度、油井は幸恵さんを見据える。
「お願いしてもいいのだろうか?」
「うん。こちらこそよろしくお願いします」
「分かった。また連絡するよ」
頷いた幸恵さんは、期待を抑えきれない表情していた。まるでどこかに連れて行ってもらえる子どものようだ。
油井はコンピューター室を出て、扉が閉められた。
扉が閉められれば、幸恵さんは力が抜けたように椅子に座った。
元通りになった。まるで何も無かったかのようだった。幸恵さんが立ち上がってから座るまでの一切は妄想の類だったのではないか。
「奏向くん、ありがとう。いてくれなかったら福成くんにこんなこと言えなかったかも」
「油井に幸恵さんと一緒に聴くように勧められた時はその場にいて良いのか迷ったけど、役に立つなんて考えもしなかったよ」
「もしかしてこうなると見越して……?」
「ただまとめて伝えたかっただけなんじゃないかな」
否定はしたけど幸恵さんの考えた通りならますます嘘みたいだ。
でも、本当に起こったことだと思えた。ここまで楽しそうで嬉しそうな幸恵さん、考え付くはずもない。
僕に好意を抱いていると聴かされてから常に念頭にあって、つい先ほども強く思い返した問い。それに対して、理想的であると、幸せにしてくれると肯定して良いはずだ。
油井で良かった。
それにしても、なかなか大変な提案をしたものだ。今でさえ自分の学業も部活も家の事もあるだろうに更に時間を削ることになる。僕も必要とあらば手助けするつもりだけど。
……「削る」。「夢とか目標とか」が無い、だからこそ「支えられる」。これを自分を省みず、活かせるものはなんでも活かそうとする姿勢だとすれば、体育祭の時の行動も自らの見た目を……? いや、考え過ぎか。




