第8話
『物語を読み終えると、いつも、少し寂しい気分になる。遊園地から一歩外に出て、帰りの電車へ向かうときのような、名残惜しいような気持ちだ。でも、この物語はちがう。この布張りのきらびやかな本を手に取った僕たちは、きっと誰しもが、もう一人のバスティアンなのだ。このうつくしい物語は、いつまでも色褪せない。僕たちは、これから、それぞれの「はてしない物語」を綴っていくのだろう。寂しがっている暇なんて、きっとない。』
図書館での邂逅から数日。大型連休を二日後に控えた木曜日、出版社のサイトで庄司くんのレビューが更新されていた。
不朽の名作と名高いこの物語だが、私自身も、独特の魅力を持つ二色刷りのハードカバーを開いた時から、一気に物語に引き込まれてしまった。思わず、連休前なのに夜更かしをしてしまった。
そしてアップロードされた庄司くんの文章は、ネタバレになりそうなところは極力避けつつも、その物語の美しさを讃える文章から始まり、この物語をはじめて読んだときの感想と、改めて今回読み直した時との視点の違いなど、庄司くんがいかにこの物語を愛しているかが伝わる丁寧な切り口で綴られていた。そして、そのレビューは冒頭の文章で締めくくられていた。
けっして、すごく上手な文章、と言うわけじゃない。それでも、読了した瞬間の、心に渦巻く、ともすればはじけそうな、そんな言語化の難しい感情を、可能な限りあらわそうとしているように感じた。それに、不思議と、彼のレビューを読んでいると、この物語の感想を、誰かと共有したくなるから不思議だ。
そして、何よりも。
僕たち誰しもがもう一人の主人公だ、ということば。もちろん、それは作者の意図した仕掛けを説明した言葉なのだろうけれど。
私には、これが庄司くんの原点なのだろう、と、訳もなく納得できた。
誰しも、物語を読んだときに、登場人物に感情移入する。そして、もし、魔法使いの学校があったら。ドワーフの里があったら。ある日突然吸血鬼になったら。そんな妄想をするのだ。
誰でも通る道だと思う。子供っぽくって、大人になるにつれ、「あの時は厨二病でさ」なんて斜に構えて、忘れようとさえしてしまいそうな、小っ恥ずかしい気持ち。多分、庄司くんの場合、この物語が、その「はじまりの一冊」なんだと思う。そしてきっと、庄司くんは、弟さんや妹さん、そして、このレビューを読んでいる、名前も知らない誰かに向けて、「その気持ちを大切にしていいんだ」って伝えようとしている。
優しく、拙い文章ではあるかもしれないけれど、言葉を尽くして。
この世界には、美しいものがいっぱいあると、それは大切にされるべき宝物なんだと、伝えようとしている。
きっと、それは、家族を愛するお兄ちゃんの、どこまでも優しいメッセージ。
それでも、同時に。
私は、庄司くんのことをまだ、何も知らないけど。
このレビューが、どうしても、彼が弟妹へ向ける、悲痛なまでの願いに見えて。
なんとかして、彼の助けになりたいと、強く思ってしまったのだ。
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