特殊個体
その女神にはこの世界に生まれた時から、とある呪いがかけられていた。
その呪いとは自身に近づくものを瞬時に腐敗させるというものだ。
そして女神は生まれた瞬間からその呪いで周りにいたものを自分自身の意思に関係なく腐らせ殺してしまった。
周りのものを腐らせ命を奪うと同時に彼女の体の中に何か得体の知れない形を持たぬものが入ってきた。
その入ってきたものとはこの世界の絶対的なルールである『他の者の生命を奪ったらその奪われたものの魂の格が奪ったものの魂に継ぎ足される』というものだった。それは別の世界ではいわゆる『経験値』と呼ばれるものだった。
女神は生まれてすぐ経験した自分ではない者が体の中に入ってくる感覚に身体中をかきむしりたくなるほど気持ち悪さを感じた。本来ならその他者の魂の格が継ぎ足される時にほとんど何かを感じるということは無い。だがその女神の場合は違ったのだ。女神にかかっているその呪いの力が届く範囲は一つの都を呑み込んであまりあるほどで、彼女が生まれた場所からその広すぎる呪いの効果範囲にいた人間を含む全ての生物の魂が一斉に彼女の体の中に入り込んできたのだ。
女神は訳も分からずその場から移動した。その正体の分からぬ不快な何かから逃げるためにここから離れようと思った。
その女神が最初に知った感情は恐怖だった。
だが別の場所に移動する度に新しく何かがまた自分の中に入ってきて、さらにそれから逃げてを繰り返すうちに彼女は気づいた。この自分の中に入ってくるものは自分の移動する道の途中で頻繁に転がっている自分と同じ形をしたナニカ達の中に入っていたもので、彼らをこんな姿にしたのは自分だと。
だから彼女は歩みを止めた。そしてこの場から動かずにいたら誰の生命も奪うことは無いしもう自分の中に誰かが入ってくることもないと考えた。
少しの間は予想した通りにそれで良かった。彼女は一時の間、自分一人だけの空間で安寧を得た。
しかしそれも長く続かなかった。この世界の人間達が、数多の人間の命を奪った『腐敗の女神』と名付けられた存在を討伐しようと軍隊を差し向けたのだ。だが女神に近付くことも出来ないまま腐りその恐ろしいほどの数の、戦いを生業とするもの達の魂が女神の中に入り込んできた。
女神はたまらず走り出した。そして誰も近づいてこないような深い森の中に逃げ込んだ。それは後に『腐敗領域』と呼ばれるようになる場所だ。
その場所には女神が近づいても腐ることもなく瑞々しさを保ったままのフフの木と呼ばれる植物が群生していて漸くそこで女神は真の安寧を得ることが出来た。時たまこの森に女神を倒そうと挑んでくる人間達や魔族達の中での強者達がいたが、それらのものは毎回三、四人ぐらいの集団で挑んできて、かつて女神が味わった数十万の魂が一斉に自分に入り込んできたことに比べたらなんてことはなかった。
そこで女神は毎日同じことを繰り返すだけの日々を過ごしていた。毎日同じ景色の中で同じ木の実を食べ代わり映えのあることといえばたまに岩の塊が、人間を滅ぼして欲しいとなんの価値も感じられない服や宝石を持ってきて森の外の話を少ししては去っていくということがあった。それともう一つ。
この森に住んでいて一度だけ自分の目の前に人間の男が突然現れたのだ。その男はまるでその場に急に現れたかのようだった。その男は自身が急激に腐敗していくことを気にも留めず大地に両手を突き女神に魔族の土地に進んでくれと頼み込んできた。そして女神が嫌だと返答をする前には既に事切れていた。
それから女神にとって、人間とは自分に魔族達を殺させたいもの達で魔族とは自分に人間を殺させたいもの達だということを知った。
そんな生活を気の遠くなるほど長い間続けていると、ある日森の中に人間が倒れていた。また人間が自分を討伐しにきたのか自分に魔族領に移動してほしいと頼みに来たのかと女神は辟易した。
だがその人間の形をしたものをよく見てみると今まで見てきた人間の死体と違って腐敗していなかった。女神は驚いた。自分の近くにいて腐敗しないのはたまに森にくる岩の魔物くらいだと思っていたからだ。
そして女神は初めて自分以外の者に触れた。触ってみるとまだその体には熱があり生きていることが窺えた。そして女神がこの森に居て尚生きている人の形をしたものを不思議に思い暫く観察しているとその者が目を覚ました。
女神が自分の中の常識と照らし合わせてその者に岩の魔物なのか聞くと自分は人間だという答えが返ってきた。それどころか何故腐敗していないのかを逆に聞かれる始末だった。
だから女神は自分が何者なのかをその人間に教えた。その人間が女神のことを知らずに心配しているようだったから安心させてやりたかったのだ。するとその人間は表情を変え女神の首に手を伸ばしてきた。そして人間の手が女神の首に触れた。女神は初めて自分以外の者に触れられた。
女神がその自分の首に触れてる腕を興味深げに触っているとその人間が気を失いその場に倒れた。
女神はそのなぜか腐敗しない特殊個体を自分の住む小屋に運び、特殊個体が服を着ろと言っていたようだったので今まで気にも留めず興味も無かった岩の塊が持ってきた服というものを着て、特殊個体が倒れたのは活動するためのエネルギーが足りないからだろうと森に生っているフフの実を腕いっぱいに集め小屋に戻った。
小屋の中に戻ると特殊個体は既に起きているようだった。そして少しのやり取りの後特殊個体は無事に実を食べ、その後小屋の中に一つしかないベッドに特殊個体と並ぶ形で横になり、女神は初めて他人の温もりを知った。
だがその女神の初めての温かな中での眠りは愚かな岩の塊に邪魔をされた。最初は特殊個体のことに気付かれる前に粉々に砕いてしまおうかとも思っていたが、今自分がこの岩が持ってきた服を身に付けていることもあり岩の話に耳を傾けるしかなかった。
岩の塊は案の定女神に人間の土地に移動して欲しいと頼んできた。内心断りたかった女神だったが特殊個体はどうやら自分が服を着てないと顔を合わせてくれないようだったので、これからも服を着続けるために魔物の願いを聞き入れようとした。
だが特殊個体が小屋から出てきてそれに待ったを掛けた。
特殊個体が言うには人間の土地に移動するのをやめてくれたら女神と一緒に食事を食べてくれるということだった。それは女神にとって服や宝石よりも遥かに甘美な誘いだった。そして特殊個体を殴り潰そうとしているゴーレムを破壊した女神は特殊個体からの願いを聞き入れた。
その後、女神と特殊個体は小屋の中に戻り、早速一緒に食事をしようとしたが特殊個体は自分の言った食事とはこれのことじゃないと女神に言ってきた。そこで女神は目の前にいる特殊個体との間に認識の齟齬があることに気がつき訂正した。そして女神が自分のことを話すと特殊個体はその場に跪き、女神に謝罪の言葉を伝えてきた。その時の特殊な個体の表情をなんと表現すればいいのか女神には分からなかったが特殊個体にそんな顔をして欲しくなかった。
そして一晩たち特殊個体は女神の手を引いて森の外に向かった。そこで初めて誰かに手を握られ歩くと言う経験をし、森の外に出る前にその行為だけで女神は満足してしまった。
そしてその時に女神は特殊個体の名前がエデルであることを知り、自分が生まれた時から何故か知っていた自身の名前を初めて他者に告げた。
森の外に出ると緑色の生命が溢れる広大な大地が広がっていた。女神は初めて見るその光景に圧倒された。
そして紆余曲折あり特殊個体と女神は無事に王都に辿り着くことが出来た。
そこで女神は様々な体験をした。
人間が沢山いる中で人間に混じり誰かと手を繋ぎ一緒に食事をし、そして夜は特殊個体に抱きしめられ初めて安心の中で眠ることが出来た。抱きしめて貰うために特殊個体を少し脅してしまったが、この旅が夢なのではないかと不安に思っていたのでこれが現実だと実感するためには仕方なかった。
その特殊個体との旅で女神は楽しいという感情を知った。
そして特殊個体とともに女神は『腐敗領域』に戻ってきた。そこで女神は特殊個体から、次は女神を置いて一人でさっきの場所に行きここにはたまにしか来ないと告げられた。
その特殊個体の言葉で女神は哀しいという感情を知った。
だから女神は特殊個体にもし自分と一緒にこの森に住まないのなら人間の土地に侵攻すると脅しをかけた。今の女神はどんな手を使ってでもこの温もりを手放したくなかった。
特殊個体は女神と一緒にこの森に住むことに決めた。
そして特殊個体が自分と一緒に居てくれる対価として魔族の土地に侵攻すると宣言すると特殊個体はそれも止めてきた。
女神の中では、人間も魔族もお互いのことを腐敗の女神に大量に殺させたがっている存在だった。
だから魔族の土地に進むことが特殊個体にとっても望みだと思っていた。
だが特殊個体は違った。自分に何も求めずただ一緒に居ると言ってくれた。
特殊個体のその言葉で女神は喜びという感情を知った。
そこで初めて女神の中で彼への認識がエデルという名の特殊個体の人間から、エデルという一つの存在に変わった。
それからというもの女神はこの自分にとって唯一の存在になった彼とずっと手を繋ぎ彼に構い倒した。だが彼が小屋の横にある小さな箱に少しの間一人で入りたいと言ってきたので泣く泣く離したくなかった手を離した。
そして彼が箱の中から出てくる瞬間女神の中に沢山の魂が流れ込んできた。それは女神にとって久しぶりの感覚だった。前はこの感覚に嫌悪感と恐怖を感じていた女神だったが今はこの不確かな事態から彼を守らなければと急いでエデルに自分が知る限りで一番の鎧と剣を装備させ、その後すぐにこの事態を把握するために魂の流れてきた方向へ向かった。
そこには魔族達の死屍累々な光景が広がっていた。
「な、何故腐敗の女神が……」
「いなくなったのではないのか………!」
まだ息のあった魔族も女神の存在に驚いた後すぐに事切れてしまった。
だがそのここに着いた時に生き残っていた者たちの発言である程度の事情は把握することが出来た。女神が特殊個体に連れられ森の外に出ていた間に魔族の誰かがタイミング悪くここに来たのだろう。そこで腐敗の呪いの元となる自分がいなかったのでその間に人間の土地側へと侵攻しようとしたのだろう。
自分があの小屋の横の箱の前で手を離さず呪いを無効化していたままだったらエデルは殺されてしまっていたかもしれない。
女神は恐怖した。それと同時に小屋の前に置いてきた彼のことが心配になって急いで彼のところまで戻った。
そして彼のいた所に戻った女神は恐ろしい光景を見た。
それは岩の魔物に囲まれ意識を失ったかのように地面に倒れていく愛する存在という女神を絶望させるには十分な光景だった。
女神は怒りという感情を知った。
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