ずるい男
そっと息を吹きかければ空へ簡単に舞い上がってしまいそうなほど、儚い。
それが彼女の第一印象。
初めて彼女の姿を見たのは、ある初夏の、賢王と呼ばれる国王主催で取り仕切られた第一王子の立太子の儀式の日だった。
その日は国内の貴族に留まらず各国からの来賓も招かれ、国内随一の王城の大広間が窮屈に感じられるほど人がごった返していた。
1000年続くこのマゼレンド王国で宰相を務める父を持つジョンソン・カーネルも例に漏れず、この仰々しい儀式に出席し、儀式のために席を外した父に代わり、多くの人間と挨拶を交わす。腹の探り合いをすることで心が重くなっていくのを感じながらもにこやかに挨拶を繰り返していると、目の端で会場奥の大きな扉に騎士が集まっているのが分かった。
「静かに!」
人一倍豪華な正装で身を整えた騎士が声を上げると、瞬く間に会場が静まり返る。
それを確認し、扉に控えた騎士たちが扉を開くと、国王両陛下を筆頭として第一王子、第二王子、第一王女が登場した。その後ろに父である宰相を始めとする側近が続く。
一気に厳粛な雰囲気になった会場を見渡しながら一歩進み出た国王が高らかに告げた。
「これより、第一王子であるブラッド・サン・マゼランドを王太子とすることを宣言する!」
会場に割れんばかりの拍手が起こり、本日の主役はにこやかに手を上げた。
ため息の出るような美しいルックスだけでなく、国随一の頭脳と穏やかな性格を持つ第一皇子。
学園で1年生ながら生徒会長を務める彼のことは、同級で副会長であるジョンソンにとって素晴らしい友人であり尊敬の対象だ。
そんな歴史上最も完璧な王太子が誕生する瞬間に、誰しもが期待の視線を向けているのがわかる。
先ほどまでの疲弊はどこへやら、ジョンソンもこの人に将来お仕えするのだと胸が高鳴った。
儀式が進み、国王から王太子の称号であるプリンス・リングが贈られたのを見届けると、ジョンソンは会場をそっと抜け出した。
王族が誇る美しい中庭に行くために。
ジョンソンにとって、ブラッド王太子の誕生のこの瞬間と同じくらい、花を愛でることが大切だった。だが、男がそんな趣味を持つことはこの国では良しとされていない。
今この瞬間が、誰にも見られず美しい中庭を堪能できる唯一の時間だった。
会場を抜け、唯一この趣向を知っているブラッドが教えてくれた通りに入り組んだ廊下を進んでいくと、簡素な扉が現れた。
この奥に、恋焦がれる庭園が…
はやる気持ちを抑え、その扉をそっと開くと、ざあっと柔らかい風がジョンソンを包んだ。
「…っ」
うわさ以上の美しい中庭に思わず息を止める。
今まで見た多くの庭園の中でも抜きんでている。王族が誇るはずだ。
雄大だが決して鬱陶しさを感じない大木を中心として芝生が青々と生い茂り、見慣れた花から見たこともない花まで全てが完璧なバランスでそこに存在している。
「…綺麗だ」
「そうね」
思わず口にした言葉に、誰かが答えた。
一気に顔が青くなる。
まさか、人がいたなんて。
慌ててあたりを見渡すと、大木の裏からひょこっと女の子が現れた。
自分と同い年くらいだろうか。
「こんにちは」
こちらにゆったりとした足取りで近づきながら、品良く微笑む。
アンズ色の控えめな装飾のドレスを身にまとい、ハーフアップにした栗色の髪が揺れる姿があまりに中庭の柔らかい空気に合っていて、ジョンソンは声も出さずに見入ってしまった。
「…無視するなんて、やるわね」
目と鼻の先まで近づいて足を止め、いたずらっぽく笑う。
その時初めて自分が挨拶を返していなかったことに気付いて慌ててし返した。
「これは失礼しました、私は…」
「待って待って。そんなにかしこまらなくていいし、名乗らないで」
今度は彼女が慌てて顔前で手を振って止めた。
「儀式を抜け出したのがばれたら怒られちゃうの。だから名前は内緒のままでいましょう」
そう言ってばつが悪そうに笑う。ジョンソンも内心ほっとした。
「私もです」
「ああやっぱり。こんな大事な時に抜け出すなんてどうかしてるもの」
彼女はあたりをゆっくりと見まわして続けた。
「でもね、こんな天気のいい日に外で空気を吸わないなんてもったいないわ。そうでしょう?」
ジョンソンもうなずく。
「息を吸えばこの美しい草花たちと一体となれるような気がするんです」
「その通りよ!」
飴色の瞳をキラキラと輝かせ、彼女はジョンソンの手を両手ですくいあげる。急に触れられても、嫌な気はしなかった。
「私たち、気が合いそう」
そう嬉しそうにつぶやくと、なにやら少し考えこんだ。
目を伏せると長く薄茶色のまつげが揺れ、うっすら色づいた唇がかすかに動く。
それがすべて、なんだかこの世のものではないように感じられた。
儚く、もろい。
「一緒にこの中庭を見ませんか」
ほんの少ししてためらいがちにそう口にする姿は先ほどよりも自信なさげで、ジョンソンははじかれたようにうなずいた。
頷いてからこの状況がかなりはしたないことに気付く。
人目につかない場所で婚姻関係にない男女が二人きり。見つかったら外聞が悪いことこの上ない。
それでも、あらためて拒否しようとは思えなかった。
ここで断ってしまったら、彼女には二度と会えない気がしたから。
ためらいもなく承諾したことに少し拍子抜けした様子で目を丸くしたが、彼女はすぐに安どの表情を浮かべた。
「よかった。ー---折角だから、お互いの呼び名を決めましょうよ」
そういう提案には弱ってしまう。センスがないのだ。業務的な会話以外はあまり得意じゃない。
「あなたの呼び方はもう決めた。」
「?」
「つぶやきさん」
そう言ってまた、いたずらっぽくこちらを見た。
「あなたの第一声はつぶやきだったから」なんて、単純すぎて、思わず笑ってしまう。
「それなら僕は、アンズさんと呼ぶよ」
「アンズ?」
「ドレスの色」
「げ、単純」
「どっちもどっちだ」
どちらともなく笑いだす。
こんな風にわだかまりなく笑うなんて、なんだかくすぐったい。
でも、心地いい。
彼女の右隣に立ち、そっと右手を前に出す。
「さあ、アンズさん。一緒に見て回ろう」
彼女は照れたようにうなずいて、「ぜひとも。つぶやきさん」とほほえんで言う。
決して触れることはない。彼女もまた先ほどのように触れることはない。
お互いのことなど何も話さない。
それでも、彼女の紡ぐ言葉一つ一つがジョンソンの心を打った。
感性が似ていることが嬉しかった。
花の名を教えてやれば興味深く聞き入り、たまに空を見上げて深く息を吸い込む。
彼女は自然を愛し、時の流れをともにすることを心底喜んでいる。
いつか雄大な桜が見たいんだと語る姿を見て、ジョンソンは彼女に見せてやりたいと思った。
穏やかで夢のような時間はあっという間に過ぎる。
そろそろ戻らねばならないことはわかっていた。父は私を探しているだろうし、式が終わって飽きた人々がやってくるかもわからない。
あともう少し、あともう少しだけ。
そう思って先延ばしにしていると、ふと、イベリスのそばでかがんでいた彼女の手から、テントウムシが飛び立った。
「もう、時間切れね」
彼女はそうつぶやいて立ち上がり、左へ一歩踏み出す。
近かった肩が、離れていく。
二人の間に新しい風が通った。
「そろそろ戻らなくっちゃ」
「ああ…そうだね」
「私はもうしばらくしたら出ていくわ」
「分かった。…それじゃあ、さよなら、アンズさん」
彼女はジョンソンの挨拶には答えず、小さくうなずいた。
ジョンソンは体を翻し、右へ進む。
一度も振り返ることなく、入ってきた簡素な扉にたどり着く。
ここを開ければ、元通り。
何もかも、元通り。
ドアノブに手をかけてから、思わず振り返って言った。
「いつか一緒に、桜を見に行こう!」
彼女は先ほどの場所に立っていたままで、一瞬ののち、元気よく答えた。
「必ず!」
ジョンソンは無理やり笑い、その場を後にした。
大広間に戻ると、案の定探し回っていたらしい父に若干小言を言われ、ブラッドにも「中庭もいいけどお祝いくらいしてくれよ」と口をとがらせて抗議されたが、全く気にならなかった。
アンズさん。
口の中で何度もつぶやく。
今度会うときは、本当の名前が知りたい。
しばらくしたら彼女も大広間に現れるかと何度もあたりを見回したが、最後まで見つけることはできなかった。
*******
「紹介したい人がいるんだ」
学園の卒業を控えた3月の半ば、生徒会室にはブラッドとジョンソンだけだった。
「紹介?」
「もうすぐ卒業だ。分かるだろう?」
少し考えて、すぐ思い当たる。
「ああ、婚約」
「その通り」
「国内の候補者は大分絞られてたよな、確か」
大勢の貴族令嬢の顔が浮かぶ。
その中に彼女の顔が無かったことにほっとしたのを覚えている。
「それなんだが、国際情勢でうちが生き残るには兵力に長けた国との国交が不可欠だってなってな」
「じゃあ」
「うん。テレインザー帝国の第二皇女が輿入れすることになった」
テレインザー帝国といえば、200年ほど前にできた比較的新しい国だ。
「兵力に長けてはいるが、うちを支配しようとしている可能性も」
周辺の小さな国々を併合してできた国だ。
帝国にしては珍しく地方自治を認め、うまく統治しているとは思うが懸念が払しょくされるわけではない。
「それなら心配するな」
ブラッドは穏やかに笑う。
「あそこの皇帝はこの間代替わりしただろう?新しい皇帝は勢力を伸ばすことよりもより長く存続する国造りのために各国との国交を作りたいらしい。手始めに我がマゼレンド王国と密になることで諸国に侵略意思がないことを伝えようとしているようだ」
それなら納得できる。
こちらに輿入れする第二皇女はその証となる人質のようなものだ。
「丁重に扱わねば、だね、ブラッド」
彼はきっと手荒な真似はしないだろう。だが、国の駒として政略結婚させられる第二皇女の心境を考えるとくぎを刺さずにいられなかった。
「優しいね、ジョンソンは」
「卒業するまで、僕らは何でも言いあう友人だろう、これくらいは言わせてもらうよ」
「卒業しても変わらないよ」
ブラッドは大真面目な顔になってそう言うので、ジョンソンはますます彼を誇らしく思った。
「で、いつ紹介してくれるの?」
「いま」
「は?」
「入ってきて」
ブラッドが生徒会専用の仮眠室に続く扉に声をかけると、おもむろに扉が開く。
「…こんにちは」
「やあ、自己紹介したまえ」
まさか。
そんな。
「こんにちは、わたくし、テレインザー帝国第二皇女、サフィーナ・ウォンドムーレと申します」
うろたえるジョンソンをまっすぐ見て彼女は言った。
そんな彼女の肩に、ブラッドが腕を回し、はにかんだ。
「君に教えるのは早い方がイイだろ、だから来てもらったんだ」
ああ、神よ。
ジョンソンは全身におかしな汗をかいているのが分かった。
なにか、何か言わねば。
「どうした?」
急に黙ってうつむいてしまったジョンソンを怪訝そうな顔でブラッドが覗き込んできたので、慌てて背筋を伸ばし、笑みを浮かべる。きっと今の顔は何ともぎこちないだろう。
「いや……私は、ジョンソン・カーネル…と、申し、ます」
取り繕うようにそう言って、曖昧に笑った。
彼女の目をまっすぐ見れない。
目の前の彼女は、声色も、表情も、少しも動揺した様子はなく、地面に力強く立っている、そんな印象を抱かせる女性だ。
動揺しているのは自分だけ。
冷たい風が心と体をあざ笑っているような感覚がした。
「大丈夫か?なんだか顔色が悪いぞ」
「ああ、ごめん。ちょっと、昼に食べたサンドイッチがどうもよくなかったみたいだ」
素晴らしき友人の婚約をうまく祝えない最低な人間だというのに、ブラッドは優しい。
だが今は、その優しさがつらかった。
体調が悪いと言って席を立つ。
自分には「花との時間」が必要だった。
おぼつかない足取りで生徒会のある棟を離れ、学生寮の方へと向かう。
学生寮の裏はちょっとした丘になっているが、幾分急なので誰も登ろうとはしない。
それをいいことにジョンソンは丘の頂上に花園をこっそり作っていた。
そこにさえ、行けば。
何か嫌なことがあると、ジョンソンはいつもそこで過ごした。そうすることで嫌なことを忘れられたから。
「着いた」
丹精込めて作り上げた花々に目を落としながら中央へと進む。
花はゆらゆらと揺れ、どこか所在無さげに見えた。
「お前たちも、僕と一緒だね」
そう声に出したと同時に、足元にポツリと水が落ちる。
ひとつ、ふたつ、みっつ
視界がジンワリとにじみ、ジョンソンはそれが自分の涙であることに気付いた。
思わずその場にしゃがみ込む。
そのまま何時間も、泣いた。
風に吹かれて、傍らに咲くユキヤナギがジョンソンの頭をいつまでも撫でていた。
「本当の名前を知れたのに、なあ」
太陽が沈み、一番星がまだうっすら明るい地平線の端で輝くのを見ながらつぶやいた。
昼間の彼女を思い出す。自分を見てどう思ったんだろうか。3年も経っていたから、もう忘れてしまったんだろうか。
3年の月日がたっても、彼女は変わらず美しかった。
あの時の儚げな彼女も、今日会った力強く立つ彼女も。
かつてミディアム丈だった髪は伸び、大人っぽさが加わったが、それがより一層彼女に自分を惹きつける。
なんて残酷なんだろう。
彼女は偉大な王になる男に寄り添う。
決して自分と一緒になる未来はない。
…自分は大切な二人の幸せを永遠に祝福できない。
最低な人間のまま。
「…このまま消えてしまえればいいのに」
「それはダメ」
その声に、一気に体がこわばるのが分かった。
かつて聞いた声がする。
一番聞きたかった声が。
息を止めて、祈るように振り返る。
「なあに、そんな、切羽詰まった顔しちゃって」
そこには、アンズさんのーーーーサフィーナがあの時と同じ笑顔で立っていた。
「…夢か」
「私はここにいるわ」
思わず口にした言葉に少しむっとしたような顔をして、彼女が近づいてくる。
目と鼻の先まで来ると、いたずらっぽく笑い、そのままジョンソンに抱き着いた。
「会いたかったの」
その言葉聞き終わる前に、彼女を強く抱きしめ返す。
こうしていると、あの頃よりもずいぶん身長に差ができていることに気付く。それもいとおしく感じて、彼女が折れてしまわないように優しく優しく抱きしめた。
あの時得られなかった感覚。いつしか思い出せなくなったほのかな甘い香り。
腕の中に彼女がいるという喜び。
ああ、自分は地獄に落ちるだろう。
それでもかまわなかった。
長いことそうしていたが、彼女はそっと身体を離した。
顔はよく見えない。あたりはすっかり暗くなっていた。
「僕も会いたかった」
震える声を悟られないように、やっとのことでそうつぶやく。
彼女が離れるのが惜しくて、思わず彼女のコートの袖をつかむ。
しかし、そのジョンソンの手はスイと外されてしまった。
「ちょっと待ってて」
そう言って手を外されて落ち込むジョンソンに背を向けると、足元の草花を傷つけないよう慎重に歩きながら、登ってきた道の茂みに手を入れる。
「ここにランタンを置いといたの、忘れてた」
そう言ってどこからか取り出したマッチに火をつけると、ランタンはぽうっと光り、彼女を照らした。
「綺麗だね」
「よく光るでしょう?私のお気に入りなの」
無邪気に笑う彼女が愛おしくなって、一歩前に出る。
「待って、そこ、アネモネがあるわ。私がそっちに行くから」
慌てたようにそう言って足元を照らしながらこちらに歩いてくる姿はまるで、この花園の妖精のようだ。
ランタンの光に照らされて、この世界で彼女だけが唯一に感じられる。
この時間が永遠に続けばいいのに。
「また、暗い顔してる」
「君にキスがしたい」
…言ってから、自分が大変なことを言ったことに気付く。
なんてことを。
こんな、突拍子もなく。
いくらなんでも気持ち悪すぎる。
ジョンソンを覗き込んだまま固まってしまった彼女の顔が見れなくて、思わず目をそらす。
「…いいよ」
しばらく沈黙が流れて、彼女がそう告げた。
驚いて彼女を見ると、ランタンの光に照らされた彼女の顔はこわばっていた。
違う。
そんな顔をさせたかったんじゃない。
こっそり、自分の頬を嚙む。自分の気持ちばかり先行して、彼女の気持ちを全く気にかけなかったことに今更ながら気が付き、頭を振った。
これじゃだめだ。
「ごめん、やっぱり忘れーーーー」
言い終わることはできなかった。
柔らかいものが、唇に重なる。
全身が熱い。
「…自分で言っといて、忘れて、なんて、…最低」
永遠にも感じられた時間の後、彼女がつぶやいた。
ああその通りだ。
「僕は、最低だ」
「そういう意味じゃな」
「だから、もう一回」
次は彼女の返事は聞かなかった。
お互いの存在を確かめるように、何度も口づける。
ふと目が合い、急に照れ臭くなって、そっと唇を離した。
下を見渡すように並んで腰を下ろし、寄り添う。
長い沈黙。
「…僕はもう、君を」
「アンズさん」
口を開いたジョンソンの言葉に重なるように、彼女が言った。
「…アンズさんって、呼んで」
どこか苦しそうな声でそういう彼女は、まっすぐに前を向いている。
「アンズさん、僕はもう、アンズさんしか見えない」
「うん」
「君が誰かのものになるなんて嫌だ」
「うん」
「でも僕は、君のことも、ブラッドのことも、これ以上苦しめたくない」
「…」
「だから、…この国を、離れる」
「…」
「一つだけ、許してほしい。」
「…」
「君の誕生日に、僕の育てた花を贈る。」
「…」
「捨ててもらっても構わない」
「…」
「だけど…贈ることだけは、許してほしいんだ」
「…」
ジョンソンの言葉に、彼女は何も答えない。
いたたまれなくなって、笑顔を取り繕って景色に目を移し、そのまま立ち上がった。
「もうすっかり暗い。ブラッドがさぞ心配してるはずだ」
「ねえ」
低い声がしたかと思うと、彼女が顔を上げ、ジョンソンの腕を引っ張った。
「あなた何か、勘違いしてない?」
*******
「あー---はっはっはっはっは」
「笑いすぎだ」
大笑いするブラッドを横目に、むすっとした顔でジョンソンは生徒会室のソファに座りなおした。
困惑するジョンソンを引っ張って、彼女はブラッドの元へ応援を要請したのだった。
「だって…だって…いー--ひっひ」
「まさか私とブラッドが結婚すると思ってるだなんて…」
彼女が頬に手をつき、あきれ返ったようにため息をついている。
「だ、だってそう思うだろう?!輿入れが決まった!とか言ったのはブラッドだぞ」
「まあ半ば強制ではあったが紹介するって言っただろ」
「あの流れで自分の婚約話だとは思わない!」
要するに、ブラッドはサフィーナに以前マゼレンド王国の中庭で会った「彼」について忘れられないから何か手掛かりはないかと相談を受け、あからさまに様子のおかしかったジョンソンのことだとすぐに勘づいて縁談をまとめたらしい。
そして、サプライズで驚かそうとしたところ、なぜかサフィーナに会った途端に本人の顔色が悪くなり、そのまま逃走してしまった、ということらしい。
「兵力強化、親友の純愛成就。私には旨味しかなかったよ…ぷぷぷ」
今なお笑い続ける親友の顔を見ていると、「親友であるブラッドを裏切ってしまった…」とまで思い詰めて国を離れる決意をした自分が恥ずかしくなってくる。
「とにかく、ああ、よかった。私の顔見て急に顔色変わったから、てっきり嫌われてたのかと思って生きた心地がしなかったもの」
「それはないだろ、ずっとサフィーナのこと引きずってたぞ、こいつは」
「サフィーナが僕のことを探してくれていたなんて」
あのとき少しもお互いのことを話さず、名乗らず、肩も触れなかったのに、彼女が自分を探してくれたことが意外で、不思議だった。
「だってあのとき、約束したじゃない」
もごもごと、くぐもったような声で言って頬を赤らめる姿もいじらしく思えて、思わず頬が緩む。
ああ、そうだった。
僕たちはつながっていたんだ。
「これからもよろしくね、愛しのアンズさん」
「こちらこそ、愛しのつぶやきさん」
二人が見つめ合った時、どこからきたのか、ランタンに引っかかった桜が、優しく、笑った。