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第六話

 翌日、テストをさっさと終わらせて、私は二階にある二年生の教室に向かった。私の中にある気持ち悪いもやを払ってしまいたかったから。

 「大丈夫? 私もついていこうか?」

 「ううん、平気。松下さんにまで巻き込めないよ」

 松下さんは心配してくれたが、最終的に引き下がってくれた。「何かあったらすぐ連絡してね?」とまで言ってくれる。いい友達だ。

 廊下を歩いている二年生に声をかけて、白峰さんを探す。みんながみんな白峰さんを知っていて、その全員が白峰さんを好いているようだった。探し始めてすぐに見つかる。言われた教室に行くと、真ん中のあたりの席に突っ伏して座っている白峰さんが居た。

 「起きてください」

 肩を揺すっても一向に起きない。数分間待っても起きなかった。少しイライラして軽く椅子を蹴ると、やっとのろのろと頭を持ち上げる。

 「……あれ、ミギワじゃん。どうしたの」

 「話があります」

 「ほんと!?」

 白峰さんはガタッ! と音を立てながら立ち上がる。あまりの勢いに私は少し引いてしまった。

 「話するだけです。他に目的はありません」

 「いいよ。話そう。とことん話そう。別の場所に移動したいよね。どこにする?」

 「……じゃあ、この前の公園で」

 白峰さんは教室の後ろにあるギターを背負い、先へ進んだ。私はそれについていく。

 「軽音部なんですか」

 尋ねると、彼女は目を輝かせて振り向いた。

 「え? 気になったりするの?」

 「いや、別にそこまでは……」

 「中学入ってから練習してるんだ。大分上手いでしょ」

 「……まぁ、練習してるんだなって思いました」

 「元プロは簡単に褒めてくれないね」

 そう言いながらも白峰さんはどこか嬉しそうにしている。その後は特に二人とも話すこと無く、公園にたどり着いた。

 「さ、着いたよ。それで?」

 くるりと白峰さんは振り返る。ふわりと彼女のスカートが翻った。

 「話したい事は?」

 「……今年中に死ぬって、ほんとうですか」

 私の言葉を受け、白峰さんは目をぱちくりさせる。

 「え? それ本気にしたの?」

 「嘘だったんですか」

 「いや……真に受けるんだ、と思って」

 「嘘なんですね、わかりました。もうこれ以上私に関わらないでください。今後私に話しかけたら先生に言います」

 「あー! 待ってってば!」

 踵を返して立ち去ろうとした私の腕を、白峰さんは慌ててつかんでくる。

 「ごめんごめん! 本気にしてくれると思わなかったから」

 「……離してください」

 「ほんとうだよ。あたしの命は今年いっぱいが限界だと思う」

 私は顔を上げ、白峰さんを見た。

 「ほんとうだよ」

 もう一度言ってくる。それはどこか、自分に言い聞かせているようにも見えた。

 「病気ですか」

 「うん。病気の名前は忘れちゃったけど。段々筋肉が固まっていって、最後は心臓の筋肉まで到達して死ぬってさ。参っちゃうよね」

 へらへら笑いながら言う。私は無性に腹が立った。死ぬのに。笑えないはずだろ。

 「ちなみに初めてあたしが声かけた日の次の日に休んだのは検査入院ね」

 「……それで、今年中に死ぬかもしれない人がどうして私に近づいてきたんですか」

 「死ぬ前になんか思い出作りたいなってさ。生きた証ってやつ? 電撃引退した人気ミュージシャンと組んで音楽やれれば最高かなって。こう見えても結構音楽好きでさ」

 「私の迷惑になるって考えなかったんですか……?」

 「考えたよ。でもしょうがないよね、あたし死ぬもん。人生の恥は掻き捨てだよ」

 けろりと言い放つ。表情は普段と変わらないように見える。そう見えるだけかもしれない。

 「どう? 同情して協力したくなった?」

 「ならない。私、音楽できませんし」

 「何とかなるって。この前あたしのギター聞いた時、ミギワがおかしくなったのはそっちが歌ってからだった。あたしの音じゃどうにもならないんじゃないかな」

 「私が辛い思いしたくないので。大して知らないあなたがいつ死のうが悲しくもないし関係無いですから」

 私が掴まれてる腕を振りほどいて先へ行こうとすると、白峰さんは私の前へ回り込んで行く先を立ち塞いだ。

 「こっちが白状したのにそっちが何も言わないのずるいよ」

 「知ってるんでしょ。週刊誌とかで」

 「まぁね」

 「あれ、大体当たってますよ。批判くらいで音楽辞めた、ミュージシャン未満のガキの話です」

 「そっか。あれ、あたしは信じてないけどね。ミギワはそんなことで音楽捨てられるほど大人じゃないでしょ」

 「は……?」

 私は今度こそ自分の頭が真っ白になったのを感じた。まごうこと無き怒りだった。

 「この前からちょくちょくそういうこと言いますよね。私のこと何も知らないくせに」

 「出た。あたしそのセリフ嫌い。君みたいな子が言いがちだよね」

 「でも知らないでしょ」

 「知ってるよ。元ミュージシャン。レコード大賞最年少受賞。出す曲出す曲全てオリコンチャート十位以内。同年代のあこがれ。それがミギワだよ」

 「そんな人知らない」

 「でも事実でしょ」

 「ミギワなんてもういない」

 「過去は消せないよ」

 「私は消したの!」

 「消えてないよ。検索すれば記事が出る。写真も出る。ネットには出演したテレビも上がってる。何より曲が残ってる。ミギワの作った、音楽が」

 「そんなの……」

 私は唇をかんだ。私が葬ったと思ってるだけで、それらはちゃんと残ってる。私にとってはいつまでも消えない生傷だ。

 「あたしはミギワの曲が好きだったよ。ミギワが活動休止してからもずっと聞いてた。ミギワの曲には、全部、全部ここしかないって、ここにしか自分には残ってないって言ってるように思ってた。これ、あたしの勘違いかな」

 「……勘違いも、甚だしい」

 嘘つけ。嘘つけ。

 「私、そんな人間じゃないですから。お母さんもお父さんもいて、住める所があって、食べるものがあって、友達もいて、幸せですから。そんなものいらないくらいには、幸せですから」

 「そうやって言い聞かせるの、やめたほうがいいんじゃないの」

 「本心から思ってるよっ!」

 噛みつくように叫んだ。

 「ミギワだった頃は、もっと楽しそうだったよ」

 「それは……そんなこと、ない」

 「テレビ出た時も、ライブやってる時も言ってたじゃん。この瞬間でしか生まれない高鳴りで、私は音楽を作ってるつもりって。それができた時、一番自分をほめたくなるって。あれは嘘だったの?」

 思い出が溢れてくる。私が確かに封じ込めたはずの記憶たち。ライブ中の照明の輝き。お客さんの笑顔。バックバンドのみんなの笑顔。帰り道の真っ暗な車道。私は決まってライブが終わると、死んだように眠ってた。文字通りすべてを出し切ろうとしてたから。

 そんな思い出に、苦しめられてきた。キラキラしてたから。音楽を捨ててごめんなさい。音楽を裏切ってごめんなさい。

 私は駄々をこねるように首を振った。

 「嘘……嘘だよ。嘘だよ! そう言った方が、客受けが……良いから……」

 「ミュージシャンとして自分を極限まで出してるって言ってた。あれも嘘?」

 「う、嘘……」

 「ライブが終わって、この後死んでも後悔はないって思えなきゃだめだって言ったのも嘘?」

 「…………」

 ついに何も言えなくなった。後ろが断崖絶壁の崖のようだった。白峰さんはそんな私を追い詰めてくる。

 「嘘なの? それとも、捨てたって思いたいからそう言ってるだけ? 音楽のせいにした方が楽だったから、音楽を辞めたって自分に言い聞かせてるだけ?」

 「やめて……」

 「ミギワ、どうなの」

 「やめて」

 「ミギワ!」

 「やめてよっ!!」

 私は白峰さんの頬を思いきりぶった。彼女の白い肌が赤くなる。私の手も人を叩いた痛みでじんじんした。

 「……嘘なの? 全部」

 しかし、それでも白峰さんは食らいついてくる。私は怖くなった。このひとは止められない。死ぬまで。文字通りに。

 私は、足を踏み外した。

 「……嘘」

 「…………」

「うそ、じゃ、なかった……」

 ぽろりと私の口から零れ落ちたその言葉は、私の意図したものじゃなかった。今、私が流している涙も同じだ。

 「どうしようもないよ……どうしようもなかったから逃げた……!」

 私は自分の身体を支えきれなくなって、ぺたんと崩れ落ちた。惨めったらしくぼろぼろと涙を流しながら、喘ぐように口を開けて。白峰さんはそんな私をじっと見下ろしている。

 「何がいいのかわからないよ! あんたが今死にそうなのはそうかもしれない。でも、あの時の私も死にそうだった。死にたいと思った時もある! だから捨てた! 捨てたの! 自分のために!」

 流れた涙は頬を通って顎にたまり、ぼたぼたと滴り落ちていく。私はそんな自分の姿を、ひどく醜いと思った。

 「私は……弱いよ……」

 私は手を伸ばし、白峰さんのスカートを掴んだ。彼女ではない、何か別のものに許しを請うように。

 「自分が音楽しかないって、そう思い込んでたのに。それと心中する勇気もなかった。でも悪い!? 苦しみから逃げるための逃避が悪いの!? 誰も、誰も私の辛さを分かろうとしなかったくせに!!」

 「…………」

 「私が子供だったからって、私がテレビに出てるからって! 私がちょっとお金を稼いだからって! 顔を直接出してこないで悪口を言ってくるような卑怯者に! 自分がちゃんと音楽と向き合ってないから売れないくせに私にやっかんでくるようなくそ野郎に! 私が傷つけられたって誰も信じなかった! そうだよ、私の価値は私が音楽を作ってるから! それをしないやつに誰も目なんて向けない! だったらこっちから捨ててやるって、私のままの私をって……」

 涙が胸につっかえて、苦しい。ヒィヒィと音を立てながら息をする私を、白峰さんは抱え上げてベンチに降ろしてくれた。私の息が落ち着くのを待って、白峰さんはポツリと言う。

 「……ごめん」

 「どうして、謝るの……」

 「そこまで取り乱したの、あたしのせいだから」

 「今更……」

 「そうだね、今更謝っても遅いか」

 白峰さんは仕切りなおすように、私が握ってしわくちゃになったスカートを軽くたたいた。

 「それでもあたしは、ミギワと一緒に音楽やりたいんだから」

 「……嫌です」

 「頼むよ。これはチャンスなんだよ。私がギターをやってたこと、ここにミギワがいること、そしてミギワがあたしの音で気持ち悪くならないことも。あたしが死んじゃう前に神様がくれた最後のチャンス」

 白峰さんの目は、生きている人の目だった。何かを成し遂げようと決意した目。不退転の目。あの洞のような目をした人と同一人物だととても思えない。きっと、普段はあの目なんだろうな、と思った。

 ギリギリだ。このひとも。あの時、音楽を捨てようとした私と同じ岐路に立っている。死ぬか、生きるかの別れ道に立っている。

 白峰さんは私の手を握った。その手は死人のように冷たかった。

 「あたしに、生きる意味をください」

 私は目を逸らした。

 「……私は、それでも────」

 瞬間、どさりとした音がして、前にあった人影が消えた。

 「……え?」

 嫌な予感がして、恐る恐る見ると、白峰さんが地面に突っ伏していた。突然起こったことに訳が分からず、私は固まってしまって何もできない。白峰さんは、口をパクパクさせながら手を伸ばし、そばにある自分のバッグを指さす。

 「な、かの……っく……っ」

 「な、中!?」

 「くす、くすり……」

 「薬!? 薬……」

 私はハッと我に返り、白峰さんのバッグに飛びつく。中身を地面にひっくり返し、一つ一つ探っていく。化粧ポーチ、筆箱、教科書、財布……。

 「こ、これ!?」

 ピンク色のきんちゃく袋を見せると、白峰さんは僅かに頷いた。口の端に泡を見せ、息をするのも苦しそうだった。まるで溺れているようだ。汗は顔じゅうに広がり、白い肌は白いを通り越して青色になってきている。

 「……い、っこ、ず……」

 「い、一個ずつ」

 ケースの中の錠剤が仕切りによって分けられている。私は一つずつ錠剤を取り出し、白峰さんの口に含ませた。そして水筒を開けて少しずつ飲ませていく。

 「げほっ、げほっ、うぐ……っ!」

 白峰さんは顔を下に向け、少量の血を吐いた。公園の地面に赤黒いものが染みていく。それを見て私は自分の血の気が引いた。白峰さんの身体は痙攣し、地面をのたうち回り始める。

 「だ、大丈夫!?」

 私は白峰さんを追いかけ、抱き着いて身体を抑え込む。白峰さんは縋り付くように震える手で私の手を掴んだ。弱弱しい手だ。力もほとんど入っていない。

 「だ……いじょうぶ……ちょっと……楽になったから……ごめん、ちょっとだけ……支えになって……」

 「でも、救急車」

 「病院行っても、今までと同じだよ……薬を渡されて、症状緩和させるしか、無い……」

 息が上手く吸えないのか、ところどころ息継ぎがおかしくなっている。そう言われては何もできず、私は地べたに座った。白峰さんは私の膝のところで倒れこんだ。息を荒げる白峰さんに、私は何もしてあげられない。

 十分ほど経過すると息が整ってきた。顔色は悪いし汗も尋常ではないが、楽になってきたみたいだ。

 「汗、拭おうか? すごいから……」

 「……うん、ありがと」

 制服のポケットに突っ込んでいたハンカチを取り出して、顔や首筋の汗をぬぐう。生え際を吹いていると、白峰さんの張り付いた黒髪の下に、白い一本の毛が見えた。

 「これ……」

 ゴミだろうと思い取ろうとしたが、引っかかって取れない。

 「いてて……」

 「あ、ご、ごめん」

 「いいよ……それ、白髪」

 「しらが?」

 「もういいか。ちょっと待ってね……」

 白峰さんは自分の頭を掴むと、黒髪を引っこ抜いた。すると中から真っ白な髪の毛が出てくる。

 「なんかこうなっちゃって。染めるにしても面倒だから大人しくウィッグにしてるんだ」

 「……そっか」

 「なんかごめんね。怖がらせちゃったみたいで……薬が効く間隔、短くなってるっぽくて」

 本当にすまなそうに言ってくる。

 「全然、そんなこと……私こそ、すぐ動けなくて」

 「何言ってるの。ちゃんと言った通り薬くれたじゃん。あのまま放ってかれたら、そのまま死んじゃってたかもしれない」

 「そんなことしない!」

 「そうかな。君には嫌われるようなことしちゃったから」

 「…………それは……」

 「ははは。いいよ、別に」

 力の無い、かすれた笑い声だった。

 「もう普通に話せるようになったけど、身体動かなくなっちゃった。……ケータイ取ってもらっていい? 親に電話する」

 バッグからスマホを取り出し渡す。白峰さんはしばらく格闘していたが、「手が震えてうまく押せないや」と言って私にやらせた。壁紙は初期画像で、中にあるアプリも初期のままだ。電話帳の中に登録されているのは両親だけだった。

 「すぐ来るってさ。ごめんね、ありがとう」

 「……うん」

 「で、考えてくれた? 見てもらった通り、時間がないんだ」

 私は目を逸らした。音楽は嫌だ。音楽だけは嫌だ。やっと捨てられたものなのに、また舞い戻ってくるなんて嫌だ。たとえこのひとが目の前で死のうと、私は音楽だけは嫌だった。そう思わなきゃいけない気がした。

 「わ、たしは────」

 「逃げるなッ!!!!」

 拒絶しようとした私を、白峰さんは無理矢理正面を向かせて怒鳴った。

 「逃げるな! 音楽でしかものを言えないんだろ!?」

 心を抉られた気がした。私は音楽でしか自分を救えないかわいそうなやつじゃない。そう信じていたかった。

 「お願いだから……私の思うミギワでいてよ!」

 そう縋り付いて懇願される。

 「私は……ミギワじゃない……」

 「ミギワだよ!」

 「うそだ……」

 「違う」

 「黙って……」

 「ミギワッ!!」

 白峰さんの手はほとんど力が入っていないから、体重で私を抑え込もうとする。私にはその姿が悲痛すぎて、押し返す気にならなかった。

 「目を逸らすな、あたしから。あたしを見て」

 私は息を飲んだ。

 「見て」

 白峰さんは這うようにしてギターまで手を伸ばす。そして弾いて歌い出した。

 その姿はあまりに哀れで。

 同時に気高くて。

 私は何でこんなにちっぽけなんだ、と思ってしまった。

 涙が出た。

 何の涙か分からないけど、少なくとも苦しくて出る涙じゃなかった。私の心が震えた気がした。白峰さんは再び倒れるまでの僅かな間、ずっと歌っていた。

 暫くして白峰さんの母親がやってきて、何度も何度もお礼を言われた。倒れた白峰さんを担架に乗せ、それを車に固定する。

 去っていく車を見送りながら、私はまだ泣いていた。

 音楽って、こういうものだったのか。

 そう、強く思った。


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