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第五話

 ゴールデンウィークが終わった五月の半ば。あの日からあのひとは現れない。私たちは変わってない。それでいい。自分たちの周りでどんな変容が起きようと、変わらないものが変わらなければいい。

一週間後には学校に入って初めての中間試験がはじまる。ああ、私は学生だなぁ、とどうしようもなく感じた。特別身が入っているわけではないが、悪い成績を取る気もなかった。平凡に学生生活を送れるだけの成績が取れればいい。

 「夜時さん、テスト勉強してる?」

 「一応ね」

 テスト前の一週間は午後の授業が無い。今は松下さんと一緒にショッピングモールもフードコートで、昼食を食べながらだらだらしているところだった。

 「私もやってはいるんだけどさぁ、なんかあんまやる気出ない」

 「そう? 勉強楽しいよ」

 「どっか大学とか考えてるの?」

 「え?」

 思わず聞き返してしまった。今を生きることに必死すぎて、高校を卒業してからのことどころか一週間後のことまで考えていないのに。大学。

 「大学、か……どうだろ。まだ分かんない」

 「ふーん。私は医学部に行けって言われる。いや言われてないけど、行くよね? みたいなフインキ感じる」

 松下さんはため息をつきながらポテトを頬張った。

 「そっか。松下さんのところ、お医者さんの家だから……」

 「うん。継ぐってわけじゃないけどね。でもうちの一族がみんな医者とか研究医とか薬剤師とか、そういうので私も医療系に行かなきゃって感じ」

 「大変そう」

 「別に将来は医者になってもいいんだけどさ。なんか予定調和? まぁ予定調和っていうか、私が医者やんなくたっていっぱいいるじゃん、なんで私がって、イマイチ納得いっないていうか。それが無きゃ患者さんにも失礼だろうし、自分で理由を探してるんだけど上手くいかないっていうか……」

 松下さんはそこまで言うと「あちゃー」と顔をしかめた。

 「なんか自分語りみたいでダサいね。ごめん、今のナシ」

 「別に良いのに。気にすることじゃないよ」

 「そう? ……自分語りついでに言っとくとね、私あんま友達できたことなくてさ。こういうポロっと言っちゃうの、よくあるんだ」

 「そうなんだ。すごい自然に声かけられたからめっちゃコミュ強だと思ってた」

 「いや、単に心臓強いだけだよ。私、緊張できないんだよね」

 はい、と眼前にポテトが出される。

 「なに?」

 「食べて良いよ。最後の一本」

 私はそれを口で受け取って食べた。松下さんはテーブルに突っ伏して、私を下から覗き込むように見てくる。

 「私、人から顰蹙買うみたいでさ。ちょっと美人だからって調子乗るな、とか色目使ってる、とか。だから友達としてこんなに一緒にいるの夜時さんが初めて。ありがとね」

 「……照れるな」

 思わずそっぽを向きたくなった。ちょっとだけ顔が熱い。

 「顔赤いよ」

 「うるさい」

 「こないだのしかえし」

 「もう……」

 満足したのか松下さんは伸びをして、あたりをきょろきょろと見まわす。

 「ここで勉強したら怒られるかな。家に帰っても一人だからサボりたくなる」

 「ダメなんじゃない? 食事以外のことはするなって張り紙もあるし」

 「だよね……隣の大学生っぽい人たち、普通に勉強してるけど」

 「バレなきゃ良いのかな」

 「やっぱやめとこ。変に揉めるの嫌だし。図書館にでも行って勉強しようよ」

 「分かった。リブラ?」

 「うん」

 リブラは岡咲にある大きな図書館だ。日本でも有数の大きさと蔵書量らしい。中にはカフェテリアや自習室、会議室や保育施設もあって、毎日多くの人が利用する。

 「こんなど田舎に似つかわしくないよね、これ」

 「田舎だから土地代かからないんじゃないかな? 分かんないけど」

 リブラに入ると、開放的な吹き抜けの三階構造が見える。出入り口の近くの掲示板にはここで開催されるイベント予定表があった。絵本の朗読会、花道や茶道の体験会、それから毎年七月の終り頃に開催される『豊宗祭り』のチラシ。岡咲の中でも有数のお祭りで、豊宗稲荷というところで開かれる。特設ステージでパフォーマンスをする人を募集しているそうだ。また、八月に開催される学生だけのバンドコンテストの参加募集要項。

 「…………」

 ふと、あのひとのことが頭をよぎった。今どうしているんだろう。

 「夜時さん? ボーッとしてどうしたの」

 「ううん、なんでもないよ。行こう」

 頭を振って雑念を振り払う。私には金輪際、関係のないことだ。



 「久しぶり、ミギワ」

 テストが始まる前日。ついにあのひとに声をかけられた。移動教室のため廊下に出ていた時、何の前触れも無くいきなり。今まで全く音沙汰が無かったせいで、幽霊か幻だと思った。

 「あたしのこと覚えててくれた?」

 「……もう、話しかけないでくださいって言いました」

 「いけずだな。そんな怖い顔しないでよ」

 彼女───白峰さんは、唸ってる小動物を宥めるような口調で言う。

 「全然連絡来ないからさぁ、あのメモ捨てられちゃったかと思って新しいの渡しに来たんだ」

 「いらないです。私、あなたのことが嫌いなんで連絡も取らないですから」

 「うわ、ストレートだ。傷つくなぁ」

 白峰さんはヘラヘラ笑いながらスカートのポケットからメモ用紙を取り出した。見ると連絡先が書いてある。

 「話聞いてました?」

 「うん。でも、ミギワに嫌われたってなんでも良い。もう一回曲を合わせてみたい」

 「……どうして」

 私は喉の奥を歪ませて俯いた。私の長い前髪が白峰さんを覆い隠した。

 「どうしてですか。どうして私が嫌って言ってるのにやらせようとするんですか」

 白峰さんの顔が見れない。無表情な学校の床を見つめる。彼女がどんな顔をしているのか分からない。

 「私は……私は、音楽を捨てたんです。音楽が無いから、今、すごく楽なんです。私の楽を奪わないで!」

 思ったより大声が響いた。休み時間中のごった返していた廊下中の顔が振り向いてくる。

 「楽なんだったら、別に良いよ。そうは見えないけどね」

 「何を────」

 「あたしには、そうやって自分を納得させてるように見えるよ」

 「うるさいな……」

 「この前吐いてたよね。きっとそういうことなんでしょ。それについてはかわいそうに思うけど、ミギワはそんな自分認めて良いわけ?」

 「うるさい……」

 「音楽ができないミギワは、ミギワじゃないよね」

 「うるさい!」

 私は頭を振り乱して叫んだ。

 「そうだよ! 私はミギワじゃない! ミギワは死んだんだ! だったらなんなわけ? あんたには関係ないだろ!」

 「無いよ。だって、あたしはただミギワと音楽やりたいだけだから」

 「勝手すぎる! 人の気持ちも考えてよ!」

 「じゃあ」

 白峰さんは、ずいと私に顔を寄せる。

 「あたしの命が今年中だって知ったら、言うこと聞いてくれる?」

 時間が止まったようだった。

 「……………………え?」

 「余命。あと半年とちょっとなんだって言ったら、ミギワはミギワになってくれる?」

 「……う、うそだ」

 「そうだと思う?」

 白峰さんはじっとこちらを見てくる。その瞳にはなんの感情も感じ取れなかった。ただ初めからそこにあるだけのように。

 その時、野太い声が聞こえてきた。学年主任の先生の声だ。ハッと我に帰ると、私たちの周りにはたくさんの野次馬が集まっているのが分かった。

 「邪魔だなぁ」

 白峰さんは鬱陶しそうに髪をかいた。作り物みたいな綺麗な髪が靡いた。

 「夜時さん!」

 腕を引っ張られる感覚。見ると松下さんだった。

 「大丈夫!? 全然ついてこないなって思ったらこんなことに……!」

 「あぁ、いや、その、大丈夫……」

 「この人って……」

 松下さんは白峰さんを見る。まるで親の仇のような目だ。

 「あんた、また夜時さんにちょっかいかけてさぁ!」

 松下さんは声を上げる。ちょうどその時先生が近くまで来て、私たちは職員室まで連行されてしまった。

 白峰さんは私と喋っていた時と全く別人のように、死んだように無表情になっていた。



 職員室での尋問が終わって、学校を出る。

 「悪いね、煽るようなこと言って」

 別れ際、白峰さんに話しかけられた。

 「いえ……私こそ……」

 「でも、あたしの気持ちは変わらないから」

 白峰さんは私をじっと見つめる。あの時の目じゃない。こっちをちゃんと見ている目だ。

 「あたし、ミギワと音楽できるまで何回だって会いに行くよ」

 「…………」

 「ねぇ、いい加減にしなさいよ!」

 隣にいた松下さんが堪忍袋の尾が切れたかのように前に進み出る。

 「夜時さん嫌がってるじゃない! 嫌がってることすんなって幼稚園で習わなかったわけ?」

 「生憎幼稚園には通ったことがないんだ。……君、そういえば誰だっけ?」

 「夜時さんのお友達ですけど」

 「そっか。あたし白峰泉李。よろしくね」

 「よろしくしたくないな」

 「ふぅん、残念」

 絶対思ってないような口ぶりで白峰さんはそう言い残すと、踵を返して「じゃ」と去ろうとした。

 「あの!」

 私は居ても立ってもいられず声をかける。白峰さんは足を止めて再び私の方を見た。

 「あの話、ほんとうなんですか」

 白峰さんはどの話、とは聞かない。ただ人差し指を口元に当てた。

 「またあした、ね」

 そして今度こそ軽快な足取りで帰っていく。彼女が曲がり角の向こう側に消え、私と松下さんだけが夕陽の中に取り残された。松下さんが心配そうに私の顔を見てくる。

 「あの話って?」

 「……口止めされたから、言えない」

 「本当に大丈夫なの? 何か嫌がらせされたり……」

 「……分かんない。私、あの人が」

 ずっと引っかかっている、あの洞のような目。あの目に確かな既視感がある。それは確固たるものなのに、肝心なところでもやのようになって掴めない。

 松下さんと分かれて、家に帰ってきた。どっと疲れが吹き出してくる。脱衣所にある洗面台の前に立つ。鏡の中の私と目が合った。

 その瞬間思い出した。あの目は自分だ。一年前の、自分だ。あの時の私と同じ目だ。全てに絶望して、何もかも投げ出したくて、足掻いてもがいてにっちもさっちも行かなくなっていたあの頃の私が持っていたものと、同じ目をしている。

 「あのひとは……私だ」

 鏡の向こうの私が、そうだと言った気がした。だからどうした。あのひとは私を音楽にもう一度引き摺り落とそうとしている。そこに自分から飛び込むなんて愚かな行為に決まっている。かつての自分と同じ目をしていたら、じゃあなんなんだ。私はもう違う。私はもう解放された。救われた。音楽を捨てたから。今の私がこうしていられるのも、音楽を捨てたからだ。あのひとに関わることは、今の安寧を捨てることと同義だ。

 ────楽なんだったら、別に良いよ。そうは見えないけどね。

 ────あたしには、そう自分を納得させてるように見えるよ。

 ────ミギワはそんな自分認めて良いわけ?

 ────音楽ができないミギワは、ミギワじゃないよね。

 言われた言葉の一つ一つが頭の中で反響する。

 「うるさいな……」

 絞り出すように呻く。鏡に写る私は、私を哀れそうに見つめていた。



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