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第四話

 目が覚めた。必死に目を瞑っているうちに本当に眠ってしまったらしい。窓の外を見ると、もう空が白んでいる。時刻を確認すると、朝の五時半だった。

 「頭痛い……」

 昨日の昼前からこの時間ということは、二十時間近く寝ていたことになる。寝過ぎて頭が痛い。関節という関節が固まっている。スマホの着信欄を見ると、松下さんが何回も電話をしてくれていたことが分かった。

 「ごめん、松下さん」

 そうひとりごちて、窓を開ける。朝の匂いがする。今日も平日だから学校に行かなくてはならない。しかし学校に行ってまたあのひと──白峰さんに会うのは嫌だった。あの人は私にとっての『音楽』の象徴だ。会いたくないし見たくないし聴きたくないし触れたくない。関わらないでほしい。やっと安寧に辿り着けたと思ったのに。

 「やるべきこととか、知るかよ……」

 窓の縁に身体をもたれかけさせながら悪態をついた。だが学校というものはまず授業に出席しなければ進級させてもらえない。親元を離れている以上、学校に行かないという選択は出来る限り避けるべきだ。もうすでに一回休んでいるが、だからこそ、だ。

 「早めに行こうかな……」

 私は立ち上がりシャワーを浴びて手早く用意を済ませ、学校へ向かった。朝食と昼食はコンビニに頼ることにする。家を出たのが朝六時過ぎ。学校が開くのは七時。家から学校まで二十分。開門と同時に入れば、あのひとと遭遇することもないだろう。帰る時どうするかはその時考える。

 ヘッドフォンを付けて俯きながら歩く。

いつも通り。

理想通り。

私が望んだことだ。私がやるべきことは、平穏に生きることだ。もう一生分の苦しいことを味わった。何も感じたくない。その日一日が終わって、今日は苦しくなかった、と振り返れる毎日を送りたい。そこに、音楽の居場所なんて無い。

 「誰も居ないな……」

 からっぽ、がらんどうの学校。人が満ちていない学校は虚しいな、と他人事みたいに思った。誰も私に興味なんて持たなくていい。

そもそも人は他人を気にすることができるほど生きることに余裕なんてないはずだ。少なくとも私はそうなのに。

 「他人、か……」

 門の側に座る。なぜ松下さんは私に声をかけたんだろう。私がたまたま後ろの席だったから? 友達なんて作ろうとも思わなかったのに出来てしまった。松下さんはなぜ私を気にかけてくれるんだろう。

 そこまで考えて、私は無性に自分に対して腹が立ってきた。私は今の自分には気にかけてもらえるような価値は無いのにどうして、と考えた。今の自分に? 昔の自分には価値があったというの? まだ私は音楽に囚われている。私が狂ってしまったのは全て音楽のせいなのに。

 「やっぱり学校、休みたいな……」

 「ダメだよ」

 思わず身体が驚きで跳ねる。声のした方を見ると松下さんだった。ぜぇぜぇ息を切らしている。

 「松下さん……」

 「おはよ、夜時さん。早起きだね」

 「どうして、こんな朝早く……」

 「あのさぁ、それ私の台詞なんだけど。昨日朝一番で帰ったくせに今日は朝一番で来るって、真面目の方向性間違ってるって思うな」

 「……ごめんなさい」

 「朝、うちの近くにあるコンビニに入ってくのが見えたから急いで追いかけてきた。昨日散々電話したのに出ないし、メッセージ既読つかないし、そもそも学校に戻ってこないし」

 松下さんは大袈裟にため息をつきながら隣に座った。

 「昨日、大丈夫だったの?」

 「……うん。一応」

 「あのさ、嘘だって流石に分かるよ。なんか言われたりしたの」

 「……それ、は」

 「言いたくないなら良いよ、別に。でも私がすごく、すごく心配してたってことは覚えといて」

 「うん……ごめん」

 「で? なんで電話出なかったの」

 「……寝てた」

 「寝てたぁ? もしかして昨日の朝から今日の朝まで?」

 私が頷くと、松下さんは呆れたように空笑いした。

 「なんか夜時さんって、三大欲求に貪欲だね」

 「文化レベル下がってるかもね」

 「うるさい。へらずぐち」

 松下さんは私の頬を引っ張った。

 「いひゃいよ」

 「反省してないでしょ」

 「してるよ。ごめんって言った」

 「口じゃどうとでも言える」

 「なんでさ。私の気持ち分かってよ」

 「理解するよう努力する方向の検討は前向きにさせていただくわ」

 「は?」

 「は? は? って何」

 「ばか、笑わせないで」

 「笑ってないだろ」

 「はははー」

 頑張って本気じゃない笑い方をした。本当は嬉しい。松下さんはいいひとだ。なんでこんないいひとが、私を気にかけてくれるんだろう。

 「ねぇ、松下さん」

 「ん?」

 「どうしてそこまで構ってくれるの?」

 松下さんはその言葉をぶつけられて、笑顔を消す。しばし考えて、答えた。

 「友達となんで仲良くしてるか、理由なんて無くない?」

 「え?」

 「私は夜時さんが夜時さんだから好き。構うなんて当たり前だよ。夜時さんがたとえ何者であっても、それは変わらない」

 「……松下さん」

 「あ、鍵来たよ」

 なんでもないように松下さんは立ち上がる。私も後を追って見ると、ちょうど警備員の人が来て門を開けてくれるところだった。

 「……何顔赤くしてんの?」

 「や、うん……アリガトウ、ゴザイマス」

 「ははは! 勝った」

 松下さんは上機嫌に私に手を差し伸べた。私はその手を取り立ち上がる。

 「じゃ、行こう。こんな朝早くきたの久々だから眠くなってきた」

 「……なんで?」

 「学校って眠るとこじゃん。二度寝しようとしたら夜時さん見えてさ、慌てて準備して来たんだよね。だから正直眠い。から寝る」

 松下さんはその宣言通り、教室に着くなりすぐに寝てしまった。その寝顔を見て、私はどうにも泣きそうだった。

 今の私でいいんだ、と初めて思えた。



 結局、今日はあのひとは来なかった。何事もなく家に帰れた時はドッと疲れがこみ上げた。

 「諦めてくれたのかな……」

 床に身体を投げ出して、天井を眺めていると呟きが漏れた。連絡先は捨ててしまったから、確かめようが無い。確かめるつもりも無い。

 どうして。

 どうしてあの時、初めだけ気持ち悪くならなかったんだろう。普通ならどんな音でも、どんな曲でもすぐに吐いてしまっていたのに。どうして、あの時だけは歌えたんだろう。自分の歌だから? 分からない。自分の歌なんてもう一年以上聞いていない。

 昔のことを思い出すと途端に身体が震え出した。嫌な記憶だ。思い出したくない。

 もう音楽は辞めた。

 もう音楽に関わらない。

 そうすれば苦しい思いはしない。肉体的にも、精神的にも。

 もういいじゃないか。あの時一瞬でも気持ち悪くならなかったなんて。最後には吐いたんだ。なんで急にこんなこと考え出したんだろう。鬱陶しい。あんなやつ嫌いだ。私は音楽を捨てたのに。

 「……サイアク」

 私ここでうだうだやっていたところで何も変わらない。まずはスーパーに行って買い物をしなければ。食べないと死ぬ。私はジャージに着替えてヘッドフォンを付け、家を出た。帰ってきて冷蔵庫に食料を収める。今日の授業の復習と明日の授業の予習をする。一時間半ほどで終わらせて料理を作る。ついでに明日の朝ごはんと弁当の用意も済ませてしまう。ご飯を食べ終わって、大体午後七時。その後読書をして、十一時を過ぎたあたりでベッドに入る。

 これが私の毎日だ。私の築き上げた安寧だ。部屋の電気を消して布団に入る時、今日も生きれたと安心する。

 今日も生き延びた。

 明日も生きねば。

 それが普通の毎日だ。私が望んだことだ。私が生きていくのが生きる意味だ。やるべきことだ。生きることは大変だ。苦しい思いをせずに、嫌な思いをせずに。喜怒哀楽の怒と哀を抜いて生きていく。私はどうにも生き抜くことが大変な身体になってしまったから、まずこの一日を生きる。たまに死にたい夜が来るけれど、それはただ発作だ。ただの病気だ。死にたいわけなんてない。私は生きたい。音楽が無くたって、私は生きることができる。音楽が無いからこそ、かもしれない。

 そう思いながら眠りについた。今日は天日干ししたから布団がふわふわして気持ちいい。よく眠れそうだった。


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