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第二話

 それからしばらく日々が過ぎた真夜中。私はまた起きてしまった。

こういう夜がたまにある。希死念慮とでも言うのか、どうしようもなく心細くて死にたい時がやってくる。

 この『死にたい』に意味は無い。ひどい発作のようなもので、死ぬことで解決できるものなんて何も無いことくらい分かってる。ただ、それは私にはどうにもならない。毛布の端を掴んで身体を小さくして、ひたすら時間が過ぎるのを耐えることしかできない。そして耐えた先の朝日とともに、やっと私はその苦しみから解放される。

どうしようもなく私は涙を流し、そしてもう何も出ない胃からなけなしの胃液を吐いてトイレに流す。

死にたい。

 その感情は、私の中で一番純粋なものだった。無限にどす黒く私を飲み込んでいる。そして世界にそれ一つしかないように、私の中で強く光り輝いていた。

世に死にたいと歌う歌は数あれど、その全ては私を救えない。

 世に死にたいと翳す詩は数あれど、その全ては私に及ばない。

 虚しいわけじゃない。満たされたと思う時もある。

 ただ、私はこの世に一人だ。一人なら死ぬしかないじゃないか、というむちゃくちゃな思考回路が私をどうしようもなく苦しめる。人はこういう苦しい気持ちを歌にする。でも私はその限りではない。

 歌は私を救えない。

 私は歌を歌えない。

 私は私を救えない。

嫌だ!

 解放してくれ!

 そう叫びそうになる衝動を抑え込んだ。ここはアパートだから、大声を出せば迷惑になる。なんの意味も無い。この死にたい気持ちに意味は無い。眠れば、朝になれば大丈夫になるから。

 そんなのくだらない!

 私は一人なんだ!

 うるさいなぁ! お願いだから────!

「黙れよ……」

私はいじらしく我慢する。我慢して乗り越えた先に何があるか分からない。しかしとりあえず、夜は明けたようだ。過ぎ去ってみればあっという間のような気がした。私は沈み込むように眠り、その日の学校には行くことが出来なかった。



スマホから一定のピー音が鳴る。このような何の変哲もない単音ならば、私の拒否反応は無いようだと最近分かった。なぜ分かったのが最近なのか。それは単純に、電話で連絡を取るような相手がいなかったからだ。

ベッドの上でもぞもぞと動く。夜明けまで寝付けなかったせいで鼻が詰まるし頭痛がするし全身がかゆい。スマホを取って画面を見ると、松下さんからの着信だった。通話に出る。

「もしもし……?」

『もしもし? もうすぐ始業だけど、どうしたの?』

働かない頭のまま、蠢くように答える。

「……ちょっと、体調悪くて。もうちょっと寝てたいんだ……」

『ふーん。じゃあ、学校終わったらお見舞いに行くから』

「はいはい……」

眠い。とにかく眠い。最後の方に松下さんが何を言ったのかよく判然としないまま、私は再び眠りについた。

数時間後私はインターフォンのチャイム音で目が覚めた。傍らに放り出してあるスマホをなんとか手繰り寄せると、今の時刻は午後三時半。ちょうど学校が終わって下校したくらいの時間だ。流石にそこまで寝れば否応無く頭がスッキリしている。私は大きく背伸びをした後、ボサボサの髪をかき、寝ぼけ眼をこすりながら玄関に向かった。自分がパジャマ姿であることなどすっかり頭から抜け落ちている。

「はいはい……」

宅急便なんて頼んだかな、と億劫な気持ちを抑えながら扉を開ける。そこにはビニール袋を手に下げた制服姿の松下さんがいた。

「お、出た」

何でもないように挨拶をしてくる松下さん。私はゆっくり扉を閉めようとした。松下さんはそれを足で食い止める。

「ちょっと、なんで閉めんのよ」

「な、なんで私の家知ってるの!?」

「今日名簿配られたんだって。そこで見たの。昨日ホームルームで言われたよ」

「ていうかなんでウチに!?」

「だから見舞いに行くって電話で言ったじゃん。さてはちゃんと聞いてなかったな?」

 そういえば、朧気ながらそんなことを言われたような気がしなくも無い。

「……ごめん」

「うん。ていうか入るから開けて」

「ま、待ってよ。綺麗にしてない」

「体調悪いんでしょ。いいよ、それくらい。私そういうのあんまり気にしないし。掃除好きだし」

はやく入れろよ、という視線が容赦無く私を貫いている。私は諦めて扉を開けた。

「親、いないの?」

「うん。私一人で住んでる。」

「仲悪いの?」

「いや、別に。私が一人になりたかっただけ」

「ふぅん」

松下さんはビニール袋を置いて我が家を見渡す。

そこで私はハッとして一気に目が覚めた。初めて会った時、ここに越して来た理由を親の転勤と言ったはず。なのに家に親がいないのはおかしい。ウソがばれるかもしれない。そもそも友達が家に来るなんて予想外だった。しかしそんな緊張に反して、松下さんは全く追及してこなかった。

「殺風景だね。本棚だけ大きいのが余計に。綺麗にしてないっていうか、物が無いから汚れないって感じ」

内心ほっとしていると、松下さんは物珍しそうに言ってきた。

我が家には無地の地味な色をしたカーテンと、シングルサイズのベッドと、小さなテーブルと、一人分の食器と、狭いキッチンと、布団と、私が所有する数少ない服を入れるためのクローゼットと、そしてそこそこ大きい本棚があるだけだ。一般的に女の子が持っていそうなぬいぐるみだのテレビだのは無い。泥棒が入ったところで盗る物が無いほど何も無い。

「言ったでしょ。娯楽は本くらいだってさ」

「そういえばそうだったね。ていうか元気そうじゃん」

「あー、まぁ一応。元気になった、かな」

「そっか、じゃあ食べ物とか持ってこなくてもよかったかな。てっきり風邪かなんかだと思って。ほら」

松下さんはそう言ってビニール袋を拾い上げ中身を見せた。中にはスポーツドリンクやご飯のレトルト、ネギや卵、そしてパインゼリーが入っている。

「お粥作ったげようと思って。いる?」

「ほんと? ありがとう。松下さんは優しいね」

「仲良い子だけね」

「え?」

「え?」

思わず聞き返すと、それが意外だったのが逆に聞き返される。

「あ、ありがとう」

「……なにが」

「仲良い子って」

「そうだけど」

「ああ、いや、うん。ああと……なんでもない」

少しこそばゆい。しかしそれは悪い感覚ではなかった。

「人に仲良いとか言われたの初めてだ。嬉しい」

「……どうも」

松下さんは長い髪をかき上げる。それが松下さんの照れた時の癖らしい

「なんか恥ずかしいな。やめてよね、そういうの」

「ごめん」

「いいけどさ。なんか夜時さんってほっとけないね」

 「どういう意味?」

 「だメンズ? 女の子だけど」

 「……ひどいな」

「てか、結局どうするの? 普通のご飯食べれるんだったらそっちの方がいいんだけど」

「食べたい」

「了解。キッチン借りるね」

 松下さんはキッチンに入って、おかゆを作り始める。

 「そういえば風邪じゃないんだったら、どうして今日学校休んだの?」

 「あー、話すと長くなるんだけど……」

どうしても朝四時まで眠れなかったことを話した。死にたいと思っていたことなんて言えるはずないから、それは省いて。私の話を聞くと、松下さんは少し拍子抜けな顔をする。

「電話した時結構辛そうだったけど、寝れないだけだったんだ。どうせ夜更かしして寝るタイミングなくしたんでしょ」

「あはは……おっしゃる通りで」

「今日は早く寝ないとね。一回寝れないとリズム崩れちゃうから注意しなよ」

深刻に捉えられなくて良かった。松下さんの言う通り、今日は夜更かしせずに無理矢理にでも寝ることにしよう。

その後は松下さんに明日の朝の分までのお粥を作ってもらい、彼女を暗くなる前に家に帰す。お粥はとても温かかった。涙が出るくらい温かかった。他人が作ってくれるもの特有の人の温もりを感じた。その夜は、私にしては珍しいほど良く眠ることができた。



 翌朝。教室の自分の席に着くと、松下さんが挨拶してくれた。私はヘッドフォンを外して首にかけながらそれに応える。すると松下さんはカバンからファイルを取り出し、それを渡してきた。

「これ昨日のプリントね。まだ始まったばっかりだから全然進んでない授業が多いよ」

「英語コミュニケーションって結局何やったの?」

 「英会話。外人の先生と話した」

「じゃあ、昨日は特別なこと特になかったんだ」

「まぁね。寝てたら終わったみたいな感じだよ」

「起きなきゃ」

「一応起きてたよ、先生の話つまんなかったけど。でも古文は楽しい」

「古文か。源氏物語とか?」

「うん。ちょっと憧れちゃうなー、雅な感じで」

そうこう話しているうちに始業の鐘が鳴り、しばらくして担任の先生が入ってくる。保護者会のお知らせやどうでもいいことが書かれているクラス報が配られて、朝のホームルームは終わった。

「あーあ、一限現国だよ……」

松下さんの苦々しそうな言葉に苦笑する。

「嫌い?」

「え、逆に好きな人いる?」

「私はまぁまぁかな」

作詞をしていたせいか分からないが、やたらできたことは黙っておこう。しかしそれはあくまでテストでの話で、中学時代は音楽活動が忙しくてまともに授業を受けられなかった。だから学校というものそれ自体がすごく新鮮に感じる。一年ダブってるようなものだが実際ピカピカの一年生だ。

 一限目の現文はクラスのそこそこの人数が眠っていて松下さんもうつらうつらしていたが、私は全然眠くなかった。

 これが普通の学校生活。私が辿るべき道でありこれから進むべき未来。そう考えると全てが輝いて見える。眠るなんて惜しいと思うくらいには、良いな、と思えている。

楽しい時間は過ぎるのがあっという間で、もうお昼時になってしまった。

「やっとお昼だ。眠かったー」

松下さんは机を私の方へ向けると、グーッと大きな伸びをした。

「退屈だった?」

「正直。将来なんの役に立つのかもわかんないし、親の言うままこの学校受験したけど、なんだかなーって。夜時さんと会えてなきゃ退屈なままだったよ」

「まぁまぁ、勉強も大事だよ。ちゃんとした教育を受ければ選択肢が広がるんだよ?」

「大人みたいなこと言う。ムカツク」

「ははは。いいじゃん。そんなことよりご飯食べよう」

「はーい」

お互いカバンから昼食を取り出す。松下さんは風呂敷に包まれた一般的な一段弁当。私は四段の特大弁当。

「いただきます」

蓋を開けて一口ご飯を口に入れる。美味しい。炊きたてが一番美味しいけれど、今は空腹だからなんでも美味しく感じる。

「……ねぇ、夜時さん。結構前から思ってたんだけど、それ……」

「はい?」

「ちょっと多くない?」

「そうかな。私的にはお昼だし、多すぎると眠くなっちゃうかなって思って、少なめにしてるんだけど……」

「いや、私はそれが少なめには見えないっていうか……ちょっと見ていい?」

「いいよ」

私の弁当は三段弁当だ。松下さんは一段。

「なんていうか……これだけ食べて太らないの?」

「……私、実は太れない体質で」

最もひどかった時は拒食も混じっていたからなのか、今になっても太れなくなってしまっている。普通の人にとっては、体型維持に意識を割かなくて良いからむしろ喜ばしいかもしれないが。

「はー、羨まし。こないだも思ったけど、もしかして夜時さんって食に貪欲な感じ? 冷蔵庫の中ギッチギチだったし、キッチンの設備がやたら良かったし」

「そうかも。やっぱりいろいろ娯楽制限されてると、小説以外じゃ食くらいしか楽しみ無くなっちゃうのかな」

「いや、すごいわ……今まで持ってきてたお弁当、全部夜時さんが作ってたってことだよね。一人暮らしだし」

「うん。ご飯作るの楽しいよね」

「まじで……?」

松下さんは頭を抱えた。

「この前ご飯できるよアピでイキったの恥ずくない? 私……」

「そんなことないよ。お粥美味しかったし」

「……ねぇ、おかず交換しよ」

「いいけど……」

「私の卵焼きとその唐揚げでいい?」

「うん」

松下さんは私の唐揚げを頬張った。

「うわ、おいしい! まじか、すごいよ夜時さん」

「ありがとう、この卵焼きもおいしいよ。松下さんが作ったの?」

「ううん、親。いやでもこれすごいわ……負けたかも」

「え、じゃあ今度作ってきてほしい。松下さんの他の手料理も食べたい」

「ちょっとやめてよ。これに及ばないからぁ」

「私も松下さんのごはん作ってくるから」

「……わかった。じゃあちょっと修行させて。せめて少しでも上手になってから作りたい」

「うん、期待してる。……あ、やばいよ。早く食べなきゃ時間なくなっちゃう」

「ほんとじゃん!」

昨日の死にたくなった夜と対照的な、穏やかな春の昼下がり。こんな日常がずっと続いて、普通に卒業できれば良いな、なんて思う。

思ってしまった。今までの地獄からしたら到底叶わないような、普通の幸せを。

でも、それは叶わなかったようだ。

音楽が、私を離してくれない。


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