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第一話

 通学路を歩く。このまま二十分ほどすれば学校に着くはずだ。春薫るいい天気。天気が良いとなぜか機嫌が良くなる。思わず笑みが零れた。

学校に着き、校門をくぐる。そしてクラス分けが貼り出されている掲示板へ行った。

 「夜時……よとき……」

 見つけた。一年E組だ。

 「あった」

 E組の教室に入り出席番号の席へ向かう。窓際の一番後ろだった。カーテンを逃れた日光が私の席まで届いていて眩しい。どうにも急き立てられている気がして、私はカーテンを閉じた。

 椅子を引いて席へ着くと、もう教室ではお友達作りが始まっていた。私は当然のようにそこには加わらない。一年外に出ていないから、外界との関わり方を忘れてしまった。

 「友達、ねぇ」

 声に出さないで呟いた。そういえば今まで友達らしい友達がいたことは無かったかもしれない。暇さえあればギターとキーボードとドラムとベースを触って作曲していたから。そして上京して中学に上がると余計に音楽にのめり込み、友達を作る暇が無かった。

 そんなことを思い返しながら茫然と窓の外を見ていると、突然前に座っていた女の子が振り向いて話しかけてきた。私は慌ててヘッドフォンを外す。途端に教室のざわめきがダイレクトに入ってきて鬱陶しい。

 「あ、ごめんね。何か聞いてたの?」

 「いや、全然大丈夫だよ。何か用?」

 笑顔を意識して、前の子を直視する。かなりきれいな顔立ちだ。一つ年下などころか、二つくらい年上に見える。

 「用ってわけでもないんだけど……こうして近くの席に座ったのも何かの縁だし、少しお話したいなと思って。私、松下美紅(まつしたみく)。よろしくね」

 松下さんはそう言って笑いかけた。私も応答する。

 「夜時汀。こちらこそよろしく」

 「みぎわ? 珍しい名前だね。どんな字?」

 「こんな感じ」

 スマホで字を打ちそれを見せる。松下さんは大きな目をさらに大きくした。

 「へぇ、素敵な感じ。なんか芸名みたいだね」

 「……ありがとう」

 芸名と言われてどきりとする。珍しい名前だからそのまま芸名にしたのは間違いだったかもしれない、と今更ながら後悔した。しかし松下さんはそんな私の思索もつゆ知らず、笑顔を向けると握手を求めてくる。応じた。

 「夜時さん、案外話しやすいね。ちゃんと目を見てくれるし」

 「そう?」

 「うん。だってこんな入学式の日に一人きりでヘッドフォンしてんだもん。ちょっと怖い人なのかなって思ったけど話しかけて良かった」

 「あはは……ありがとね」

 努めて普通を意識して話す。段々冷や汗が込み上げてきた。なんとか抑えながら私は続ける。

 「新しい環境で緊張してたから話しかけてもらえて、正直助かったよ」

 「どこ中出身?」

 「あ、えっと、東京から来たんだ。小学校までは岡咲だったんだけど」

 「トーキョー! すごいね」

 松下さんは目を丸くして驚いた。どうやらこれが彼女の驚いた仕草らしい。

 「じゃあシティーガールだ。こっちに帰ってきた理由とか、聞いても大丈夫?」

 「大した理由じゃないけどね。親の転勤」

 事前に用意した設定を話す。

 「大変そう。転勤族?」

 「そうでもないかな。多分もう岡咲から動くことはないだろうし」

 「そうなんだ。私、ここから出たこと無くてさ。ちょっと羨ましいかも」

 松下さんは頬杖をついた。彼女のさらさらした髪が手にかかる。その様子がスローモーションのように目に焼き付いた。

 「東京ってどんなとこなの……って、どうかした?」

 「……いや、松下さんきれいだね。大人っぽい」

 松下さんはしばらく黙り、やがて恥ずかしそうに髪をかき上げた。

 「やめてよ、もう。びっくりした。やっぱトーキョー人はすごいなぁ」

 「なに言ってるの」

 なんだかおかしくなって、お互いにクスクス笑いあう。

 「なるほどね。夜時さんのおかげで東京がどんな所かはっきり分かったよ。そういうことがすぐ出てくるような人ばっかりいるんだ」

 「偏見がすごい。田舎者の寄せ集めだよ」

 「田舎者ぉ? それってここのこと?」

 「あ、いや、そういうわけじゃ……」

 「ほんとここ田舎だよね、分かる。私も嫌になっちゃうもん」

ようやく二人の笑いの虫が収まった時、担任の先生が教室に入って来る。講堂に集合するから列に並べとのことだった。

 「もうそんな時間か。行こう、夜時さん」

 「うん」

 「あ。でも」

 松下さんは私を見つめる。

 「夜時さんも美人だよ。モデルさんみたい」

 「……ありがと」

 先を歩く松下さんの長い髪が揺れる。身長が私よりだいぶ高いから百六十センチ以上は確実にある。私は昔よくPVやら音楽雑誌の撮影やらをしていたおかげでそういうことは言われなれているが、松下さんのような人が本当にきれいな人なんだな、と思った。私はしょせん音楽だけだった。つまらない人間だった。

 その後私は思わぬ危機にいきなり直面することになる。国家と校歌斉唱だ。入学式にヘッドフォン着用はできなかった。



「なんか、ごめん。ほんと……」

「びっくりしたよ。ピアノが鳴った瞬間蹲っていきなりゲー、だもんね」

「ほんとに、ごめん……」

自分でもびっくりした。ヘッドホンをつけることが許されなかったとはいえ、まさか国歌を聞いた瞬間に拒否反応が起こるとは思わなかった。もう少し耐えられるだろうと高を括っていたことは否めない。

そんな私の異変をいち早く察知したのが松下さんだった。私がゲロをしたその直後ハンカチで私の口元を吹き、手を引いて颯爽と私を保健室まで連れ出し、ブレザーを脱がせてベッドに寝かせた。あまりにも手際が良すぎる。

「体調悪かったの? 朝会った時はそうは見えなかったけど」

「あー……そういうわけじゃないんだけど、音楽を聴くとこうなっちゃう病気? みたいなものなんだ」

そんな病気持ってるやつなんて私以外いないだろう。普通に考えてありえない。このことが週刊誌に載った時も誰も信じなかった

しかしそんな荒唐無稽な話を、松下さんは深刻そうに受け止めてくれる。

「そっか。……なんか、ごめん。大変なんだなって印象しか持てないや」

「いいよ、それで。むしろありがたいくらい。変に気遣いされるのも嫌だし」

 松下さんはゲロのついたハンカチと私のワイシャツを洗濯機に放り込むと、ベッド近くのパイプ椅子に座った。

「音楽の時間とかはどうするの?」

「学校に連絡は行ってると思う、多分。でも半信半疑だったんじゃないかな。さっき本当に吐いたから、信じてくれると良いんだけどね」

 冗談めかして言うと、松下さんは苦笑した。

「身体張りすぎ。暇な時どうするの? テレビも音楽も聴けないんじゃ……」

「小説読むとかだね」

「小説かぁ。あんま読んだことないなぁ」

「読んでみると面白いよ。病気になる前から結構読んでたんだけど。好きな作家見つけると楽しい」

 「へぇ。どんな?」

 「昔のも今のも好きだけど……SFが好きかな」

 松下さんはピンと来ない様子だ。

 「スペースファンタジー?」

 「サイエンスフィクションかな」

 「面白いんだ?」

 「作品によるっちゃよるけどね」

「へぇー。SFあんまり読んだこと無いけど、そこまで言われると興味ある」

 「ほんとに? SFは良いよ。色々刺激されるんだ。個人的にすっごいおすすめなのがあってね……」

洗濯機が音を鳴らし、洗浄が終了したことを告げる。松下さんは洗濯機を乾燥モードに変更しに立ち上がり、それを見て私は慌てて起き上がった。

「ごめん。それもほんとは私がやらなきゃいけないのに……」

「いいから寝てて。こんなの誰がやっても一緒だから。まだ顔色悪いのにやらせられるわけないでしょ」

制され渋々従う。しばらく沈黙が訪れた。気持ちの収まりが悪くて、無理矢理会話の糸口を探す。

「なんだか、介抱がえらい手慣れてたね。すごい」

「そう? うちの親、医者と看護師なんだ。お父さんが医者で、お母さんが看護師。立ち居振る舞い見てて自然に覚えたのかも」

松下さんは戻ってきて、今度は保健の先生が普段座るであろう回転椅子に腰掛けた。そのままくるくる回り始める。

「そうなんだ。立派だね」

「そうかな。帰るの遅いからムカつくよ。おかげで洗い物とか料理とか得意になったし」

「すごいじゃん」

「すごかないよ。手荒れるし無駄に筋肉つくし。ババくさくなっちゃう」

「……ふふ」

松下さんのげんなりした調子に、思わず笑みが零れる。それを見た松下さんは少しばかり不機嫌そうだ。

「なによ」

「いや、第一印象と違うって思って」

「どんな?」

「スラーっとしててきれいで、できる女って感じ。私みたいなのに話しかけてくるし、物腰が柔らかかったからさ」

「えー、やだ。なんかそっちの方がいい」

「どっちも魅力的だよ」

「タラシだね、夜時さん。悪い女だ。シティーガールは違うね」

「ひどいや」

朝の再現のようだ。ふたりで顔を見合わせくつくつ笑う。いつのまにか倦怠感は消えて、多少は楽になっていた。

洗濯物が乾いて二人で教室に帰る。教室の扉を開けた瞬間クラスからの目線が突き刺さった。ゲロ女だ、とか汚い、とでも思われてるのだろうか。松下さんは私を教室の前で待たせ二人分の荷物を持ってくると、私を教室から押し出して軽蔑した目を教室に向けた。

「あいつら小さいね。人間として。器が」

真顔のまま酷いことを言う。けれどそれがどこか愉快だった。

帰り道はどうでもいい話をしながら帰った。話の流れで松下さんが岡咲に馴染みのない私を週末に案内してくれることになり、メッセージアプリのIDを交換してその場を別れた。私はそこで初めて、ちゃんと自分が自然に笑えていることを自覚した。


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