第十六話
「あれ、美紅は?」
「お花摘み」
私がコンビニから帰ってくると、弁当の残りを食べている泉李だけがぽつんとベンチに残っていた。
「もうすぐ六月も終わっちゃうねぇ」
私が隣に座ると、泉李はしみじみとそう言った。
「まだ半分ちょっと過ぎたたくらいじゃん」
「一週間と少し過ぎたら七月だよ」
「まぁ……」
泉李は食べ終え、箸をしまって手を合わせた。
「ごちそうさま! おいしかった」
「本人いる前でやりなよ」
「やるよ、もう一回。でもおいしかったなぁ。人と話しながら食べるとおいしいね。しかも外で」
買ってきた炭酸水を渡す。泉李は財布を出した。
「いくら?」
「百円」
「はい、ちょうど」
「どうも」
受け取った小銭を財布にしまう。私もペットボトルを開け、水を喉に流し込んだ。
「熱いな……」
「豊宗祭りはきっともっと熱いよ」
「コンテストはその何倍も熱いね」
「なんたってあたしの誕生日だしね」
じりじりと蒸されていく。今日も太陽は元気だ。
「ねぇ、泉李」
「うん?」
「太陽、嫌いなんだよね」
「嫌いっていうか、太陽が沈むと、あたしの残り時間が無くなってるんだ、って実感するから苦手。だからびゃくやって名前、すごい気に入ってる。びゃくやって太陽がずっとずっと出てることだから」
「私は、太陽が嫌い」
「どうして?」
「日焼けするじゃん」
「……あはははは! なにそれ!」
「だって私の肌弱いもん」
「そんなこと初めて知った」
「言ってないからね」
「ミギワって、案外自分のこと出してないんだね」
「そりゃそうだよ。ありのままなんて、見せられない。でも……」
「でも?」
「音楽だったら……」
蝉の声がどこか遠くに感じる。穏やかな午後だ。
「ごめん、待たせた?」
美紅が帰ってきた。顔がいつもよりシャキッとしている気がする。
「汀、戻ってたんだ」
「うん。はい、午後茶」
「ありがと。いくらだった?」
「いいよ、別に」
「ちょっとちょっと、あたしには払わせたじゃん」
「先輩だろ」
「えー? いいの、汀」
「美紅はとくべつ」
「うわー! ずるいや、ミギワ。差別だ差別」
笑いあった六月の半ば。八月三十日まで、あと二か月強。
夏休みに入り、豊宗祭りの日がやってきた。当初の目標。元々この日のために数々のイベントに出てきたと言っても過言ではない。場数だけ言えば相当なものになっているだろう。
「いやー、感慨深いね」
私たちびゃくやが立つステージを見ながら、泉李は言う。
「元はこのためにやってきたんだし、ちょっと特別な感じする。なんか緊張してきた」
泉李の言葉に私もうなずく。
「まぁね。今までたってきた舞台の中でも一番大きいし。私もドキドキする」
「ミギワは東京ドーム埋めてたじゃん」
「一年以上も前にね」
「ま、何はともあれ。いつも通りあたしたちらしく行きゃいいさ。曲も増えてきたし楽しみ」
「そういえばセトリのことなんだけど。五曲のうちの四曲目、私に教えてくれないのなんで?」
私がそう言うと、泉李はいたずらっぽく微笑んだ。
「あたしが一人で作った、ミギワへの曲。サプライズのつもりだから、四曲目だけは観客になった気分で聞いてね」
「それ、言っちゃったらサプライズになってないよね」
「中身さえバレなきゃいいの」
運営本部のテントへ行き、受付を済ませる。出演順はくじによるもので私たちは偶然にも一番最後、大トリを任せられることになった。
「どうしよう、ミギワ。一番最後って。めっちゃ緊張するじゃん」
「前はトップバッターだったじゃん」
「トップバッターの方が緊張しないって」
「最後の方がいいよ。最後が一番お客さんに印象が残るし、音楽に耳が慣れてるから聞き取ってもらいやすい」
泉李は感心したように私を見てくる。
「……なに」
「ミギワ、頼もしいね」
「はぁ?」
「最初の頃は泣きわめいてたのに」
「記憶を捏造するな。いいからさっさと準備して。リハもう呼ばれてるんだから」
リハを終え、少し屋台を物色しながら美紅を待つ。美紅はあれから都合がつく時は必ずびゃくやのステージを見に来てくれていた。
「汀! 白峰さん!」
浴衣を着た美紅がやってくる。赤い着物がよく映えていた。
「美紅! 浴衣きれいだね」
「そう? お母さんの借りてきちゃった」
美紅はその場でくるりと一回転してくれた。
「ほんとによく似合ってるよ。ヤマトナデシコって感じ」
「へへへ。どうもぉ」
美紅を真ん中にして三人で屋台を回る。まだステージが始まるまで時間があるので、多少の腹ごしらえをしてしまおう、ということだ。
「いいね、お祭り」
不意に泉李が口を開く。
「今年も楽しめると思ってなかった。毎年友達とか家族と行ってたんだけど、今年が一番楽しい」
私と美紅を交互に見ながら、泉李はふわりと笑った。
「二人のおかげだね。ありがとう」
「ちょっとなんで空気出してるの? 私たちの出番これからなんだけど」
私がそう言って釘を刺すと、泉李は嬉しそうに舌を出した。その直後にアナウンスが流れる。ステージがもう少しで始まるらしい。
「タイミング良すぎでしょ。もしかしてエスパー?」
「かもね。じゃあ美紅、行ってくる」
「行ってらっしゃい。頑張って」
私と泉李は座っていたベンチから立ち上がり、ステージへ向かった。舞台袖で軽くチューニングを済ませ、ステージへと上がる。観覧スペースには人がぎゅうぎゅう詰めになり、歩いていた人たちもステージを見に足を止めている。
「ミギワ」
「ん?」
私が座ると、泉李が話しかけてきた。
「さっき緊張するって言ったじゃん」
「うん」
「あれ、嘘だ」
泉李は私に拳を出してきた。私はそれに自分の拳を合わせる。
「最高?」
「最高」
泉李はギターをかき鳴らした。
「どうも! あたしたち、びゃくやです!」
一曲目、二曲目、三曲目とぶっ続けでやる。いい調子だ。
そして私も知らない四曲目。泉李は私に向き直った。私はギターを置く。
「すみません。ちょっと、今だけはステージを私物化させてください」
泉李が観客に語り掛ける。
「これからあたしが歌うのは、今、目の前にいる相棒への感謝の歌です。びゃくやはあたしがこの子に無理言って組んでもらって、あたしは今までいっぱい無理を言って、でも相棒はあたしにちゃんとついてきてくれた。あたしたちびゃくやは、この豊宗祭りで演奏することを目標の一つにしてきたので、ここでちゃんとお礼が言いたいんです」
客席から拍手が巻き起こる。泉李は「ありがとう」と笑い、歌いだした。
〈私は嫌な人間だったかな。今となっては聞くに聞けない〉
〈君はそれでも付き合ってくれた。私のくだらないわがままに〉
〈人がきっと誰しもある大事なものが、やっと私にもできたみたい〉
〈死ぬ直前に後悔はないかな、なんて思ってしまうくらいに〉
〈ねぇ、あの葉桜を見て、何を思うの〉
〈泣くことすらできなくて、立ち尽くしたあの日。君を見つけた〉
〈私はそれでよかった。生きた甲斐があった〉
〈私は────
最高のライブだった。私がミュージシャンだった頃と比べても一、二を争うくらい。豊宗祭りの喧騒に負けないくらい上々の気分だった。そしてまた明日、と別れた。次の目標は八月三十日のコンテストだ。
しかしその『また明日』は来なかった。
泉李が倒れて緊急入院したと聞いたのは、それからすぐのことだった。




