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第十五話

 既に六月半ばを過ぎた日曜日。びゃくやは二駅隣の市にあるショッピングモールで開催されるイベントに参加することになった。

 「お、来た来た。ミギワ、松下さんだよ」

 駅の切符売り場の傍で私と泉李が待っていると、大きな紙袋を持った美紅が来たのが見える。

 「ごめん! 待った?」

 息を切らしてやってくる美紅は、淡いピンク色のワンピースに麦わら帽子をかぶり、ハイヒールのサンダルを履いている。いかにも雑誌でモデルが着そうなファッションだ。さすが美紅と言うべきか、よく着こなしていた。

 「全然。あたしたちさっき来たところだから。ね、ミギワ」

 「うん」

 気にしてないという泉李を見た美紅が一瞬固まる。目線の先は頭だ。

 「髪色、それ……」

 「ああ、これ? 地毛」

 「地毛……」

 「学校とかだとウィッグなんだよ。でも似合うでしょ。ほら、ミギワの黒髪とあたしの白髪。びゃくや感あるよね」

 「は、はい。ありますね……」

泉李に圧倒されている美紅を横目に見ながら、私は時間を腕時計で確認する。

 「そろそろ行こう。私たちの出番早い方だから。午後の部の一番」

 「おっけ、じゃあ行こうか」

 ギターを担ぎ直した。駅の改札を出て、ショッピングモールまで行く。入ってすぐのエントランスに特設ステージが作られ、目の前にはかなりの数のパイプ椅子が設置されている。もう半分以上の席は埋まっており、客たちが午後の部開始を今か今かと待ちわびているようだった。美紅がそれを見て驚いたように声を上げる

 「うわぁ、結構お客さん来るんだね」

 「毎年やってる人気のイベントらしいね。このモール自体たくさん人が来るし、人の目はいっぱいあるかも」

 「良いね。燃える」

 私が補足すると、泉李が威勢よく言った。

 すぐに出番が始まるため、早速ステージの裏手へ移動となる。出演しない美紅とは一旦ここでお別れだ。

 「頑張ってね。応援してる」

 「うん。まぁ見ててよ」

 「自信ありげだね」

 「まぁ、このために曲いっぱい下してきたから」

 「期待してる」

 「任せて」

 去っていく美紅の背中を見送った。

 「相変わらず仲がいいね」

 「自慢の友達」

 「うん。ほんとにいい子」

 ステージの袖で待機する。すぐに午後の部が始まった。

 「よし、行こう」

 泉李が先陣を切りステージに立つ。機材は既にセッティングされており、あとは歌うだけだ。私は胡坐をかきギターを構えた。

 「どうも、あたしたちびゃくやっていいます。よろしくお願いします!」

 拍手が鳴る中泉李と目を合わせ、ギターを鳴らす。イントロは交互に。だんだん混じり合っていく。泉李は息を吸った。

 〈あたしの住んでるこの町は、ほんとどうしようもないところ〉

 〈何も無いわけじゃない。それでも何かが起こるわけでもない〉

 〈何より空気が気に食わない。変化を欲しないその空気〉

 〈それを願うことすらしない。だからあたしは逃げ出したい〉

 間奏。泉李が目を合わせてくる。私は息を吸った。

 〈私が住んだあの町は、ほんとにどうしようもないところ〉

 〈何もかもがある。だから望めば何にでもなれる〉

 〈人があふれる。ゴミがあふれる。悔し涙があふれてくる〉

 〈踏みつぶされた路傍の石。はじき出された意気地なし〉

 声を合わせる。

 〈真っ暗な夜を駆け抜けて〉

 〈真っ白な朝に蹴飛ばされて〉

 〈私たちは交わっている〉

 〈ぐるぐるぐるぐるまわってる〉

 〈地球の自転のスピードに〉

 〈食らいついて飛ばされて〉

 〈そんな摩擦の火花散る〉

 〈そのひとかけらを日々という〉

 ジャカジャカジャカジャカ。かき鳴らし潰れた音を出す。どんどん自分たちの世界に沈んでいく感覚。

 〈ある夏の日のアスファルト。素知らぬ顔の飛行機雲〉

 〈あてどの無い旅、孤独の迷路。逃げ出したってどこ行きゃいいの〉

 〈分からないよ。分からないよ。誰かあたしを見つけてよ〉

 〈ある冬の日の矢萩川。凍てつく道の嘲笑露わ〉

 〈うつむきじっと見る足のプーマ。それすらくだらなく見えてくるわ〉

 〈ふと耳を澄ましてみたら。ギターの音と、歌声が〉

 〈透き通った青空から落ちてきて〉

 〈濁り切った曇天からにじみ出て〉

 〈私たちは交わっている〉

 〈ぐるぐるぐるぐるまわってる〉

 〈ずっと走って、走って、走って〉

 〈スニーカーはみるみる削れて〉

 〈そんな摩擦の火花散る〉

 〈そのひとかけらを日々という〉

 〈身体と、心と、何もかも。食いしばって一歩、一歩〉

 〈それでも待ってくれないの〉

 〈毎日やってくる。夜も朝も〉

 〈見下してくる、月と太陽〉

 〈あの輝きはもううそだ。この火花こそがほんものだ〉

 〈あきらめ転んだ昨日を超えて〉

 〈もう一度立ち上がって、今日へ来た〉

 〈私たちは交わっている〉

 〈ぐるぐるぐるぐるまわってる〉

 〈歯を食いしばる摩擦〉

 〈踏みしめる摩擦〉

 〈巻き起く火花で、日々を超えていく〉

 〈その輝きが、明日を照らす〉

 〈輝いて〉

 〈輝いて〉

 一曲目『フリクション』を終え、喝さいが飛び交う。そのまま続いて二曲目の『サングラス』だ。これは今までと違って、ポエトリーリーディングの形だ。

 〈カーテン越しに刺す陽光。毎日毎日私を追う〉

 〈晒上げられ私の空虚。布団をかぶって目を逸らそう〉

 〈張りぼての牙城、ちっぽけ六畳。現実にもうあきらめ早々〉

 〈ため息一つ、投げ捨て空想。家を出て現実に起床〉

 〈見下す太陽。あざけり嘲笑。理論武装、所詮空っぽ〉

 〈睨みたい。中指立てたい。抗いたい。勝てない。どうすればいい〉

 〈目が焼かれ、肌を焦がされ、限界だって、もう事切れ〉

 〈あいつを見たい。睨みたい。せめて一矢、報いたい〉

 〈私はそうして生きている〉

 〈急かされ、毎日必死に生きている〉

 〈太陽が朝を迎えるから、私は焦るんだ〉

 〈焦る。焦げる。また起きる〉

 〈睨む。夜が来て、一時休戦〉

 〈そして朝が来る。繰り返す〉

 〈毎日、毎日、戦っている〉

 〈見下す太陽。あざけり嘲笑。理論武装、所詮空っぽ〉

 〈されど私は起きている〉

 しっとりと終わっていく。パラパラと拍手が舞い降りてきた。曲の雰囲気に飲まれていたのがはっきりと、手に取るように分かる。 

MCを挟み、最後に『たいまつ』を演奏してステージは終わった。好感触だったのは明らかだ。

 「良いステージだった。オリジナル曲、結構決まってたんじゃない?」

 袖にはけると、泉李がそう声をかけてきた。

 「私もそう思う。特に大きなミスもなかったし、客の反応も上々だった」

 「成功でいいでしょ」

 「だね」

 拳を合わせた所で、私たちの次のグループがステージを開始した。私たちは裏手から出る。

 「あ、汀! 白峰さん!」

 美紅が私たちを見つけて駆け寄ってくる。

 「めちゃくちゃ良かった! すごかった! プロ顔負けだったよ!」

 「ありがとう。そういえば美紅、めっちゃ前の真ん中だったね。ちょっと恥ずかしかったよ」

 「だって友達の晴れ舞台なんて、一番前で見たいに決まってるじゃん」

 「いや、ありがたいんだけどね……」

 美紅はすっかり興奮した様子だった。そんな美紅を微笑ましそうに見ながら、泉李は口を開く。

 「二人とも、とりあえずどっかでご飯食べようよ。松下さん作ってくれたやつ。ステージやり切ってお腹空いた」

 「そうですね。汀、私は白峰さんに賛成」

 「うん。ちょうど近くに大きい公園あるし」

 三人そろって公園のベンチに座り、美紅が紙袋から弁当を取り出す。今日美紅がいるのは、これが目的でもあった。

 「ちょっと頑張っちゃった。さ、二人とも食べて食べて」

 「うわ、おいしそう! 松下さん料理上手なんだ」

 「私より上手」

 「汀、煽ってるでしょ」

 三人で話しながら弁当をつまむ。休日だけあって公園には子供が多く遊んでいて、のどかな光景だった。

 「あ、飲み物切れた」

 持参したお茶も飲みほしてしまった。私は立ち上がり財布を取る。

 「近くにコンビニあるから買ってくる。なんか欲しいのある?」

 「あたし炭酸水」

 「あ、じゃあお茶でお願い」

 「了解。待ってて」

 私はコンビニへ向かった。



 「松下さん、今から楽譜送る」

 「え?」

 あたしはスマホを出して、松下さんの連絡先へ今までに完成したびゃくやのオリジナル曲の譜面を送信した。

 「これって……」

 「あたしに何かあったらお願いするね。ピアノ弾けるんでしょ」

 「……それ、どういう意味ですか」

 松下さんは険しい顔をしてあたしに詰め寄ってくる。

 「具合は良いんじゃないんですか」

 「良いよ、数値の上じゃ」

 「じゃあ、問題ないんじゃないんですか」

 「分からないよ。でもなんとなく、もうすぐな気がする。なんとなくだけどね」

 「そんな……」

 松下さんは私を見据えた。

 「そんな風に思ってちゃ、大丈夫なものも大丈夫じゃなくなります!」

 「そうかな」

 「そうですよ! 人間には意思の力ってものが────」

 「頼むよ」

 はっきり告げたあたしの言葉に、松下さんは二の句を飲み込んだ。。

 「あたしに何かあったら、誰にミギワを頼むのさ」

 「そんな……」

 「松下さんなら、私のこと分かってくれるよね」

 松下さんはどうすればいいのか分からない、といった様子で口を噤む。

 「ミギワのこと好き?」

 「好きですよ」

 「じゃあ、大丈夫だ。これ練習しといてね」

 「でも……でも! こんなの、こんなの……」

 そう呻きながら、松下さんは俯いてしまった。

 「ミギワだって松下さんのこと信頼してるよ。あたしがいなくなっても、びゃくやは続く」

 「死んだらおしまいですよ!」

 松下さんは叫んだ。声は公園に残響して、遊んでいた子供たちがこちらを見てくる。

 「どうして、そんな、自分から手を放すようなことを……」

 「死んだって無くならないよ」

 「え……」

 「音楽って、そういうものでしょ。あたしが死んでもさ、びゃくやの音楽が鳴り続ければ、あたしは音楽の中で生き続けられる」

 涙をこらえるような声が、隣から聞こえた。

 「どうして、私なんですか……?」

 「ミギワの友達だから。ミギワを信じてるから。ミギワが信じてるから。……あたしのお願い、聞いてくれるよね」

 「……分かりました」

 松下さんは立ち上がった。決心した顔つきだった。

 「顔、洗ってきます。泣き顔見られたら、汀が勘繰るから」

 「うん、ありがとう」

 あたしは松下さんを一切見ずに送り出した。ちょうどコンビニからミギワが出てくるのが見える。

 ごめんね、ミギワ。

 ありがとうなんて、まだ早いかな。


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