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第十二話

 私たちは予約したエリアでマイクの準備、ギターのチューニングを済ませ、開始時間を待っていた。泉李は立って水を飲み、私は汚れないように敷いたシートの上で体育座りをしていた。

 「ねぇ、あと何分?」

 泉李に聞かれ、腕時計を確認する。どうしてだか、視界が霞んでいる気がした。

 「十五分」

 「まだそんなにあるんだ」

 「もうそんな時間しか無いよ……」

 緊張で身体が冷えているのを感じる。手を真っ青で、夏なのに身震いしそうだ。先ほどの『言葉は守る』はどの口が言うのか。

 「ミギワ? 顔青いよ?」

 対して泉李は若干汗をかいていて、白髪をかき上げては手でパタパタ仰いでいる。

 「いや、なんか緊張してきた。震えてるよ、やばい。泉李よく平気そうだね」

 「楽しみすぎて震える。大丈夫だって。誰もあたしらのことなんて知らないよ」

 「だと、良いんだけど……」

 誰かが、もし私のことを知っていたらどうなるだろう。また吐くのだろうか。活動休止中の癖にこんなところ出てるんじゃなぇと言われるだろうか。SNSで拡散されてバレるだろうか。

 最近当たり前のようにギターを弾いて歌えていたから忘れていた。隣に泉李が居なかったら、私はまた音楽から逃げることしかできない。もし、もし泉李が倒れて弾けなくなったら、私も倒れてしまう。いや、仮に過去が暴かれて私がおかしくなったら、泉李と一緒に居ても音楽ができなくなるかもしれない。

いやな想像ばかりが身体中を駆け巡る。どうしよう、もしこうなったら。どうしよう、もしああなったら。どうしよう。どうしよう。どうしよう。やっぱり、音楽なんて────

 「ミギワ!」

 大声に肩を震わせ、私は目線を上げた。目の前に泉李がいた。

 「大丈夫。大丈夫だ」

 泉李は私の手を握った。じわりと温みが指先から身体の中央へ昇ってくる。

 「あたしは、ミギワが居れば大丈夫だと思う。ミギワはあたしの知る最高のミュージシャンだから」

 「……そんなこと」

 「あるよ。世間がどうとか、前に売れてたとか関係ない。今のミギワは、今のあたしにとって最高だよ」

 「…………せん、り」

 「ミギワは、あたしが居れば大丈夫なんでしょ? だったらあたしを信じて、あたしに向かってギターを弾いてよ。観客なんてもう関係ない。あたしも、ミギワのために歌うからさ」

 「…………」

 「ほら、もうあったかい」

 泉李は私の手を離した。私は自分の手のひらを見た。

 「ミギワは大丈夫だよ。最強だもんな」

 泉李は強く私の背を叩き、私はそれでせき込んだ。

 「もう、サイアク! これから歌うのに!」

 「歌うって言ったね? じゃあはい、もうギター持って。時間だよ」

 泉李の言う通り、その直後にイベント開始のアナウンスが流れる。多くの人々が会場になだれ込んできた。

 「さ、やろう」

 「……うん。やろう」

 私は胡坐に座り直し、リズムを取ろうとする。

 「ミギワ」

 「ん?」

 今まさにやろうとしたところで、泉李から声がかかる。

 「良い顔してるよ」

 「そっちこそ」

 拳で軽くボディーを叩いた。

 「ワン、ツー、スリー、フォー……」

 一曲目二曲目を連続で演奏する。汗でまみれ、全力のパフォーマンス。予想より多くの人たちが足を止めてくれる。録音や写真を撮っている姿がチラリと見えても、もう何も思わなかった。今、私は泉李のために弾いて、歌っているから。目の前に立つ有象無象などどうでもいい。私たちが全力を出せれば、それでいい。

 「三曲通してやらせていただきました。ありがとうございます」

 泉李がMCをはさむ。これも彼女がやりたいと言っていたことだ。オーディエンスから拍手が飛んでくる。なかなかの好印象だ。

 「あたしたち、びゃくやっていいます。あたしが白峰で、こっちの座ってる人が夜時。頭文字を取って、こうなりました」

 ちょっとでも雰囲気が出るように、軽くギターを鳴らす。

 「カバーばっかりで申し訳ないんですけど、実はあたしたち先月の真ん中くらいにできたばっかりで。お互い高校生で、ほとんど曲なんて作ったことないから一曲しかオリジナル曲がないんです。でもその一曲に魂込めました」

 もう一度拍手が起こる。

 「最後にオリジナル曲やるんで皆さんどうか、チャンネルはそのままで」

 軽く笑いが起きて、泉李は私に目配せする。『たいまつ』へと続く。生きて生きて、死んでその先へ。私たちが作った初めての曲だ。泉李の魂の曲だ。

 私がイントロを奏で、泉李が息を吸った。

〈『また明日』は不確かで、それでも私と君をつないだ〉

〈また会おうと笑いあった時間は確かなものだった〉

 泉李は約束通り私を見てくれる。私も泉李を見る。私のためじゃなく、泉李のために弾くから、私の世界に潜ることは無い。今の音楽を憎む私の冷笑を見ることは無い。

〈朝起きて、カーテンを開ける。結露した窓をぬぐった。また明日の今日だ〉

〈君の姿はどこにもなかった。私はいつまでも、いつまでも待った〉

 サビだ。ギターをさらに大きく鳴らす。

〈全部全部雪に解けた。また明日も、美しい朝日も〉

〈だから私は火をつけた。薄気味悪い白を汚せ〉

〈くすぶる灰の残骸を私と呼んでくれるのならば〉

〈それでいい。死にたくないと泣き叫ぶより、生きていたんだと胸を張れた〉

 一番が終わった。私たちは燃え盛っている。じりじりと焼き焦がす太陽よりももっと熱い。

〈あたり一面銀世界。嫌なもの全部覆い隠した〉

〈私だけが、黒いシミみたいだった〉

〈やをら風が強く吹き、雪はしんしん深くなる〉

〈吹雪が、来た〉

〈全部全部雪に埋もれた。君の笑顔も、思い出さえも〉

〈だから私は火をつけた。薄気味悪い白を汚せ〉

〈最低だなんてくそくらえ。私は私をしょい込んで〉

〈確かにここに立っていたと、血反吐を吐いても吠えていたいんだ〉

 泉李と息がどうしようもなく合っていることを感じる。誰にも切れない、血よりも濃く太い。もう私は自分が誰なのかも忘れ、ただただ泉李を見ていた。

〈運命がどうだって、簡単に言ってくれるけど〉

〈そんなもの何だっていうんだ〉

〈容赦なく襲う吹雪に、それはあっという間に凍えて散った〉

〈君だけが篝火になって、私の行く手を照らしてくれた〉

 息を大きく吸う。

〈全部全部雪が覆った。この世のものじゃないみたいに、きれいな風景〉

〈そんなものはまがいもの。だから私は火をつけた〉

〈もっと、もっと高く燃えろ。燃えろ。薄気味悪い白を汚せ〉

 余韻が空気に溶けていく。曲が終わって、静けさが澱のようにやってきた。聞こえてくる別のバンドの演奏が、車の窓越しに聞こえる都会の喧騒のようだった。私たちの荒い息遣いだけがやけに響く。やがてまばらな拍手が鳴りだした。一人が拍手し、またもう一人拍手し、拍手が伝染していく。

 「ははは……」

 私は気づいたら笑っていた。腹の底の底からマグマのような情動が浮かび上がってくる。血が熱い。隣の泉李を見上げると、泉李も私を見返して笑っていた。泉李は手を差し伸べ、私を引っ張り上げて立たせる。

 「びゃくやでした! ありがとうございました!」

 私たちはそろって礼をして、大きな拍手の波に包まれた。


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