第十一話
六月に入ってすぐ泉李に呼び出される。歌詞が出来上がったからメロディーを相談したいとのことだった。あの河川敷に向かうと、またもや泉李の方が早く到着している。六月に入ったばかりだというのにすっかり熱い。夏服になっても物足りないくらいだ。しかし橋の下は案外涼しかった。
「いやぁ、難産だったよ」
いつもの出っ張りに二人で並んで座ると、泉李はにこにこしながらノートを手渡してきた。真新しいものだ。表紙をめくると『松明』と題名が書いてあって、下に歌詞が続いている。
「『たいまつ』?」
「うん。あとダブルミーニングで『しょうめい』。火をつける松明と証明、みたいな」
「なるほど……」
読み進める。最後まで読んで、私は思わず顔をしかめた。
「分かりにくすぎる。これ初めて?」
「そうだよ。やばいかな」
「いや、魂込めて歌えば感じ取ってくれる人は感じ取ってくれるよ。……でも分かりにくすぎると私の方に問題があるかな」
分かりにくく解釈し切れないと、演奏する時に私と泉李の意識がずれてしまう恐れがある。それは二人でステージに立つ際には絶対に避けなければならないことだ。
「この……『君』って、だれ」
「ミギワ」
あっさりと言われてしまった。
「私いなくなったことになってるんだけど」
「これ、あたしの死後の世界だから。そこにミギワはいないでしょ。で、あたしはまだそこが死後の世界だって分かってない設定。一番ね。で、曲が終わるにつれ悟ってくイメージ」」
「……そっか。じゃあ、この『雪』は?」
「綺麗すぎて、なんか気持ち悪くない? まぶしいし、なんか裏の顔ありそうじゃん。あたしのやりたかったこととか、そういう希望を全部無かったことにする悪いやつ」
その後も歌詞についてあれこれ質問して理解を深める。辛うじて泉李が言いたいことを掴み取ることができた。
「歌の割り当てどうする?」
耳に髪を掛けながら泉李が私に尋ねる。
「私はサビだけでいいよ。あんまり集中すると吐くかもしれないから。それに、これは泉李の曲だし」
「そう? まぁミギワがそう言うなら」
「じゃあ、メロディー考えようか」
私はギターを取り出した。とりあえず直感で色々弾いてみる。
「ギター二本なら、あんまり難しいことはしなくてもいい気がする。曲を何個かに分けて、コードを変えて……」
ペンを取り出し、私がこれが良かろうと思うものを歌詞の上に書き殴っていく。私と泉李の二人分だ。せっかくギターが二本あるのだから、別々に分けた方が良い。そうやって私が真剣に書いている中、私を泉李が感心したように見てきた。
「……なに?」
「いや、なんかミュージシャンの顔だなって」
「どういうこと?」
「テレビで見たミギワの顔してる」
そう言う泉李は、すこぶる嬉しそうな顔をしている。
「はいはい。で、一応こんな感じで組んでみたけど」
「もうできたの!?」
泉李は目を輝かせノートに飛びつく。
「字汚いね」
「うるさい。読めるでしょ」
「まぁまぁ」
泉李もギターを用意し、書いてあるコードを押さえていく。
「サビは一緒に弾きたいな。ミギワも歌うんだし」
「分かった」
「あとCメロはもうちょっと良い感じにしたい。エモい感じで」
「エモい感じって……」
「だって一番二番で同じ構成の繰り返しでしょ。ここが良いと飽きなくない?」
「歌ってるときにやること増えるよ」
「全然いいよ」
「じゃあちょっと書き直す」
私はノートを手に取って、指摘されたメロディーを考え直す。泉李はその間に、決まった一番二番の繰り返しを練習していた。さすがに上手い。そこまで難しい指運びを要求する構成にしなかったのもあるかもしれないが、もうすらすらと弾けている。中学からやっていたというのは伊達じゃなかった。
「そういえば、ミギワこの前豊宗祭りの前にいくつかステージ出て慣れた方がいいって言ってたじゃん」
「うん。なんか探してきたの?」
ギターを爪弾きながら泉李が話しかけてきて、私はそれにノートから顔を上げずに答える。
「なんか隣町でストリートミュージシャン集めて一日中やっていいよっていうイベントがあるらしくてさ。申請すれば、その場所のどこでだって何回だってやっていいらしい。行こうよ」
「オリジナル曲一個しかないけど大丈夫なの? ストリートって最低三、四曲はやらないと全然持たないよ……ちなみにそれいつあるの」
「今週の土曜。でも参加募集の締め切りは今日」
「はぁ!?」
私は思わず顔を上げ呆れ声を出す。
「もっと早く言いなよ。そんなんじゃもう一曲も新しいの作る時間ないじゃん」
「いや、連絡先知らないし」
そういえば貰った時に破り捨ててトイレに流したんだった。私は黙った。
「まぁ見つけたの一昨日の土曜日だったからさ。今日相談すればいいやって」
「……あんまりそういうところでカバーはやらない方が良いとは思うんだけど」
「ミギワの曲やりたい」
「私が集中して吐きそうだから却下。ほかに好きなミュージシャンいないの」
「ミギワ以外のかぁ。じゃあ……」
泉李が出したアーティスト名を私は知らなかった。
「……ごめん、知らないな」
「そんなに知名度は無い方だから。最近ちょっとずつ有名になってきてるけど、ここ一年音楽聞いてないなら無理ないか」
泉李はスマホを取り出したところで、ハッと気づいた顔をした。
「ごめん、聞けなかったね」
「思い出してくれてありがとうございます」
「怒んないでよ。うっかりしてただけだってば」
私はため息をつきギターを構え直した。
「やりたい曲聞かせて。泉李のギターなら大丈夫だから」
「おっけ。あたしがやりたいのはこの曲と……待って、出るの?」
「出るよ」
「いいの?」
「やるしかないでしょ。そもそもこうした方が良いって言ったの私だし」
「やった!」
泉李は大げさにガッツポーズをして、手に持ったスマホを落としかけた。
「えっと、あたしがやりたいのは、三曲あって、一個一個テーマ性が違うんだけど……ちょっと弾いてみるね」
そう言って泉李は弾き語りし始めた。歌詞も見ずに即興だ。どうやら相当聞き込んでいるらしい。
どの曲も初めて聞いたのに胸に来るものがあった。泉李が歌うからだろうか。
「……どう?」
一通り歌い終わり、若干息の上がった泉李が私に感想を尋ねてきた。
「……良いと思うよ。歌も上手かったと思う」
「まじで? うれしい」
「あと『たいまつ』、このバンドにすっごい影響受けてるんだなって思った。まぁ『たいまつ』の方が悲痛だけど」
「分かっちゃった? ダメかな」
「むしろ良いと思うよ。私もいっぱいいろんなミュージシャンに影響受けて、知らず知らずのうちに何かしらその人たちの素晴らしい所が曲に入っちゃうことあったし。まぁ丸パクリは死んじまえだけど」
「言うねぇ」
私は耳が覚えているうちに指を確認する。大丈夫そうだ。
「……うん。これで本番気持ち込めて歌えば、通りがかった二人三人くらいは足止めてくれるかも」
「それだけぇ?」
泉李は不満そうな声を漏らす。
「それだけ居たら大したもんだよ。ほんとはサクラ仕込んでたらもっと楽なんだけど」
「え? サクラ?」
「誰かが足止めて見入ってたら、こいつらはそんな一人でも足を止めさせる何かがあるのか? って人が集まってくるんだよ」
「……ミギワ、やったの?」
「やったことない。でもこれ結構有名な話だからさ」
「よかったぁ。あたしの中のミギワのイメージ崩れちゃうところだったよ」
「今更何言ってんだか。……じゃあ、とりあえず歌合わせてみよう。この三曲と、オリジナルの一曲」
書き直した譜面を渡して、お手本代わりに一回弾いてみる。
「わぁ、やっぱりミギワ上手いね」
「そう? まぁそこそこ指が覚えてたかな」
「やっぱりミギワに音楽は必要だよ」
笑顔で嬉しそうに言う泉李に、私は何も返すことができなかった。
そして今週末の昼前。待ち合わせ場所である隣町の駅改札口にギターを担いで行くと、既に泉李が待っていた。こげ茶色のガウチョと白色のだぼだぼしたTシャツにサンダル、そして黒いキャップをかぶって大きな丸眼鏡をしている。
「お! ミギワ」
私に気付くと、泉李は駆け寄って近づいてきた。私はヘッドホンを外す。
「私服かわいいね。ミュージシャンだった頃そういう格好あんまり見なかった」
「ああ、うん……」
私はいつも降ろしている髪を上げて、黒いチュニックと短パン、そして白いスニーカーを履いている。見ようによっては見えてないように見えるやつだ。ワンポイントで小さいおもちゃみたいな腕時計をつけている。私が持つ数少ない余所行きの服の中で、インターネットでコーディネートを調べたらこうなった。
泉李の言う通り、ミュージシャンだった頃はあまりフェミニンな服装をしなかった。なぜなら女でそこそこ顔が良いというだけで売れたくない、というくだらない妙なプライドがあったから。だからメディアに出るときには必ず中性的で身体のラインが現れず、かつ一切肌を露出しない格好をしていた。
「ミギワ、髪上げてそういう服着るの似合うね。もっとかわいい格好したらいいのに」
「に、苦手なんだよそういうの。あまり興味ないし勉強したこともないし……。っていうか、そっちこそすごいことになってるけど……」
泉李は「ん?」とにやにやしながら顔を近づけてきた。泉李はいつも通り黒髪のウィッグをつけずに、地毛である白髪を出している。黒いキャップとのコントラストが良く映えていた。
「学校じゃないし大丈夫かなって。ほら、最近髪を白に染めてる人よく見るじゃん。あのウィッグ出来は良いけどかゆくなるんだよ。ちょうどいいやって思って取っちゃった。どう? どう?」
泉李はくるくると上機嫌そうに回る。その姿は、私には泉李のあるべき姿であるように見えた。
「良いと思う。私の髪が黒だからびゃくや感があるね。白と夜で」
「いいね、その解釈。最高。……そういえば松下さんは?」
「なんでここで美紅の名前が出る?」
「だっていつも一緒じゃん。仲良しでしょ」
急に言われて照れる。照れ隠しに服を伸ばしながら答えた。
「な、仲良し……まぁそうだけど。別に仲良しだからっていつも一緒じゃないよ」
「今日イベント出るって言ってないの?」
「言ったけど、今日は塾があるんだって」
「へぇ。松下さんにも聞いてもらいたかったな」
「また次の機会があるよ。さ、そろそろ行こう。早めに受付済ませて、良さげな場所抑えないと」
「よし! いざ」
駅を出て街へ出る。岡咲と違ってそこそこ栄えていて、休日だということを差し引いても多くの人が出歩いている。大通りもそこはかとなく綺麗に整備されている気がした。イベントが開催される駅前の大きな公園に着き、運営テントで受付を済ませる。イベント開始は二時から。今は大体十二時くらい。軽く食事を取ろうという話になった。
「お昼、あたしあそこ行きたい! ジャンクフード!」
「なんで?」
「ミギワ好きなんでしょ。インタビューでそう言ってた」
「よく覚えてるね……ほんとに私のファンだったんだ」
「そうだよ、追っかけだったよ。それにあたしそういう身体に悪そうなの食べたことなくて」
「そんな人いるんだ」
「そうそう。だから今日の記念で食べたい。ダメ?」
「別にいいよ、私大好きだし。じゃあ行こうか」
ジャンクフードの店に向かう。私は好物であるチーズバーガーのセット、泉李は照り焼きチキンバーガーのセットを注文する。
「わぁー、本物だ……」
目の前に鎮座するセットを見て、泉李は目を輝かせた。
「ほんとに食べたこと無いんだね」
「親が厳しくてさ。食べさしてくれんかったんだ。まぁもう食べられないだろうし、これ以上悪くなっても変わらん変わらん」
泉李は包装を全部外すと、大口を開けてバーガーを頬張る。当然のように中の具がボロボロとこぼれていった。
「あれ!?」
「ほら、包み全部外しちゃうから。着けたままにしとけばこぼれなかったのに」
「ええー! 先言ってよ」
不貞腐れる泉李をよそに、私は正しい食べ方をレクチャーするようにチーズバーガーを齧った。
「ね。落ちない」
「紙畳んじゃったよ……」
折りたたまれた包装紙を広げ、バーガーを再度包む。
「ん、おいしい。こぼれないし」
「おいしいね。このポテトもいいんだよ」
「ミギワ、ご機嫌だね」
「好物を前にしたら誰だってこうなる」
その後も他愛のない話をしながらセットを食べ進めていった。
「ふぅ、ごちそうさま。おいしかったー」
「ごちそうさま」
泉李はソースを口端に着け満足そうだ。
「付いてる。ソース」
「どこ?」
私が自分の口を指さして教えると、泉李はその反対側を抑える。
「反対反対」
「え? こっち?」
「ああもう。こっち来て」
私はシートを取って泉李に付いたソースを取ってやる。
「おお、ありがとう」
「はいはいどうも」
店を出て、昼下がりの並木道を二人で並んで歩く。
「で、今日どのくらいまでいる? イベント終わるのが八時だから五時間あるけど、まぁ人が混むのは始まって一、二時間くらいかな」
「最後までいよう」
泉李は即答した。私は思わず彼女を見る。
「本気? 五時間だよ? いくら順番待ちがあるからって、立ちながら歌って弾いてって……」
「ミギワは胡坐じゃん」
「いや、そういう話じゃなくて」
「あたしやりたい。今ここで血反吐ぶちまけても構わない」
「私が困るんだけど……」
私が頭をかきため息をついても、泉李は引き下がらない。
「頼むよ。あたしがやばくなったらミギワに頼るしかないけど。……この通り」
泉李は足を止めて、私に頭を下げてきた。
「頭上げてよ。今更『頼る』とか、やめて。私は付き合うって言った。この言葉は守るから」
私がそう言うと、泉李は顔を上げて笑った。
「ありがとう。やっぱりミギワは最高の相棒だ」
「はいはい。じゃあそろそろ行こう。もう時間だ」




