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第九話

 次の日、言った通りに泉李は退院して登校してきた。普段通り黒髪のウィッグをかぶって、へらへら笑っていた。テストが全て終わり河川敷に向かおうとした時、美紅から声を掛けられる。

 「今日は一緒に帰れない?」

 「うん。泉李と練習があって」

 「そっか。エチケット袋、いる?」

 「……うん。お願いしようかな」

 美紅は自分のバッグからごそりとビニール袋を取り出した。

 「外でやるんでしょ。最悪ぶちまけちゃってもいいとは思うけど、一応ね。袋は二重にして固く結んで、絶対素手で触らないで。万一触ったらすぐ洗って消毒。分かった?」

 「わかった。ありがとう」

 「それと、吐いても苦しくなかったらちゃんと食べてね。栄養がちゃんと吸収されないままだと、身体が栄養は吸収されないものだって学習しちゃうから」

 「重ね重ねありがとう」

 「うん……」

 美紅はまだ心配そうだ。

 「気を付けて。無理しないで……また明日」

 「また明日」

 余計に気を遣わせないよう、努めて朗らかにする。美紅も私の意図を汲んでくれたのか、それ以上追及せずにいてくれた。

 美紅と別れて河川敷にやってきた。この河川敷は、矢萩川という岡咲市のなかで一番大きな川にできたものだ。少し奥にはサッカーやテニスのコートがあり、少年チームが練習をしている風景をよく見る。何本も連なって架けられている橋の下では、よく学生がたむろしている。

 「おーい。こっちこっち」

 遠くから声がして、振り向くと橋の影に泉李がいた。橋の支柱の出っ張りに腰かけている。私も隣に座った。

 「朝ぶりだね。元気?」

 「正直憂鬱」

 「元気出して。音楽は情熱だよ」

 そういいながら泉李はギターをケースから取り出しチューニングを始めた。身構えていたが、やはり何ともならない。泉李の音を聞いても私の身体に変化は訪れなかった

 「なんともないじゃん」

 「……だね。泉李の音だけだったら何ともならないみたい。でも歌い始めたら吐いたよ」

 「なんとか歌ってほしいけどね」

 「はじめの方だけ大丈夫だった」

 「はじめの方?」

 「歌い始めてすぐ。サビ入るところで吐いたから」

 泉李はあごに手を当てて考える。

 「あの時のミギワ、目をつぶってめっちゃ集中してるっぽかったよ。それこそ今吐いたって言ったサビのところ。自分だけの世界に入り込んだ感じだった」

 「集中しなきゃ大丈夫ってことかな」

 「分かんないけど試す価値はありそう。耐えれる?」

 「七月までの辛抱だよ。やる」

 「その意気」

 チューニングを終わらせ、慣れた手つきでジャカジャカ鳴らす。

 「じゃあ、なに弾こうか。ミギワの曲だと……この前の『おおぞら』とか。あと『叫べ』とか。あたしあの曲も好き」

 「オリジナルはやらないの?」

 「オリジナル?」

 泉李は私の言っていることが分からないとばかりにオウム返しをする。

 「私の曲を二人でやるっていうのもおかしいかなって思って。元々一人で歌うために作った曲だし、それに……まだ、ミギワの曲をやる勇気が、私にない」

 「そっか。じゃあ作ろう、オリジナル。あたし曲作ったことないけど」

 「コードわかるなら作れるよ。頭の中で鳴らして、自分が良いと思うフレーズをつなげて、リズムつけてメロディーつけて、あとはその曲のテーマとか一貫させたいものとか自分が言いたいこととかを歌詞を通して浮かび上がらせれば完成。簡単だったよ」

 「それが普通は難しいって言うの。天才ミュージシャン様と一緒にしないでよね」

 「それが協力してくれてる人にする態度?」

 「それがこれから死ぬやつへの態度?」

 うぐ、と二の句が喉の奥で詰まる。そう言われては何も返せない。

 「あはは。冗談冗談、そんな深刻そうな顔しないでよ。もうあたしたち仲間なんだからさ。仲間っていうか、運命共同体?」

 泉李は何かを期待するような目でこっちを見ている。ええいままよ、と口を開いた。

 「……それって、泉李が死んだら私も死ぬってこと?」

 「逆にミギワがずっと生きてくれればあたしも生きられるかもね」

 嬉しそうに言い返すと、泉李は大声で笑いだした。どうやら言われたかったことらしい。

 「もう私、泉李が分かんないよ」

 「うん! あたしにも分かんないや」

 私が大げさにため息をついても、泉李は機嫌が良さそうだ。私は燻るものを感じながらも、どこかピンと来るものがあった。

 「でも、こういうので良いのかもね」

 「なにが?」

 「曲の言いたいこと。運命共同体とか、もうすぐ死んでもとか。泉李は音楽のテーマの塊だから、書きやすいかもね」

「ほんと!?」

 泉李は目をキラキラさせながら身を乗り出してくる。

 「あたしにも曲できるかな」

 「うん。せっかくだから作詞作曲やればいいよ。意見なら言ってあげられるし」

 「作る! 作りたい! でさ、できたらCDに焼こう! そうすればあたしが死んでも曲は残るもんね! あ、あとインターネットにも上げよう!」

 「……そうだね」

 笑いながら楽しそうに自分の死後を想像する泉李に、私は突き放されそうだった。これが空元気なのかそうじゃないのか、私にはわからない。私は、泉李のことをあまりにも知らないから。それでも最後の誰かの記憶に残りたいという気持ちは、強烈なものだということは分かった。

 「作ろう。せっかくだから。できるとこまで」

 「作る! じゃあ、まずは……何すればいい?」

 泉李はこっちを見てきた。どう見ても教えてほしいと言っている。

 「えっと、私のやり方でいいなら」

 「ぜひぜひ!」

 私はバッグからノートと筆箱を取り出し、それらを広げる。

 「作詞と作曲、どっちからやる?」

 「どっちが早くできる?」

 「私は明らかに詞の方だった」

 「じゃあそっちから」

 「わかった」

 私はシャーペンを準備すると、ノートに『運命共同体』と『死んでも』と書いた。

 「私は、こういう風に絶対に入れたい言葉を書いて、その行間を埋める感じで書いてた。日本語のリズムとか、先にメロディーができてたらそれに合わせて言い回しを変えたりしてたな。そうした方が一貫性があってかっこいい。あと韻が踏めてるともっとかっこいい」

 「なるほど、一貫性と韻か……たしかに、ミギワの曲はそんな感じだった」

 「だから、いい感じの言葉が思いつくまで待つって感じかな」

 「へぇ。ミギワでもパッと出てこないことあるんだ」

 「しょっちゅうだよ。でもその日思いつかなくても、次の日の……そうだな、例えば歩いてたりお風呂入ってたりした時ふっと降りてきた」

 「へぇ、なるほどね」

 「それも限界まで考えてみての話ね。ちょっと考えてすぐ思いつかないや、じゃだめだ」

 「そっか……」

 泉李は自分のペンを出して、いくつかの単語を書き出し始めた。私はそれを見守る。何の意味も持たない言葉が無造作に並んでいるだけだが、見る限りでは順調なように見えた。

 「そういえば、ミギワは一緒にギター弾くの? それとも歌だけ?」

 「あ……」

 私は口をつぐんだ。

 「ドラムとかじゃだめ?」

 「……わがままかもだけどあたしは嫌だな。ギター弾いてるミギワが見たい。二人でギター弾いて、二人で歌おう」

 「今更わがままとか気にするんだ……」

 「お願い」

 「また吐くかも」

 「精一杯サポートする。いくらでも吐いていいよ。大丈夫、ミギワならできる」

 「それ、吐かせる側の人間が言うのすごいね」

 その後もギターを爪弾きながら歌詞を練る。そんな中泉李は難しい表情だった。言葉を詞の形にするのが難しいらしい。

 「そういうのはなにも形にこだわらなくていいんだよ。自分がしっくりくる順番とか、言いたいことが一番伝わったりするものなら何でも」

 泉李は眉間に皴を寄せながら唸る

 「じゃあ、歌詞はもうあたしの言いたいこと書きなぐる感じで。曲は……ヒットメーカーのミギワさんにアドバイスもらいながら、みたいな」

 「いいよ」

 「じゃああたし、家からギターもう一本持ってくる」

 「え? 家って……」

 「あたしの家すぐそこだから。ちょっと待ってて!」

 河川敷の周りにある家々の方へ指をさすと、泉李はギターを置いて駆け出してしまった。ふとスマホを見て時間を見ると、集合して一時間が経過していた。あっという間だ。

そういえば、自分が音楽をやっていた頃も、曲を作り出すと寝る間も惜しんでやっていたな、と思い出す。一曲できると二日くらい燃料が切れたように眠ってしまった。それくらい心身を込めて一曲一曲作り上げていた。

 あの頃は確かに楽しかった。まだ何も見ないで、音楽だけを追求して。それだけで幸せだった。私自身が自分の曲を愛してやれた。

 それを捨てた選択を、今でも間違っているとは思っていない。そうしなければ私は今生きていないだろうから。美紅にも出会えなかった。けれど今の曲を作る時間を、何かを生み出しているのだという高揚感を、懐かしいと思ったのも事実だ。

あれほど疎んだものだったはずなのに。あれほど来ないでくれと泣き喚いた過去だったはずなのに。

 「……私、どうしたんだろう」

 泉李の誘いを受けてからおかしい。自分でも思う。それでもあれだけ拒絶したはずの過去に、図らずも向き合っている気がする。

 きっかけを探っていたのか? もう一度音楽に触れあうための、きっかけを。

 「私、本当は────」

 「ミギワ!」

 物思いに沈み始めたその瞬間、大声が聞こえてきて危うく滑り落ちるところだった。

 「持ってきたよ! はい」

 ケースを受け取る。中身を取り出すと、きれいに整備されたアコースティックギターが入っていた。ただ、その光沢や雰囲気が明らかに安物のギターではなかった。少なくとも学生が持つようなものじゃない。

 「……これ、結構いいやつだよね」

 「その通り。お目が高い」

 「これ、五十万くらいだよ! いや、ちょっとさすがにこれは……」

 「なんで? ライブじゃこれよりもっと高いやつ五本くらい持ってたじゃん」

 「いや、でもあれは私のっていうかチームのだし」

 「いいのいいの。これ去年の誕生日に今までのお年玉とか集めて買った念願のやつなんだけど、もったいなくてあんまり弾いてなくてさ。埋もれてるのもかわいそうだし、ミギワが使ってあげてよ」

 「いやいや、そういうものこそ泉李が使うべきだと思うよ」

 「持ち主のあたしが言ってるから従いなさい」

 半ば押し付けられるようにギターを受け取り、軽く弦をさらう。明らかに別格な音が響いて、さすが値段が違うと音も違う。

「あと、あたしが死んだらそれあげる」

 「へ?」

 信じられず泉李を見返した。泉李は自分が普段使っているギターをチューニングし直しながら、何でもないような風に続ける。

 「形見。絶対取っといてね。捨てたら化けて出てくるから」

 「そんな、縁起でもないことを……」

 「真面目に」

 いつしか泉李の顔から笑いが消え、じっと私を見てくる。

 「これを、ミギワにとっての、あたしの生きた証にして」

 そんな顔をされて、頷かないわけにはいかなかった。

 「……分かった」

 「うん、よろしい」

 満足そうにうなずくと、泉李はギターを構えた。

 「じゃあ、一回合わせよう。どれだけミギワが耐えられるか、実験」

 「最低な実験だな。人の吐く吐かないのラインを見極めるって」

 「あたし、自分の目的のためならなりふり構ってられないんだ。死んだ後でいいならいくらでも遺書で謝るから」

 またもや縁起でもないことを言い放ち、泉李は手をストロークし始めた。河川敷に漂う穏やかな空気も相まって、アコギから放たれた音はどこか郷愁を帯びている。

 「ミギワ」

 目配せしてくる。泉李のその目は、私を『汀』じゃなく『ミギワ』として見ている気がした。私をミュージシャンとして見てくれていると思った。

 そんな目をされたら、私は覚悟を決めるしかなくなる。胡坐をかき、ピックを握ってギターを膝に乗せる。懐かしい重さだ。もう指はふやけて、広がらなくなってしまった。弦を抑える手がどこか小さく感じる。

 一音だけ間に挟んでみた。おっかなびっくりした音で、みっともない。弦を抑える指に力を籠め、ピックを持ち直しもう一度。先ほどよりはしっかりした音だ。まだだ、こんなものじゃなかった。路上で弾いていた時は、ライブハウスで弾いていた時は、テレビで弾いていた時は、ライブ会場で弾いていた時は、どんな風にやってたっけ。

 泉李が奏でる音の行間を埋めるように、私は少しずつ音を拾い上げていく。こらえきれずに肘でボディをたたいた。ドンッ、ドンッ、パーカスの音の上に乗せて、泉李が指を加速させ多彩な音を重ね合わせる。上手い。負けていられない。もっと、もっと出せる。いけるはずだ。私はピックを捨て、右手で弦を弾いた。これが元の形だ。まだ右手の感覚が戻ってない。無理矢理にでも指を動かして流れを維持する。爪が割れた。でも痛くない。

 「はは、は……」

 私は私の顔がゆがんでいるのを自覚した。歯を食いしばって、必死に食らいつく。過去の自分が果てしなく遠く感じた。悔しい。私はこんなにも腑抜けてしまった。過去の私の輝きがちらついて鬱陶しい。それを見ている、今の私が私に言ってくる。

 「音楽なんて」

 瞬間感じる強烈な吐き気。抑えられないと悟った瞬間、ギターを置いて遠くまで逃げた。

 「うえっ……」

 川沿いのところでぶちまける。ご丁寧に咳まで一緒になってやってきた。苦しい。息ができない。

 「ミギワ!」

 泉李がやってきて背中をさすってくれる。礼を言いたいが、それより早く二度目の吐き気がやってきた。

 「げほっ! ……やっぱ吐いた……」

 私は少しの恨みを込めて泉李をにらんだ。泉李はそれを静かに受け止める。

 「これがまだ……過去に苦しめられてるってこと……?」

 「そうかもね。自分の世界に入り込んでた」

 「だね……」

「回復できそう?」

 「ちょっと、休憩すれば……」

 「分かった。日陰に行った方が良いよね」

 「うん……」

 「立てる?」

 泉李は手を差し伸べる。私はその手を取らなかった。

 「いいよ……一人で歩ける────」

 立ち上がったと同時に視界がくらむ。地面が急に無くなったかのような錯覚が私に襲いかかった。不明瞭な意識の中、私は衝撃に備えようとした───が、それは来なかった。

 「大丈夫?」

 耳元で泉李の声が聞こえる。どうやら私は肩を預けているらしい。転ぶ直前、泉李が支えに入ってくれたようだ。

 「……どうも……」

 「お互い様だよ。この前はあたしが助けてもらったから」

 「……うん」

 ゆっくりと橋の影に向かって歩いていく。制服で隠れてはいるが泉李の背中は小さく、腕や肩は細い。私の方が体形が良いくらいだ。身長は私と同じくらいとはいえ、明らかに私を運ぶには力が足りていない。

 もう大丈夫、一人で行けるよ。そう言おうとしたその時、聞きなれた声が耳をついた。

 「汀!」

 ある人影が河川敷の上に見えた。間違いない、美紅だ。美紅は転びかけながら猛スピードで斜面を駆け降り一直線に私のところまで来る。そして泉李とは反対側の私の腕を肩に回した。

 「私も手伝います。早く運びましょう」

 「あ……ありがとう」

 あまりの手際の良さに、泉李は若干戸惑った様子だ。私は二人に運ばれなんとかにたどり着くことができた。支柱にもたれ座っていると、美紅は持っていたバッグを漁る。

 「やっぱり無理してたんだから。はい、薬持ってきたから飲んで。効くかどうか、分からないけど……」

 美紅は水が入ったペットボトルと錠剤の箱を取り出し、私に渡した。

 「持ってきたって……」

 「ほんとは吐く前に飲んでほしかったんだけどね。一応気持ち悪さを抑える効果もあるやつだから大丈夫」

 「新品だよね、これ……お金……」

 「いいの、これ家から持ってきたやつだから。効きそうならよかった。まずはうがいしないと」

 色々礼を言いたいところではあったが、ひとまず私は指示に従って口をゆすいだ。口の中の気持ち悪さが少し薄れる。

 「じゃあ薬飲んで。二錠ね」

 「うん……ありがとう」

薬を受け取り一気に飲み干し横になる。河川敷を通り抜ける風が気持ちいい。少し楽になったかもしれない。

 「ありがとね、助けてくれて。あたし一人じゃもしかしたらここまで運べなかったかもしれない」

 「……いえ、そんな。私にできることはこれくらいなので」

 そんなやり取りが聞こえてきた。美紅は何か言いたげな声だ。私は目を瞑って、心地よさに浸っていたせいか割り込むことができなかった。

 「あの……この前、学校で汀と言い争いっぽくなった時、私……白峰さんに酷いことを言っちゃって……」

 「何の話……ああ、全然気にしてないよ」

 「……私、白峰さんのこと、知ってるんです。病気のことも……余命のことも」

 泉李が息を飲む音が聞こえた。

 「……そっか。松下先生の娘さんなんだね。そういえば年が近い子供がいるって言ってた」

 「でも、あの時の私はそのことを知らなくて、だから────」

 「やめてよ」

 泉李はきっぱりと言い放った。

 「そうやってさ、もうすぐ死ぬからって態度変えられるの、嫌なんだ。もし松下さんが私のこと病気だって知ってたとしたら、あの時怒ってなかったの?」

 「……怒ってたと思います、それでも。汀が嫌がってるのに、勝手なことしないでって」

 「じゃあいいじゃん。松下さんがあの時怒ったのは、ミギワの友達として当然のことだよ。だから松下さんは正しかったと思うよ。あたしはさ、ほら。もうそういうの気にしてたらなんもできないから」

 「……はい」

 「ということはだ。これで手打ちってことにしよう。あたしも自分が病気だからって、気ぃ遣われたくないしさ」

 「はい、分かりました……あと、もう一つあるんですけど」

 「ん?」

 「音楽やるの、汀とじゃなきゃダメだったんですか?」

 泉李はふふ、と寂しそうに笑った。

 「……やめてほしいんだ?」

 「苦しそうだったので、さっき。やらせたの白峰さんですよね」

 「そうだよ」

 「どうして汀にあそこまでさせるんですか」

 「あたしがミギワにしてほしいからだな」

 「なんでなんですか」

 「……ミギワのこと、知ってるんでしょ」

 「汀が話してくれるまで分からないです。でも、白峰さんがそんな理由でミギワと組んでるわけじゃないんだろうな、って思います」

 「なんで?」

 「そんなミーハーな理由で、あれだけ付きまとえないですよ」

 「……そのミーハーな理由かもね」

 泉李は力なく笑った。沈黙が訪れ、カラスの残響がやけに聞こえてくる。それが止んで、ようやく泉李は口を開いた。

 「あたし、ミギワと同じ小学校だったんだ。六年間一緒だった」

 「幼馴染ってことですか」

 「そんなんじゃないよ、一言もしゃべったこと無かったから。って言うか話しかけられなかった。ノートでずっと何か書いてて、見たら全部詩だったんだ。ちょっと不思議ちゃんだった。あ、たまたま拾ってあげた時に見えただけね」

 「……はい」

 「で、中学に上がったら汀がいなくなってて。地元にそんな中学受験していくところなんて無いし引っ越したのかなって思ったら、テレビに出てた。びっくりしたよ。ああ、もう完全に手の届かない場所に行っちゃったんだってちょっと悲しくなった。それで、少しでもミギワに追いつきたいと思ってギターを始めたんだ。だけどあっという間に見なくなって、あたしとミギワの繋がりが一方的に切られた気がした。あの時はむかついたなぁ」

 カサカサと草が潰される音。「まぁ、ミギワのおかげで音楽が好きになったんだけど」と笑う泉李の声が聞こえた。どうやら泉李も寝ころんだらしい。

 「……高校に上がって二年間、のうのうと生きてきたら病気が判明した。正直どうにかなりそうだったよ。そこで初めて音楽は無力だったって思っちゃった。辛い時に励みになるかもしれない音楽ですら、所詮は明日生きれる保証がある生ぬるい人間が書いたものだよ。死にたいような気分じゃない、こっちは本当の本当に死ぬんだって。そんなくだらない感傷で自分を慰めてたさ」

 泉李は淡々と思い出を語る。それはどこか他人事のようだった。

 「でも、その時ミギワがいたんだ。あの入学式の時、吐いて倒れた女の子。すぐにミギワだって分かった。だってずっと見てたから」

 再びの沈黙がやってきた。風が私の髪を撫でる。

 「その時にさ、死ぬならなんかやって死のうって思った。ミギワじゃなきゃいけないのは、だからだよ。あたしはミギワを見て生きようと思った。だから一緒にやるのはミギワじゃなきゃだめ。ミギワと一緒に、これから死ぬあたしが何か音楽に残せたら、あたしは生きたことになるのかなって。生きていたんだって胸を張れるかなって思ったんだ」

 「…………」

 乾いた声で、そしてどこか達観したような声音で語る泉李。美紅は何も言えないようだった。

 「────そして、あわよくばあたしという存在を刻み付けてやる。勝手に出てって、あたしから勝手に離れたミギワへの復讐のつもり。……どう? 軽蔑したでしょ」

 「……はい、少し」

 「ここで松下さんがあたしからミギワを引っぺがしても、あたしは何度だってミギワに付き纏うよ。あたしの命が終わるまで」

 「……もう何も言いません。汀が納得して一緒にいるなら。ただ、ミギワだって苦しい思いをするから心配なだけです」

 「……だよね。分かってる」

 「私、ちょくちょく顔出します。薬と消化の良い食べ物持って」

 「うん、いつでもいいよ。……あ、そうだ。松下さん楽器弾ける?」

 「ピアノなら一応できますけど、バンドには入らないですよ。お邪魔虫みたいなので」

 「あたし気にしないのに」

 「ギター二本で充分素敵です」

 「そっか。また気分変わったら言ってね。それと」

 「はい?」

 「ミギワのこと、頼んだ」

 「……分かりました」

 草を踏みしめる足音が近づいてくる。傍で止まったと思うと、美紅が私の肩を揺らしてきた。

 「汀、起きなよ。もうそろそろ起きないと風邪ひくよ」

 「……う、うん。おはよう」

 必死に寝起きの演技をする。どうやら二人とも、私が寝ているんだと思い込んで話していたらしい。起きていたとは今更言い出せない。

 「ぐっすりだったね。気分はどう?」

 「だ、だいぶ楽になったヨ」

 「……なんかぎこちないけど、どうした?」

 「いや、何でもない。それでどうする? もう一回合わせる?」

 泉李は首を振って立ち上がった。制服を叩き、着いた草を払い落とす。

 「今日はもうお開きにしよう。そうだな、それまでに歌詞作ってくるまで練習は無しにしよう。そっちはそれまでに、ある程度弾いても気持ち悪くないように特訓しといて」

 「分かった」

 「うん、じゃあまた。松下さんも」

 「はい」

 「ばいばい」

 泉李と別れ、美紅と二人で帰る。どうやら私が心配過ぎて、一旦家に帰って薬をとって戻ってきたようだ。美紅の家はこの河川敷の反対方向なのに。ありがたかった。

 「そんなにありがたいと思うんだったら、できる限り無茶しないこと」

 「お医者さんの娘の言葉は重いね」

 「こら、真面目に聞く」

 家に帰って、泉李の言葉を思い出した。一年間学校に通ってないから、同い年でも上の学年なのは当たり前だ。でも同じ小学校だったなんて思わなかった。決しておかしい話じゃない。私も小学校までは岡咲に住んでいたから。。

 「泉李……」

 どうしても自分と泉李が鏡合わせのように見える。同じだけど、どこかがズレているような。精神を患った私と、肉体を患った泉李。自分を救う音楽は無いと見限った私と、音楽で自分を肯定しようとする泉李。他人と切り捨てることができない哀れみ。だからこそ泉李の音楽を聴いても吐き気を催さないのかもしれない。

 底の底で流れる血が同じだから。

 「復讐、か……」

 正直言って、身に覚えのない話に身に覚えのない恨みだ。そんなこといきなり言われたって困るというのが本音だ。吐き気を抑える薬を使えばもっと演奏ができるのか。そんなことは分からない。そこまでして音楽をやる必要があるのか?

 しかし、今がそこまでする時なのかもしれない。泉李の、私への復讐のために。

 そして、私のこれからの音楽のために。


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