第八話
三十分後。私が落ち着きを取り戻し、顔を洗って泣き顔も収まった。白峰さんが話を切り出す。
「それじゃあ、これからのことなんだけど。練習場所とか、ミギワのリハビリとかね」
「リハビリ……」
「あと練習の成果を発表する場所とかさ。あたしは豊宗祭りがいいかなって。毎年おっきなステージやってるでしょ。憧れだったんだぁ」
リブラにあった広告を思い出した。本気だろうか。
「ま、待ってよ。いきなりそんな大きなステージ……」
「やるよね? やるって言ったよね」
「い……言った」
「うん。ここで断られたらあたし苦しすぎてナースコールするから」
「どういう脅しなの……」
「ネットに写真付きで君がミギワだってチクるよ。すぐ週刊誌が来るかもね」
「もう……勝手にしたら。だいたい白峰さんと何かしらに出たら、わかる人にはわかっちゃうだろうし」
「ははは。それもそうだね」
からからと笑う白峰さんは、病院に似つかわしくないように思えた。昨日あれだけのたうち回って苦しんでいたひととは思えない。
「それで、まずは練習場所どうしよっか。私は河川敷がおすすめかな。ミギワがゲロ吐くなら外の方がいいよね」
散々な言われようだが、事実だから否定できない。
「それでいいよ。川が近くにあった方が、なんか遠慮がない感じがするから」
「いいね、乗り気だね」
「……やけくそになってるだけ」
「うんうん。良いと思いますよ」
満足げな笑顔に、病人だとわかりつつも若干腹が立つ。
「あと、豊宗祭りにぶっつけ本番で行くよりも、いくつかイベントでステージ慣れしておいてからの方がいいと思う」
「ステージ慣れ? あたしはともかく、ミギワは大丈夫じゃないの?」
「私は……まだ、怖いから」
いまだに白峰さんが奏でるもの以外の音楽を聴けないのに、ステージに立って演奏など夢のまた夢だ。
「そっか。じゃあそうしよう」
「近くで素人でも参加できたり、ストリートでもできる所とか探してやっていった方がいい。こういうのは実力よりまず経験だから」
「ミギワの始まりはストリートだもんね。なんか巣立った場所に返ってくるみたいで燃える」
「のんきだな……。とにかく、目標は豊宗祭りだから。そこをゴールにしよう」
「じゃあ、あたしたちの契約は七月までだね」
「うん。七月まで付き合ってあげる」
「やった! うれしすぎて余命伸びそう」
「縁起でもないことを……」
白峰さんは抱き着いて肩に手を回してきた。その勢いでウィッグが首筋に当たってチクチクする。その時、ウィッグがどうしようもなく人工物なんだとひどく実感した。
「そういえば、いつの間にかため口になったよね。先輩として尊敬できないから?」
「……まぁ」
「もう学校の先輩後輩っていうよりかはユニットとして仲間って感じだけどね」
「仲間か」
「この際、名前で呼んでみない? あたしはもうミギワって呼んでるしさ」
「いいけど……。えっと、泉李」
言われたように呼んでみたのに、泉李はぽかんとしている。
「な、何か言ってよ」
「……ほんとに呼んでくれるとは思わなかった」
「ごめんなさいね、白峰さん」
「うわぁ! 泉李でいい! 泉李がいい! 泉李って呼んで!」
「ちょっ、肩揺らさないで」
「お願いぃーお願いぃー」
「わかったって! 泉李! はい、これでいい!?」
「やったー!」
「ほんとに病人……?」
「げほっ! げほっ!」
両手を上げて喜んでいた泉李はうずくまってせき込み、口元を右手で抑える。
「泉李!」
私が顔を近づけると、泉李は顔を上げて笑った。
「大丈夫だよー。心配した?」
「心配して損した!」
「ははは。怒んないでってば」
あきれてため息をつく。あまり松下さんを待たせても悪いだろう、と私は立ち上がって自分のバッグを持った。
「あれ、帰るの?」
「話すこと終わったでしょ。一旦お開きにして、続きは明日にしよう」
「待ってよ! あと一つ決めてない」
「何?」
「あたしたちの名前」
「……はい?」
一瞬何のことだかわからなかった。
「だから、ユニット名!」
「ああ……いる?」
「いる! 絶対いる!」
手を握り力説する泉李に少し面倒になった。
「じゃあ……。……白峰と夜時だから……『白夜』とか?」
「『白夜』……」
泉李は確かめるように、口の中でその言葉を反芻した。
「良い……良いよ! すごく良い! 『白夜』! めっちゃ良い」
「え、良いの?」
「ううん! むしろこれじゃなきゃ嫌だ! でも漢字だといかついから……ひらがなで『びゃくや』にしよう!」
「別にそれでいいけど……とにかく、また明日」
「また明日!」
満面の笑みで左手を振る泉李を横目に、私は個室から出た。
松下さんに連絡すると、もうエントランスにいるということで早速向かう。
「松下さん」
「あ……夜時さん」
松下さんを見つて声をかけると、松下さんは手を振って返してくれる。しかし、どこか様子がおかしかった。
「もう話は終わったの?」
「うん。松下さんのところは……」
「私は大丈夫。じゃあ、帰ろっか」
二人で病院を出て帰路に着く。どうにも松下さんから発せられる空気が重く、私は耐えきれずに尋ねた。
「あの松下さん。何かあった? なんかちょっと変だよ」
「……そうかな」
「うん。お父さんと喧嘩とか?」
「そんなんじゃないよ……」
その後松下さんはしばらく口を閉ざしていたが、意を決したように立ち止まった。
「ねぇ、あのひとの病気のこと……知ってたりする?」
「……うん。なんとなく聞いてる」
「じゃあ、余命のこととか……」
「うん」
「そっか……そっか……」
松下さんは苦しそうに繰り返した。
「……前にね、うちのお父さんが珍しく患者さんについて話してくれたんだ。守秘義務とかで本当に仕事の話を家でしない人なんだけどね……すごく、悩んでた。今年の春くらいに病気が見つかって、あっという間に余命が今年中っていう子の話。高二の女の子」
すぐに分かった。泉李のことだ。
「余命宣告したの、お父さんなんだ。その子の家族も泣き崩れて、何もしてやれなかったって自分を責めてた。今は薬を処方して、少しでも延命するしかないって。……それが、あのひとだったなんて……」
松下さんはこらえきれなくなったように泣き出した。身体がぐらりと揺らいで、私は彼女を支える。
「なのに私……あのひとに酷いこと……!」
「向こうも気にしてないって言ってたよ。だから大丈夫だよ」
「でも……私は医者の娘なのに……」
「それに、その言葉は私のために言ってくれたんでしょ。泉李も分かってるから」
「夜時さん……」
私はハンカチを貸してあげたかったが、あいにくもう使ってしまってできなかった。仕方なくティッシュを出して松下さんの涙を掬う。
「美人が台無しだよ」
「……もう、またそういうこと言って」
「シティーガールですから」
松下さんは笑ってティッシュを受け取った。
「初めて会った時と逆だね。今回はハンカチじゃなくてティッシュだけど」
「やっと借りを返せた」
「返されすぎて逆に貸しになっちゃったな。いつか返す」
「待ってるね」
松下さんはズズッと鼻をすすった。泣きすぎて鼻がしらが真っ赤になっている。トナカイみたいだ。
「そういえば白峰さんのこと泉李って……」
「ああ……実は、一緒にバンドみたいなの組むことになって」
「ええ!? 夜時さん音楽聞けないのに!?」
「私、なんでか分かんないけど泉李の音だけは聞いても大丈夫なんだよ」
「……そっか」
私が少しぼかした言い方をすると、松下さんはきちんとそれを汲み取ってくれた。それ以上踏み込んでこないでくれる。
「頑張ってね。応援してる」
「……ごめんね。ありがとう」
この「ごめんね」の意味も、きっと分かってくれるだろう。
「ただし!」
松下さんは私の行く道の前に出た。
「条件があります」
「無茶なこと以外はなんでもいいよ」
「私のことも名前で呼んで」
「へ?」
松下さんは耳を真っ赤にしながらそっぽを向く。自分で言っておいて、どうやら恥ずかしいらしい。
「あ、あのひとだけ名前で呼んでて私は苗字ってなんか嫌だ。私の方が付き合い長いのに……」
「……ふふ」
「あ! ちょっと、笑わないでよ! 前に言ったでしょ、私友達いなかったからこういうの苦手なんだって!」
「ははははは! 美紅、かわいいね」
「なっ……。み、汀なんて嫌い!」
「えー? なんでよ、待ってよ。友達だろ?」
「うるさい!」
あたしはミギワを見送り、振っていた左手を下した。そして後ろに隠していた右の手のひらを開く。
そこには、あたしから吐き出されたどす黒い血がべったりとついていた。
「はは……ほんとうに、七月までかもね……」
足を抱え、涙が出そうになるのをこらえる。大丈夫だ。大丈夫だ。
「これからだぞ。生きなきゃ。びゃくや……太陽は沈まないんだから……」
どれだけ急いても、追いつけず過去になる。生き急がなきゃ、灯った小さな火は刹那の間に消えてしまう。生きる意味など、後からつくものだ。
なけなしの命を振り絞らなきゃ。
生き急がなきゃ。
あたしはすぐに死に追いつかれる。たった一瞬だけでも、その一刹那だけでも、生きていると感じられればあたしの勝ちだ。
そして、死ぬ直前に言いたい。ざまぁみろ、これがあたしだ、と。笑いながら死んでみたい。




