08
「と、私も思っていたんだがな」
「やみませんねえ、殺人」
新聞社。夜遅く。それでもデスクに張り付いた記者どもが紫煙をふかした薄暗い部屋で、ハリエッタは腕を組んで椅子に凭れている。その後ろにはジャスパー。手元にはここ最近の殺人に関する警察資料。
「連続殺人……でもこれ、人狼の仕業なんですかね」
「違うだろうな」
きっぱりとハリエッタが答えたのには、理由がある。
「おそらく便乗殺人だろう。鮮血公爵がこの街に来る前にもたびたびあった」
「え、そうなんですか?」
「実際に報道されたことだけではなく、報道されなかったことにも目を配るといい」
ん、とハリエッタが机の中から手帳を取り出してジャスパーに投げる。
「っと、」
彼はそれを両手で受け取って、中身をぺらぺら捲って確かめた。
「うわ。こんなにあったんですか?」
「日当たりの悪い街だからな。それも住所やら身寄りがあって上手く殺人事件として結び付いたやつらだけだ。浮浪者なんかはもっと簡単に死んでいるし、そのリストの中にも載っていないぞ」
「うわー……」ジャスパーは口元を押さえながら、「これ、今の状況より断然ひどいんじゃないですか?」
「当然だ」ハリエッタは頷く。「目端の利くやつらはその時期にどさくさ紛れにやっていたからな。バブラオの下では警察だってそこまでやる気があるわけじゃなかった。何かあっても適当に死体をバラしていれば人狼の仕業にできたわけだし、悪党にとっては楽園さ」
「じゃあ今は?」
「どう考えても許されないだろう。公爵の膝元で雑な殺人など繰り返してみろ。自分が被害者に与えた数千倍の苦痛を伴う処刑をされるぞ」
「……そんななんですか、公爵」
ん、とハリエッタは別の手帳を渡す。ジャスパーがその中身を見る。うへえ。十秒もしない間に閉じて、ハリエッタに返した。二度と見たくないです。こんな世界残虐博覧会。
「でもそうなると人狼も可哀想ですね。公爵が来てからは大人しくしてるのに、巻き添えで死んじゃうんじゃないですか?」
「どうだかな。私が人狼だったらもうこの街にはいないだろうし」
「え。ハリエッタ先輩が人狼じゃなかったんですか?」
おい、とハリエッタがジャスパーの頭に平手を乗せる。冗談です、と舌を出して応えて、
「逃げ切ってるって考えですか?」
「実際上手くいくかどうかはわからんがな。移動や転居にもそれなりの金がかかる。人狼は現場から金銭の類は持ちだしていないみたいだし、生活状況によってはまだ逃亡前かもしれない」
「そのへんは清潔ですよねえ。特にバブラオのところなんていくらでもお金持ち出し放題だったでしょうに」
「もっとも、それも大衆受けを考えての苦肉の策だと思うがな」
「……ハリエッタ先輩は人狼のことを劇場型犯罪者だと?」
「まあそうだな。あれだけ殺人を犯してヒーロー扱いされているのは、本人の計算内外問わず何らかの意識が働いてのものだろうよ。……正義の殺人鬼。その点では鮮血公爵とも似たところがあるが……」
「仲よくすればいいのに、って感じですね」
ず、とハリエッタがコーヒーを飲む。眉をしかめて一言。薄い。
「ちなみになんですけど、」
ジャスパーが問いかける。
「ハリエッタ先輩的には、人狼のことどう思ってるんですか? 肯定派? 反対派?」
しん、と一息に声が引いた。
ついさっきまで部屋の中に満ちていた紫煙まで止まったように思える。がやがやと騒がしかった他の記者たちも、呼吸を止めたように静かになって。
ハリエッタは、言った。
「……善か悪かを決める権利は我々にはない。だが、間違いなく彼の起こした一連の事件はこの街を好転させた。ここに暮らす記者としては、その点を評価しないわけにはいかないな」
「じゃあ、」
「かと言って、彼がひたすらに虚栄心や自己の都合で殺人を繰り返した人間だというのなら、それを肯定するわけにはいかない。殺人というのはどの社会においても最も厳しい処罰が定められたタブーだよ。コミュニティの外部との戦い、あるいはコミュニティそのものの抜本的な改革を行う場面においては許容されるが、それ以外ではまず間違いなく許されるものではない。コミュニティの他の成員の安全を脅かすからだ。そして私が思うに、彼は改革者ではない」
「……それはどうして?」
「ビジョンがない。制裁という言葉を現場には残しているし、それに足るだけの証拠の提示も同時に行ってはいる。しかしね、あれはどう見ても言い訳だよ。悪党を殺すというのは改革の一手順ではあるが、改革そのものでは決してない。……街の好転は言い訳の結果だ。彼の殺人遍歴には目的というものが感じられない」
ふうん、とジャスパーは腕を組んで、
「で、結局どっち派なんです?」
「中立だよ。評価できる点もあればそうでない点もある。私は人ではなく思想に寄り添って記事を書くだけだ」
その言葉を最後に、喧騒が戻った。安直なやつらだ、と呟いてハリエッタは続きを語る。
「悪をなせば当然いつでも私は人狼を糾弾する。が、今の時点では殺人という罪とそれによってもたらされる幸運が釣り合っている。だったら、こちらから難癖をつけるつもりもない。過ぎ去っていく現象のひとつだ」
「現象って……なんだか無責任ですね」
「他人の行動のすべてに責任が取れると思うのか? なかなか記者らしい傲慢さが身についてきた」
「それじゃあハリエッタ先輩は、公爵が人狼狩りに動き出したらどっちサイドにつくつもりなんですか?」
「公爵」
あまりにも率直な答えに、ジャスパーは瞳を大きく開いた。
「体制派ですか」
「さっきのメモをよく読んでおけ。公爵の粛清はイメージありきのものだ。人狼がこのまま街の味方として認識されているなら、彼は自身の戦略上手出しはできない。つまり、人狼狩りに本格的に乗り出した時点で人狼側に何らかの落ち度が発生しているんだ。死に足るだけのな」
「でもほら、他の便乗殺人鬼たちが善人を殺したりしたら巻き添えを……」
「何のために情報を伏せてきたと思ってるんだ?」
三冊目の手帳を取り出す。鍵付き。最初のページ。ハリエッタが指先で示すのはこんな記述。
『殺害前に鋭い刃物のようなもので喉を刺している』
ああ、とジャスパーもようやく頷いて、
「そっか……。この情報を外に漏らしてないから、人狼本人がやったかどうか、手口によってわかるようになってるんですね」
「ああ。人狼側がこの手口を逆手に取ってあえて外すことも考えられるが、得てしてこういう連続殺人犯のルーティンというのは崩れにくい。公爵側が罪を擦り付けようとしても、私たちがこの情報を保管している以上、冤罪だなんだと騒がれる余地もある。あの男はそういう橋は渡らないだろうな」
なるほどなるほどなるほど、と三回言って、ジャスパーは、
「ということは、このまま人狼が大人しくしてれば逃げ切り勝ちってことですか」
「だろうな。何か途轍もない不運にでも巻き込まれない限りは」
「そりゃあ、」
ジャスパーは見た。この夜遅くまで、残っている同僚の記者たちを。この街の不幸を集めて言葉に変えて、紙に張り付けて売り捌く人間たちの憔悴しきった顔を。
「いかにも、ありそうな話ですねえ……」
したり顔で呟けば、「子どもはそろそろ帰れ」と言って、ハリエッタが背を向けた。