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07



 教会騎士シルフォリオは不満を持っている。

 なにせ、この悪徳の街に来てからというものまだ誰の粛清も行えていない。


 その理由は明らかだった。ゴドー=ゾルゲンホワーヅ公爵が言った。この街にいたはずの巨悪はおおむね人狼によってすでに滅ぼされている。誰もが納得して処刑を受け入れるような悪人が残っていない。その状況で行う殺害には見せしめの効果こそあれ、民衆を味方につけるような要素がひとつとしてない。恐怖のみによって行う政治はそれほど長くは続かない。


「大事なのは、信頼を得ることだよ。シルフォリオくん」


 そんなことはわかっているけれど。


 ゆえに、ここに着任してからの数週間をずっと拠点教会における診察治療活動に費やしている。シルフォリオだって教会の一員であるから、こうした救民活動に対して不満があるわけではない。この死ぬほど汚い空気の撒き散らされた街で住民の身体が蝕まれていることは想像に難くないし、その治療に取り組む先輩のエリューの姿勢は大いに尊敬している。


 だが、それでも、と。

 思うのだ。


「はいはい、予約券持ってない人はあっちで貰ってきてくださいね。え? ずっと並んでた? あー、はいはいはい……。貰い忘れね……。じゃあちょっと前後の人にちゃんと確認取れたらその位置で予約券発行しますんで。おーい、こっち増援!」

 果たして銀剣の異名を取る騎士である自分が、こんな風に列整理をやっていることがどれほど意味のあることなのかと――。


「あの、すみません」

 そんなことを考えていると、若い男の声。


「はいはい! 今度はどうしました?」

 振り向いて、お、とシルフォリオは意外に思った。この街の人間にしては珍しく、あまり工場労働者然とした様子のない、線の細い青年がそこに立っていたから。茶色の髪。自分と同じくらいの年だろうか。


「いま、教会ってこれ、全部病院として貸し切られちゃってますか……?」

「まあ、そうですけど。それが何か?」

 大抵自分のところに来る質問は『この列はあとどのくらいで捌けるんだ』『金はないけど大丈夫か』『医者が美人と聞いたけど本当か』くらいのものだったので、不思議な質問にシルフォリオは首を傾げる。それに見たところ、この青年はどこか身体の調子を悪くしているようにも見えない。


「あの、お祈りをしたいんですけど。それってどこでやれば……あ! いや、すみませんお忙しいところに変なことを訊いて……」


 すごく正直な話をすると。

 シルフォリオは、ちょっと感動した。


 だって、実質公爵の下で働くようになってからというもの、ゴミのような街ばかりを巡ってきたのだ。悪徳ののさばる街ばかり。出会うのは悪人か、悪人ほどじゃないにしろ俗な人間ばかりで、善人なんていうのは大抵新天地に着任するまでに葬り去られている。そして民衆たちも当然それまでの圧政下で余裕をなくしているから、エリューのことをそれこそ聖女のように称えて涙を流して礼を言うことはたくさんあったけれど、それだって治療してもらったことへの礼というだけで、教会の信仰それ自体まで感謝の念が向くことはなかった。


 それが、こうして。

 こんな掃き溜めみたいな街で、敬虔な教徒と。


「…………あの?」

「お名前は?」

「え? ヴェ、ヴェインですけど……」

「素敵な名前ですね。僕の名前はシルフォリオ。今日からあなたの親友です」


 はい?と首を傾げるのにだって構いはしない。「さあこちらへ!」と意気揚々と手を取って、困惑するヴェインを連れてシルフォリオは教会の中に入っていく。中にもまだまだ人の行列はあるし、プライバシーのために各治療室を仕切る衝立がいくつもあって、入り組んでいる。それを勝手知ったる様子でぐんぐんと進んでいくと、最後にはほんの小さな部屋に入り込む。


 中には、天使像が置いてあった。


「へえ……こんな部屋があったんですね。長いこと通ってたけど、知りませんでした」

 きょろきょろと部屋の中を見回すヴェインの言葉に、シルフォリオの中でさらに評価値が上がる。通い詰めているのか。なんと立派な信徒だろう。


「普通はここは、教会司祭が事務仕事なんかをするための部屋ですね。この街では司祭がいないみたいだったので、こうして祈りの部屋に改造させてもらいました」

「ああ。司祭さんも随分前に領主に殺されちゃいましたからね」

「……本当だったら、その時点で補充の人員を送ったり、領主に対する懲罰を執行すべきだったんですけどね」


 この国の政治と宗教の関係は乱れている。どちらか一方がもう一方に優越しているということはなく、また同時に、癒着して切っても切れない関係にある。シルフォリオも頭ではわかっている。政治の絡んだ話だ。この手の街教会の司祭一人くらいの死では、領主の命に係わる問題にはできない。責任追及も教会と対立する派閥に入っている貴族が相手では、効果に乏しい面がある。


 二人は並んで祈りを捧げた。シルフォリオは願う。世界が正しく平和でありますように。弱者の報われる世界でありますように。ふっと祈りの手を解くと、まだ隣の青年が祈り続けていることにも気付いた。よほど熱心らしい。


 ますます気に入った。


「……教会の方々が来てくれて大助かりです」やがて、青年が言った。「病気も治るようになって、悪い人も減り始めて……。ひょっとするとこの街もようやく平和になるんじゃないかって、みんな噂してますよ」


 そう言われれば、シルフォリオも悪い気はしない。

「この街に実際に住んでいる人からそう言ってもらうと、こっちとしてもやる気が出ますね」

「本当ですか? 僕なんかの言葉でやる気が出るっていうなら、いくらでも」言って、青年は微笑む。

 ふとその顔を見て、シルフォリオは思った。エリューの笑顔に似ている。つまり、底抜けの善人。


 できればもう少しここで話していたいと思ったけれど、そうもいかない。教会は万年人手不足。さっきも無理やり抜けてきてしまったから、残してきた人員が困っているかもしれない。

 でも、最後に一つだけ。


「ところでこれは今、この街の人みんなに訊いているんですが……。人狼の正体に、心当たりはありますか?」


 一瞬、青年は驚いた顔をした。それ自体はよくあることだったから、シルフォリオも気にしない。教会関係者から『人狼』なんて言葉が飛び出して来たら誰だってぎょっとする。当たり前のことだ。


 青年は首を横に振って、

「いえ。教会では人狼を追ってるんですか?」

「もちろんです。人狼の殲滅は教会の使命の一つですからね」

「……それは、どうして?」


 おや、と首を傾げたシルフォリオに、青年は困ったように言う。

「実は、僕はしっかりした教えを受けたわけではないんです。祈りというのも見様見真似で……」

「へえ。あ、失礼。ちょっと意外でした。確かにこの街だって司祭不在でしたからね。そういうこともあるか」


 いいですか、とシルフォリオは指を立てて言う。

「人狼は、人を食うんです。人類の天敵と言っていい。人類の敵ということは、神の敵ということです。僕たち教会の人間にはそれを滅ぼす義務がある」


 教会で育った人間なら誰でも知っている話だ。そしてわかりやすい話だとも思う。善良な人間を攻撃する人間、あるいは獣。自分がその悪から人々を守らなければならないと決意して剣を取ったシルフォリオにとっては、最も馴染み深い教会の思想の一つだ。


 果たして、それは目の前の青年にも伝わったらしい。確かにそうですね、と頷いて彼は、

「どんな理由があれ、人を殺すのは悪いことですから……」


 一瞬、引っかかりを覚えた。

 それは違う、とシルフォリオは言おうとした。正当な理由のある殺人であればそれは認められる。そうでなかったら自分たちのやっていることは――


「シルフォリオさーん! どこですかー!!?」


 が、それも呼びかけの声に遮られた。

 しまった、とシルフォリオは腰を浮かす。もう行かなければならない。


「また来てください。もしこの部屋までの行き方がわからなかったら、教会の人間に声をかけてもらえればみんな大喜びでご案内しますから。いつでも気軽に」

「ありがとうございます。……あ、あの。一個だけ、いいですか?」

「はい?」

「たぶんもう、人狼を探す必要はないんじゃないかと思います」


 妙に確信めいた言いぶりに、シルフォリオの踵がぴったりと地面に付く。

 不思議な雰囲気のある青年だった。鹿のように臆病に見えるのに、その実妙に芯が通ったような印象も受ける。以前に見た教会高位の神官たちにも似た空気がある。


 だから謎めいた言葉にも、説得力があって。

 彼は、こう言った。



「もしも人狼が悪人しか食べないっていうなら……悪人のいない森からは、出ていくはずですから」




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