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02



 つまりは、とマーカスは言った。

「俺らに死ねって言ってんだな? 先生」

「そうは言ってません。ただ、治療には莫大な費用がかかるという事実を申し上げたまでのことです」


 病院、診察室。向かい合うのは身なりのいい白髪の老人。医者。この街でほとんど唯一の。名前はオルガ。


 マーカスが日の高いうちから出歩くのは珍しい。仕事の問題だ。深夜営業のダイナーの店長。だから基本的に動き出すのは日が暮れ始めてから。もっとも、この工場ばかりの街では空はいつも灰色に濁って、太陽の位置だって水に埋めてぼやかしたようにわかりづらいけれど。


「それが死ねってことなんだよ」マーカスは首を振りながら俯く。「店を売ったってそんな金は払えねえ。なんとかならねえのか、先生」

「無理ですね」オルガはにべもなく言った。「こちらだって道楽でやっている商売じゃありません。治療費の払えない者まで治すとなったらそこら中から貧民がわんさか出てきますよ。ゴキブリみたいにね」


 はっきり言わせてもらいますがね、とオルガは言う。


「医療というのは高級品なんだ。あんたらにはちょっと薬を注射するくらいにしか見えないかもしれないがね、その陰には無数の天才たちの努力がある。私だって生まれてこの方勉強を積み重ねて大学まで出たんだよ。こんな街の無学なやつらを相手に自分の時間を切り売りしてるっていうだけでありがたく思ってほしいものだね」椅子から立ち上がって、「お帰りはあちら。看護師からリストを貰ってください。金額併記の医療メニューの案内がありますから。最近はこの病気が多いんだ。あんたの娘だけじゃない。あ、そうそう。入院費用が払えないならとっととその娘も家に持って帰ってくれますか。ベッドだってタダじゃないんだ」背を向けて、「どうぞお大事に」


 診察室を出て、マーカスは説明を受けた。今後の娘さんの体調を考えるならこんなのがよろしいですよ、と金の話をされた。入院費用は一日あたり給料四日分。まだ熱の下がらない娘を背負って、病院を出た。



「あ、」

「ん?」

 そこに、見知った顔がいた。


「ヴェイン? お前こんなところで何やってんだ」

「店長こそどうして……あ、」ヴェインはマーカスの背中に眠る小さな少女を見ると、口を手で覆って、「すみません、大きな声を出して……。何ともなかったんですか?」

「いや……」マーカスは苦々し気に首を振ると、「お前こそどうしたんだ。病気か?」


 いえ、とヴェインも首を振る。苦笑しながら、恥ずかしそうに、

「なんだか朝起きてから頭が痛くて……。薬でも貰おうかと」

「風邪か? まあ何にしろ、その程度ならここはやめた方がいい。……そうか。お前はこの街に来て日が浅いんだったな」

「ええ、そうですけど……」ヴェインは怪訝な顔で、「何か、問題のある病院なんですか?」


 歩きながら話そう。そう言って、マーカスは娘を背負ったまま歩き出した。ヴェインは少し名残惜し気に病院の建物を見つめたけれど、結局その後をついていく。


「あそこはな、ちゃんとした医者なんだ」

「ちゃんとした……?」

「お前のいたところは平和なところだったらしいな」羨ましいぜ、とマーカスは言って、「この街じゃ無免許医がゴロゴロいる。代わりに王都で免許を取ってきたのはあそこしかない。……だから、頭痛ぐらいであそこにかかるのはやめた方がいい。とんでもない金を分捕られるぞ。頭痛くらいなら店まで来い。俺の常備薬を分けてやる」


 ありがとうございます、とヴェインは礼を言いながら、

「あの、でも免許持ちって確か、国が規定した料金しか取れないんじゃ……」

「って、思うだろ。チップだよ」

「チップ?」

「面会のためにいくら、診察のためにいくら、対応のためにいくら、予後診療のためにいくら……。そもそもあの医者、金を積まないと表にも出てきやがらねえ。ガードマン付きの看護師に訊くとこう言うぜ。『本日は休診日です』……。で、どうにか出勤してもらいたいってことでこっちが金を積めば奥の扉から先生が出てくるって寸法よ」


「さ、」ヴェインは絶句して、「最悪ですね……」

「仕方ねえ。最悪の街だ」諦めたようにマーカスは言う。「どうしようもねえのさ。こんな街に好んで来るまともな医者はいねえ。あそこの病院のオルガが来る前にいた医者の末路、知ってるか?」

「いえ」

「領主に向かって『健康被害が出てるから工場の環境を整えろ』って進言して縛り首だよ。……冗談じゃないだろ。何十年も勉強してきて、あんな男の舌先一つで何もかも台無しにされちゃあよ」


 街の通りには、昼ごろにもあまり人通りはない。ほとんどが工場勤務者だからこの時間帯はどこも出歩けないというのが一つ。もう一つは、こんなに汚れた空気の中では外出する気も起きないから。一時間もしてから頬を拭えば、服の袖が真っ黒になる。


 煤煙。石炭を燃焼させたことによって発生したそれは、常に街の大気中に滞留している。ときにはスモッグとなって、辺り一面を覆うこともある。薄黒い霧の街。領主であったバブラオ=トレジェーデの利益を最優先にした都市計画は、領民たちの肺腑に着実に侵食している。


「でもまあ、領主のクソも死んだわけだしな」

「ああ、人狼が……」

「サマサマだな、ありゃ。おかげで俺たちの生活もちょっとは良くなる……かは知らねえが。スッとしたのは事実だ。この街にいるやつらはみんなそうだぜ」

「…………」

「新しい領主にもう少し良識があればいいんだがな。ついでに医者も連れてきてくれると万々歳……」

「医者を連れてくる、ですか?」


 ああ、とマーカスは頷いた。

「医師免許持ちが誰一人としていねえ街はマズいだろう。だからそういう場合は王都から来る貴族が新しく一緒に医者を引っ張って連れてくる……。ま、あのオルガがいる間は関係のねえ話」

「……娘さん、だいぶ悪いんですか」

「一年持つか持たないかだそうだ」


 マーカスは鼻で笑う。

「馬鹿にしてんだろ。人の娘ひん剥いて胸に二回三回聴診器を当てただけでそれだ。クソッタレ。ぶっ殺してやりたいぜ、オルガの野郎」そこまで言うと、ふとヴェインを見て「……悪い。ちょっと口が悪かったな。びっくりしただろ」


「いえ」ヴェインは首を振る。「ホリィさんもたまにそういうこと言ってますから。厄介なお客さんが帰った後とかに」


 はは、とマーカスは笑う。娘を背中に担ぎ直す。そして言う。

「……悪いが、今日と明日はとりあえず二人で店を開けてくれるか。早い時間だけでいい。護身用の銃の場所はわかるか?」

「はい。……僕から、ホリィさんにも伝えておきます」

「悪いな」一瞬、マーカスは俯いて、「今は少しでも、娘の傍にいてやりてえ」


 店の前まで来た。鍵はホリィが持っている、と伝えるとマーカスはポケットからスペアのキーを取り出してヴェインに手渡す。娘を背負ったその背中が煤霧の中に消えていくのを見送ったのち、ヴェインは裏口から店に入った。


 常備薬。マーカスのロッカーの中。頭痛薬。腹痛薬。咳止め薬。制服。回転式

拳銃。その弾丸。

 頭痛薬を手に取った。瓶に入っている。振ればじゃかじゃかと音が鳴る。蓋を開けないまま、ヴェインはそれをロッカーの中に戻す。


「医者のオルガ、か……」


 そして、小さく呟いた。


「まだ、足りないな……」


 ロッカーがぎぃ、と軋みを上げて閉まる。




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