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 真夜中になれば、人狼と吸血鬼の争いに、人の入り込む余地はない。エリューとシルフォリオの二人がここにいたとして、決して手出しはできなかっただろう。


「ふ――ッ」

 トレアの脚が大鎌のように振られる。左の上段。びっ、と風を引き裂く音。ヴェインは足をその場から動かすことなくスウェイでそれを躱し、蹴り足が止まって振り落ちる前には上体を起こして右のフックを放っている。常人が食らえば首の付け根が半分近く切り裂かれるような剛腕も、吸血鬼の腕が防げばなんてことはない。トレアは顔色一つ変えずにそれを受け、続く左の中段突きも容易くその手首を捉えた。


 勢いよくその手を引く。


「がッ――!」

「やっぱり脆いね、人狼は」


 頭突き。ただそれだけで、尖った石で殴られたように額が割れて血が噴き出る。ヴェインはトレアの手首も掴み返す。そのままぐるりと捻ってやれば関節が極まりかけて、反射的にトレアが逆方向にかけた力を利用して、勢いよくその手を引き離す。


 去り際、顔面に一発。

 大きく跳び退ると、鼻から一筋だけ血を流して、トレアはそれを拭っていた。


「……うわ。自分の血、久しぶり」


 強い。

 今までに会った、どんな生き物よりも。


 人間が人狼をお伽噺の生き物だと思うのと同じで、ヴェインにとっても吸血鬼は想像上の生き物に過ぎなかった。聞いたことくらいはある。かつて存在した、太古の強種。人類を捕食する人狼よりもなお強力とされた、生物の最頂点。


 人狼と違い、ほとんど永劫を生きるとすらされる、その寿命。


「…………なぜだ」

「答えないよ」

「なぜ、お前は人間の側についている」

「答えないつってんだろ。耳が聞こえないわけ? ……ああ、獣だから人間語がわかんないのか」


 トレアは指についた血の溜まりを。

 針のように、飛ばした。


「――――!!」

「ないよりマシの一発芸、ってね」

 血の陰からトレアは高速で踏み込んできている。顔の前に飛んできた尖血針。正確に瞳に向けて飛んでくるとなれば、咄嗟に腕で庇うことになる。


「臆病者」

 その隙を、トレアは逃がしはしない。ガードが顔に上がった瞬間を狙って、腹部に両の平手を当てる。肉の裏、骨の奥の臓器まで衝撃を与えるように、ぴったりと隙間なく密着させて、


「がッ――!」

 鎧通し。

 内臓に傷が入ったのがわかる。それでも、休む暇はない。前に身体が折れ曲がったところを、戦闘者であれば逃がすはずもない。隕石のような硬度で、拳が下から上に突き上がろうとしている。アッパーカット。


「く、おッ――!」

 掴んだ。両手で、その片手を。

 力を利用する。突き上げる力を上手く自分の身体に流し込んで、上体を起こす。次の手は見えている。身体の伸び切ったところに放つ攻撃手は一つ。左のボディフック。


 だから、その右の手を両手で引いた。


「お――?」

 ぴったり身体を密着させる。左の拳は身体に刺さるが、それでもダメージは軽減できている。加速距離が少なかった。インパクトポイントを外した。距離感を見誤っている。


 こちらの攻撃が、刺さる。


「がァああああアアアッ!!」

 

 大きく口を開いて。

 噛みつき。


 人狼の咬力は並の獣のそれを遥かに超えている。鰐と咬み合っても先に食い破って殺せる。相手が吸血鬼と言えど、単純な力の問題で、トレアの身体はヴェインの噛みつきに耐えられない。


 ぶつぶつぶつ、と筋線維の断裂する音がして、口元を意地汚く真っ赤に染めて、ヴェインはトレアの肩の肉を食い千切った。



 だから、お返しとばかりにトレアも、ヴェインの腕の肉を噛み千切った。



「ぎッ――――!」

「あははははっ! ビビってやんの!」


 咄嗟にヴェインはトレアを突き放す。向こうにダメージがなかったわけじゃない。トレアもヴェインの力に負けてふらついて後ろに転がっていくし、立ち上がる足はよろめいてる。


 けれど、依然笑みは崩さず。


「あー……懐かし。昔やったなあ、こういうの。知ってる? 人狼ってさ、昔大粛清があったとかいうでしょ。あのときほら、吸血鬼が人間側についてたんだよね。人間って人狼より吸血鬼の方が好きだから。だってお前らと違って私たちって別に人、殺さなくていいしね。血を吸えばいいだけだから。むしろ人間より道徳的って感じ? 生き物の命を奪わないで食事を済ますのが道徳的って判断をするならね」

「……話をしないんじゃ、なかったのか?」

「これは話じゃなくて攻撃って言うんだよ。お前の心を傷つけるための攻撃。どう、傷ついた?」


 ヴェインは腕を押さえる。かなりの肉を持っていかれた。が、継戦不能というほどではない。夜の人狼の自然回復能力は人のそれも獣のそれも遥かに凌駕している。出血くらいはすぐ止まる。


 まだいける。

 腕を持ち上げて。爪を、構えて。


「あのさ、君、人狼のガキ庇ってるでしょ」

「――――っ!?」

「懐かしいな。ほんと何もかも。昔はそうやって人狼狩りをしてたんだよ。君たち、同族意識が強いからさ。ガキを人質に取られるとひょいひょい出てくるんだ」

「てめえ――!!」

「あれってなんでなの? 人間よりだいぶ強いよね。吸血鬼にはそういうのなかったから不思議なんだけど。弱い奴なんて死んで当然じゃん?」


 けらけらと笑いながらトレアは言う。けれどヴェインは会話どころではない。

 ラズの存在が知られている。


 こんな話をした。エリューが倒れた自分の部屋で。僕が時間を稼ぐから、君は今のうちに街を出るんだ。何度も何度も不安そうにしたけれど、最後にはラズは頷いた。だからこうしてヴェインは公爵のいる場所にまで出張ってきて、もう一人の人狼がいることを隠そうとしていた。店の裏で殺された男の喉に爪を刺したのも、自分だけがこの街にいる人狼だと思い込ませるため。


 それが、こんなにも簡単に見破られている。


「くッ――!」

「おっと」


 踵を返して走り出そうとしたヴェインを、トレアは逃がさない。

 血の針。それが彼の進路を塞ぐようにして、床に突き刺さった。


 逃げられない。

 決着の後でなければ。


「…………もう、いい」

「ん?」

 ヴェインが振り向く。すべての覚悟を終えた後で。


「お前の目的も手段も、どうでもいい。俺の目的と手段はこうだ。ガキを助けに行く。お前を殺して」


 向けられた爪に目を細めて、トレアは言った。

 それって。



「教会の人間たちと何が違うわけ?」



 何も違わねえよ、と獣は叫んだ。




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