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15



 教会騎士シルフォリオの人生において、特筆すべき点は三つある。

 一つ目は、彼が手を差し伸べてもらったこと。

 二つ目は、彼がその手を取ったこと。

 三つ目は、彼は手を差し伸べるよりも、剣で人を守ることの方がずっと得意だと、そう知ったこと。


 だからこうして、戦うことになっている。






 シルフォリオは剣を抜かない。それが最も脅威であることを、ヴェインは本能で分かっている。

 身体と、長いマント。その奥に隠すように提げられた剣は、ヴェインの目からはその長さがわからない。射程の不明。その恐ろしさは、この二十年そこらの闘争に満ちた人生の中で確かに理解している。


 聖堂を歩く。絨毯の上。天使に至る道を、ヴェインは往く。踵は浮かす。爪先だけで動くのは、いつでも次の動作に移れるように。一方でシルフォリオは右前の足を踵までべったりと付けて、左の踵だけが浮く。一撃の構え。


 一歩、二歩、三歩――


「ふッ――!」

「――――!」


 シルフォリオが剣を振るった。獣の瞳でも捉えらえない速さは、限界まで効率化された人の武術の証。悪魔狩りの聖剣。その長さは見極めきれないまま、すでにシルフォリオは納刀を終え、さらなる抜刀への構えに戻っている。


 咄嗟に踏んだバックステップは、やはり間合いから逃れきれない。頬に走る鋭い痛み。伝う血液。それを拭わず、ヴェインは言う。


「銀剣か」

「黙れ。獣が人の言葉を話すな」

「はッ――!」


 次に動いたのは、ヴェイン。

 向かって左――シルフォリオが帯剣するのとは逆の方向に、大きくステップする。身体の向きを変えるのを待たない。そのまま大きく踏み込んで爪撃を、


「な――――!」

「浅知恵だな」

 ガチン、と阻む音。

 服の下。着込んでいる。チェインメイル。


 体の入れ替えはエリューのそれと遜色がない。ヴェインの踏み込む力を後ろに流して受けて、その勢いで腰を回しながら抜剣。ヴェインは落ち着いてそれを爪で受け止めて――


 獣の本能。

 膝を抜いて、大きく後ろに跳んだ。それでも間に合わない。首筋に風の通り道。


 一刀目を受けられたと認識した瞬間に、シルフォリオの剣が引けた。そしてそのまま、二の太刀で首を斬り落としに来た。


 認識を改めなければならない。

 この男、戦闘技術はともかく、身体能力ではエリューより上にある。


 もう一度、ヴェインは大きく後退する。制空権の争いを近距離でする必要はない。依然、人と人狼で比べれば間違いなく、こちらの方が大味な戦闘行動への優位を持っている。であるなら、鎬を削り合うような間合いでの駆け引きはこちらの不利を引くだけ。多角的な攻め札は、相手の領域から離れたときにこそ意味を持つ。


 息を整えて、一秒。

 ヴェインは言った。


「俺は必ず――手口と目的を教えることにしてる。自分が何をしているのか、神に伝えるために」

「人を食らった口で神に触れるか」

「お前らこそ。獣肉を食らった口で祈りを捧げてる」

「神は獣の上に人を作った」

「誰に教わった? そんなこと」


 居合の構えを解かないまま、シルフォリオはヴェインを睨めつける。


「教えを侮辱するか」

「だから訊いてんだっつの。誰に教わったんだよ。んなてめーらにだけ都合のいい思想をよ」

「……それが、君の本当の喋り方か」

「話を逸らしてんじゃねえよ」


 しかし、それでもシルフォリオは答えない。

「狡猾な奴だ。まさか獣が信仰者の振りをして天使に祈るとは、思いつきもしなかった。少しでも人の心があるなら、とてもそんなことはできない――やはり、顔だけは人でも心は獣のそれだな」

「祈りが本物だの偽物だの、お前が決められんのか?」

「当然だ」

「だから誰に聞いたんだ、つってんだよ」


 がなり立てるような声で、ヴェインは言う。

「お前らの正しさは誰から受け継いで、誰が確かめてくれんだよ。なあ、オイ」

「信仰は遥か昔から――」

「歴史さえありゃそれが正しいことになんのか? だったら俺らの勝ちだ。人狼は歴史の始まるずっと前から人間を食ってきた。古さなら俺たちが勝ってる。俺たちが正しい」

「小理屈を……」

「理屈も何もなく生きられる奴は幸せでそうでいいなあ?」


 首元に、ヴェインは手を当てる。剣閃にパックリと開いた傷跡を、ぎゅうと指先で閉じた。ぐちゅ、と音を立てて血が滲む。たとえ人狼のものであっても、それは赤い。


「エリューとかいう女の言うことはまだわかった。俺も同じだ。この世界は間違ってる。どれだけ精一杯にやっても、どっかで俺らは正しくないことをする。それでも何かに線を引いて、自分でできる限りのことをするしかねえ。苦しんでも悲しんでも、受け入れて何かを壊していくしかねえ。そのことは、俺もよくわかる」

「エリューの名前をお前ごときが口にするな」

「だけどな、お前らみたいなのはもっとわからねえ」

 大きく、ヴェインは腕を広げて、言った。



「何を信じて生きてんだよ、お前らは。神なんかいるわけねえだろ」



 疾った。

 最初の数歩は両足を交互に出して、ただ走るように。けれどもう数歩の距離になれば凡百の歩法ではない。床を滑るような足の動きは剣術家特有の上下移動の皆無を生ずる。


 音の方が遅い。


 一閃。ヴェインは首の皮一枚で躱してから気付く。まだシルフォリオの前進が止まらない。剣を振り切ってほとんど背中を見せるようにしながらも、そのままヴェインに向かって突進するように。体当たりの姿勢。ヴェインはさらなる後退を試みようとして――


「足か――!」

 長いマントと剣に気を取られていた。いつの間にかシルフォリオの前足はヴェインの獣脚を絡めとっている。そのまま背中側にバランスを崩せば、シルフォリオの肩をまともに食らう。


 吹き飛んだ。


「貰った――――ッ!」


 完全な間合い。

 完全な速度。

 シルフォリオの銀剣が放たれる。


 その前に、宙に浮かんだヴェインの足が、シルフォリオの胸を突いた。


「がッ――!」

「甘えんだよォ!」


 攻守逆転。蹴りつけた反動でヴェインが宙を返る。着地すればこっちのもの。


「シ――ッ!」

 膝をついたシルフォリオの顔を目掛けて、右脚を一閃。それを剣の鞘で受けられれば意趣返し。秒と待たない間に右に軸足を入れ替えて交互蹴り。次は左脚。


「ぐ――っ!」

 果たして、シルフォリオはそれも防ぎ切った。けれどまだまだ止まらない。前にワンステップ。左の足を地面につけて、右脚を折り曲げて、一気に解放。顔を潰すような一撃。剣で受けようとして、腕にまで掠った。肉に入れた切り込みこそ少ないが、骨にまで衝撃が届く手ごたえ。受ける力を軽減しようと、シルフォリオが後ろに転がる。追いかける。跳躍。


「オ――らァッ!」

「くッ――!」

 空中機動。上方から下方へ打ち下ろすような爪撃。シルフォリオはそれを抜刀でしのぐ。それでようやく、銀剣の全容が見えた。


 大刀ではある。

 が、その銀の割合は、さほど多くはない。


 当然の話だった。銀は柔らかい。通常、武装として用いるには強度が足りていない。たとえ人狼を相手にするものであっても最低限武器としての用途を果たせなければ容易く折れ曲がり、殺しの道具としては使えない。ゆえに鉄との混ぜ物として銀武器は造り上げられる。


 だから、問題がない。

 この程度の銀が相手ならば、打ち合える。


 一瞬、ヴェインは前側に体重を寄せる。向こうがそれを跳ねのけようとした力をそのまま推進力に変えて、一気に後ろに下がる。シルフォリオの体重移動は僅かながら不完全に終わり、重心は前へ。飛び退がったヴェインは左の爪先を後ろに着地して、すぐさま前に飛び出す。胴廻し回転蹴り。


「そんな大技――ッ!」

「食らっとけァ!」

 シルフォリオが剣を振り抜く。それに爪を合わせる。手技ごときが人狼の跳び技に力で敵うはずもない。剣は弾かれ、シルフォリオの身体が開く。ヴェインは着地ざま回転の勢いに身を任せ後ろ蹴りを放つ。


 入った。


「ぐうッ――――」

「逃がすか!!」

 シルフォリオの身体が浮いた。すかさずヴェインは踏み込む。派手な技は要らない。手技。チェインメイルのない場所。顔と首。そこに巡る動脈を根こそぎ引き裂く破壊の風爪。


 防御技が、シルフォリオにはまだある。


「なっ――!」

「舐めるなァ!」


 視界が一瞬、真白に染まった。

 意識、ホワイトアウト――? 疑ったものとは違う。感触。硬い布。


 マントを使った、いなし技。


 爪が布を貫く。その瞬間シルフォリオが大きくマントを上に払う。斬撃も打撃も往々にして横合いからかかる力に弱い。容易くその暴威は方向を変え、ヴェインの腕が大きく天井へ開く。


 その布の向こうには、シルフォリオが構えていて。




「――――死ね、人狼」




 一閃。二閃。

 胸に大きく刻む、十字の剣軌。


 獲った。

 そう、確信した。


 必殺の剣だった。

 シルフォリオ自身、長く闘争に身を置きながらこれほどの技を放ったことはこれまでにない。ひょっとするとこれからの生涯にもないかもしれないと思わせるような、会心の斬撃。


 だから、油断した。


「なッ――!?」


 血飛沫と共に倒れ込もうとしたヴェインの身体が、もう一度だけ、跳ね起きた。


「馬鹿な――!」

「経験不足だ、てめえは!」


 シルフォリオの抜剣が間に合わない。柄を蹴り飛ばされて、体勢が崩れる。咄嗟に顔を庇おうとしたのは、これまでの戦闘における顔狙いの刷り込みから。実際には違う。大きくヴェインは沈み込むと、シルフォリオの腰に飛びつく。体重差。身体能力差。とうとうシルフォリオは地に倒れ伏す。もがく間もない。完全なマウントポジションに入って、何かの行動を起こす前に、人狼の怪力で肩を外される。叫びの声は一つも上げず、ただ頬に堪えるような皺が寄った。


 勝負あり。

 その分かれ目は、たった一つ。


 仰向けになって、ようやくシルフォリオも気付いた。


「――――夜か」


 ヴェインは、頷くでもなく答える。

「人狼とやった経験がないな、お前。……人狼は夜、月が出てからが本領だ。宵入りの時間は継戦とともに力も、速さも上がる」


 服の裂け目から見えていた流血が、もう止まっている。真っ赤に染まった白シャツもすでに乾き始めていて、少しずつ色を黒く変え始めている。


 初めから考えていた。人狼の数は少ない。たとえ教会騎士といえど、こちらの習性を知らない可能性は十分にあった。深夜になってから戦闘に入らなかった理由は二つ。囮の役割をできるだけ早くから果たすため。もう一つは、こうして戦闘の途中に意表を突くため。


 切り札は、最後に出した方が勝つ。


 人狼は、騎士を見下ろして言う。


「言いな――――目的と、手口を」


「何?」シルフォリオの眉が顰められる。

「あの女から教わったわけじゃねえのか」

「何の話をしている」

「ならいい。ただ、お前は言えばいい。目的と手口。自分が戦う目的を。剣を振るって、獣を殺そうとする理由を」

「そんなことに何の意味が――ヅっ!」

 爪の先が腹を裂く。言え、と低い声でヴェインは告げた。


「これは誇りと思想の問題だ――あの女だって言ったぜ。お前が言わない道理はねえ」

 しばらく、それでもシルフォリオは答えなかった。けれどヴェインが自分の上から退く気も、あるいはそのまま自分を殺す様子もないことを理解すると、とうとう口に出した。


「目的は、人狼を殺すことだ」

「そうじゃねえだろ」

「何?」

「人狼を殺すっていうのは手段だ。豚を殺すのは大抵の場合、豚を殺してえからじゃねえ。豚を殺して、食いてえからだ。生き延びるために。お前は何のために人狼を殺す?」

「世界の平和のためだ」


 迷いなく、シルフォリオは答えた。


「……人狼がいる世界は、平和じゃねえってか」

「そうだ」

「なら人のいる世界は?」

「…………?」

「人狼と人の何が違う? 人狼と人の数を比べてみろ。人の方がずっと多くの動物を殺してる」

「なぜ動物の話が出てくるんだ」

「人は動物だからだ」

「違う。人は人で、動物は動物だ」

「誰が決めた?」

「神が決めた」

「神が決めたって、誰に聞いたんだよ」


 そこで初めて、シルフォリオは沈黙した。

「…………お前は、何が言いたいんだ」

「言いたいんじゃない。聞きたいだけだ。お前たちはいつ、どこで、誰から聞いたんだ。神がお前たちに許したって。自分たち以外の動物を殺すことを。そうして生き延びることを」

「そんなのは、」


 当然のことだ、とシルフォリオは言う。


「人は動物を食べなければ生き残れない。そして、食べるだけの力がある。それはつまり、神が僕たちにそれを許したということだ」

「俺の手口と目的を話してなかったな」

 唐突に、ヴェインは話を変える。そしてシルフォリオがそれに反応するよりも先に、語り出す。


「人狼は、二十五までに百人を殺して食らわなければ、獣に堕ちる。地獄に落ちる。俺は自分の心を守りたい。天国に行きたい。だから殺す。それが目的」

「は――――?」

「お前の好きな神様は教えてくれなかったか? ……俺はお前と違って、自分以外の動物を殺すことが誰かに許されるとは思っていない。だから何度も何度も――たとえそんなのがいないとわかっていても――神に許しを請うし、納得のいく殺し方しかしない。俺は悪人しか殺さない。有害で、死ぬだけの理由があると判断できたやつしか、殺さない」


 さあ、とヴェインはシルフォリオの首に手をかけて、問いかける。

「お前の目的はわかった。世界を平和にすること。それじゃあ手口は? 人狼を殺して、どんな風に世界を平和にしたい?」

「…………僕は、」


「俺はお前と、何が違う?」


 僕は、ともう一度言って、シルフォリオはそれ以上、言葉を発することはできなかった。



 ヴェインの手に力が籠もる。

 動脈を抑える。十秒。それでぐるりとシルフォリオの意識は落ちて、それ以上はヴェインは、何もしない。


 立ち上がる。まだ雨が降っている。ステンドグラスの向こう、そのさらに先の分厚い雲の奥に、きっと月がある。その光だって、星の裏にある太陽を写し取ったものに過ぎない。そのことを、ヴェインは知っている。




「自分のやっていることもわからない。そんな子どもは――殺せない」




 教会を出る。

 天使の像に、背を向けて。




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