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 やることはもうわかっていた。

 エリューは座りもせずに玄関口を塞ぐように立っているし、ヴェインも座るようにと勧めたりはしない。もうここに来て言い訳の余地も、何かの期待も存在しない。ホリィの足音が十分遠ざかっていくのを確かめてから、ヴェインは言った。


「一人で殺しにきたのか? 随分迂闊なやつだな、お前」

「人海戦術は好みではありません。怪我人が増えるだけですから」


 ゆっくりと、エリューは懐に手を差し入れる。取り出したのは回転式拳銃。ソリッドフレームだ、ということまでヴェインはわかった。振出式や中折式よりも頑健性が高い。装填数は六発。撃ち切ればこの間合いでリロードはできない。近付こうとすれば目で制される。銃の間合いに入れば、問答無用で殺し合いが始まる。その前に。


「私は必ず、手口と目的を話すことにしてるんです。……昔、師からそう教えられました」


 ぎっ、とヴェインの身体が固まる。その師ってのは誰のことだ、と訊きたくなるのを抑え込んだ。どうせこちらは名前も知らない。たとえ想像したのが同じ人物であったとしても、確かめて何になる。


「治療師ってのは嘘か?」

「いいえ。本業はそちらです。ただ……その他のこともできるというだけ」

「大した自信だ」

「教会祓魔師だそうです。誰が呼び始めたのかは知りませんが」

「銀弾か?」ヴェインが獣の爪で指して訊ねる。

「ええ」躊躇いもなく、彼女は頷いて、「六発。必ずその間に、あなたを仕留めます」


 嘘ではなさそうだ、とヴェインは思う。居住まいが非戦闘者ではない。銃を持つ手に震えがない。すでに何人か殺している。自分と同じで。


「人狼。人類の敵。あなたをこれから、銀の弾丸で殺します。殺した後には、あなたの死体を野に晒し、この街で起きた殺人事件との関連全てを公表します。あなたの名誉を地に落とし、教会の糧とする。それが私の手口です」

「随分とまあ……」

 生きにくそうなこって、と呟く。けれど、エリューの目に揺るぎはない。


「んで、目的は?」

「……世界の平和のためです」

「冗談だろ?」

「いいえ」首を振って、「真剣です。この世界に生きている人は、みんな」


 目を眇めて、ヴェインは言う。

「あのよ。前からずっと訊こうと思ってた。俺の何が悪い? 俺たちの一体何がそんなに気に食わない? ……お前らだって、牛や豚を食うだろ。それと俺の、一体何が違う?」

「あなたが食べるのは、牛や豚ではない」

「そうだな。じゃあ牛や豚と、人。一体何が違う?」

「私たちと同族であるか、そうでないか」

「ああそう、仲間意識ってわけだ」

 くだらねえ、とヴェインは吐き捨てる。そしてエリューの瞳を見つめたまま言う。雨の音。時計の音。永久みたいにそれが響き続ける部屋の中で。


「バブラオ=トレジェーデは? 医者のオルガは? あいつらもお前らの仲間ってか。なあ、どうなんだよ。人を病気にしたり殺したりして尊厳踏み躙ってへらへらしてる奴らはさ、俺みたいにちゃんと働いて祈って穏やかに過ごしてる人狼より、お前らにとっちゃ大切で守るべき存在なのかよ。なあ、オイ!」

「そうです。その、とおりです」

 ヴェインの詰問に、エリューは短く答えた。


「……この街で、誰が俺の死を望んでる? お前の正しさを、誰が保証してくれる?」

「…………か、」

「神だなんて言うなよ。信じてもねーくせに」


 お互いよ、と自嘲するようにヴェインは言う。

 その言葉には、少しだけエリューの指先からも力が抜けて、


「……正直な話をすると、私はあなたがこの街からいなくなるなら、それでもいいと思っていました」

「…………」

「あなたが悪人だけを殺すというなら、私とそう違いはない。自分を裁かない私が、あなたを裁く権利を持つはずもない。だから、あなたがこのままいなくなってくれるならそれでもいいと思っていました。けれどあなたは最後に――」

「もういい」


 ガン、と勢いよくヴェインは足元の時計を蹴り飛ばした。まっすぐに顔に目掛けて飛んできたそれを、エリューは眉一つ動かすことなく拳銃で叩き落とす。銃身にまるで軋みも歪みもない。戦闘能力には、一切の変化はなく。


「もういい――うんざりだ。会話も、善悪も、思考も、人生も。死ねよ、お前」

「……助かります。話がわかりやすくなって」


 睨み合うのは、呼吸の問題。互いに相手の隙を疑って、疑い続けて――――



 落雷。

 銃声。



「当たるか、んなもん――――!」

 先に仕掛けたのはエリューだが、先に動いたのはヴェインだった。


 ヴェインの部屋には物がない。遮蔽物がないというのは銃を相手にしたとき、プラスにもマイナスにも働く。利点として得られるのは、相手が身を隠す場所がないということ。欠点として現れるのは、こちらが物陰で銃弾をやり過ごすことができないということ。表裏一体の損益。けれどこの場合――ヴェインが銃手と相対する場合、後者は無視できる。足場が確保できているなら、この程度の弾速はいくらでも回避できる。


 突進。大した技術は要らない。人狼と人間では身体能力がまるで違う。ただこうして、速さに任せて攻撃するだけで、相手の胴をこの爪が刺し貫く――


 普通、なら。


「――――ッ」

「貰った……!」


 半身で躱された。

 理屈では可能だった。ヴェインが互いの距離を詰めるために駆け抜ける間に、ほんの僅かに体位置を入れ替える。ヴェインの突き出した右爪を銃身でいなすように削って、その勢いのままエリューは彼の肘の外側に向けて身体を開いていく。ヴェインの頭の後ろにエリューの肘が当たる。しまったと思えばもう遅い。右足を引っかけられてぐるりと頭を倒されて地面に額を打ちつけて――


「クソがっ!!」

 銃声。ローリングで回避。


 向こうも無駄撃ちはしてこない。焦って仕留めには来ない。残り四発。ここで攻めてくるような相手だったらもっと楽だったけれど。


 起き上がればすでに距離は取られている。間合い。ただしさっきよりも、もっと緊張感のある。


「……銃はフィニッシュブローの代わりってわけか」

「勘違いされたようだったら申し訳ありません。私は徒手格闘の出です」

 ふん、とヴェインは鼻で息を吐いて、

「おもしれえ」


 左が前。拳を作る必要がないから、ヴェインのリーチの方が遥かに長い。左を二発、挨拶代わりに振ってもまるでエリューには刺さらない。軽いステップ。それから首避けだけで空を切る。


 焦ることはない。制空権はこちらのもの。ならばこうして牽制を続ければいずれ――


「――ッ!?」

 咄嗟に引いた。拳の位置がおかしい。明らかに今、鼻面までエリューの拳が迫ってきていた。左をもう二度振る。次に避けたときには、その正体も多少見えた。


「肩か――ッ」

「よく見えている――」


 次はとうとう顔に貰った。大したダメージではない。が、入れられたこと自体が問題。

 エリューのブローは肩まで入っている。拳だけで打ち込んでいない。肩ごと、射出するような打ち方。腕の伸びの他に立ち位置の伸びまで加わるから、実際の間合い以上にリーチが通る。


 威力は問題ではない。特に左に限っては。けれど右のストレート、銃底で殴られたときのダメージを鑑みれば無視はできない。それ自体は決定打にならなくとも、怯めば致命の弾丸へと繋がる隙になりうる。


 発砲それ自体は大した脅威にはならない。この距離で、何の崩しもなしに使われてもそれは有効打にはならない。だからヴェインは決めた。アウトスタイル。さらに一歩、こちらの間合いを利用する形で距離を取って――


 姿が消えた。


 下。

 彼女の両足が、彼の両足を挟み込むようにして。


「――ッ!」


 体重差があるはずだ。その上、人狼としての身体能力の差も。

 それが堪えきれないのは、重心を破壊しうるだけの場所に的確に力を込められているから。


 足の抑えが利かない。倒れ込むのを避けられない。受け身を――

 取ろうと、


「ふ――ッ」


 腕を払われた。

 超感覚。明らかな殺気。銀の臭い。死の予兆。


「お、オォおおおおおお!!」


 ほとんど肘は伸び切っている。手が頭より前にある。それでもそうするしかなかったから、僅かに足先が床に着いた瞬間、思いきり蹴り上げる。ともに持ち上げられることを察知したエリューの挟み足が咄嗟に離れる。


 逆立ち。

 銃口は、その背中に向けられていて。


「かッ!!」

「はず、し――!」

 銃声は空振り。そのまま腕の力だけで、ヴェインは跳ねた。


 宙に浮かぶ。

 身体をその場で入れ替えるのなんて、訳はない。


 胴廻し回転蹴り。体重の全てを乗せた。

 すでにエリューは次弾の構えを終えている。


「らあッ!」

「づっ――!」


 ヴェインはエリューの命を絶つよりも、その弾丸を防ぐことを先に選んだ。手先に向けて、獣の後ろ脚が振り下ろされる。ごきり、と骨の砕ける音。拳銃が床の上を滑る音。着地。エリューは膝をついていて、一方でヴェインはスタンド。


 勝った。

 右脚。中段。

 思い切り、蹴りを振り抜いて。


 さらにエリューの身体が、沈み込んだ。


「なん――」


 左脚に向けたタックル。ほとんど抱き着くようにして彼女はその軸足に飛びつく。胸から腹にかけて、爪に脚を傷つけるのにも構わずぴったりと身体に密着させて、掬い上げるようにして――


「二度も同じ手を食うかよォ!」


 右脚を振り抜いた勢いで、大きくヴェインが回転する。その途中で右脚に軸を変えて、左脚を振り回してやれば、そのままエリューが壁に叩きつけられる。


「かっ――」

 肺へのダメージ。呼吸が止まる。もう後ろに逃げる余地はない。下方向へと逃れるのは二回も見た。だから今度は迎え入れるようにして下方向から蹴り上げるように、爪先を顎へと向けて放つ。


 ガキン、と。

 一瞬だけ金属を叩く音がしたのは、エリューが袖からもう一丁の拳銃を取り出したから。


「お前――」

「切り札は――!」


 銃身を使って蹴り足を逸らされた。正真正銘の攻撃後。最も無防備な瞬間、すでにエリューは引き金に手をかけていて――




「ヴェイン!!」



 クローゼットから、少女が飛び出してきた。


「――っ」

「チッ――!」


 戸惑いは一瞬。

 それで、決着には十分。


 ヴェインの蹴り足が、返す刀でもう一度エリューの手を叩く。一撃食らった時点ですでに限界が来ていたのだろう。折れた指ではもう握力などろくに利くはずもなく、エリューの手から簡単に拳銃が零れ落ちていく。


 銀の弾丸は、もう彼女の手元にない。


 壁を背にして座り込む女と、それを見下ろす獣だけがいる。


「……もう少しだけ、クローゼットの中に入っていて」

 小さな声で、ヴェインが言う。ラズは二度三度と頷くと、言われた通りに元の場所へ隠れていった。


「……初めてです。負けたのは」

 エリューが呟けば、だろうよ、とヴェインは返す。

「こんなことしてりゃ、一回負けただけで死ぬに決まってる。生きてるってこたあ、一度も負けずに生き残ってきたってこった。……俺みたいにな」


 油断はない。エリューの指先が拳銃に少しでも向いたのを見て取れば、ヴェインはその銃を足で遠くに滑らせる。


「……お前、なんで最後に撃たなかった」

「……指が、動きませんでした」

「くだらねえ嘘を吐くんじゃねえ」


 雨の音が、急に大きくなっていた。このままこの部屋ごと海の底、光の一つも届かないずっと奥まで沈めてしまいそうな、水の音が響いていた。


「……彼女は、人狼ですか」

「教える義理はねえ」

「それ、ほとんど教えてるようなものですよ」

 げほ、とエリューは咳き込む。ついさっき、壁に身体を打ちつけたときのダメージ。それほど身体が強いタイプではないのは、体型を見るだけでも十分理解できる。


「……心が弱かったからです。きっと人狼だろうとわかっていても、子どもを撃つ勇気がなかった。あなたとの決着よりも、迷いを優先してしまった……」

「死ぬとわかっていてか」

「……殺す覚悟よりも、死ぬことを受け入れる方が、ずっと楽です」


 その言葉に、きっと嘘はないのだろうと、見てわかった。

 少しずつ、彼女の身体から力が抜けている。肉食獣に捕らえられた草食獣が、やがて諦めながら自らの魂を手放すように。


「俺は必ず、」

 だから、ヴェインは言った。


「手口と目的を教えることにしてる――自分が何をしているのか、神にちゃんと説明するために」


 大きく、エリューの瞳が開いた。

 けれど、それを誰から教わったのか、なんてことは訊かない。ヴェインが訊かなかったのと同じように。


「人を百人食らえば人狼は人狼の天国へ行ける――。その達成が、俺の目的。そして手口はこうだ。悪人だけを狙う。そうすれば、誰も俺を恨まない。敵視しない。捜さない。俺は人間の味方として、人狼の目的を達成することができる」

 そして、とヴェインは。


 告げた。


「あんたは、悪人じゃない――。あんたを殺せば、誰かが俺を恨む。敵視する。捜し出して、殺そうとする」

「あなたは――」

「だから、お前は殺さない。……ただし、俺が完全に逃げ切るまで、しばらくの間は意識を失ってもらうけどな。手はもうどうしようもないが、できるだけ傷に残らねえようにしてやる。そのまま力抜いてろ」


 待って、とここに来てエリューは叫ぶ。

「あなたは、いや、そのルールがあるなら、最後の殺人はあなたでは――」

「もう飽きたよ、会話には」


 す、とヴェインの足先がエリューの顎を撫でるように動いた。もう獣の脚ではない。けれどそれだけで、エリューの頭はがっくりと落ちて、一目で気絶したとわかるようになる。


 しばらく様子を見た後、ヴェインは屈みこんでエリューの顔を覗く。それでも起きる気配がないのを見ると、「出ておいで」と言ってようやくラズをクローゼットから呼び寄せた。


「お……」服の裾を握りしめながら、ラズは言う。「怒ってる?」


 それにわざとらしく驚いたふりをして、ヴェインはこう答える。

「どうして? 助けようとしてくれたんだと思ったんだけどな」

「でも、私、変なことしたから……」

「ううん。さっき自分がしたことが変なことだってわかるだけでも大したものだ。僕が君くらいのころは、誰がどのくらい強くて、誰と戦おうとしちゃいけないのかすらわからなかったよ」


 顔を上げて、ラズが訊く。

「本当?」

「もちろん本当。ありがとうね。でも、危ないからできれば今後はああいうことは控えるように。隠れたり逃げたりっていうのも、いつか誰かの役に立つことだってあるんだから」


 うん!とラズが元気よく頷けば、ようやく一連の物事には片が付いて。


 そして、ヴェインは思う。

 もうどうにもならない。




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