11
エリューが目を覚ますと、トレアが机の片付けをしているのが目に入った。
「あ、す、すみません。寝ちゃってて……」
慌てて椅子から起き上がると、そのまま寝てな、とトレアは言う。
「宿直、人足りてないんでしょ? ちょっとくらいは手伝うよ。愛人は暇人ですから」
それから手慣れた様子で部屋の掃除もしていくのを、エリューは椅子に座り直して見ていた。疲れが溜まっている。もう夜明けも近いけれど、この街の肺病はかなり深刻に蔓延している。夜間の訪問客に対応するためには、こうして多少無理してでも教会病院に人が詰めておかなければならない。
「どう? 上手くやってる?」
トレアが訊くのに、エリューは素直に頷いて答えた。
「かえって、他の街よりやりやすいかもしれません」
「へえ。そりゃまたどうして?」
「嫌な話ですけど……ここの肺病は、先端医療を受け入れるための態度基盤に貢献しています」
エリューが思い出すのは、以前に行った感染症流行地のこと。特効薬はその時点ではなかったが、生理食塩水と栄養点滴、それから安静にして過ごすことによって克服できるような、それほど致死率の高くない感染症だった。
当時のエリューはかなりの自信があった。正しい治療法は知っているし、それほど手間やコストがかかるものでもない。自分が現地に行けば感染症の根絶とまではいかなくとも、大幅に被害を軽減することができるだろうと、そう思っていた。
しかしそれは、間違いだった。
「この肺病は、医師免許を持たない偽医師の手に負えるものじゃありません。だから偽医師と正医師の能力に対して、正しい認識が広がっています」
病院に来て、水と栄養を与えられて後は寝ていろ、などと言われて納得するような人間はそう多くない。大抵の場合、医者にかかる人間というのは薬を求めているものだし、それを与えられなかった場合は自身の恢復を自然治癒として捉える。つまり、医者に行った意味がなかった、と考えるようになる。
その点無免許の医師たちは、得体の知れない薬をどんどん投与する。たとえそれが何ら病気に対して効果のないものであっても、悪影響さえなければいずれは患者の自然回復力によって病は治癒する。そして患者たちはこう考える。あの医者のところで貰った薬がよかったんだろう。
結局その地で、エリューは自らの力で現地の人間から医療への信頼を勝ち取ることができなかった。感染症の対策に乗り出せたのは、公爵による見せしめ処刑が恐怖を振りまいたあと。
どちらがいいという話ではないとは、わかっているけれど。
「んじゃ、こっちとしてはやりやすいわけだ」
「……それもオルガ医師たちの策略だった、というのであれば、複雑な気持ちですが……」
「いーんじゃない? どんな文明だって今や革命の血の上に建設されてるんだからさ」
トレアが塵取りに集めた埃をゴミ箱に捨てる。ロッカーに箒を詰めて、よし、と手を叩いて一言。
「本格的にやるってさ。狼狩り」
「……動き出してしまったんですか」
「シルフォリオが見つけたって。精々がゴミ漁りに来た家無しを殴ってるくらいの料理人で、別にそんなに極悪人ってわけでもないやつが殺されてるのを」とんとん、とトレアは自分の細い喉を指先で叩く。「これがちゃーんとついてるやつ」
「……見つからなければ、それでいいとも思っていました」
「エリューは穏健派だねえ、相変わらず」
「……生き物をできる限り殺したくないというのは、穏健と呼ばれるような特殊な思考ですか」
「普通の人は生き物殺しても何も思わないもん。特にほら、自分たちと違う生き物ならさ」
シルフォリオを見ればわかるっしょ、と言えばエリューは悲し気に目を伏せる。
「あの子も……心配です。いつか、後悔する日が来てしまうんじゃないかと」
「そう思うんだったらあの子の前ではそういう顔を見せないことだね。あの子、エリューのこと神様かなんかだと思ってるから、君が迷ってたら急に自信なくして泣きだしちゃうよ」
「……そうでしょうか」
「見てりゃわかるよ。知らぬは当人たちばかり、ってね」
二秒、エリューは息を止めた。
それですべての迷いを振り切ったように、顔を上げる。
「わかりました。人狼狩りですね。私は何をすれば?」
にっ、とトレアは笑って言う。
「そんなの、殺しに決まってるでしょ。……まさか、嫌?」
「嫌とは言いません」
言いながら、エリューは机の引き出しを開ける。取り出したのはソリッドフレームの回転式拳銃。
彼女はそれを、信じられないほど手慣れた様子で握る。
さすが、とトレアは笑う。
「銀弾。狼狩りならお手の物だ」




