準備⑤紅茶
執務室に着いた時にはリーンは退室していた。訊ねるとどうやら先に退出したとの事だ。それとは別に気になった点は他にもある。
入室した時から感じる皆の視線が何か妙なのだ。なんというか、ニマニマと――笑いを含んだ、幼子を見る親のような生温かい感じ。
「――うん?」
「おぉ!やっと来たか、遅かったな。
一体何をしていたのだ?」
不思議に思い、首をかしげるオレに『なにか』を悟らせない為か、大袈裟なふるまいで迎える皇帝。
……ますます怪しい。
「すみません、ちょっと厨房で料理人達に捕まってしまって……」
「そうだったのか。
ちなみにコムギから見て、厨房の雰囲気はどうだった?料理人達には良い刺激になったろう」
自信ありげな意地の悪い笑みを浮かべ、様子を訊ねる皇帝。こちらとしては勉強にもなったから良かったけど、ちょっと疲れたかな。
「質問攻めにあって大変でしたよ、中々出られなくて……」
「そうか、ご苦労だったな。クックの配置転換も改善を見越した刺激策だったが、どうやら正解だったようだしな」
かねてから厨房に漂う停滞感には疑問を抱いていた皇帝だが、さすがに料理は門外漢。何をどうしたら良いかわからずなかなか改善に踏み切る事が出来なかったらしい。
「クックさんはもちろん、皆さん真剣で仕事に対してとても積極的でしたよ。中には試作品を作ってきた人もいたくらいで」
「ほぉ……」
流石にいきなりそこまでの行動を取る者がいたとは予想していなかった様で、これからに期待できると知った一同は感心している。
――カチャカチャ
メイド長がティーセットを大きな両手持ちトレイに乗せ、静かに入室する。
この場にいるのは重鎮ばかり。
他のメイドなら間違いなく緊張から粗相をしかねない緊張感がある。
だが彼女は物ともせず、恭しく、堂々と礼をする。
その自信に満ちた流麗な所作は見事の一言。顔を上げ、見せる微笑みには信頼と安心感に満ちていた。
「失礼致します。
紅茶をお持ち致しました。
コムギ様もどうぞお掛けください」
促されるまま多少の余裕があるパシェリさんの隣に座り、いまだ慣れない高級ソファに身体を預ける。
―――トクトク……
全員にメイド長が紅茶を淹れ終わり、先程と同じく礼をして退室するのを見届け、ゆっくりと紅茶の入った白磁のカップを口に運ぶ。
熱くもなくぬるくもない飲みやすい温度。分水嶺とはまさにこの事だろう。風味を飛ばさず旨味をしっかり残すギリギリの見極めはさすがの一言。
少し渋目の茶葉。鼻に抜ける後味は苦味によるトゲはなく、スッキリして心地良い。もしスコーンやショートブレッドでもあればさぞ合う事だろうな。
「スコーンがございますよ。よろしければどうぞ」
「お!ありがとうございます。これ……手作りですか?」
「お恥ずかしながら。コムギ様のお口に合うかどうか」
「そんな。では頂きます。
うん紅茶と一緒に食べると風味も食感も変わる、スコーンも美味しいです!」
「まぁお世辞でも嬉しい。コムギ様に褒められたなんて一生の自慢になりますわ!さ、お代わりはいかがですか?」
「はい、お願いします。
はぁ……メイド長さんの紅茶は何杯飲んでも美味しいです」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です。
しかし、これが私の仕事ですから当然ですわ」
皇帝の方を見ると、当然と言わんばかりに何事もなさげな顔。彼女の仕事には確固たる信頼があるようだ。
それもそのはず。
帝国の中枢たる執務室において、この紅茶なくして殺人的な激務が捗る事は決してない。
時には気を休め、時には奮起させる。
常に体調や進捗状況に合わせた紅茶を淹れる必要があり、最善の仕事をこなす彼の為に淹れる茶の絶妙な匙加減。それだけは自分にしかできないと自負がある。
(仕事、か……)
口にしたカップの影で僅かに笑む口元。
気付いたのは彼女だけ。
そしてまた彼女の笑みに気付いたのも彼だけだった。
二人の間にある誓いと想い。
『全ては国のため』
『全ては彼のため』
立場は違えど、己の信念のために生きると誓った二人。
忘れもしない。出会ったあの日から。
(――最後に言い残す事はないか?)
(ありません。ただ……)
(―――)
そんな事もあったな、と皇帝はゆっくり懐古しながら今日もいつもと変わらない極上の紅茶を飲み「ふぅ…」と一息つく。
皇帝やマイスさんらと談笑しながら、落ち着いた雰囲気の中、忘れる前に本題を切り出すとしよう。
「ひとしきり騒動も落ち着いたし、これからオレはどうしたら良いですかね?」
「「「「ぶふぅーーー!!!!!!!!?」」」」
何故だかわからないが、一斉に口に含んだ紅茶を吹き出した彼らは狼狽している。
「ちょっと大丈夫ですか!?
あーぁー……怒られますよ、こんな紅茶をこぼして……」
「「「「誰のせいだよ!?」」」」
「知らんがな!?」
なんで逆ギレされるのさ?
「「「「!!!?」」」」
「ん?皆どうし―――」
一拍おいて気付く気配。
温かくなっていた身体を一気に寒波が襲う。まるで裸で極寒の中に放り出された位に一瞬で全身が冷たくなる寒波だ。
「おや、皆様。
粗相はよろしくありませんね?」
「ま、待て。我々は悪くない。悪いのはコムギさんですよ」
「なんでですか⁉」
殺気を帯びた黒い靄が漏れ出しているかに見えるメイド長に皇帝は恐怖と迫力のあまり、人を売りやがった!
他の面々もガタガタと震えながらオレの後ろに隠れる。
「あんたらトップクラスの実力者だろうが!」
「コムギさん、上には上がいるんですよ」
「えぇ、逆らう事が無意味な相手がね」
駄目だ、すでに諦めてる。
にしても怯え方が尋常ではない。
仕方ないと腹を括り、視線を後ろから目の前に移すと。
「コムギ様」
「ひぃっ⁉」
な、なんだ⁉
一瞬で距離を詰めた⁉何の音も服が動いた様子もなかった、一体どうなってるんだ!!
助け舟を求めた皇帝は我関せずと背中を向け窓の外を見ながら紅茶をすすっている。ちくしょう!
――パシン!
どこからか取り出した鞭。
威嚇なのかパシパシとわざと高く鳴らし、仮面に貼り付けた様な笑顔と優しい声で語り掛けてくる。
「お茶の時間の後はマナーのお時間でございますね」
ご覧いただきありがとうございます。
パンと紅茶は良く合いますよね。
どこまで掘り下げるかは機会がありましたら……。
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