報告と驚愕⑤思い入れ
時間は少し遡り、クックが報告に走る少し前。
厨房では昼の片付けと夕飯の仕込み準備に追われ、慌しく皆が動き回っている。
その中で、コムギは邪魔にならないよう指示された端の作業台で一人黙々と作業していた。
「よし、これとこれで…あともうちょっと……ん?」
__バン!
厨房の壁上部には換気の為に備えられた小さな窓がいくつもある。その中の1枚、コムギに一番近い位置の窓に何かが当たった音がしたのだ。
隣の作業台で仕事をしている者も聞いたらしく、2人で顔を見合わせる。
「誰かが石でも投げたのかな?」
「まさか。この厨房の周りでそんな悪戯なんて出来ませんよ」
「でも、今確かに……っ!」
__バン!
再び何かが当たった音がする。
まるで何かが突進してきているような衝撃と音。
「な、なんだ?」
続く不意の衝撃音、厨房の面々は作業する手を止め、窓に注目する。
ゴクリと固唾を呑んで見守る中。
__バン!
三度、窓に衝撃が走る。
一体、この音の正体は何かと目を凝らす。
すると。
「あれは……!?まさかナンバード!?」
誰かが叫ぶ。信じがたいあの姿はが間違いない。
凶暴で数が多い厄介者。群れで獲物を襲う危険な魔物ゆえ、市場に出回ることは少なく希少価値が高い。
だが危険度に比例するかのように、上質な程よい硬さの肉は噛めば旨味が口の中で広がりジューシー。汎用性が高いため料理人からは重宝されるのだが、無力な一般人にとってはそうではない。
物言わぬ食材の姿ではなく生きた魔物の姿で対する今の料理人は一般人と同じく魔物に襲われる側。度重なる突進でひび割れ、直に破られるであろう窓ガラスを彼らはただ見つめるしか出来なかった。
「なんで帝都にナンバードが。帝都の周辺に魔物がいるはずないのに……」
「どうゆう意味ですか?」
「帝都の周りには結界士という職業を持つ者達が幾重にも結界を張って魔物の侵入を阻んでいるんです。もちろん衛兵らも常時監視しているので万が一も無いはずなのですが・・・」
侵入するはずのない魔物の襲来。
はたしてこれは万が一の偶然なのか、それとも……。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。
直ぐにでも何とかしなければならない。
ナンバードは見たところハトくらいの大きさ、だが嘴はカラス並に大きく太い。そして窓ガラスにあたる衝撃から察するにかなりの速さで飛ぶのだろう、相手にすると厄介というのも頷ける。
「あぁっ!?」
悲鳴にも似た叫びが聞こえると同時に、ついにその時が来てしまった。
窓ガラスが割られて、ナンバードが侵入してきたのだ。
ギャアギャアと鳴き騒ぐ声とバサバサとうるさい羽音。
厨房の中はあちらこちらに食べ物があり自分達を害する敵もいない。まさに食べ放題を満喫できる天国だ。1匹が食べ始めたら一気に集団で手当たり次第に啄ばんでは次々と標的を変えながら作業台の上の食材や料理を平らげていく。
「ちくしょう!手間隙かけた料理が!」
「くそ!仕込み直しかよ!」
「うわ!こっちくるな!!」
まさに阿鼻叫喚、地獄絵図。
作った傍から無為のままに食べ散らかされる虚しさ。苦労して仕込んだ料理が無碍に扱われる心の辛さは本当に胸が痛いほどだ。
料理人達は必死に自分の作業台や料理を守ろうとするが相手は危険な魔物。
抵抗むなしく次々と被害にあっていく。
無論、オレの作業台も例外ではなかった。
「しっ!しっ!!あっちいけ!」
がむしゃらに手をぶんぶんと振り回し追い払う。
せっかく作ったサンドイッチを食わせるわけにはいかない。懸命の防御するも、抵抗むなしく数の暴力には勝てず、ついに。
ギュアァ~!!
合図と言わんばかりの咆哮、一斉に作業台上のサンドイッチへ次々とナンバードが群がる。作業台に群がるその姿は、まるで大きな意思を持つ黒い塊が作業台を呑み込んでいるようだ。啄ばむ速さと群がる数は他の作業台と比にならず、その塊になれない者すらいる。
瞬く間に全てのサンドイッチが作業台から欠片すら残さず消滅する。
そして、あらかたの厨房の見える範囲の食材を食べつくしたナンバードは黒い塊となって窓から奔流のごとく空へと消えていった。
きっと次の獲物を探しに行ったのだろう。
「……こ、コムギさん」
襲われたショックだろう、顔面蒼白になっているクックさんが心配そうに気遣いの声を掛けてくれる。
周りを見渡すと幸いにも料理が犠牲になったからか、料理人達は命に関わるような怪我人を出さずに済んだようだ。だが、あれだけの勢いで一般人が襲われでもしたら、それに。
「クックさん、オレちょっと行ってきます」
「行く?どこへです??」
「敵討ちですよ」
ゆっくりと勝手口に向かって歩き出す。
奴等が飛び立った方向と勝手口は同じ方向を向いているのでまだ見えている今なら奴等を追うことが出来る。
「よくも……やってくれたな……」
「あ、あのコムギさん……」
怯えを含んだ声だ。
きっと魔物に襲われた恐怖が今になってきたのだろう。
あれだけの数に襲われたのだ、無理も無い。
「……クックさん、ナンバードは美味しいんですよね?」
「え?えぇ、鳥類の肉としては最高級です。なかなか手に入らないのが難点ですが・・・」
「じゃあ手に入れてきますよ。怪我人の手当てをして、厨房を綺麗にして待っていてください」
「は、はい?コムギさん、一体なにをするつも・・・うわっぷ!」
オレは飛翔の為、【空調管理】を出来る限りの最大出力で発動させる。
地表を振り返るといつもより強くしたせいか、周りに突風が渦巻いてしまい、クックさんや無事な料理人らが吹き飛ばされて転んでしまったらしい。
あとで謝ろう。だが今は。
「よくも……。よくもオレのサンドイッチを。
ナンバード、絶対に許さん!」
風を切る速度はグングンと増す。
オレのパンを無銭飲食した罪、必ずやその身で後悔させてやる。
怒りの炎が燃え滾るコムギがナンバードに追いついたのはそれからまもなくだった。
「……あれほどの情熱を自分たちは料理に込めていたのだろうか?」
怒りに震えるコムギの姿を初めて見たクック達。
彼のパンに対する思い入れや愛情の深さ、そして手間暇掛けたにも関わらず無碍にされた恨み。
まるで普段の彼とは違う、昔話に聞く鬼神の如き形相と気迫に圧倒された彼等は心の底から料理人としての敬意と恐怖、決して交わることの無い奇妙な感覚を抱くのだった。
ご覧いただきありがとうございます。
食べ物の恨みって怖いですよね……。
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