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捨てられ令嬢、正式に婚約者となる

この物語はファンタジーでフィクションです。

 この一週間、アイシャは皇国と王国のマナーの違いを徹底的に矯正した。気づかなければ見逃されてしまうくらい些細なものもあったが、婚約発表という大舞台で上げ足をとる輩に無駄に攻撃材料を与える必要はない。皇国の貴族名や表面的な関係などは王国にいた時点で頭に入れてきていて、さらにアロイスとリーサから政治面と淑女同士の関係も聞き出して追加した。それでも大きな式典に不安が残るが、そこはそつのないジルクライドが補佐してくれるだろう。


 社交も側近たちの家と婚約者、そして婚約者の実家からそれに連なる貴族を紹介されて、かろうじて話題に困らない程度には皇国を知ることができた。また皇妃のお茶会にも招かれ、淑女を取りまとめている皇家から降嫁した公爵夫人や皇妃の友人というご婦人方に顔を知ってもらった。


 もちろん最初は他人行儀なさみしい対応が多かったが、ほぼすべての社交にジルクライドが出席した上に、人目もはばからずアイシャを大切に扱って今までにない柔らかな笑みを浮かべるのを見れば、皇太子に友好的な貴族はもちろん厳しいご婦人方ですら二人の味方だと口をそろえるようになったのだ。


 特に側近たちの婚約者には年が近い上に聡明な令嬢が多く、秘書官ニックスの婚約者であるオードリー・バルフォア侯爵令嬢や同じく秘書官グレンの婚約者であるジェナ・イングラム伯爵令嬢とは最初こそ自分たちの婚約者を変更せずにすんだ感謝で気を使われたが、話してみれば気があって友と呼べるほど仲良くなった。


 ここまではジルクライドの味方や親しい貴族ばかりだったので、目立つ騒動も嫌がらせもなくすんなり運んだが、今日の式典は中立の貴族とアイシャを排除しようと動いている貴族たちも参加する。何があるか判らないと今朝から側近たちは忙しく働いているものの、主役の皇子はまったりとアイシャの部屋でお茶を飲んでいた。


「これが終わればお前の立場は正式に俺の婚約者になる。覚悟はいいか」


 好きな女性にかけるとは思えない乱暴な言葉に、同じソファに座ってお茶を淹れていたアイシャはにこりとほほ笑んでうなずいた。


「はい。よろしくお願いします」


 このところの忙しさで二人きりになることがなかったせいか、妙に気恥ずかしさを覚えながらジルクライドの強い視線に応えると、大きな手で耳からうなじを支えながら身を乗り出してくる。


「化粧をしてしまえばキスなどうかつには出来なくなるからな」


 なにやら言い訳じみたことを言いながらアイシャの腰を引き寄せ、上から覆いかぶさるように唇を重ねる黒の皇子。慣れたわけではないが最初のころほど取り乱さずに済むようになった婚約者を見て男が楽しそうに目を細めると、さらに深い口づけを仕掛けた。ビクつき逃げようとする華奢な身体を押さえつけ、心行くまで貪ってから顔を離すと、顔を真っ赤にして涙目の溶けた青い目がジルクライドを見つめる。視線も意識も、アイシャのすべてが自分に向けられている満足感に自然とジルクライドの笑みがこぼれ、唾液で濡れた赤い唇を指でそっと拭った。


「時間だ。次は迎えに来る」


 自分を探しにきたらしい配下の気配を感じながら立ち上がれば、リーサが丁度よくヒューズが来たことを知らせてくる。まだ呆けている愛しい女性を侍女に任せて部屋を出ると、不機嫌な側近がハンカチを取り出して渡してきた。


「紅が付いていますよ。唇に!」


 人目がなければ頭を掻きむしりたいにちがいない。側近でもあり幼馴染でもある男の心情が手に取るように判る皇太子は唇を拭いながら機嫌よく執務室へと足を向けた。


「それで?」

「ダンヴィル家に関しては気持ちの悪いほど動きはありません。どちらかといえばオルグレン公爵が不満を訴えているようですね」

「俺の婚約が早いと?」

「いえ。クリスティーナ嬢を婚約者にするべきだと」


 思いがけない人物の名に執務室の机に座り書類を書いていた手を止めるジルクライド。沈黙の後、確認するように口を開いた。


「カテリーナの妹は13歳じゃなかったか?」

「はい」

「何のために半年後の婚姻式を延期しなかったと思っているんだ」

「殿下がすでに25歳だからですよ」


 アロイスと同じ話し方でジルクライドより年上のヒューズに遠慮はない。様々な理由からこの年まで結婚を伸ばしたのはジルクライドが悪いのだが。


「あー、成人女性じゃないとたたないと言っておけ」

「公爵に殺されますよ、それ」

「近いうちに墓参りにも行くと伝えろ」

「……かしこまりました」


 誰もが複雑な感情を押し殺して今日を迎えた。カテリーナを失った穴は大きくて、まだ国内はごたついている。それでもカテリーナが亡くなったのを幸いに動くような奴らをジルクライドは許すつもりはなかった。


「支度をする」


 時間になって自室へと戻り、いつもより時間をかけて支度をするとアイシャの部屋へと向かう。侍女に導かれて入室するとジルクライドの贈ったドレスや装飾品を身に着けた素晴らしく美しい婚約者が目に入った。


「ジル様」


 少し緊張気味に表情を硬くするアイシャを抱きしめかけ、ヒューズとリーサに邪魔される。


「どうか行動ではなく言葉で(・・・)お願いします」


 冷静になれという側近の言葉を払うように片手を振ると、ジルクライドは紅く燃えるような目で婚約者の全身を見回した。それから何かに納得するようにうなずくと、白い手袋を付けた右手を差し出してアイシャを呼ぶ。


「良く似合う。思った以上だ。このまま誰の目にも触れさせたくないし、早くこれは俺のものだと周知させたくもある」

「殿下……目の色が……」


 黒のレースに包まれた華奢な手を乞うように差し出されていた大きな手に乗せながら、アイシャは目の前の男から目が離せなかった。正確にはその紅く染まった目から、だ。少し怯えたような仕草にジルクライドは興奮で自然と浮かんでしまう笑みのまま柔らかな身体を引き寄せる。


「ああ、俺は気が高ぶると瞳が紅く染まるのだ。あまり知られていないが皇族にはまれに出る特徴だから、説明するのを忘れていたな」

「殿下」


 ここで止まるな、さっさと会場に行けと扉を開けて待機する侍従(ヒューズ)護衛騎士(ローウェル)に、彼らの主は鷹揚にうなずいて左腕にアイシャの手を乗せるとゆっくりと歩み始める。落ち着いた雰囲気の廊下から絢爛豪華な装飾に飾られた廊下へ、そして皇族のみが使用する扉の前までくると最後に皇王夫妻が現れて、大広間の扉が両側へと開いていった。


「行くぞ」


 皇太子らしい鋼の声が一言、一瞬向けられた目はいつもの濃茶に戻っていて、そこでアイシャはようやく今着ているドレスの色の意味を知る。

 明るい日差しの差し込む大広間に踏み出す二人に、会場が声なきざわめきに包まれた。


 現れた皇太子の婚約者はシンプルなラインの深紅のドレスをその身に纏っていた。ギャザーもリボンもないスカートを揺らしながら歩くその姿に、それでも熱い視線が注がれる。スカートの裾には黒い蔦を模したレースが縫い付けられており、そこから二本の蔦が緩やかに巻き付くように陰影で黒くも見える深紅のスカートを登っていく。ウエスト部分で一周したそれらは触れ合うことなく背筋を登って脇から前に現れると、一本は胸の間を通り、両脇から首元へと伸びているベルトを通って、チョーカーのように装飾された襟で絡まりあっていた。


 首元にドレスの一部である襟があるため鎖骨から胸元までの素肌に銀の蔦を模したネックレスが揺れ、小さなルビーとダイヤモンドが散りばめられているのが見える。よく見るとネックレスもドレスに縫い付けられたレースも皇太子(ジルクライド)を表すカウンズクローという植物であることに気が付いた者はどれだけいるだろうか。首元を飾る黒い蔦と白い肌のコントラストはまるで拘束されているようにも見え、凛としたたたずまいのアイシャにある種の色気を醸し出していた。


 対するジルクライドは黒のロングコートに黒いズボンと、一見シンプルな装いだ。だがよく見ると黒地に黒の刺繍がされており、その柄はアイシャのドレスと同じであることが判る。さらに銀ボタンと銀のカフスにまで描かれた象徴植物(カウンズクロー)はある種の執念を感じさせ、なにより心臓の上に飾られたピンが目の覚めるようなサファイヤであることが、ここ数日のうわさが事実であると如実に物語っていた。


 大概の人間はこれら(服飾)の意味を知ることはないだろうと、ジルクライドは皇王夫妻の入場を眺める。これの意味を知る者はアイシャに手を出さないだろうし、知ることのない無知な者は高位貴族に必要ない。皇王夫妻は何の反応も示さなかったが、同じ場所に並ぶ兄弟たちや宰相、側近たちなどは笑顔を引きつらせているのが面白いと隣のアイシャに目をやれば、頬と耳がうっすら赤く染まっていた。


『ドレスの意味が判ったか?』


 式典を邪魔せぬようにささやかれた小声の王国語に、アイシャの青い目がジルクライドを見て小さくうなずく。本当に察しの良い素晴らしい女性だ。こんな女性がよく婚約者もなくいたものだと信じてもいない神に感謝したくなる。


『俺に包まれておけ。適度に緊張も解れるだろう?』


 二言目で皇妃から射殺すような鋭い視線が送られてきたので美しい立ち姿のまま前を見ると、つながれていた手にきゅっと力が入った。くっと笑いを堪えたジルクライドが皇王の婚約発表を聞きながら、ようやく手に入れた正式な婚約者を連れて前にでると拍手が送られ、同時に注がれるいくつかの不穏な視線に挑むように会場を見下ろしてアイシャの手を取ったのだった。










 式典が終わればダンスと立食式のパーティーが続く。ダンスを踊る大広間と隣接する庭にはお茶とデザートが、庭と反対の広間にはお酒と食事、座って休憩するためのテーブルと椅子が並べられ、招待客は思い思いに過ごすこととなる。


 しかし今日はファーストダンスを終え、会場に滅多に下りない皇太子が婚約者を伴っているとはいえ下りてきているので人だかりができていた。もちろん押し掛けるような無作法をさらすものはなく、皆機会をうかがいつつ歓談を楽しみ、彼らが離れるのを辛抱強く待っているのだろう。主役である皇太子とアイシャは常に挨拶を受け、お互い違う相手と話をしている時でもジルクライドの腕はアイシャを離すことはなかったのだが。


 それにしても……と、挨拶が途切れたところでアイシャは隣の男を盗み見る。自分の婚約者はこんな男だっただろうかと思ってしまう。いや、こんなジルクライドを見るのは初めてではない。王国の舞踏会でネオンハルト第一王子と話していた時もこんな感じだったはずだ。


 人を惹きつける雰囲気と厳格さと慈悲深さを併せ持った強い目、ほほ笑みとまでは言えないが微かに柔和な印象を受ける表情、これだけの騒めきの中でもよく通る低い声、そして動き一つ一つが優雅さを兼ね備えて皇国の皇太子を形作る。


 元々未来の皇王という高い地位と美しい見た目、それでいて男らしい仕草で女性たちを魅了していたのだろう。だが、身内と側近以外への対応がなんというか……冷たく感じる。今だって伯爵だという男性が連れてきた可愛らしい女性が話をしたくて一生懸命見つめているのだが、父親が話し、女性と一言二言会話をすると、ジルクライドの雰囲気がすっと冷たくなって話が終わったと告げるのだ。

 よく聞けば社交辞令のようなものは言っている。女性の装飾品を見て伯爵領の細工師の腕を褒めたり、別の女性には香水の話題から花の生産量、品種改良の話まで。話の初めに女性と話題の品を褒めるので彼女たちは舞い上がって気付かないのかもしれないが、最終的には彼女たちのパートナーと領地や経済の話になっているのだから、どちらが本題だったのか判らない。


 立派な皇太子を見事に演じているジルクライドは冷静な為政者の顔で、アイシャには実に楽しそうにしている(・・・・)ように見えた。自分の父親ほどの年齢の男ですら、その豊富な知識で必要な情報を得ていくのだから、皇太子の地位が万全だという調査は間違ってなどいないのだろう。

 普段からこの様子でアイシャにも接してくれれば、彼の行動で動揺することも赤面することも少なくなるだろうに……ついでにダンスも型どおり普通に踊ってほしいと思うのはわがままなのだろうか。なぜなら今日も王国で踊った時と同じように複雑なステップを入れられたのだ。直前に小声で指示があったとはいえ王国の時よりも難易度の高い曲に、アイシャの体力は無駄にすり減らされたのである。


「疲れたか?」

 無意識に吐いたらしい小さなため息に気が付いて気を遣うジルクライドを恨めしく見上げた。アイシャを見つめる濃茶の目はまるで心を読んで判っていると言わんがばかりに笑みを形作る。


「そうですね。すこしのどが渇きました」

 少しだけ甘えると逞しい腕が支えるように腰に回されて、視線一つで専属給仕から炭酸水を受け取ったジルクライドは労わるように耳元に唇を寄せた。


「もう少し頑張ってくれ。俺の婚約者殿」

 指を絡めつつ渡されたグラスでのどの渇きを癒しながら、アイシャは対外用の笑みを浮かべて内緒話をするようにわざわざ屈んだジルクライドの耳元にささやきかける。


「どうか手加減してくださいませ」

 主賓である以上、二人きりになるには退室するかダンスを踊るしかない。退室は最後の手段となるので、二人きりになるたびに体力を使うダンスを踊っていたら最後まで持たないと訴えると、やけにうれしそうな男と目を合わせた。

 甘く楽しい雰囲気は、けれど次の瞬間には霧散して逆に幾分かの緊張を孕む。何事かとジルクライドが見ているほうを向くと、特徴的な赤銅色の髪を持つ二人が人々を割って現れた。


「皇太子殿下、アイシャ・スティルグラン侯爵令嬢。ご婚約おめでとうございます」

 最初に挨拶してきた兄のアラン・ダンヴィル公爵子息は仕立ての良い黒の礼服に黄色のハンカチーフを胸に飾り、にこやかに笑っていた。最初に会った時には向けられなかった視線がアイシャに絡みついて不快感が背中を走るが、向けられたアイシャも隣にいるだろうジルクライドもそれに気が付きつつ何食わぬ顔で挨拶を返す。


「アイシャには初めて(・・・)紹介(・・)するな。ダンヴィル公爵家の第一子アランと第二子アラーナだ」

「初めまして。アイシャ・スティルグランと申します」

「素敵なドレスですわね、アイシャ様」


 迫力のある美人のアラーナが真っ赤に塗られた唇をつり上げて笑いながら、濃い黄色のドレスを揺らして白い手袋をつけた指で金の台座に大きなイエローダイヤが輝くネックレスに触れた。


「わたくしのドレスも素敵でしょう? この色のドレスはわたくししか身に着けていないのです。理由はお分かりになるでしょう?」

 自信ありげに微笑まれてもアイシャには心当たりがなくて反応を返さずにいると、アラーナは我慢ができなくなったように説明する。


「ジルクライド殿下の瞳の色を身に纏うのはわたくしだけなのですわ。貴女は赤ですのね。殿下の寵愛の程度が判りますわ」


 言われて見回せば、確かにこれだけ令嬢がいるというのに黄色のドレスを着ているものは一人も見えなかった。舞踏会で主催者と同じ色のドレスを身に着けることはマナー違反とされているが、それ以外は皇家色の紫を除いて比較的自由に選ぶことができる。公爵令嬢が黄色のドレスを身に着けるからと言ってそれ以外の色を選ばなければならないなどと言っていたら、伯爵令嬢などはドレスに向かない色を選ばなくてはならなくなるからだ。それなのに彼女一人だけが一色を纏うということで自分がジルクライドの特別だと思わせたいのだろうが、彼の駄々洩れる本音を聞いていれば無駄な努力だったと言うしかないだろう。


 それにジルクライドの目の色は黄色ではない。

 濃茶色を黄色に無理やり当てはめているらしく、紅く染まるというのは意外と知られていないのだろうかと見上げると、冷徹な皇太子の顔を張り付けた男がいた。怒気が冷気となってまき散らされ、周囲で様子をうかがっていた人々が一歩引く。ダンヴィル公爵家は皇家に次ぐ古い歴史を持つ貴族だからこそ、ジルクライドといえども無下に扱うことはできないのかもしれない。


「殿下」

 こっちを見て?と手を引くと、黒レースの手袋をつけた手で自身の首元をそっと撫でる。白い肌と黒のコントラストにジルクライドの厳しい視線がまぶしそうに緩むと、白手袋をつけた大きな手で同じように襟を這う蔦を辿(たど)った。

 二人の間を流れる親密な空気は、よほど鈍感な者でなければすぐ気が付く。そして視線の険しさが和らいだのを確認してから、アイシャはきつく睨み付ける女性に微笑んだ。


「出会ってまだそれほど時間は経ってはおりませんが、わたくしへの殿下の寵愛が知られるのは恥ずかしいですわね」

「あら。それでしたら身をわきまえたらいかがかしら」

「はい。わきまえているからこそ、ジルクライド殿下に乞われてここにおります。選ばれたからには精一杯皇太子妃として務めさせていただくつもりです」


 自国にいながら選ばれなかった人には関係のないことだと言外に言ったつもりなのだが、アラーナは察することができなかったようで優雅に笑って見せる。


「殿下に請われた(・・・・)などと誤解なさるなんて、さすが王国の侯爵令嬢ですわ」

 精一杯見下しているのだろうが、直接的な嫌味が多くて底が浅い。これでは外交はできないだろうと、アラーナが皇太子妃候補から落ちた理由が何となく察せられた。


「そうだな。()うたというより、(さら)ったというほうが正しい」

 女性同士の会話に我慢できなくなったジルクライドが繋がれていた手を取って指先に口づけると、二人の空気がふっと緩む。一方は呆れたように、もう一方はそれすら愛おしいと言いたげな顔で見つめあう。


「ディザレックの皇太子殿下が望んで手に入らないものなどございません。さらう価値があるということのほうが驚きです」


 ジルクライドの参戦で口を閉じてしまったアラーナに代わって兄のアランがチクリと言ってくるが、アイシャの感想は妹よりましな対応をするというものだった。そういえば帰城直後の嫌味は彼からだったはずだ。さすがは公爵家の嫡男なのだろうが、同じレベルの教育を受けていればアラーナは第一皇太子妃候補だったかもしれない。事前の説明と彼女の人となりは聞いていたが、それ故に今回も(アラン)(アラーナ)をエスコートしてきたのだと察せられた。なにしろジルクライドをあきらめていないからか、アラーナにはまだ婚約者がいないのだ。二十一歳の女性で婚約者がいないのは致命的である。公爵家三男のアロイスなどはジルクライドが結婚したらどんなに身分が低い女性でもいいから婚約すると宣言していて、皇太子妃になれなかったアラーナに捕まる気は毛頭ないらしい。


「人が何を大切と思うかは人それぞれ。円満に受け取りはしたが、お前を離したくない者たちからしたら攫ったのも同然だった」

 ジルクライドが婚約者を亡くしたのも、アイシャが一方的な理由で婚約を破棄されたのも、そしてその時期が重なったのもすべて偶然だ。本来ならけっして重なるはずのない二人の道が交わった運命を、受け入れられない者たちも多かった。


「それでもわたくしは殿下のとなりにおります。そして殿下から(・・・・)贈られた(・・・・)ドレス(貴方の色)を着て婚約者となりましたわ」

 自分で用意した皇太子のイメージ色を着てもなんの意味もないと楽しそうに微笑みながら言えば、アラーナの顔が赤く染まる。アランは何を考えているのか判らない薄ら笑いを浮かべていて、ジルクライドは実に楽しそうに笑うとアイシャをダンスへと誘った。


「無茶はしない。約束する。ただ今はお前だけを見ていたい」

 ダンヴィル兄妹には簡単に挨拶すると、手を引かれホールの中央へと位置取る。そこだけ存在感が増す黒と堂々たる深紅に人々の視線が引き寄せられる中、アイシャは諦めたように小さく笑った。


「わたくしはおねだりに弱いのかしらね」

「俺のおねだりは有効か。いいことを聞いた」

「それと」

「なんだ」

「ダンヴィル公爵令嬢は少し目に痛いです」

「ふはっ」


 燃えるような赤い髪と黄色のドレス、金の装飾品ではどこにいても目立っていた。それを視界に入れてこらえきれず噴き出す黒の皇子に、周囲のダンスをしていた人々が驚いて足並みを乱す。何事かと周囲の視線を集める前に建て直したジルクライドは、皇太子としての体面を整えると何もなかったかのようにダンスを踊り続けたのだった。


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