黒皇子の恋・番外編【赤毛騎士は同意する】【宰相補佐は愚痴をこぼす】
・このお話はフィクションでファンタジーです。
・大幅書き足しのため、三部作になります。
【赤毛騎士は同意する】
皇城から少し離れた場所にある皇国騎士団の鍛錬場に皇太子夫妻が現れた。
それまで無秩序に鍛錬をしたり、指導を受けていたり、休憩していた騎士たちが一糸乱れることなく敬礼をする様は壮観で、初めて訪れたアイシャはその迫力に息をのむ。ピリピリと肌で感じられる緊張感は、ジルクライドが片手をあげて応えることで解かれ、再びざわめきが鍛錬場にあふれた。
その双方の慣れたようすに、アイシャの背後に控えていたウェイドが簡単に説明する。
「ジルクライド殿下が十五のころから通っておいでなので、騎士団も慣れているのです。鍛錬場での不必要な敬礼は必要ないと殿下から通達されておりますので、ご理解いただけるとありがたいのですが」
「いえ、不敬とかではなくて……皆さまの真剣な姿に圧倒されてしまいました」
もともとジルクライドの鍛錬の時間に誘われたアイシャが付き添ってきたので、皇子は簡素な服と防具を身に着けて鍛錬場に降りていく。日傘を持ってリーサとウェイドと数人の護衛を伴って見回していたアイシャの目は、興味深そうに輝いていた。
「あんな重そうな荷物を持って走るのですね! すごいです」
「棒にぶら下がって腕の力だけで体を持ち上げていますわ」
「あちらの方々はここに来てからずっと走っていらっしゃるのね」
「あそこで戦っている方々もすごい汗です。苦しいのに鍛錬を続けるなんて、騎士の皆さまは本当に強いのですね」
騎士であれば当たり前なことが、アイシャにとっては目新しく素晴らしいものに見えるらしい。手放しの称賛に木陰で休憩していた騎士たちがおもむろに鍛錬場に戻っていく。
あいつら、今日はもうおしまいだとかさっき話していたはずだが、なんでここから近いところで組み手を始めてるんだ。組み手の場所はそこじゃないだろうとウェイドが警戒していると、アイシャが彼らに視線を向けた。
「わ、人を投げ飛ばすこともできるのね。侍女たちが格好いいと騒ぐのも分かりますわ」
アイシャの言葉に、彼らが狙ったのはこれかと小さく舌打ちする。見れば城の警備騎士の一団で、視線は向かなくともアイシャの反応をうかがっているのが感じられた。後ろに控えていた護衛騎士が動こうとするのを指のサインで止め、ウェイドはアイシャに話しかけた。
「アイシャ様。ジルクライド殿下の準備ができたようです。これから打ち合いが始まりますよ」
体を温めてほぐした皇子が、木剣を持って訓練服の護衛騎士と対峙する。少し離れた場所にはローウェルが真剣な表情で立ち、アイシャは緊張で両手を握りしめた。
アイシャの前では感情豊かに表情を変える男が、唇を引き結び、真剣なまなざしで相手を見つめている。いつもはきっちりと整えられている前髪が乱れ、それすら構わず集中している姿が雄々しくて目が離せないのだろう。うっすらと頬を染めたアイシャは瞬きすら減らして己の夫にのみに視線を注いだ。
先ほどまで彼女にアピールしていた皇城警備騎士の一団を見れば、悔しそうに手足を止めている。アイシャに選んでもらって近衛騎士への昇格を目指したのだろうが、かの人は見た目に騙されるほど甘くはないし、わが主も愛しい妻を誘惑されて黙っているほど優しくはないのだ。
見渡せば愛しげにジルクライドを見つめるアイシャに見惚れている者もいる。それは敬愛と区別をつけるのが難しいくらい淡い感情だが、ジルクライドがけん制したくなる程度には多かった。
確かに普段は専属護衛騎士と行動を共にする彼女と一般騎士が関わりあうことは少ないが、それでも警備や移動中にアイシャを見ることがあるのだろう。普段は凛としたたたずまいの女性が、ふとした拍子に幼さが残る恋愛を意識した表情を見せられて動揺しない独身男は少ない。
殿下がアイシャを鍛錬場に連れてきたのはこのためか、と主の真意を理解すると同時に、余計な虫から大切なものを守るために使えるものは何でも使うジルクライドの姿勢に、ウェイドは改めて尊敬を覚えた。
ジルクライドの鍛錬は身を守るためのものが主体である。皇国の皇太子が自ら剣を持って戦わなければならない状況など、国が亡びるまであってはならないからだ。それでも剣術を一通り身に着けているジルクライドは基本に忠実に、危なげなく木剣を合わせて鍛錬を続けていく。
仕える主の整った顔に浮かぶ汗に日差しが反射して光り、濡れて色の濃くなった服が体に張り付いてくると、ローウェルが休憩を入れた。流れるような首筋の汗をシャツの裾で拭っているせいで、ジルクライドの引き締まった腹筋が露わになる。ローウェルのバキバキに割れた腹筋より色っぽいな、とウェイドが無意識に考えていると、侍女から受け取ったタオルを渡しにいったアイシャが薄っすらと頬を染めた。
はてさて。いまさら夫の腹筋を見たところで珍しくもないだろうし、ジルクライドがおかしなことを話しかけたわけでもないのに何があったのだろうか。
ウェイドが内心で首を傾げていると、訓練に戻ったジルクライドに背を向けて戻ってきたアイシャが隣に並んだ。
「どうかされましたか?」
周囲にいる護衛騎士や侍女のリーサもそわそわと気にする中、アイシャは片手を口元に添えて内緒話をするように顔を近づけてくる。
「ジルの……せが、いい……おいで」
「申し訳ありません、アイシャ様。もう少しはっきりお聞かせ願えますか?」
何かを聞きたいらしい女性に恥をかかせないようにこちらも小声で聞き返せば、小さな手を握り締めて覚悟を決めた皇太子妃が美しい青い瞳を潤ませてささやいた。
「ジルの汗の匂いが、いやじゃないのです。お義父さまは汗の臭いがするなと思ったので、何か理由があるのかと聞きたくて」
「……ちなみに元婚約者の第一王子はどうでしたか?」
「? あの方は剣術など嗜みませんでしたから、常に香水の香りをまとっていたと思います」
この方は聡明で思慮深いところがあると思えば、こうやって時折少女のような戸惑いを見せることがある。こういうところもジルクライドが溺愛する理由なのだろう。まだ十九歳の年下の女性に癒されながら、ウェイドもアイシャの耳元に口を寄せた。
「私も同じですよ。私の愛しい人もいい匂いがするんです。好きな人の汗の匂いならば、好ましいものに感じる人もいるのでしょう」
なにもおかしなことではなかったと安心したアイシャは、再び訓練の様子を観察し始める。信用のおける人間から答えをもらったことですぐに落ち着いてしまったのを見ながら、これは失敗したかもしれないとウェイドは反省した。この質問はジルクライドに直接させたほうが、男としては嬉しいし楽しかったかもしれない。
訓練に集中しているとはいえ、愛しい女性の動向をなんとなく把握しているジルクライドは後で何があったのか聞いてくるはずだ。その時にアイシャ様への詳しい補足をお願いすればいいだろう。
ちらほらとアイシャに向けられる不埒な視線と顔を確認しながら、アイシャが自分に耳打ちしたことで諦めた視線も多かったことに赤毛の騎士は楽しげな笑みを浮かべたのだった。
【宰相補佐は愚痴をこぼす】
現在、ディザレック皇国には二つの大公家がある。
一つは自分の娘をジルクライドの妃にしたいローリシア大公が当主のアッカーソン家。もう一つは領地を持たず、皇都郊外に研究所と兼用の屋敷を持つパグウェル大公が当主のボールドウィン家である。
ローリシア大公は現皇王の弟で、政治には興味を持たない人物だ。三代限りの大公家なのだが、息子や娘たちはすでに結婚と同時に家を出ていて、唯一残っているのが十五歳の末娘だけであり、現大公が亡くなった時点で爵位は皇国に返還されることが決まっていた。
逆にパグウェル大公は先々代皇王の兄の孫に当たる。別名を医術公と呼ばれており、大公になったのも医術を極めるためであったらしい。その活躍は目覚ましく、大公のおかげでそれまで不治とされてきた病が治癒できるようになったり、新しい薬により乳幼児の死亡率が大幅に下がることとなった。これらの功績により三代限りの大公家から新たに侯爵位を与えられることになったらしいが、やはり領地は不要だと断られたようだ。
現皇王は二十数年前につぶした公爵家の一角に入れるつもりだったが、現パグウェル大公が医術研究以外の面倒なことはしたくないと言い切った逸話は有名である。
そのパグウェル大公がローリシア大公家を訪れることになったのは、皇太子ジルクライドの公務に合わせるためである……表向きは。実際はジルクライドの予定とパグウェル大公の予定が合い、しかも大公の所在地がローリシア大公のアッカーソン本邸近くであったことから組まれた予定であった。
急遽組まれた公務にジルクライドは大きくため息を吐いたが、これもいい機会なのだとアイシャに諭されて前向きに取り組むことにしたようだ。最初に皇太子妃に話を持っていったのは正解だったとアロイスは涼しい顔で手続きを進めた。
そして馬車に揺られること三日。
アッカーソン本邸前に到着した馬車から先に降りたアロイスは、にこやかに出迎えるローリシア大公夫妻と末娘のディアナを一目見て小さく頬をひきつらせる。
意味ありげにほほ笑む大公夫妻の間で、真っ赤なドレスを着た少女がうつむき加減に青い顔で立っていた。茶色の髪と薄いブルーの瞳は父親譲りで、垂れた目と少しふくよかな体型は母親に似たのだろう。顔立ちは十五歳よりは幼く見えるのに、ドレスは胸元の大きくあいた成人女性が着るようなデザインだ。しかもジルクライドの瞳の色である赤一色で、誰がどう見てもアイシャへの当てつけである。
ただ顔色を見るかぎり、令嬢はこの衣装が不本意であるのだろう。確かに赤の印象が強烈すぎて顔がドレスに負けてしまっているし、今日の皇太子夫妻の衣装とは真逆の印象で浮いてしまうに違いない。
彼女を気の毒に思いながら簡単にあいさつして皇太子夫妻の馬車が止まるのを同じく待っていると、後続の豪華な馬車が止まり、中から白を基調として差し色で青が入った衣装を身にまとったジルクライドが下りてきた。そのまま自然なしぐさで馬車の中に黒い手袋をつけた手を差し伸べると、アイシャがゆっくりと姿を現す。
彼女の服はジルクライドと対をなすように、青を基調として白の差し色が入った清楚な印象のドレスだった。二人ともにアクセサリーは銀で統一され、お互いが黒髪なのもあって見事な一対を織りなしている。大公家の入口に並んでいた侍従や侍女たちが感嘆のため息を漏らし、少女も見惚れるかのように見つめていた。
「ジルクライド皇太子殿下、ようこそお越しくださいました」
「ローリシア大公もお久しぶりです。何度か登城されていたようですが、予定が合わなかったせいかお会いすることはなかったですね」
さっそくチクリと嫌味を言ったジルクライドに、アイシャをじろじろと眺めていた大公夫人が末娘の背を押しながら挨拶をする。
「皇太子殿下、いらっしゃいませ。娘のアイニーですわ。ご挨拶を」
「皇太子殿下ご夫妻にご挨拶申し上げます。アッカーソン大公、セルジュ・ローリシアの娘でアイニーと申します。遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
かすかに震えながらも母親よりもしっかりとあいさつをする姿に、アイシャのみならずジルクライドも意外そうに少女を見た。
「祝いの言葉を感謝する。アイニー嬢も来年成人だろう。皇城での成人祝賀式が楽しみだな」
当初の方針とは異なる対応をした黒の皇子に、アロイスは柔軟に対応するためにパグウェル大公に視線を送る。一瞬だけ『政争なぞ面倒だ』という表情を浮かべたまだ三十代の若き大公は、それでも挨拶がひと段落したところで一歩前に出た。
「皇太子殿下、お久しぶりでございます」
後ろで一つに結われた長い銀髪を揺らしながら頭を下げる医術公に、ジルクライドはそれまでとは変わって気安い笑みを浮かべて握手をする。
「本当に久しぶりですね。大公が同じ場所に留まってくだされば、私から伺いにいきますと何度も言っているのですが」
こちらは同じ嫌味でもいつものやり取りだ。慣れているパグウェルは涼しい顔で笑い返した。
「薬草の研究や効能の高い旬の時期、収穫されてからの質の低下などを考慮すれば、研究に移動は欠かせません。それは皇太子殿下にお会いするよりも重要なのですよ」
この国の未来の皇王に、堂々とお前よりも薬草や研究が大事だと言ってのけるまでが毎回のお約束だ。この会話でパグウェル大公の行動は皇王家より保証されることになる。
「皇王陛下もそれについては認めておりますし、私も同じです。大公の功績は何にも代えがたいものだ。これからもよろしくお願いします」
視界の端でローリシア大公が口を開こうとしているのを見ながら話を続けたジルクライドに、大公が目を見開いて驚いていた。
医術公などと呼ばれているが皇城に滅多に姿を現さない大公など、皇王家からも遠い存在だと思っていたのだろう。皇子時代に現皇王の兄にばかり政務を任せていなければ少しは理解していたのだろうが、将来大公になるからと何も学ばなかった彼が悪いのだ。
「それではパグウェル大公殿下。別室にて今期の契約と詳細の報告をお願いいたします」
「いや、それよりも移動でお疲れでしょう。先に別室で休憩をどうぞ」
アロイスは城の入口から先に進ませようとしないローリシア大公に代わって話を進めていこうとするも本人から遮られる。今代皇帝陛下のご兄弟で、大公位を賜ったのは彼だけだ。他の兄弟は男性、女性ともに降嫁したり婿に入って騎士団長になったりと目覚ましく活躍していた。今回は皇太子ジルクライドとパグウェル大公による会談の場所を提供してもらっているだけなのだが、本当に理解しているのか怪しくなってきたときれいな翡翠の目を細めてアロイスはため息をついた。
仕方なく皇太子夫妻には大公一家のもてなしを受けてもらうことにして、アロイスはパグウェル大公と契約や報告書の確認を済ませることにする。さっさと余計な仕事を終わらせたい医術公は嬉々として仕事に取組み、書類としては完ぺきな仕上がりを再確認したアロイスはジルクライドを呼びに応接室へと赴いた。
時間にしてそれほどかかってはいないはずだが、アロイスが入室すると同時にアイシャがアイニー嬢を誘って入れ違いのように部屋を出ていく。相変わらず顔色の悪い少女と心配そうに気遣うアイシャを見送り、冷ややかに笑いながら部屋に残るジルクライドと嬉しそうに微笑んでいるローリシア大公夫妻に書類の準備ができたことを伝えると。
「ローリシア大公」
立ち上がったジルクライドが濃茶の目をうっすらと赤く染めて二人を見下ろした。声色だけで主が怒っていることがわかる。何があったと護衛のローウェルを見ても、彼も鋭い視線を大公夫妻に向けていた。
これは彼らがなにか失言をしたなと理解したアロイスが黙って成り行きを見守っていると、ジルクライドが口を開く。
「先ほどの話だが、森王国や聖王国の言葉を話せもしない令嬢を皇太子妃にはできない。胸も小さすぎて好みではないし、身長も低すぎて口づけるのにも一苦労だ。髪や目の色もごく普通の茶色だし、私の好みは清楚な女性だ」
突然暴言を吐いた皇太子に驚くアロイスだが、その内容になんとなく大公夫妻がアイシャに発したであろう話の内容が予想できた。案の定ローリシア大公は顔を真っ赤にして怒り、夫人は涙を流して愛娘を侮辱した青年を恨めしそうににらむ。
「それは! そんなことは娘のせいじゃない! 本人にどうしようもないことで侮辱するとは、お前はなにを考えている!」
自分が年上で偉いと思っている態度が如実に表れたセリフだが、黒の皇子は冷酷に笑って言い返した。
「アイシャの生まれが属国なのも、身分が侯爵令嬢なのも、両親が事故死して養女なのも、相手の浮気で婚約破棄されたことも、すべて本人にはどうしようもないことだが? こんな低俗なことをしたのも、この家ではこれが礼儀なのだと思ったからだし、お前たちにも同じことをしたまでだ。それの何が問題だ」
ああ、だから令嬢を先に部屋から出したのか、とアロイスは納得する。あの令嬢は両親の言いなりだったし、そんな少女を巻き込んでいやな思いをさせることはないとアイシャが判断したのだろう。
アロイスにしてみればまだ諦めていなかったのかと思うが、アイシャと出会う前のジルクライドを知っている者ほど、今の溺愛ぶりが想像できないのかもしれない。本当に愚かなことだ。恋は人を変えるというのに。
「アロイス」
名を呼ばれて主の赤い目を見ると、あとは任せた、とどめを刺せと視線で語られた。もともとこれも予定の一部ではあったのでなんらかまわないが、この場を放り投げていくジルクライドはただ単に早くアイシャのそばに行きたいのだろう。
「お任せください」
恭しく一礼すれば黒の皇子は颯爽と応接室を後にする。悔しそうに顔をゆがめる大公と呆然と見送る大公夫人が残り、長い銀髪を揺らした宰相補佐は懐から一枚の手紙を差し出した。
「宰相閣下より預かってまいりました」
「そんなことよりダンフォード卿。殿下のあの態度はなんだ。私は叔父だぞ!」
殿下に言えない文句を自分にぶつけてきた男性に、アロイスは余所行き用の笑みで答える。
「いいえ。殿下は大公です。皇太子殿下と皇太子妃殿下を敬う立場なのはあなた様なのですよ。それよりもどうぞ手紙を開封してお読みいただけませんでしょうか。宰相閣下より返事を言付かってくるように言われております」
憤慨しているものの、どうにか自分を抑え込んだ大公が手紙を開けて中を読んでいる間もジルクライドの側近の言葉は止まらない。
「だいたいなぜ今頃ジルクライド殿下の嫁などと話が出てくるのですか。それをするならカテリーナ様が亡くなられた後ではないのですか? だいたい血筋が近すぎて子を成すことは危険だと言われていたはずですよ。それになぜ今日私が殿下夫妻とは別の馬車に乗ったのかお判りになりませんか。本当なら移動中でも政務をしていただくのですが、アイシャ様と一緒だと殿下が砂糖を吐きそうなくらい駄々甘な雰囲気になるので逃げたのですよ。衣装も見ましたか? たかが大公家を訪問するためにわざわざドレスを用意することなどしないのに、デザイナーのエイベルが落とした新しいデザイン画を見てわざわざ作らせたものなのです。それだって最初にアイシャ様のドレスをデザインさせ、用意したのが私だから見せつけるためですよ。まったく……」
メイドが入れたお茶を飲んで一息ついたアロイスだが、それどころではない大公が手紙を読んで顔を青くした。
「横、領だと?」
「いえ、横領になる可能性、です。誤って請求した分を返還していただければいいだけなので、私が直接お伺いに来た次第です」
「娘の帰省費用は護衛代も含めて請求可能だろう」
大公という特殊な身分の高さから狙われることも多いので、嫁いだ家族も含めて国から支払わせることになっている。
「ええ。その通りです。本当に帰省していれば……の話ですが」
今回のことはたまたま大公家から娘が帰省したと申告された同じ日付に、当の娘がお茶会に出席していたことで発覚した。日付の間違いもあり得るので帝都に住んでいる娘に確認したところ、今回だけではなく、ここ一年の毎月一回の帰省も行われていなかったのだ。
ただ相手は大公家、しかも現皇王の弟である。その程度の横領は見逃そうとしていた財務部に、娘がジルクライドに会いに来るたびに、ドレスを新調していると気が付いたアロイスが待ったをかけた。主のいらつきの原因が、国庫から横領された金で行われているとしたら見過ごすわけにもいかなかったのだ。
主に側近たちの心の安寧のためにも、不正は正さねばならない。ただし相手の尊厳をへし折らない程度に、という皇太子の許可のもと、通告するためにアロイスが派遣されることとなった。
先ほどまでアロイスの愚痴を顔を引きつらせながら聞いていた大公夫人が、卒倒しそうになりながら話を聞いている。
娘の話ではなかなか里帰りをしない、情が薄い親子関係だと他人から思われるのが嫌だったのだろうとは聞いていたが、本人を見ればあんがいそんなものかもしれないと納得した。ついでに末娘のドレス新調代も手に入るし、うまくいけば皇太子妃に見初められるかもしれないしで、いいことづくめだと思ったのだろう。
反応を見るに夫の大公は知らなかった可能性が高いが、夫婦のいざこざは当人同士で解決してもらう。それでなくとも今日は主夫妻のいちゃいちゃで食傷気味なのだから。
「もう一度申しますが、返還していただければ罪には問われません。間違いは誰にでもありますから」
「……すぐに確認しよう」
なんとなく察したらしく苦渋を滲ませた声で返事をした大公に一礼して退室する。ジルクライドに合流すると、アイシャも一緒にパグウェル大公とお茶を飲んでいた。
「やあ、アロイス。お疲れさま。先ほどよりすっきりした顔をしているね」
パグウェル大公が手ずからお茶を淹れ、その美味しさに一つ息を吐くと、彼は目敏くアロイスの変化を見て取った。さすがは医術を極めようとするだけのことはあると感心しながら、ヒスイの目を細めて笑う。
「ちょっと愚痴を聞いてもらったのですっきりしました。そういえばパグウェル大公閣下。帰りは私と一緒に帰りませんか? 一人で寂しいのですよ」
「この二人と一緒にいればそうなるよな。でも残念。私はこれからトムジュ地方に行くのだよ。妃殿下に面白い話を聞いてね。聞きたいかい?」
「いえ、結構です。それよりご自分の居場所を必ず知らせておいてくださいね。奥様が激怒していましたよ」
まったくどこの夫婦も仲の良さを見せつけてくるな、と辟易しながら、早く彼女からの結婚許可が貰えないだろうかと宰相補佐はしみじみ思ったのだった。
こんな間違い初めてだ(笑)
お待たせして申し訳ありませんでした~




