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黒皇子の恋・後日譚4【皇太子妃は舞い踊る】

「このお話はファンタジーでフィクションですわ。途中に自己中心思想、被害妄想、胸糞発言などがございますので、用法用量を正しく守ってお読み下さいませ」

「今回は王国編らしいな。あの馬鹿どもがどうなったのか見物だ」

「……ジルクライド。エルシャに惑わされないで下さいね……」

「アイシャは可愛いな。アレに懸想するくらいならアレクシスと寝た方がマシだぞ」

「(アレクシスはジルの馬の名前ですわよね?)あの子は馬以下ですの?」

「というかアレクシスが突き抜けてるがな。つぶらな大きな青い目、しっかりとした首筋、艶やかな白い毛並み、張りのあるお尻、すらりと伸びた足……性格は落ち着きがあり、それでいて多少のことには動じない。走った時は……」

「(馬の話なのですよね?! どこぞの寵姫ではなくて)」

 緑が多く目につく王国の王都は聖樹と呼ばれる古木を中心として発展していったといわれていた。王城もなるべく木々を残して建てられて、緑の都とも呼ばれるくらい美しい姿は王国の誇りともいえるものである。

 そんな懐かしい故郷の様子を眺めながらアイシャはジルクライドと共に馬車に揺られていた。王国への訪問は婚姻式に出席できなかった養母や属国貴族へのあいさつのためであり、次代の皇王と皇妃のお披露目も兼ねていた。


「滞在は一週間だ。すまないな、ゆっくりさせられなくて」


 目の覚めるような青いコートを身に着けたジルクライドが切れ長の目を緩ませながら愛しい女性を見つめる。アイシャは結い上げられた黒髪を揺らしながら小さく首を振ると、ジルクライドの黒い手袋に包まれた左手をそっと撫でた。


養母(はは)へのあいさつと両親の墓参りまでさせていただければ十分です」


 主な外交は王城で行われる祝賀の夜会だ。属国であるがゆえに盛大に行われるそれは、王国中の貴族が参加するのではないかと思われるほど大規模なものらしい。こちらは祝われる側であるので詳しい話は聞いていないが、第一王子の婚姻祝賀の夜会とは異なる規模にアイシャは小さくため息を吐いた。

 馬車の中であるために赤茶色に浮かぶジルクライドの目が意地の悪そうな策士の顔を覗かせて笑う。


「政務官からは面白い報告が来ていた。次代の国王候補が固まったらしいぞ」


 本来なら王太子と呼ばれるべきその地位は、ディザレック皇国の暗黙の承認がなければ成り立たないものになっていた。ジルクライドは面倒なことが起きれば次代の変更も考えていたようだが、その前に王族と王国貴族によって示されたのだろう。


養父(ちち)から報告が来ておりました。確実な変更の理由が欲しいとも」

「ああ、スティルグラン侯爵ならそう言うだろうな。あの方はお前に似て誠実で真面目だ。俺なら理由などなくとも変えられるが」

「王国貴族の尊厳を守りたいのでしょう」


 自分たちが仕える王は自分たちで選ぶ。国の歴史と共に培われてきたそれを手放すのはまだ早いと。

 黒い手袋に包まれたジルクライドの左手がアイシャの頬をそっと撫でる。黒い皮のようなつるりとした肌触りは最近ようやく慣れてきたものだ。噛み跡を隠すためのそれは寝室に入るまで外されることはなく、傷ついた素肌を見ることができるのはアイシャのみ。


「お前の従妹(いとこ)の醜聞は王国内であれば気にする必要はないが?」


 ジルクライドの指が頬から耳、首筋から唇を優しく撫でていく。夜の営みを思い起こさせる手付きに赤くなりながら、アイシャは甘えるように大きな手にすり寄った。


「エルシャだけではないようです。国王陛下と筆頭公爵が第一王子の資質に問題ありという判断を下したと」

「ああ。持つことのできない側妃を持とうと騒いだらしいな」


 宗主国の皇王ですら持っていない側妃を娶ろうと第一王子が起こした騒ぎは、皇国の皇太子にまで届いていたらしい。確かに属国になる前までは国王が側妃を持つことはあったが、今現在、王族として管理されている彼らは必ずしも次代を残す必要はないのだ。国王は直系長子の血筋でなければならないわけではないのだから。


「今回の夜会で彼らの行く末を決めるというわけだな」


 第一王子が次期国王にはならないというのなら、すでに娘がいる彼ら夫婦に子ができることは二度とない。毎日の食事から薬で管理されれば、どちらが浮気しようとかまわない仕組みになっているからだ。だが特権に浸りきった彼らが王位を諦めないとすれば話は変わってくる。


「あまり厳しいことにならないといいのですが」

「皇国に比べればお遊びだろう。せいぜいおもてなし(・・・・・)を楽しむさ」


 これでも楽しみにしているのだと笑うジルクライドはアイシャを抱き寄せて口づけた。








 王城に到着した二人を出迎えたのは第二王子とその婚約者だった。それを見たアイシャはすでに国全体が第二王子を次期国王とするべく動いているのだと悟り、考えは浅いが悪い人ではなかった元婚約者(ネオンハルト)の姿をそっと思い浮かべる。


 小さい頃はよく一緒に遊んだのだ。ふわふわな金髪と輝くような青い目で、王族としては無邪気に穏やかに育てられていた。政治からは極力遠ざけられ、芸術や文化、国の成り立ちやマナーなど当たり障りのない教育だけが行われていて、王宮へと遊びに来るアイシャにも最初は嬉しそうに接してくれた。


 それが変わったのは初めて外交を行った十五歳の時。

 国で一番高い地位にいるはずの国王(父親)が皇国の皇族にむかって頭を垂れたのを見て、彼は気づいたらしい。自分の国はディザレック皇国の下であると。

 それからだ。外交、特に皇国との外交を担うスティルグラン侯爵家への不信と、アイシャと自分の教育の差にネオンハルトが不満を持つようになったのは。小さな不満は年を追うごとに大きく膨れ上がり、どうあがいても変えることのできない現実にいら立ち、それらすべてをアイシャにぶつけるようになった。


 そんなネオンハルトの気持ちも判らないわけではない。この国で一番高い地位にいると思っていた自分たちが、じつはお飾りの、なんの実権もない存在なのだと大人になってから知れば誰だって荒れるだろう。ほんの数代前までは自分たちが最高権力者であったと知ればさらにである。

 けれどネオンハルトの失敗はそこからだ。彼はどうせ何も変えられないのだからと、抱いた怒りを放棄して楽な道へと走ってしまったのだ。自分の都合の良いことだけを学び、自分に優しい現実だけと向き合い、自分に甘い友情を求め始めた。現実に目を向けさせようとしたアイシャを嫌い始め、ネオンハルトの正義で守ることのできるエルシャに傾倒し始めたのも止められない流れだったのだろう。


 もし。

 浮かんだ考えにアイシャは目を伏せる。


『どうせ何も変わらないのだろう』


 光を失った暗い目で訴えられた失望に、なんらかの答えを返していたら。国の在り方を変えるなどアイシャ一人にできることではないが、それでもネオンハルト一人の心を救うことならできたのではないかと考えてしまう。

 婚約破棄はネオンハルトの意思で行われた。周囲に侍っていた貴族連中の誘導もあり、同じスティルグランでも(才女)より(無知)の方が御しやすいと思われたのだろう。たとえ誰が王子妃になったとしても未来は変わらないのだと彼は考えたのかもしれない。


 だがスティルグラン侯爵と三大公爵はそこから一計を案じる。ネオンハルトを貶めることによって誰に(・・)忠誠を(・・・)捧げる(・・・)のかを自分たちで選ぶという意思を、王国貴族が持つように仕向けたのだ。ネオンハルトを使って王国の尊厳を少しでも取り戻そうとしたのかもしれない。

 アイシャはそうなる可能性を思いついていて、それでも養父に従い無言で婚約破棄を受け入れた。それこそが最もネオンハルト(王族)(ないがし)ろにしているのだと、その時は気づかぬままに。








 祝賀の夜会を前に着飾ったアイシャはジルクライドと合流する。人の上に立つことに慣れた視線を一瞬緩め、アイシャを見てどこか子供のように満足げな笑みを浮かべて頷いた皇子は、気配にディザレック皇国皇太子としての覇気をまとって黒い手袋をはめた右手を差し出した。

 いつものように優雅で頼りがいのあるエスコートに小さく息を吐き、自分が思いのほか緊張しているのだとアイシャは気が付く。顔を上げてこれから入場するドアを見据えていたジルクライドは、視線を動かさぬまま小さくつぶやいた。


「お前のしたいようにするがいい。俺が許可してやろう」


 祖国への複雑な想いに悩むアイシャを励ます言葉は全幅の信頼を置いているように聞こえ、ネオンハルトからは受け取れなかったそれがアイシャを勇気づける。嫁いだからにはアイシャはディザレック皇国の人間だ。すべては皇国と皇国民、そして属国でもある王国のために動くことが皇太子妃の役割だろう。


「はい。よろしくお願いします」


 しがらみや関係に縛られることなく自分の立ち位置をはっきりと決断すれば迷いは晴れた。あとはジルクライドとともに歩めばいいと毅然とした態度で顔を上げる。

 名を呼ばれて開かれた扉の先は光の洪水にあふれていた。きらびやかな装飾と着飾った多くの貴族たち、優雅に音楽を奏でる楽団と様々な意図を含んだ多くの視線が一斉にアイシャとジルクライドに向けられる。夫と腕を組み、室内バルコニーから赤いじゅうたんのひかれた階段を優雅に降りると、先に入場していた国王夫妻より奥、全員(・・)を見下ろす位置で立ち止まり国王のあいさつと婚姻の祝福の言葉を受ける。


 前回、ジルクライドがアイシャを伴って夜会に出席したときは国王と並んで立っていた。婚姻し夫婦となったことでジルクライドの立ち位置が一つ高くなり、王国の誰よりも高い身分になったのである。

 王族の集まる場所から少し離れた位置に第一王子とエルシャの姿も見える。貴族に囲まれることなく二人だけの世界で楽しそうに笑う元婚約者と義妹は何も変わっていないように見えた。


「それにしても厄介な曲を選びましたね」


 式典がひと段落して一息ついたアイシャはこれから行われるファーストダンスに思いをはせて小さくつぶやく。聞こえているにも関わらず楽しそうに笑うばかりのジルクライドはアイシャのドレスの手触りを楽しむかのように背筋を撫でた。


「あちらからの要望だ。俺たちが踊り終えれば王国の歓迎のダンスを披露するらしいが……意外と第二王子は賢いな」


 珍しい誉め言葉に複雑なものを感じつつも手を取られ、段を降りるとホールの中央に進み出る。

 頭上には複雑にカットされたガラスのシャンデリアが光り輝き、高級なロシック石を使った床は乳白色と深緑で複雑な文様を描き出していた。おそらくは国内で最も贅沢な装飾がなされた室内で、それらすら脇役に成り下がるほど美麗な男女がお互いに視線を合わせて微笑みあう。


「どういう意味で……」


 ジルクライドの言葉の意味を問おうとしていたアイシャは、まるで前回の再現のように同じくホールに進み出たネオンハルトとエルシャを視界にいれて言葉を失った。


「一番実害がなく、それでいて目立ち、さらに彼らの浅はかな言動を封じるには最高の役割を自分の兄に与えたのだろう」


 ファーストダンスを踊ることは名誉なことではあるが、それがそのまま身分の高さではないのが王国だ。優れた踊り手に踊らせることもあるし、主催者夫妻が踊れないのならばその身内が引き受けることもよくあること。

 それゆえにディザレック皇国の皇太子夫妻をもてなすという大役は第二王子が担い、客人に接触させずに彼らの自尊心を満たす役割としてのこの配役に、なにも気づいていないらしい第一王子夫妻は嬉々としてホールに陣取っていた。


「この曲だ。いつものようにするつもりはないが、せっかくだから観客を楽しませてやろう」


 細く繊細な音で奏でられる前奏はまるで暗闇に差し込む一筋の光のように、伸びやかに力強く辺りに響き始める。

 向かい合うジルクライドは黒髪を左側にだけ前髪を幾筋残して左後ろに流し、右耳に皇家色(アメジスト)のイヤーカフとサファイヤのピアスが光っていた。群青を基調としたスーツには銀糸で繊細な刺繍が施され、白いシャツと紫のネクタイ、シルバーのベストが見える前を白金(プラチナ)の瀟洒な鎖がつなぐ。マントをつけない代わりにスリット入りの上着丈は長くて膝まであるが、内側に同じ長さの紫の薄絹が揺れ重さを和らげていた。シルバーのベストの下に見えるズボンは白だが太ももまでの長いロングブーツが大部分を覆い隠し、上着と同じ色のブーツにも銀の刺繍と白金の鎖が揺れる。

 誰が見ても着こなしの難しい服を長い手足と厚みのある体で簡単に身に着けているジルクライドの黒い皮の手袋をつけた手が、アイシャの頬から皇家色のイヤーカフとルビーのピアスをつけた耳朶をくすぐるように、それでいて触れることなく大切そうに撫でていった。


 皇子の指はパールが散りばめられた群青のレースのチョーカーがまかれた首を通り、鎖骨と肩から短いレースの袖を揺らして白い素肌をさらす腕を更に降りていく。手首までしかないドレスと同じ色のレースの手袋がジルクライドの手に導かれるように持ち上がり、触れているわけでもないのにダンスの姿勢を取ると二人の視線が絡まりあった。


 微動だにせず美しい姿勢のまま向き合う二人。

 アイシャのドレスはデザイナーが前回と一緒なのか、光沢のある青いシンプルなドレスに群青のレースが装飾に施され、それはスカートまで続いていた。あまり膨らみを持たせないすっきりしたデザインは現在皇国で流行しているもので、シンプルさゆえにレースの技巧と最高級の素材が引き立つ。背中は大きく開いていてあいだをジルクライドと同じ白金の鎖が三重につないでいるが、コルセットは使われていないにも関わらずしなやかで細い腰が強調されていた。


 もちろんドレスを注文した際につけられた背中を隠すというデザインの条件でチョーカーの後ろから延びる紫の薄絹が三本、背を飾るシルバーの鎖の下を通り膨らんだスカートへと垂れていて、ジルクライドの手がアイシャの背中に直接触れないようになっている。それでも最高級の薄絹ゆえに真珠色に輝く美しい背中がうっすらと透けて見え、大胆に開けられた背中をより妖艶に魅せていた。群青という濃い色のドレスと無防備にさらされた素肌の白が対照的で、薄絹で隠された部分を暴きたくなる魅力に気付いた者は少なくない。


 力強いダンス曲が始まると二人は優雅に踊りだす。

 大陸で共通して踊られるダンスの中でレベルの高い部類に入る難しい曲で、踊り手たちはほとんど触れあうことはない。男性側が触れるようなしぐさで女性の体を這うように手を動かしはしても、二人がまるで組んでいるかのように同じ動きをしていても、体を触れ合わせることがないのだ。これは古くからあるダンスで今以上に男女の貞淑さが求められていた時代の名残であるとも言われていて、男性のみならず女性もパートナーの支えなしに踊らなければならないことでも有名だった。


 踏み込まれるステップもまるで引き合うように差し出される手も、離れていてもまるで関係のないように息の合った二人のダンスに、年若い令嬢令息のみならず年配のご婦人や紳士まで感嘆のまなざしを向ける。

 激しく位置が立ち代わりアイシャのドレスを飾る薄絹がまるで背を飾る羽根のようにふわふわと揺れ踊ると、ジルクライドの裾の内側に見える薄絹も軽やかにふわりと広がった。一人で踊っているにも関わらずお互いにパートナーを連想させる衣装のおかげでダンスはさらに華やかになる。


 やがて曲が最高潮の盛り上がりを見せると、ここで二人は初めて手を組んだ。ジルクライドは恋焦がれようやく触れ合えた喜びを、アイシャは愛しい男性に心のすべて預けるように、ぴたりと寄り添う姿は信頼と愛情にあふれ見る者を魅了する。男女ともに興奮と羨望のまなざしが強くなるが、クライマックスに向けて踊る二人はお互いだけを視界に入れて楽しそうに微笑んでいた。


 曲の最後は再び独奏が会場に響き渡る。奏者の腕がいいのだろう。余韻を含ませて消えゆく音に合わせるようにファーストダンスは終わりを告げ、ジルクライドとアイシャの動きが止まると割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 手を挙げて歓声に応えていたジルクライドはすっと視線をずらすと楽団に手を向けて差し示す。


 この素晴らしい曲を奏でた彼らにも称賛を。


 しぐさだけで語られた意図に招待客の拍手は鳴りやまず、指揮者の元、立ち上がった楽団員たちが頭を下げるとジルクライドが満足そうに微笑んでひな壇へと戻っていく。ゆっくり歩むジルクライドにエスコートされながらアイシャも乱れた呼吸を戻そうと大きく息を吐くと、ジルクライドの赤茶(・・)の目が愛おしそうに見下ろした。


「ダンスに集中できたようでなによりだ。あちら(第一王子夫妻)は見るも無残だったからな」


 踊るので精一杯だったアイシャはその言葉に思わず彼らを探すと、会場の中央でいまだに歓声に応えるように手を振る二人が見える。ジルクライドの言葉とは対照的な彼らの態度だが、周囲の貴族の視線はこちら(ひな壇)に向けられているというのに嬉しそうな姿に、彼らがなにも変わっていないのだとうかがい知ることができた。


「そんなに酷かったの?」

「……アヒルが歩いているのかと思った」


 話を聞くと第一王子の方はなんとか形を保っていたらしいが、エルシャはどたばたと手足をばたつかせていただけらしい。練習不足が如実に表れた形だ。その上、ディザレック皇国皇太子夫妻に向けられた歓声を自分たちの称賛のように受け取っているのだから、彼らを見る貴族たちの視線が冷ややかになっていく。夫妻がホールを離れても近づく者はおらず、周囲をぽっかりと開けたまま彼らは得意げに周囲を見回していた。


「皇太子殿下ならびに妃殿下のご結婚を祝しまして、この国の婚姻式で踊られるダンスを披露させていただきます」


 次の催し物として第二王子の口上に合わせるようにホールに出たのは年若い男女のカップルが七組。第二王子と婚約者を含めると八組十六人の男女が整然と立ち並ぶ。顔ぶれを見ればいずれも将来国の中心を担う名家の出だが緊張する様子を見せつつも一様に歓迎ムードを漂わせており、中にはアイシャと親交のあった令嬢(クララベル)もいて目が合うと殊更にっこりと笑みを浮かべた。


 ドオン、ドォンと腹に響くような太鼓の音が鳴り始め、間隔をとって縦横四列に並んでいた男女が一斉にステップを踏む。一糸乱れぬ動きとクルクル変わる立ち位置に、踊り手たちはまるでそれが一つの生き物のようにぶつかり合うことなく衣装を翻し、時に手を取りあい、時に腕を組んで楽しそうに踊っていた。


「凄いな」


 さすがのジルクライドも感嘆の言葉を漏らし、完全に息の合ったダンスを見てアイシャは彼らが相当練習したのだと知る。

 なるほど、これならアイシャたちに『ルミエル・エレ』(先ほどのダンス曲)を要望するはずだ。これだけレベルの高いダンスが後に控えているのなら、簡単なダンスでジルクライドを前座にするわけにもいかないだろう。アイシャがどの程度のダンスを踊れるのか友人であったクララベルなら知っていただろうし、前回のジルクライドのダンスを見ていれば彼が踊りの名手であることは判っていたはずだ。


 整然とした型通りの踊りはジルクライドたちとは正反対だが、腕の上がる角度でさえ揃っている完ぺきな仕上がりはそれだけで見る者を魅了する。曲が盛り上がりクライマックスを迎えると、ひときわ大きく叩かれた太鼓の音を最後に元の形へと戻った彼らの動きが止まった。

 再び鳴り響く拍手の音。もちろんアイシャもジルクライドも惜しみない賛辞を贈る。


「素晴らしい踊りだった。これほど見事な集団ダンスは初めて見る。聞けばこの夜会を取り仕切ったのもフィリップ殿下だそうだな。お礼もかねて我が国に招待しよう」


 ジルクライドの言葉に会場の一部がザワリと揺れた。今日の夜会ではジルクライドは皇国語を話しているが、この場で一番高い身分に合わせた形だ。前回は急な訪問と強引な夜会の開催ゆえにジルクライドが折れたが、皇国語も共通語として上級貴族から徐々に使われ始めている現状、ディザレックの皇太子がわざわざ王国語を話す必要はない。判らない者は淘汰されていくだけだ。


「過分なお言葉、ありがとうございます。謹んでお受けいたします」


 第一王子よりは流ちょうな皇国語で淀みなく答えるフィリップ王子。ジルクライドの言葉の意味が判る者は皇国の次期皇王が王国の次期国王を指名したと知っただろう。第二王子の政治の土台(側近や配下)は今事態を理解している者から選べば間違いはないはずだ。


「オーレリア様との婚姻式も楽しみにしておりますわね」


 さすがに未婚の婚約者を皇国に招くことはできないため、アイシャは彼らの婚姻式を祝福することで黒の皇子の意図を後押しする。

 和やかな談笑の裏で政治的な決定を知らしめ終えると、夜会は一気に騒がしくなった。ダンスを楽しむ者、第二王子への根回しや派閥の情報を集めようと動く者、宗主国の皇太子に見初められようと頬を染めて近づく者、友へのあいさつにうかがう者、素敵な出会いを求める者と人々はさまざまな交流を始める。

 ジルクライドとアイシャはしばらく国王夫妻や皇国政務官、第二王子や筆頭公爵と話をしていたが、やがて立ち上がると王国貴族と交流するべく段下へと降りて行った。皆が口々に祝いの言葉を述べ、ジルクライドが呼び止めぬ限り早々に引き下がっていく。それが大規模夜会における位の高い人物へのマナーであり、あいさつをする側にもされる側にも必要な配慮なのだが。


『お義姉さま!』


 人々をかき分けて現れた第一王子とエルシャは身分など関係の無いように親しげに王国語で声をかけてきた。護衛していたローウェルやウェイドなどは気配を固くして右手をさりげなく剣の柄へと掛けるのをアイシャは目の端で捉える。


『お義姉さま、お久しぶりです! 今日は一緒に踊ってくれてありがとう! すごく楽しかったわ!』


 夜会という公の場でまるで家族に接するようなあいさつもない会話に、アイシャはため息を吐かないように苦労しながら微笑むだけにとどめた。無礼な人間にかける言葉はないのだ。それがたとえ身内だろうとも。それなのにエルシャはまるで気が付かないらしく、子供を産んで幾分ふっくらした顔をさらに膨らませて彼女にとっての不満を訴え始める。


『それにしてもお義姉さまは薄情ね。わたくしが結婚して娘を産んだのに、お手紙だけよこしてお祝いのプレゼントをよこさないなんて……お義姉さまが素敵なネオ様を諦められないのは判りますけど、それでは社交界ではダメなのですよ? ジルクライド殿下はちゃんと素敵なプレゼントをわたくしに下さったわ!』


 『ほら、見て!』と振り返ったエルシャは髪を縛る白い大きなリボンを見せびらかした。リボンの端には皇族御用達の印が刻印され、それがディザレック皇国から贈られたものだと一目で判るのだが。


「リボンなんてプレゼントしたのか?」


 背後に気配なく付き添っていた侍従のヒューズにジルクライドが確認すると、彼は困ったように首を傾げた。


「いいえ。子供の性別が判りませんでしたので確か銀のスプーンと食器のセットを」

「もしかしてカステル商会に注文しましたか?」


 心当たりのあるらしいアイシャにヒューズがうなずくと、義妹の話を聞き流していた姉も困ったようにジルクライドを見上げる。


「カステル商会のプレゼントは包装がとても凝っているのです。オフホワイトの最高級生地を使ったリボンを惜しげもなく使って綺麗に仕上げるので女性に人気なのですわ」


 アイシャの話を聞いた皇国の男性二人がうっとりと溶けた顔で見上げてくる第一王子妃から目をそらした。頭を自慢げに飾るそれが包装用のリボンなのだととても言い出せなかったのだろう。あとで誰かに知らせなくてはとアイシャは痛む頭を押さえる。

 おそらく乳児用の小さなスプーンに大きなリボンが花のように豪華に結んであったはずだ。アイシャは以前見たことがあるプレゼントの形を思い出し、スプーンになど興味もないエルシャがジルクライドからのプレゼントは高級リボンであると勘違いしたのだろう。


『なんの話をしているのですか? どうして王国語で話してくださらないの? お義姉さま、意地悪をするなんて酷いわ!』

『ああ、エルシャ。ジルクライド殿下はディザレック皇国の皇太子だ。皇国語を話されるのは当然だよ。それよりも殿下、私まで皇国にお招き下さりありがとうございます。ダンスの礼と言われると恥ずかしいのですが殿下たちも上手でしたよ』


 話に入ってきたネオンハルトがいきなり妄想を吐き出した、らしい。後ろでローウェルがこらえきれずに吹き出し、ウェイドがわき腹を抉る鈍い音とうめき声が間を置かずに聞こえてきた。


「ゆるく教育すると王族もここまでなる(・・)のだな」


 感心したようなジルクライドの言葉にネオンハルトは笑顔で答える。


「はい。いっぱい勉強、しました」

「……そのようです」


 いつものように自分たちに都合のいい言葉だけを聞いているらしいネオンハルトは嘆息しながら同意したアイシャを無視して楽しそうに話し続ける。


『ご結婚おめでとうございます。その者は女のくせに生意気で、知識だけは持っているので男を見下すような性格ですが、殿下のお飾り(・・・)として役に立っておりますでしょうか? 一応磨けば光るのだと判って安堵しておりますが、義妹に流行のドレスも贈ることのない薄情さも許してやってください。人の情も理解できぬような女なのです』


 やらかすとは思っていたが率先して自ら首を絞めるようなことをするとは思わなかったアイシャはものの見事に固まった。不慮の事態にも柔軟に対応できると思っていたが、どうやらまだまだ修行が足りなかったらしい。いきなり宗主国の皇太子妃を侮辱するという第一王子の暴挙に周囲に漏れぬよう人垣を作っていた高位貴族たちは立ちすくみ、ジルクライドの側近たちからは不穏な気配が滲み出ていた。

 空気が凍る中、黒の皇子は持っていたシャンパンのグラスを飲み干すとエルシャに手渡す。いったい何をするつもりなのか理解できずに見つめる周囲をよそに、瞳を輝かせて何事かを期待する第一王子妃に向かってジルクライドは無表情に一言だけ言い放った。


「片づけておけ」

『なんですか?』


 きょとんとしたエルシャを可愛いと見るか愚かと見るかは人によるだろうと関係のない感想を抱きながら、アイシャは黙って成り行きを見守る。


『片づけろ、とおっしゃいました』


 銀髪に鋭利な美貌で堅物と言われることの多いヒューズが、まるで楽しくて仕方のないような満面の笑みで通訳した。それを聞いて悲痛な表情を浮かべるエルシャと愛する妻を侮辱されたと顔を赤くして睨むネオンハルト。周囲の貴族からは次々と失笑が漏れる。


『酷いです! 私はネオ様の妻なのよ! 侍女じゃないわ!』


 大声で訴えるエルシャを刺すような目で一瞥すると、ジルクライドは唇の端を持ち上げるようにして鼻で笑った。


「そうなのか。そんな派手でセンスのないドレスを身に着けているから、てっきり……」


 ジルクライドの濃茶の目に映るのは皇国の流行を取り入れようとしたらしいエルシャのドレスだ。襟と手首まである袖のついた真紅のドレスは大柄な薔薇のレースで装飾されているがシンプルな形で、上半身は体に沿って縫製されているために貧相な胸周りが強調されている。小柄であるせいかドレスに着られている感じが多分にあり、それでいて形そのものが古臭く感じるせいでまるで未亡人のようにも見えた。


「まぁどうでもいい。そろそろ行くぞ」


 ご丁寧に仕える主人のつぶやきまで余すところなく笑顔で訳すヒューズに恐ろしいものを感じながら、アイシャは二人を無視してその場を立ち去る夫にエスコートされていく。後ろがざわつくもののすでに第一王子(愚か者ども)の対策が取られていたためか、すぐに収まった気配がした。


「すまなかった」


 しばらく人を避けるようにバルコニーへと出たジルクライドは自己嫌悪に震えながらそっとアイシャを抱きしめる。


「ジルクライド?」


 謝罪しなければならないのはアイシャの方だ。出身国の王子の侮辱と義妹の無礼に気分を害したのはジルクライドだろうにと首を傾げていると、顔を耳元に寄せ大きく息をつく。


「お前を馬鹿にされて我慢できなかった。俺はお前のこととなると本当に余裕がないな。好きにさせると言ったのに」


 夜会の前の言葉を守れなかったと落ち込む黒の皇子に、アイシャはよしよしと頭を撫でながら小さく笑った。


「ネオンハルト殿下は女性から間違いを指摘されるのが死ぬほど嫌いなのです。あの時、わたくしが何を言っても彼は聞くことがなかったでしょう。ですが権力を持つ男性には弱いので、ジルクライドの対応は堪えたのではないかしら? それにわたくしもちゃんと罰を考えましたわ」


 だから顔を上げてほしいと頬に手を添えて向かいあうと、そっと唇を重ね合わせて機嫌を取る。深くはないが味わい尽くすようにじっくりと堪能するジルクライドが満足してから、二人は再び会場へと戻っていった。









 自分の妻を侮辱されて隣国の皇子に謝罪させようとしたところ、近衛騎士に取り押さえられて自室に閉じ込められていたネオンハルトは、三日ぶりに国王に呼ばれて部屋を出た。

 謹慎中でも「我が国を侮辱している」とか「性悪女に汚染された」などと侍女や騎士に訴えていたのが認められたのだろうと意気揚々と入室した青年は、国王より中央にアイシャがいるのをみて激高した。


「貴様!!」

「ローウェル」


 暴言を吐こうとするより前に白刃がピタリと喉に突き付けられる。いつのまにアイシャの後ろに控えていたはずの騎士が動いたのかその場にいた者誰もが判らぬまま、短く刈り込まれた茶色の髪と触れれば切れそうなくらい鋭い緑の目を持つ護衛は微塵の躊躇もなく王子を黙らせた。

 騎士の名を呼んだアイシャはふわりと笑うと国王と王妃、政務官と第二王子、王国の近衛騎士団長と筆頭公爵という王国の重鎮を前に臆すことなく進み出る。


「皆でいろいろと殿下の処遇について話し合ったのです」


 ネオンハルトはあいさつも釈明もなく話し始める無作法に反論しようとしても、首元に剣を突き付けられ脅されている今は無理だと判断して黙って話を聞いていた。


「不敬罪や反逆罪で極刑を、という者が多かったのですが、わたくしは殿下の育った環境を知っているせいかそこまでの罰は必要ないと思いました。甘いと言われそうですが10年も婚約者をやっていた情けです。一年間の社交の禁止と離宮での謹慎とすることにしました」

「そんな勝手が許されると思っているのか」


 どうせ傷つけられることはないと低い声で脅せば、アイシャは皇国に嫁いでから得た輝くような美貌で楽しそうに笑う。


「殿下のそういう無駄に前向きなところは素晴らしいと思いますが、残念ながらここにいる皆は反対でしたよ」

「だろうな」

「ええ。死罪にするべきだと」

「は?」


 信じられないと目を見開く自国の王子に、その場にいた誰も手を差し出すことなく沈黙で肯定された。この場の誰よりも豪華な衣装を身にまとい主のごとく君臨するアイシャは同情のまなざしを向ける。


「そんなに怯えずとも大丈夫です。ここではわたくしの(・・・・・)意見が(・・・)通ります(・・・・)から殿下の処罰は謹慎です。が」


 元の場所へと戻りながら青い目がちらりと項垂れた王子と剣を突き付けたままの護衛騎士を見た。


「彼はジルクライドの専属護衛騎士なのですが、ジルクライドは殿下のわたくしへの侮辱がどうしても許せないそうなのです。ですから……」

「死ね」


 低くつぶやかれた言葉の意味を理解するより前に銀光が首を薙ぐ。激しい怒りに燃える年若い騎士の目と首への衝撃で、断ち切られたと理解すると同時にネオンハルトの意識が途切れた。








「少しだけ意趣返しに付き合って……あら?」


 剣は当てずに殺気とともに振られただけでネオンハルトは気絶した。事前に知っていて背後で見ていただけのはずの騎士団長と政務官も身じろぐ。


「大丈夫なの?」


 護衛騎士は信用しているが壊れては元も子もないと心配するアイシャに、ローウェルは神妙な顔で膝をつきうなずいた。寡黙な様子にウェイドにしゃべるなとでも指示されているのだろうと理解していると、政務官が腕を組んで気絶したネオンハルトが運び出されるのを見送りながら確認してくる。


「あの程度の罰で本当にいいのだな?」


 年を経た厳しい顔にアイシャは憂いを含んだまなざしで見返した。


「彼らは自分たちが一番ですから、注目され、称賛を浴びることが生きがいのような人たちです。離宮に夫婦で閉じ込められ、ほめてくれる人も認めてくれる人もうらやむ人もいなくなっても真実の愛があればやっていけるでしょう。一年後の王国に彼らの居場所があるかどうかは彼ら次第です。それにその間に第二王子の立太子と側近の選定の根回しを進められますし、上が(・・)いなく(・・・)なった(・・・)から(・・)二番目に王位が回ったと思われる必要もないでしょう」


 廊下の物音とローウェルの反応に、どうやら迎えに(ジルクライドが)来たようだと歩き出そうとしたアイシャは最後に足を止めて小さく言った。


「それに小さな子供が親を失くすようなことはしたくないの」


 将来的にどのような親子関係になるのかは判らないが、少なくとも生きていなければ何も変えられない。親子の情を結ぶにしても絶縁するにしても死んでいてはできないから、と為政者としては甘い考えだと自覚しているアイシャのつぶやきは誰にも聞こえることなく空に消えた。


「ローウェル。あれで満足してくれた?」

「(こくり)」

「それはウェイドに話すなと言われているの?」

「(こくこく)」

「そう。飼い主に言われているなら守らなきゃね。あるじはジルクライドだけど飼い主はウェイドだものね」

「Σ(゜Д゜)」

「でもわたくししかいないなら、ちょっとくらいお話しても大丈夫じゃない?」

「((´∀`))」

「あ、ウェイド」

「アイシャ様、お待たせいたしました。何かお話し中でしたか?」

「いいえ。とてもいい子にしていましたよ」

「(≧▽≦)」

「本当にそれでいいんですか?ローウェル。私は殿下の侍従としてそこはかとなく不安を感じるのですが」

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