黒皇子の恋・後日譚1【黒皇子は無意識に所有権を主張する】
お待たせしました。ラブラブ、イチャイチャとはあまり関係のない後日譚を公開します。
(忘れた人用)【本編あらすじ】
婚約者であった自国の王子を義妹に寝取られたアイシャは、同時期に病で婚約者を亡くした宗主国の皇太子ジルクライドの要請で新たな婚約を結んだ。嫁入りにきたアイシャを迎えにきたジルクライドは自身の気持ちがアイシャにあると知り、彼女を口説き始める。
小さな障害はあったものの大国の皇太子として盤石なジルクライドの庇護のもと無事に婚約したアイシャは、小さな事件から自ら「愛しています」とジルクライドに告げると、二人は無事に結ばれたのだった。
「………あら? こんな話だったかしら」
「俺の忍耐と我慢が見事に消えたな」
「一番の山場が『小さな事件』ですって」
「本当はもっと生々しく書きたかったらしい。全年齢版で助かった」
「そうですわね。いろいろとぐちゃぐちゃでしたもの……あ、このお話はファンタジーでフィクションです。実在しませんのでご注意下さいませ」
エイベルはディザレック皇国でも数少ない男性デザイナーだ。男性服はもちろん女性のドレスまでデザインすると評判で、彼の対をなした男性礼服と女性のドレスの組み合わせは年若い夫婦に人気もありそこそこ忙しい身である。
彼自身も亜麻色の柔らかな髪を首元で纏め、青い目が穏やかにほほ笑む美男子でもあるが、そんなエイベルは今、これまでの人生の中で一番緊張していた。彼が座っているのは皇国の中心、皇城の一室である。洗練された調度品は華美でありながら落ち着く雰囲気を醸し出し、もてなすという部屋の用途に調和し客を楽しませるのだろう。けれどそれにはある程度の身分があれば……という但し書きが付くが。
「お待たせして申し訳ありません」
ノックに返事をして現れたのは彼を呼び出した貴族だった。名はアロイス・ダンフォード。公爵家の子息で宰相補佐という政治の要を担う男である。長い銀髪に翡翠の目を持つ麗人は皇太子ジルクライドの側近であり、数か月前にあるドレスを注文してきた貴族だった。
アロイスの登場に立ち上がって出迎えると、さらにもう一人黒い影が部屋に入ってきた。黒髪に濃茶の鋭い瞳、厚みのある体躯は騎士にも劣らず、それでいて動きの一つ一つに品がある。整った顔は見る者に畏怖を抱かせるが、纏う気配は雄々しくて人を跪かせる迫力があった。
「今日はこの方も同席させていただきます。ジルクライド皇太子殿下です」
会うと判っていても卒倒するほど緊張する人物の登場に、エイベルはそんな話は聞いていません!とアロイスに抗議したくなる。
「堅苦しい挨拶はいい」
跪いて最上級の礼を取ろうとしたエイベルを止めた鋼の声に、青年は腰をおり深々と頭を下げた。
「こちらがアイシャ様が王国で身に着けたドレスをデザインしたエイベルです」
ジルクライドにエイベルを紹介したアロイスは二人を座らせると、お茶を用意する侍女を待たずに話を進める。
「貴方にとっては突然の出来事でしょうが、まぁ皇族のわがままだと思って付き合ってください。殿下が婚約者になられる令嬢のドレスについて話があるそうです」
おいおい、わがままって言っちゃっていいんですか?と庶民丸出しで突っ込みたいが、残念ながらそこまで自由奔放には生きていないエイベルは黙って出されたお茶を飲んだ。
向かいのソファに座った皇太子は切れ長の目をじっとエイベルに向けて息をつくと、それまでの貴公子然とした様子から幾分気が抜けたようにくつろぎ始める。デザインは平凡だが高級な生地と上品な仕立ての皇太子の衣装が、皺になることなく男の逞しい体を包んでいるのを何気なく観察した。
「お前が先に作ったドレスだがデザインが気に入った。そこで婚約式のドレスも仕立ててもらおうと思ったのだが、できるか?」
用件のみを淡々と告げる貴人に、エイベルはすぐさま頷く。皇国でもまだそれほど有名ではない自分が、この国で行われる大規模な祝典にドレスを仕立てられるのだ。断る理由はなかったが、それだけならば皇太子がわざわざここに来る必要はないと冷静な頭が考える。
「はい、お任せください。前回は紫を使ってシンプルで上品なものを、という注文でした。今回はどのようにいたしましょう?」
巷で囁かれている新しい婚約者のうわさはあまり良いものではない。酷いものだとお飾りの皇太子妃だとか、文句を言わない適当な令嬢を選んだなどと言われていたのだが。長い足を組んでどこかに視線を飛ばす皇太子はその目に婚約者の姿を思い浮かべたのか、かすかに細めてほほ笑んだ……気がした。
「ドレスの色は赤。できれば深紅。私の象徴植物カウンズクローをレースで色は……黒。形は前と同じようなシンプルなもので、今度は鎖骨が見たい」
「はっ……」
今回の呼び出しもドレスの注文だと聞いていた。だからエイベルはある程度のデザインのスケッチと生地と色の見本も別室に持ち込んでいて、すぐさま注文に応えられるように準備をしていたのだが。
「ジルクライド殿下……」
どこかあきれた様子のアロイスと同じ心境になりながら、それでもデザイナーのプライドでデッサン用の紙に皇太子の要望を書き入れる。
「この程度の気遣いをしないと他の連中に舐められる」
側近に意見を言っていた皇太子はお茶を飲み干して立ち上がろうとしたため、エイベルは慌てて追加の質問をした。
「黄色は入れられないのですか?」
婚約者に自分の瞳の色を身に着けさせるのは古典的なけん制の方法だ。一応の確認をと視線を上げると、男でも見惚れるような自信に満ちた笑顔を浮かべた皇太子が実に楽しそうに答えた。
「私の目は紅く染まる。今回のデザイン次第ではこれからも注文が続くだろうから覚えておけ」
それだけ言い残すとそのまま颯爽と退室する。そして室内に流れる沈黙はアロイスによって破られた。
「身近な者しか知らぬ事実です。どうか内密に。デザインを三種類、最終的に殿下が選びますので提出してください。それとサイズは前回と変わらないと思いますが、一応二週間後には令嬢が入城を予定していますのでその時に行います。それでは頼みますよ」
そう言って銀髪の麗人も立ち上がって忙しなく去っていく。それを見送ったエイベルは侍女と助手とともに道具を片付けて城から出ると、店に戻り自室で頭を抱えた。
「自身の目の色をメインに、象徴植物のカウンズクローは黒ということは殿下の髪の色ってことで。なんで殿下の象徴花じゃなくて植物なんだ?……ああ、もしかしたら……」
さらさらとデッサンしながら自分の予想を組み立てる。もしそれが当たっていたとしたら巷のうわさは嘘なのかもしれないと思えてくる。
「象徴花じゃぁ誰でも使うから、か」
皇国皇族の象徴花は人気が高い。皇王陛下を筆頭に皇国の固有種でも華やかなものが多く、皇太子のヴェラも花弁を幾重にも重ねた花でドレスやアクセサリーのモチーフに使われることが多かった。
「自分だけの印を身につけさせたい……もし殿下が無意識に選ばれたのだとしたら……」
デザインのために本棚から取り出していた植物図鑑のカウンズクローの挿絵は、なんの変哲もない小さな葉をつけた蔦が柱に絡みついたものだ。そして植物の特徴として『この植物は蔦でありながら巻き付く支柱を締め付けることはないが、複雑に絡まりあってほどけることはない』との記述がある。それを皇子の『髪』の色である『黒』で使うのだ。これを執着と言わずになんというのだろう。
最初に宰相補佐から受けた注文は清楚なイメージで作られた。それとは逆のイメージを持つ配色とデザインにエイベルは悩む。
「深紅……黒……蔦……絡みつく……執着……男女……一本、いや二本……鎖骨……でも執着の行きつく先は首だよなぁ」
ぶつぶつと呟きながら自分の嗜好を入れつつデッサンを続けるエイベルの周囲に、二枚、三枚と散らばる画用紙が増えていく。皇城に上がり、予定外に皇太子と接見し、予想外なドレスの注文を受け、その興奮のままデザインを描くこと一晩。
最終的に満足のいく出来になったデザインはたった一枚だけ。それも寝落ちて目覚めた時は日が傾いており、約半日熟睡してからすっきりした頭で改めて見ると自分で書いたドレスなのに若干引いてしまう。
捨ててしまおうか……握りつぶそうとしていた紙を見下ろしながら思案すること数分。寝起きの鳥の巣のようなもじゃもじゃの頭のままエイベルはそれを丁寧に机に置いた。
どうせデザイン画は三枚必要なのだ。まったく趣の違うデザインのほうが皇太子殿下も選びやすいだろうし、これ以外の二枚を清楚な雰囲気にすれば満足されるだろう。なんだかんだと理由をつけつつ、結局エイベル自身がこのデザインを気に入っているのだ。
「『着る人間のあるがままの姿をデザインする』かぁ。トラル師匠、見たことのない令嬢のドレスをデザインするのは弟子失格ですか?」
海峡を挟んだ別大陸の北の国にいるエイベルの師匠を思い出す。
「んー、やっぱり最低でも婚約者の令嬢の容姿が知りたいな」
エイベルはすぐさま王国と取引のある商人で伝手のある人物のリストを頭に浮かべた。その中から侯爵令嬢かまたは令嬢が出席する舞踏会に参加経験のありそうな幾人かを選び出すと、すぐさま立ち上がる。手紙で悠長に、などとまどろっこしいことはしない。彼らだって自分だって時間は有限で、とにかく今は時間がないのだ。駄目なら次の手を考えるだけである。
窓から見える空はすでに薄暗くなってきているが、エイベルは手櫛で頭を軽く整えるとコートを片手に部屋を出て行く。明りの消された薄暗い部屋の机の上には、深紅のドレスに二本の黒い蔦が這い上る優美なドレスのデザイン画が残されていたのだった。
その数週間後。提出したデザイン画を一目見て、執着を示す最初のデザインを選んだ皇太子にエイベルが内心で引いていたのは仕方のないことかもしれない。
そして仕事の都合でその場に立ち会えなかった宰相補佐が出来上がったドレスを見て絶句したのは、それから数か月後の話。
「ああ、そうだ。背中は隠してくれ。今は少しばかり都合が悪い」
婚姻式を終え、再び皇城に呼び出されたエイベルは皇太子ジルクライドの要望をデッサン用紙へと書き入れる。理由を問いたいが雇い主の要望はなるべく聞き入れるのが自分たちの仕事だ。要望に沿うデザインを書き起こすのはデザイナーの腕の見せ所である――が。
「殿下。ドレスが出来上がるのは数か月後ですよ。それまでには消えるのでは?」
何が消えるの?!と再び突っ込みたくなる気持ちを抑え、この国で最上位に位置する貴人とその配下の会話を聞くともなしに見守ると、黒の皇子がなぜか満足げに笑みを浮かべた。
「ああ。だが私が直接触れるとアイシャが溶ける。慣れるまではもうしばらくかかるな」
「……」
「……殿下の言うとおりに」
また墓場まで持っていかなければならない話を聞いてしまったとエイベルは窓の外を見上げる。抜けるような青空に小さな白い雲が浮かび、小鳥が飛び交う絶好のピクニック日和に何という話をしているのか。控える侍女も護衛騎士もどこか諦めたように見えるのは気のせいだろう。
去年までの令嬢たちの流行は背も首元も大きく開いたドレスだった。それが今年に入って襟の詰まったデザインが再び流行り始めており、それをけん引している皇太子妃のドレスは皇太子殿下の都合が多く入っているとご婦人方が知ったらどうなるだろうか。
エイベルはジルクライドの注文するアイシャのドレスも、アイシャが作るドレスのデザインも請け負っていた。両者の違いは明確なようで、根本は変わらないと知っている。それは可愛らしい、柔らかい印象の令嬢には少し扱いが難しいデザインで、社交界でも地位が高いこの国の女性たちによく似合っていた。
「かしこまりました。ちなみに肩から肩甲骨の部分は開いても構いませんでしょうか?」
「そこなら構わない」
「では後程アイシャ様にも要望をお聞きしてデザイン画をお届けいたします。いつものように三枚ほど用意いたしますがよろしいでしょうか」
「急がせてすまない。頼むぞ」
いつものように忙しい皇太子を立ち上がって見送るエイベルが向かいのソファに座る銀の麗人を見ると、呆れたような視線が向けられる。
「毎回思いますが、貴方と殿下はドレスの趣味が合うのですね」
「そうですかね?」
自覚はないと首をかしげると、アロイスはこれ見よがしに大きくため息を吐いた。
「私からの注文よりも殿下からの注文の方が楽しそうに見えますよ」
ああ、そういうことかと手元の画用紙を片付けながらエイベルは愛想よく笑う。
「私の師匠は常々『身に着ける人物のあるがままの姿をデザインしろ』と言っておりました。皇太子殿下の注文はいつも試されているかのように難しいものばかりですが、要望の内容は皇太子妃殿下をよく見ていらっしゃると思っております……まぁ、正直申しますと婚約式のデザインでアレを選ばれるとは思いもしませんでしたが」
エイベルの言葉で部屋には妙に納得したような空気が流れるも、アロイスは立ち上がりながら挑発に似た視線を投げかけてきた。
「王国にはアイシャ様から妹に婚約を乗り換えた王子がいます。彼等に見せつける最高のドレスをお願いしますね」
挑発してくる青年貴族に首を垂れるとエイベルは道具を持って部屋を出る。頭の中は注文を受けたドレスのデザインでいっぱいで、今夜も眠らずにデッサンし続けるのだろう。それでも見目麗しい皇太子夫妻の衣装をデザインできる自分は幸せなのだと、エイベルは足取りも軽く皇城を後にしたのだった。
「え? あの人とあの人がくっつくの?!」
驚くアイシャ。闇にうごめく怪しい影が真実に迫る。
次回【あの人とあの人が木の下で】お楽しみに!
(番組の都合上、内容が変更される場合があります)