6-9 猿の冒険者
猿の冒険者は、変異する。暗い石の力を吸うかのように、少しずつ、少しずつ変異していく。
赤い眼は、この世の絶望を表すかのような、黒い瞳になり、血も黒く淀む。
ゆっくりと此方に近づく猿の冒険者は、形も無惨な化け物になっていた。
「ーーーーーーー!!!」
声にならない叫びが聞こえる。強い絶望感を感じる。そんな悲しい、そして暗い叫びだった。
化け物は、俺を襲う。その俊敏性は遥かに強化され、一瞬で俺の懐に入った。
上から振り下ろされる拳を受け流し、柔で投げる。化け物の力を全て投げの力に変化させた。
背中から落ちる化け物。床はひび割れ、その威力を表す。
痛みは感じないのだろう。倒れてなお蹴りを繰り出す。俺はそれを避けた。
立ち上がる化け物。ゆっくりと間合いを詰める。また、懐に入り、下からの攻撃。それも受け流して、投げに変化させる。腹から落ちる化け物。俺は震脚で頭を踏もうとするが、化け物はそれを奇怪な動きで避けた。身体の骨はもうバラバラだろう。一歩動く度に、不気味な動きをする。
俺はこの時に気がついた。何故だかわからないが、触れる事を。
通常の暗い石の件は、精神を蝕む位の痛みが襲う。だが、今回はそれがなかった。何故だ?
だが、考えさせてはくれない。化け物はどんどん攻撃をしてくる。それを避け、投げる。殴る。蹴る。
もう、人の形はない。化け物は、床を這いずり、俺を襲う。
頭だけは、形が残っている。だから、頭を狙う。暗い石を破壊するように。
だがそれは、叶わなかった。変則的に避ける動きが、かえって化け物の動きを捕らえられない。鞭を相手にしているかのようだ。
頭以外はもうバラバラだ。それでも化け物は俺を襲う。
俺は集中する。頭を狙う一点だ。
鞭のような攻撃を避けずに、相討ち狙いに切り替えた。
適格に、急所を狙う化け物。それだけは避けなければならない。そして、確実な攻撃の為に、俺は我慢した。
化け物が襲う瞬間、溜めがあるのに気がついた。それが隙であり、好機だ。其を狙った。
変則的な攻撃を我慢する。手甲のお陰か、傷は浅い。しなる攻撃に耐え、その時を待った。
化け物が距離を空けた。俺は集中する。ほんの一瞬に賭ける。体勢を前屈みにし、いつでも前に出れるようにする。
化け物の脚に力が入る。その刹那。俺は縮地を使った。懐に飛び入り、射程圏内。
流の脚運び、柔の体裁き、剛の一撃!
頭を、暗い石を捕えた。その瞬間、世界は白転した。
★
それは白の世界。これは俺の世界だ。いるのは二人。俺と、猿の冒険者だ。化け物ではない。
「ここは?」
猿の冒険者が俺に尋ねる。説明が難しい。
「安らぎを感じる。絶望が消えていく。」
白テラスの働きだろうか。猿の冒険者の表情は明るい。
「俺は、誰かのせいにしたかった。」
猿の冒険者が語る。
「聞いても良いか?」
俺は口を開く。頷く猿の冒険者。
「暗い石はどこで手に入れた?」
猿の冒険者の話では、ローブを被った人間から渡されたという。そのローブを被った人間が、士爵の娘を拐えば、目的を果たせる、と言って暗い石を渡したそうだ。その暗い石は力を向上させた。身体は軽くなり、より俊敏な動きが出来るようになった。高い塀も軽々飛び越え、士爵の娘を拐う事が出来た。士爵の娘をボスに渡し、妹を返して貰おうとしたが、すでに遅かった。妹は死んでいた。殺されていた。絶望した。自分が許せなかった。人を許せなかった。何もかも。この世を呪った。
「そうか。」
俺はこれしか言えない。気持ちは痛いほどわかるからだ。俺も、テラスに危害、いや、死んだらどうなるか、本当にわからないからだ。発狂するかもしれない。
「あんたは優しいな。」
猿の冒険者は、微笑んだ。
「なあ、あんたの名は?」
「ソーイチだ。」
「俺はラキマだ。」
俺とラキマは握手をする。
すると、ラキマは足元から消えていく。
「もう逝くのか?」
「ああ。妹が待っている。」
消えかける声に耳を澄まし、聞き取る言葉は、
ありがとう。
だった。
気がつくと、部屋に戻っていた。手には、白い石が握られていた。
★
回りを見渡せば、雑魚寝部屋だ。遺体は二つ。ラキマとその妹だ。俺はその遺体をそのままにした。
宝部屋の宝は、今までの戦利品だろう。装備品がだいたいであり、ボロい。貨幣がなかったので、宝はそのままにした。
大部屋に戻る。テラス達が迎えてくれた。マリアはまだ震えているが、迷宮を出る事を伝えると、足取りはおぼつかないが、一人で立って歩いた。
ディル士爵は、娘のティアを抱きながら歩く。この二人もすぐに迷宮を抜け出したいだろう。
迷宮を抜け出し、外へと出る。ディル士爵は馬車に乗り込み、邸宅に戻った。俺達も小屋に戻る。
その夜は、マリアのケアに費やした。人の命を奪った恐怖を払拭する為に、ずっと側にいる。強がるマリアだが、手の震えが止まらない以上は、休ませたい。これは時間が解決してくれるのを期待する。
朝になり、マリアはいつもの状態に戻っていた。恐怖に打ち勝ったのか、薄らいだのかはわからない。
「何かをしていないと、落ち着かないのよ。・・・まだ私には罪悪感がある。例え治外法権であっても、それが正当防衛だとしてもよ。」
「その罪の辛さは、俺も背負う。だから、不安定になったら、気にせずに話をしようか。自分に負けない為に。」
「ええ、ありがとう。」
マリアを抱擁する。小刻みに震えているマリア。
「ずっといっしょだよ。」
「はい、私達は家族ですから。」
テラスとビビも、マリアを励まし、抱擁する。
「大丈夫。さあ、ご飯よ!いっぱい食べましょう!」
「そうだな。」
リビングに向かい、用意された食事を前にする。元気になる為にも、沢山食べた。
★
今日一日は小屋で過ごす事にした。マリアが落ち着くまでは、皆一緒にいようと考えたからだ。
マリアは部屋の掃除やら、食事の準備をしている。テラスはその手伝いであり、マリアから離れない。ビビは外で鍛練だ。俺は櫛の作成をしている。作業場に籠るのは今はよくないと判断したからだ。櫛の作成ならば、どこでも出来る。
パタパタと忙しく働いているマリア。人を殺したという事を払拭したいが為に、身体を動かす。
俺はといえば、何故か平気だ。俺も人を殺したのだが、何故だか罪悪感が湧かない。
俺は不殺を貫いていた訳ではない。世界がそうさせていた。だが、今の世界は命が軽い。正当な理由があれば、人を殺せるのだ。俺自身、綺麗に割りきりが出来ている事に、少しだけ驚いていただけだ。
マリアの情緒不安定は、十日は続いた。
★
その十日は、ガウスの街にある程度の変化があった。
先ずはディル士爵だ。
お礼と、成功報酬を渡しに来たが、レンとイトの世話をしっかりやれば、報酬はいらないと話した。ディル士爵の面子もあるだろうが、借りた金貨をすぐに返し、これからの返済があるのだから、その負担になりたくなかったのが本音だ。
さて、バイランの事だが、雷竜との繋がりの証拠がなかったために、何もする事はない。だが、雷竜という子飼いがなくなって、その力が少しだけ弱くなったのは、街の様子で明らかだった。
街はといえば、雷竜の消失が広まっていた。ギルドに出没しなくなり、迷宮探索がギルド主体で行われ、その遺物が発見されたのが理由だ。亡骸は迷宮に吸収されてその存在はなくなっていた。
ギルドは実力者の喪失に痛手を受けたが、彼等の日頃の行いも目に余っていたので、法を改正して、今後人々に迷惑がかからないように、罰則を厳しくした。
人々の反応といえば、喜びが大きかった。冒険者の実力者ではあったが、日頃の行いが悪すぎていたので、当然の反応といえばそうだろう。
だが、実力者の消失で、変な噂が流れた。
迷宮に雷竜全滅させるほどの魔物が発生したのではないのか?というものだ。
遺体がない以上は、確定的な事は判明しない。謎は闇の中だ。
さて、ガウスの事はさておき、マリアの事だ。
マリアは引き籠った。悪い意味ではない。
「カレーを作るわ!」
何を思ったのか、カレー作りに熱中をしたのだ。
石臼を作り、香辛料を粉にする。様々な香辛料をブレンドする。
何度も何度も試作し、マリアの納得するカレーを探す。
毎日がカレーとなった食卓だが、誰も文句は言わなかった。
マリアの好きにさせよう。俺のこの一言で決まったからだ。マリアも皆を飽きさせないように、工夫はしている。
そして、十日目にマリアが納得するカレーが完成したのだ。皆がそのカレーを賛辞し、腹を満腹にするまで食べた。
俺としても、マリアの達成感を肌で感じた。表情も豊かになり、精神的に回復したと判断をした。
その夜。
「お待たせしました。もう大丈夫です。」
と三つ指をつくマリア。マリアが回復するまでは、お預けにしていた。そのマリアも踏ん切りがついたのか、俺を求めた。
それに答える俺は、マリアを抱く。テラスとビビも、マリアの回復を喜び、そして、一つになる。
マリアは何度も俺を求めた。俺も答える。マリアが大きな痙攣をし、失神するまでそれは続いた。
★
マリアの提案で、迷宮に行く事になった。最終確認がしたいのが理由という。
迷宮に向かう前に、花を買った。無限保管に入れ、迷宮に潜る。
衛兵から、未確認の魔物がいるから注意をするように、と助言された。
地下二階。隠し部屋。そこまで魔物はマリアが冷静に対処していた。慌てる事なくだ。
目的地に到着し、マリアは花を要求した。俺は無限保管から花を出し、マリアに渡す。
マリアはその花を献花した。手を合わせ、黙祷する。
その行為に、皆が見よう見まねで真似をする。長めの黙祷。マリアは只ひたすらに拝んでいた。
「さあ、行きましょうか!」
マリアのその眼は、憑き物が取れたように見えた。いつものマリアに戻り、テラスは「おかえりなさい。」と、呟いた。
★
私は人を殺した。その事実は変わらない。例え正当防衛であっても、その事を逃れられない。
私は判断を誤ったのか?いいえ、それは違う。私は愛する者を守るために、引き金を引いたからだ。その行為に後悔はない。だけど、この罪悪感はなんだろうか。身体に纏わりつくこの気持ち悪い感情は。私はそれを払拭したかった。
テラスちゃんは私に付ききりだ。心は癒されるが、纏わりつく何かは払拭出来ない。寝ることも億劫になる。
あの人が言った。罪を一緒に背負う、と。嬉しかった。だけど、罪の意識が消える訳ではない。
身体を動かすと、もやもやとした感情が薄れる。だから私は家事を専念する。あの人やテラスちゃんは、私から目を離さない。初めは鬱陶しかった。だけど、この鬱陶しさが、嬉しさに変わる。
あの人が言った。カレーが食べたいと。だから私は研究する事にした。毎日毎日、カレーになってしまって悪いとは思ったが、皆は喜んで食べてくれる。それが堪らなく嬉しい。だから私は納得するまでカレーを作る事にした。
納得するカレーが完成した。皆はそれを両手を上げて喜んだ。私も嬉しくあり、同時に達成感が湧いた。
そして気づいた。私は私の守るべき家族がいるのだ、と。その家族の為ならば、なんでも出来るのだ、とも。
私は勇気を出し、あの人を求めた。快楽を感じるのが嬉しかった。この時間が続く限り、何度も快楽を求めた。
夢を見た。私の回りに家族がいる。その家族の笑顔。私は嬉しかった。だから、私も笑った。
最後のけじめとして、迷宮に行く事を話す。あの人の武器を持つのが恐怖だったが、ウッドゴーレム、敵が現れると、冷静になる自分がいた。自分でも驚いた。こんなに冷静に対処出来るとは思わなかったからだ。
やっぱり、私は家族を守る為なら、何でも出来る。そう確信した。
隠し部屋に到着した。あの惨劇を思い出す。黒い感情が沸き上がる。だけど、私は逃げない。
花を献花した。ここで死んだ人達が、次は真っ当に生きて欲しいと願った。
覚悟を決めた。私はもう逃げない。
「さあ、行きましょうか!」
それは明日に向かって、生きる為の言葉だ。
私はこの家族を壊さない。壊させはしない。絶対に。そう決めて歩む。




