転移前-9
こんこんっ、と部屋のドアがノックされた。
誰だろうか?
誰でもいいか。
無視していると再び、こんこんっ、と。
「アキト―、生きてるよねー」
女の子の声だ。
「開けないなら開けるぞー」
そしてガンッ、ガンっとドアを蹴る音が響く。
それでも無視していると、ガチャッと鍵の開く音が。
続いてほんの数秒でピピッと電子ロックの開く音も。
開けられたドアのその向こう。
立っていたのは女の子だった。
綺麗な青色の髪だ。
首のあたりで切りそろえたショート。
「もー……まったくこんなになるまで掃除しないとか……」
女の子は断りもなく入って来て、一緒に持ってきたゴミ袋にどんどん部屋の汚物を詰め込んでいく。
時折りそのしたから飛び出すGに驚いて、ぱたんと倒れながらも、あっという間にゴミが片づけられ、落ちていた小物類は整理されて並べられた。
最後には窓を開け放って一気に換気。
「すこしはきちんと生活してよねぇ……」
なんだかそれが、知らないはずのことなのに、妙に懐かしくて、嬉しくて。
壁に寄りかかったまま、見とれていると青色のあの子は部屋から出て行ってしまった。
すぐに立ち上がって、ドアを開けて廊下を見るが姿は無い。
足音すらない。
……おかしい、数秒だ。
近くの部屋だとしてもドアの開閉の音は必ずするはずだ。
廊下に出て、玄関側に数歩進んで耳を澄ませた。
…………。
……。
静かだ。
でもすぐに音はした。
居間の方から襖を引く音が。
振り返るとちょうど入っていく後ろ姿があった。
駆け足で居間の前まで移動して、襖を思い切り開けた。
大きなテレビがあり、並んだ卓袱台があり、壁には色々とかけてある。
でもそれだけだ。あの子がいない。
居間に入ってぐるっと見てもいない。
誰もいない寂しげな居間だ。
出て行こうとしたところで、ふと人の気配を感じて窓の方を見れば、さっきまで閉まったままだったはずの窓が開いていて、そこからあの子が外を眺めていた。
俺の方を振り返り、ふふっと笑い、瞬きすると消えていた。
開いたままの窓からふわぁーっと優しい風が流れ込んでくる。
「…………」
いくら待ってもあの子は見えない。
居間から出て襖を閉める。
すると今度は廊下の向こう側、二階へ続く階段のところに後ろ姿が見えた。
走って追いかけてみると、二階に上がるための階段にはロープが張られ、立ち入り禁止と書かれた紙の張られたコーンが置かれていた。
どうみても簡単に通ることができるものではない。
「幻覚……? まさかな……」
振り払うように首を振って、自分の部屋へと向かう。
ありえない。
それに、見ず知らずの女の子を見て懐かしさを感じるなんて、どこかおかしい。
そう思いながらドアを開けた途端、驚きで息が詰まった。
「…………」
開け放した窓に、あの子が寄りかかって俺の方を見ていた。
息がとても苦しい。
心臓が痛いほどに高鳴っている。
頭が割れそうなほどに痛みの信号を発している。
「おーるろすとゆあーめもりーず」
「なにを……」
「ばっと、のっとるーずゆあーはーと」
「だか、ら……なにを」
「この偽りから抜け出して」
そこで意識がプツリと途切れた。
-1-
気付いたときにはパソコンの前でメールを送信し終わった後だった。
誰に向けたものかも、内容も分からない。
俺は今まで何をしていた?
部屋の外からは賑やかな声が聞こえてくる。
「ちょっと桐恵さん。スコールだって迷惑してるんですよー」
「うーだるぅー……」
「……はぁ、いいよもう。慣れてるし」
いつもと変わらない喧騒だろう。
どたばたと走る音が聞こえれば、ぶつかって飛び交う怒鳴り声。
それを怒る寮長の厳しいお叱り。
一通り終わると、妙に懐かしさを感じる女の子の声が。
「あー……ねえねえ、なんで? おかしくない?」
「なにが?」
「何がって、なんで死んだはずの人間がここにいるの?」
…………。
「お前がその記憶を持っておく必要はない。すべて忘れろ」
「なん……」
やけに鮮明に意識に響いた言葉。
そしてぱたりと倒れる音。
俺の意識にもちょうどそのタイミングでノイズが走った。
おかしい。
何かがおかしい。
でも何がおかしい?
これが正常なんじゃないのか?
おかしいと思ってる何かが異常なんじゃないのか?
-2-
五月の終わりごろ。
この頃やけに寮が騒がしい。
それも男子よりも女子のきゃーきゃーいう声が多い。
今日って何かイベントでもあったか?
……どうでもいいかな。
それよりも昼ご飯は何しようか。
このところずっとカップ麺やらレトルト食品ばっかりだったから、たまには何か作ろう。
何が良い?
何か簡単に作れそうなもの……カレー?
思い立ったが吉日、善は急げ。
たまにはいいだろう、カレーってのも。
多めに作っておけば数日は持つから手間が省ける。
コンロ下に保存していた玉ねぎやジャガイモを取り出して皮をむいて、小型冷蔵庫から他に残ってたものを一通り取り出して鍋にどーんっ。
そのままぐつぐつ煮込む。
手間をかけたくない、これ一筋。
味?
舌触り?
どうでもいいね、量があって食べることができれば。
『シャルティ!! なにしてますの!!』
『にゃぁぁ!? まだ何もしてないんだよ!』
『まだ? まだってことは何かしようとしてましたわね!』
『うにゃあああああっ!!』
外は相変わらず騒がしい。
なんだろうか?
朝方の荷物が原因だろうか。
見ない形の大型トラックで運ばれてきた、小型コンテナが寮のなかに持ち込まれてからうるさくなってたし。
あのコンテナ、大きさで言えば二メートル、一メートル、五十センチの直方体だったし。
何が入っていたんだろうか。
あの大きさからすると人くらい……人身売買?
んなわけあるか。
あるとすれば人型のロボットだろうかな?
アンドロイドとか。
確かこのまえの通販で三〇万ちょっとの値段だったし。
有り得るな。
なんて考えていると、ごぽごぽと鍋が吹き荒れていていた。
火を小さくして、適当に灰汁を取ってカレールーをぶち込む。
後は完全に溶けたら出来上がりだ。
おたま片手にくるくると。
かき混ぜているとぶるっと、なぜか身震いが。
「ん?」
変な感じがして上を見上げた瞬間、視界が白一色に包まれた。
ドゴォォンッ!!
凄まじい爆音が聞こえたかと思った途端に、意識が遠のいて……。
ガス爆発……?
ねえよ、おい。
-3-
白い光の中で誰かが見えた。
白く長い髪で、懐中時計を胸に抱いて泣いていた。
「誰かっ、誰でもいいからっ、あの人を助けてよ!」
そんな叫びが聞こえたような気がして、でもそれはすぐに意識から消えていって。
どんどん引きずられるのだけは分かる。
どこまで連れていかれるのだろうか。
『稠密防壁を展開、意識領域保護の為、全域を封鎖』
な……。
『閉鎖解放条件の設定処理――所要時間の不足の為、放棄』
やめ……俺を書き換えるな。
『ナノマシンによる組織状態保護――外部干渉により不可能、放棄』
痛い……引き裂かれる。
『独自解釈により外部条件の適用を拒否・緊急対策措置――外部干渉により一部不完了』
あれ……?
なにしてたんだっけ?
俺ってなんで……え?
『機密保護の為、一部人格を残し、全封鎖――解放条件未定義』