転移前-2
インターネットとは便利である。
そう言われて今のご時世ならほとんど誰もがうなずくだろう。
だがなぜここまで普及したのか。
なぜここまで発展したのか。
その理由を知ればあまり良い反応はしないと思う。
このご時世、大きく進んでいるモノと言えば大抵が軍事関連だ。
大元は研究者たちがコンピューターを使いたいと言い出したことらしいが、後に軍関係から打診があり、そちらで開発が進められたという俗説がまかり通っている。
まあ、西暦なんて千年前に終わったこの世界じゃ過去のことなんて調べようがないのだが。
今となっては世界暦。
九九九年の一月も終わり頃。
ネット技術もさらに進んでAIがすべてのネットワークを管理するなんて便利な時代になった。
仕事も人のデータもすべてが管理される、すべてが効率化されて……なんてのは拒否されたけど。
かつて極東なんて呼ばれていたこの国も、今となっては桜都国なんて名前で”大戦”の名残なんてこれっぽっちも残っちゃいない。
だがそんな世間のことは、引き籠もりにとってはどうでもいい。
今大事なのは次の日曜日に控えた大会だ。
ネットの技術が進んだ今、人は生活圏を仮想空間にまで拡大した。
脳に色々と細工を施し、なんの道具もなしに直接ネットへ接続。それが当たり前になりつつある。
様々なことが仮想で行われるようになり、やがてこの前のように意識丸ごとダイブ。
なんてことが当たり前になっている。
当然そういうことができるようになると、手を出してくるのがゲーム業界。
4Kだ3DだHMDだと言っていたのが揃って仮想に切り替えた。
お蔭で良くも悪くもクソゲーと言えるものが多数、その中にときたま良作が。
「おい、霧崎。いるのは分かってる。開けろー」
「…………っ」
今でも、あれからもう二年だぞ……くそっ。
でも現実で人に会うのは怖い。
無視だ。居留守だ。
仮想で普通に接していたからと言って、逃げようのない現実では会いたくない。
いっそ今のすべてを捨てて完全に仮想にでも行きたい。
実際それやってる人らもいるし。
「すんません、まーたこれで」
「いえいえ、また来ますので。では」
「はい、すんません」
部屋の外から聞こえるのは聞きなれない声だ。
どうせ学園の教師だろう。
見て見ぬふりが得意なヤツら。
いじめがあったところで放置するのがアイツらのやり口だ。
周りに合わせろとしつこい集団行動をやらせて意味不明な規則だなんだとうるさく……あぁ、学校? なにそれ弱い者いじめで篩にかけてダメなやつとか合わせないやつとか、ただ言うこと聞く奴隷にならないやつらを潰す施設ですかね?
学びの場? ふざけんなよ。
「霧崎ー、いつもん棚に置いとくから取っとけよー……と、うぉわっ、なんすか寮長?」
「ねぇねぇイチゴくーん」
「怖いですよ……? いくら彼氏を取られたからってやつあたりは……」
「今日付けで准尉にするからー、ちょっと戦闘機で」
「待って下さいよ!? それ普通何年もかけてパイロットは養成するもんですよねぇ!? そもそも電脳戦担当なんで空戦部門のほうに頼めば……ぅぅ」
「や っ て く れ る わ よ ね ぇ ?」
「了解……ていうか、ほんと、彼氏のことでやつあたりとか」
「レイズは関係ないの! あんなやつ……あんの女狐が……っ!」
「ちょっやめっ、いたっ、髪! 髪はっ――」
なにやら凄い音がして、とぼとぼと廊下を歩き去る足音が聞こえた。
これがこの寮の日常。
如月寮という名の学生寮ながら、会話は物騒なものが半分混じっている。
ピピッ。
「メール?」
部屋の隅に置いてあるパソコンのディスプレイにアイコンが表示された。
開いてみれば。
『こんな世の中間違ってる! from:イチゴ』
題名だけの空メールだった。
うん、俺も間違ってると思うよ。
見て見ぬふりをしたクソな教師陣とクソな親のお蔭で立派な対人恐怖症引き籠もりニートに育った俺が証拠だ。
まあニートの部分は違うかもしれないが。
ちゃんと稼いでるし。
「アキトくーん」
ここの寮長さん。
最初の日に一度だけ顔を合わせただけだ。
かなりの美人さんで……いや、学生やっててもいいほどに若かったのは覚えてる。
しょっちゅう機嫌が悪い人でもある。
そして最近彼氏さんを女狐に掠め取られたという噂を聞いてその原因は分かった。
なおかつ、さっき八つ当たりされるという事も分かった。
だから関わりたくない。
「今月分の料金引き落としておいたからねー。それと、ネットの使用料五万はさすがにどうかと思うわよ」
それは仕方ないんだよ。
度々俺のハイスペックパソコンですら補いきれない処理能力をAIネットーワークの余剰部分から借りてるんだから。
……あれだ、この引き籠もりニートがよくもまあ百万以上するパソコンを保有できたもんだ。それでも処理能力足りないんだぜ?
「はぁ……」
適当にまたダイブするか。
今の世の中、四種類の人がいる。
頭の中に生体機械をぶち込んで仮想に適応した者。俺がこれにあたる。
ちなみに最新型で周りから除け者にされた原因の一つ。
次に特殊技能というか……”大戦”が終わったころから現れ始めた魔法士とかいう者。
簡単に言えば超能力者だ。念力でスプーン曲げるとか言うアレ。
近頃の現実の戦争は、大抵は魔法士たちがファンタジーな戦闘を……とはなってない。まだアサルトライフルを使った方が強い。
そしてどちらでもない、単なる”一般人”と”大戦”の中ごろに現れた”亜人種”。
まあその辺はよくしらない。
俺がよく知っているのは仮想に適応した人種だけだ。
効率よく仮想空間に馴染むために、脳にチップを入れ、やがては完全にそれが結合する。
そうした人間には第一世代、第二世代、第三世代という呼ばれかたがあって、現在の主流は第二世代。
第三世代はまだまだ実験的な意味合いが強い。
というか、それがいじめの原因でもある。
いつの時代も人と違えばなにかと文句を付けられる。
出る杭は打たれるというように、ちょっと意味が違うけど、第三世代は機械と融合した気色悪い世代だとか。
だが第三世代の利点はもっとも仮想空間に適応しているという事。
それ即ちVRゲームにおいても、より直感的に”データ”を感じ取れるということであり、非常に有利なのだ。
……仮想での戦争に特化した、とも言えるが。
「……はぁ、GCにダイブするか」
もう何日も干していない布団に寝転がって目を閉じる。
初期の世代は仮想に潜るためにヘッドギア型の端末を使っていたり、神経に直接接続子をつないだりしている。だが俺はそういうモノを必要としない。
アクセス可能な……電波が届く範囲ならどこからでもネットにアクセスできる。
まぶたの裏に展開された青いツールバー。
脳に仮想の表示を錯覚させているのが生体機械だ。
その中からダイブプロセスを起動する。
機械音声が脳内に響く。
「リンクオン」
意識が、身体の感覚がすべてふっと消失する。
居眠りで”落ちる”ときのように感覚が抜けたかと思うと、その瞬間、青色のグリッドが張り巡らされた空間に立っていた。
足元には中継所。
ここは俺のパソコン内をイメージとして再現した私有空間。
現実ではないと分かり、意識ははっきりとしている。明晰夢のような感覚がダイブ中は常にある。
だがこれも慣れてしまえば感じなくなってしまう。
「ああ……放っておいた俺が悪いんだけど……面倒だ」
ちょうど目の前に浮かび上がってきた半透明の仮想ディスプレイ。
そこには廃人同然でやっているゲームの知り合いからメールがずらっっっっっっと並んでいる。
「めんどくさ」
「だよね」
「うんうん。まあ放っておい……?」
待てよおい。
ここは私有空間。
セキュリティはばっちりで、俺は誰にもアクセス許可を出した覚えはない。
「……室井さん。なんでここにいるんですか」
「ちょっと踏み台に」
「……? まさかとは思いますがハック?」
「したよ」
「したよ、じゃないですよ! それもろに犯罪ですからね!」
何という事だ。
俺のガードが破られた。
五重に展開した防御壁がいとも簡単に……泣きたくなる。
プライバシーも何もあったもんじゃない。
こんどからはトラップも仕掛けよう。
さすがに”ゲームサーバー”や”パブリックスペース”以外なら、そこはAIの管理法則が違うエリアであり中立エリア。
損傷を負えばそれがそのまま現実に反映される。
やりすぎればもちろん”死ぬ”ことすらあり得る。
AIが自己学習の末に、感覚のほぼ精密で緻密な再現を可能としてしまい、その本物そっくりの感覚を、身体が本物の”死”と勘違いして受け入れてしまうのだ。
それを防ぐためにリミッターなるものがあるのだが、俺はそんなものを設定してやるほど生易しくはない。
「室井さん。頼みますからもう、ほんとに勝手に入らないでくださいよもう」
「ふぁ、あああ。眠い、お休み」
言うとストレージ――目に見えないカバンのようなもの――からソファを実体化させて眠ってしまった。室井さんのは無限収納可能なタイプだな、何でも入る。
「室井さぁん! ここ俺のプライベートエリア!」
「Zzz」
「ちょっとぉ!?」
完全に、ぐにゃぁっとへたり込んでしまっている。
……一応言っておけば同じ学園で二年生、同じ学年、同じ学科だ。
それも女子。
俺よりも……いや、俺よりはマシなダメ人間……と、言うのがいいだろうか。
とりあえず登校してはいるのだが、最低限の単位を取ったら後はずっと寮の自室で仮想にダイブしっぱなし。それも寝るより食事より風呂に入るよりもネットだ。
交友関係があるかと言えば寮内のわずかな人とだけ。
ふっ、だからある程度は気を許せるのだよ……言ってて空しくなるけどな。
「ちょ、起きてくださいよ。せめて寝るならログアウトして現実で寝てくださいって」
「う、うぅん……」
「ダメだこりゃ」
はぁ……私有空間だから権限はすべて管理者である俺にある。
このまま強制的にログアウトさせるのもありだが……。
「さすがにそれはダメだろ」
あれは俺も経験したことがある。
なんせ仮想との神経接続を引き千切られるようなものだ。
起きた後にとてつもない頭痛に見舞われる。
……ってあらぁ? 権限全部取られてんじゃん!?
「はぁぁ……室井さーん」
「すぅ……すぅ……」
「ほんっとにもう!」
一度睡眠状態に入るとこの人はほんとに起きない。
空腹になって自分じゃ動けないほどになるまでログアウトしないのだ。
睡眠すらも仮想で。ネット依存症と言っても差し支えない。
「なんかもう……ああ、適当に散歩でもするか」
防御壁の前まで行って、操作盤を表示させ、外へ出るだけの一方通行に切り替える。
五重に展開された壁を抜け、さらに分厚い隔壁を抜けてパブリックエリアへと出る。
振り返ってみればインターホンのような端末があるだけで、後はごく普通のコンクリの壁にしか見えない。
俺なりの擬装。
いくらセキュリティがあるからと言って、入ってくる人は入ってくる。
ならばせめてもと、発見されにくいようにしているのだ。
外はタイル張りの床と灰色の壁に挟まれた路地だ。
路地を出ればすぐそこには街並みが広がる。
まるで現実そのもの。
AIが観測してそのまま作り上げた仮想空間なのだから当たり前ではあるが。
「はぁ……」
すでに気が重い。
散歩しようかと思ったが……人が多いところは苦手だ。
空を見上げれば魔法陣のようなものに囲まれた球体がいくつも見える。
それが一つ一つの構造体であり、魔法陣のようなものはセキュリティだ。
手元にマップを表示させて人口密度が極端に薄い個所を着色。
当然ながら人気のない場所イコール治安が悪い。
まあいい、アクセスポイントは俺の部屋からなわけだし、いざというときは強制離脱だ。
転送プロセスを呼び出してアドレスをセットする。
脳内で機械音声が響き、周囲の景色が一瞬で切り替わる。
仮想だからこそ可能な技。
ゲームとかでいうならファストトラベル。
テレポートしたかのように数百キロを飛び越えたのだ。
「ここなら……誰もいないか」
こうして俺は適当に散歩を始めた。
超危険エリアで。
先に削除した二作品から、こちら側に絡んでくる部分をちょこっと追加。