飛ばされた先で-6
「もしもーし、きみー、起きてますかー?」
不意に誰かが話しかけてきた。
「寝てるかなー」
誰だろうか、この声は最近聞いた覚えがある。
「顔に落書きでもしよっかなー、油性ペンで」
…………うん? いま何か聞こえてはいけない不穏な単語が聞こえたような気が。
ガザゴソ、ガサゴソと探るような音が聞こえる。
「あった、さぁーてと、書きますか」
おい待て、まさかおでこにありきたりな”肉”とか”米”とか”骨”とか”中”とか書いたりしないだろうな。
あぁ、よし。いつまでも沈んだ気持ちじゃいけないな。
顔に落書きされるなんてのは修学旅行の定番だ……行ったことないけど。
だがまあ、落書きなんぞ恥以外のなにものでもない。
そう思うと寝ぼけた意識が一瞬にして覚醒して、
「させるかぁぁーー!」
ガツンッ!!
相手は落書きしようと顔を近づけてきていた。
そして俺はそんな状態で思い切り、いきなり顔を上げた。
結果は明白、当然それはありきたりな現象だ。
頭突き。
…………いやね、こういう不意の痛撃ってとても痛いんだよ。
例えるならばタンスの角で小指を打ち付けるように、段差に引っかかって転ぶように、階段を踏み外して滑り落ち……これはさすがにないか。
とまあ、そういうのは今は横に置いて。
マジで痛い…………。
「つぅぅ……やるわねあなた。天使にケガさせることがどういうことか分かってるの?」
顔を上げれば目の前にはカーテンのように広がる黒髪。
見える顔は件の堕天使だ。
額にはぷっくり膨らんだ傷が。
女性の顔に傷をつけるのは非常に不味い。
「すみませんでした…………」
いや、悪いのは俺じゃなくてあっちだけどね。
とりあえず先手必勝……だから先手で負けの手を打って戦いは避ける。
負けるが勝ちだ、土下座で謝って終わらせてしまえば実害なく静かに終わるんだよ。
「……まあいいわ」
どことなく不機嫌だが、天使の力で消し去られるような最悪の事態は回避できたと思うべきか。
帰る前に異世界で抹消なんてシャレにならん。
「とりあえず、良いことと悪いこと、どっちから聞きたい?」
良いことの後で悪いことがあるとダメージが大きい。
持ち上げて持ち上げて高いところから落とすのと同じだな。
対して悪いことの後は良いことは癒す力がとても強い。
「じゃあ、悪い方から」
「そう……あなたが帰れないことが分かりましたー、拍手ー」
…………うん!?
「ちょっと、待ってください。それ本当ですか? 俺、帰れないんですか?」
「さっきねぇ、転移用のゲートが開いたんだけど、何も通過しないまま閉じたのよ。
それでもしかしたらって思って調べてみたらあなただった、そういうこと」
「……………………なんで、なんで帰れないんですか」
「えーっとね、ここって入ってこれるのは今のところは死者か転移の最高位魔法を使える人だけっていうのが基本なのよ。それであなたの場合は入ってくる方法が普通じゃなかったから色々と問題があるの。それが原因で出て行けないってことね」
「…………ほんとに、本当に帰れないんですか」
「無理ね。私のゲートって結構なんでも運べちゃうんだけど、
あなたは通れなかったでしょ。だからここから出るのは無理なのよ」
この堕天使が言ったゲートとやらはあの黒い穴のことだろう。
確かにあの時、俺は弾かれて通れなかった。
帰れない。
帰れない。
帰れない。
……………………。
「うあああああああああああああああああああっっ!!」
叫ぶ以外になかった。
「うるさいっ!」
「ごへっ」
脳天に鋭い痛みが走り、しゃらんと綺麗な音がする。
見れば堕天使はいつの間にか杖のようなものを持っていた。
「帰れないということがどういうことか分かる?」
「…………ここで生きろと?」
「そう。生き延びる自信はある?」
「ある訳ないじゃないですか。ついさっきニワトリにもやられたんですよ。
他の人と出くわしたらほんとに人生詰みですよ!」
「ふ、ふふっ……」
……ん?
笑ってる?
なんでこの堕天使は笑っているのだろうか。
俺が何か……ああそうか、ニワトリに負けたことがそんなに面白いのか。
「なに笑ってるんですか……」
「あはははははははっ、いやだふふっ、鶏に負けるってあはは、あなた、弱すぎ」
「そりゃそうでしょうよ。温室育ちの引き籠もりとこんな荒野で生き抜いたニワトリなんですから」
素の実力に差がありすぎるだろう。
「はははっ、は、はぁ。それでそれで、どんな鶏だったの?」
「えっと……尻尾が赤いだけの普通のニワトリでしたよ」
「あら…………」
なんで黙る?
俺なにか不味いことでもした?
「あなたねぇ……」
なぜだか酷く落胆した表情で俺のことを見つめてくる。
「それ、たぶん不死鳥のヒナよ」
「……………………ぇ」
なんだろう、顔中の汗腺からだらだらと意味のない汗が流れ出てる。
不味いね、ほんとに不味いねそれ。
俺は手を出してはいけないものに手を出してしまったのだ。
フェニックスと言えばそこらの低級なゲームですらもかなり重要なポジションを占めている。
最終なファンタジーでは死んだ人間を生き返らせるほどの存在ですもの。
俺はそんなものを、あまつさえ殺して食べようとしたの。
それはほんとに不味いよ。
もしかしたらこの先、死にかけた後の復活イベントなんてあったら、一%の生き返らない確立が一〇〇%になる可能性だってある。
…………あれ? そういえばなんでフェニックスなんてものがこんなところにいるのだろう?
ここはアスガルドという名前だったはずだ。
北欧神話とかいう、かなり有名な神話の舞台のはず。
フェニックスはどこか別のところの伝説のものだったような……。
いや、それを言うとバハムートも……。
ふと視線を戻すと、堕天使がなにか考え込んでいる。
なにを考えているのだろうか。
もしかしたらフェニックスを襲ったことがとても大きな問題なのだろうか。
そりゃあ……うん、問題でしょうね。
そして、
「とりあえず、あなたには”力”を与えるわ。ただでさえ問題になることなのに、
これ以上へんなものに手を出されると後始末が面倒なのよね」
そして堕天使は、背中の翼で包み込むようなハグをしてきた。