7 桜海の嘘
桜海は以前助けた砂川有一から呼び出され、雑誌社の彼の編集室に来ていた。
「これ、あなたの仕業ですよね」
あの時の宙に浮いた赤星の写真を見せられ、桜海は絶句した。
「この前、あなたを見かけて、後をついて行ったんですよ。その時のものです。別にこれで、脅すとか記事にするってわけではないんです」
砂川の言った事以外の目的など、桜海には思いつかない。
「じゃあ、何ですか」
砂川は、睨む桜海に負けない目力で言う。
「あなたの力を確信して、お願いがあるんですよ」
桜海の持つ力を利用する事が目的とわかり、尚更、桜海は警戒を強めた。
「わかりました。公表してもいいですよ、写真」
砂川は桜海へ有利な条件を提案するつもりで話す。
「ただで動いてくれなんて言いませんよ」
「誰も信じませんよ。合成写真だと言われるだけでしょ」
桜海は彼の依頼を受けるつもりはなかった。
しかし、踵を返し帰ろうとした桜海の背中に、砂川の言葉が突き刺さる。
「そうかもしれませんが、この写真の人はどう思うでしょうね?」
―どうやって助けてくれたの?―
「…」
桜海は瞳を伏せて振り返り、ゆっくりと目を開け砂川を見つめた。
砂川は桜海のそれが、彼の話に耳を貸す合図と受け止めた。
「一年ほど前、我社の凄腕女性編集者が行方不明になったんです」
桜海は溜息を吐いた。
「そういうことは、警察に」
「もちろん、届けていますが、何もわからないまま、一年経ったわけです」
砂川はもっと大きな溜息を吐いた。
「俺は探偵じゃない」
桜海は腕組みをして冷たく言った。
「霊能者ですよね。俺は、彼女がこの世にはもう居ないんじゃないかと思うんですよ」
「どうしてですか?」
砂川は、なるべく熱くなるのを押えるかのように右手の拳を握った。
「あんな、男も顔負けするくらいバリバリ仕事していた人が、突然、居なくなって、一年間も音沙汰が無いんですよ? 理屈っぽい彼女が、遺書も残さず自殺するはずもないし、そもそも自殺する理由も無いんです」
「となると…事故」
砂川の話を冷静に聞いて言った桜海の推測も、
「巻き込まれたという情報も無い。そうなると、恐らくですが、彼女が狙っていたスクープの対象に殺害された可能性が高いんです」
と、否定されてしまった。
「だったら、なおさら警察でしょ」
拗ねたように桜海がつぶやく。
「だから、何の役にも立たない」
砂川のあまりに必死な形相に、桜海は素朴な疑問をぶつけてみた。
「その女性はあなたにとって、ただの同僚じゃないんですか?」
「俺の母親です」
砂川は視線を自分の足元に落とした。
「お母さん、ですか」
「そうです。俺は、母を捜して、情報を収集していました。ふいに有紗と待ち合わせしていたのを思い出して駅ビルへ行き、あの爆発事故に巻き込まれたんです」
有一は自分のデスクに腰を下ろして、窓の外に目をやった。その視線の先には駅ビルが見える。
「俺は、なかなか意識が戻らない人の情報を耳にして、彷徨っている人を繋ぎ合わせて、戻れるようにしただけだ。あなたも、あの時の子どもも」
「俺にも、そんな力があれば、母を探せるのにな」
「そうでしょうか? 一年間も目撃情報が無い中で、俺はどうやって探せばいいのでしょう?」
有一は、少し考えて、窓際へと歩きながら言った。
「もしかしたら、ずっと見張っているかもしれません」
「誰を?」
「国民党議員、坂田才造」
「どこで、見張っていたかわかりますか?」
「ええ、大体」
「では、そこに案内してください。ただ、見つかるとは限りませんよ。」
「ご協力いただけるだけで構いません」
有一は嬉しそうに言った。
「それに、俺が見つけるということは、どういう事かわかりますよね?」
桜海は、有一の笑顔に釘を刺すような言葉を投げた。
「ええ、それでも、お願いします」
有一の眼差しは真剣そのものだ。
「では、秘密厳守で、よろしく」
桜海は引き受ける交換条件について念を押した。
早速二人は雑誌社の事務所を出て、目的の場所へ向かった。
二人は、ある高級料亭の近くにいた。
「あの建物ですか?」
「ええ。よく、ここで、密会が行われているようなんです」
砂川が囁いた。
ここまで来れば料亭だとわかるが、遠目だと落ち着いた趣のある大きなお屋敷といった感じだ。辺りは閑静な住宅街で、ただのベッドタウンにしか見えない。確かに密会には最適と言えるだろう。
二人は斜め向かいの住宅の陰から料亭の様子を覗いた。
「どうですか?」
「え?」
「霊となった母が佇んでないかと」
「まだ、何も。(坂田議員)来るんでしょうか?」
「彼女の情報では、毎週木曜日に訪れているようです」
「わかりました。では、あなたはお帰り下さい」
「どうしてですか?」
「あなたは、面が割れている可能性が高い。俺は知られていない分、動きやすいですから」
「わかりました。では」
桜海は無言で頷いた。
砂川は静かに裏通りへと去って行った。
桜海は早速料亭の様子を探る事にした。迷わず隠れ蓑の術を使って姿を消して料亭の中庭に潜入した。
2時間ほど経ち、とっぷりと日が暮れた頃、料亭に動きがあった。沢山客人たちがやってきたようで、しんと静まり返っていた建物が足音とざわめきで揺らいだ。
「こちらへどうぞ」
仲居が客人を奥の離れへと案内してきた。
中庭からはその様子がしっかり見ることができる。
「今日は?」
「まだ、お見えになっていません。どうぞ、お部屋でお待ちくださいませ」
「うむ」
その男性は坂田ではなく、年配だが、見るからにその筋の大親分といった風貌で、ドヤドヤとガラの悪い子分どもが4人も供についてきていた。
向こうからは桜海の存在を見て取れないはずなのだが、太い二の腕に刺青をした一際目立つ手下と一瞬目が合ったような気がして桜海はうろたえた。
ドギマギしていると、すぐに次の客人が案内されてきた。
坂田だ。
「奥でお待ちでございます」
「いつもの料理を頼む」
「かしこまりました」
オーダーを済ませると坂田はそそくさと奥の部屋へ入って行った。
桜海は音を立てないようにゆっくりと奥座敷の側へと移動した。
「先生、例の件ですが、いかがでしょう」
「まあ、焦るな。食事でもしながら、ゆっくり考えようじゃないか」
「早く返事をいただきたいものです。こちらは、先生のハエを始末したんですから」
「わかっている。そう簡単にはいかない問題だからな」
「いやいや、非常に単純な話じゃないですか」
仲居が食事を運んでくる足音がして、話は中断された。
「失礼します。お食事をお持ちしました」
暫くは、食事を楽しんでいるようだった。
桜海は、彼らを見張っているかもしれない、砂川の母を探した。
しかし、ここには居ないようだ。
なぜ彼女はこんな危険を顧みず一人で張り込んでいたんだろうか。どう考えても、最悪の事態は予想できたはずだ。
なんの予防線も張らなかったのだろうか。『先生のハエ』はもしかすると、彼女のことで、『始末した』ということは、有一の予想通り、彼女はもうこの世にはいないのかもしれない。
桜海は様子を窺いながら、いろいろと考えを廻らせていた。
ふと、気付くと、桜海は三頭の犬に取り囲まれていた。
「やべ」
犬たちが一斉にワンワン吠え始めた。
桜海は結界を張り、その中を移動して料亭から逃げ出した。
「ちっ。見えなくても臭うってか」
「どうした、犬どもがうるさいぞ。マツちょっと見て来い」
後からドスの効いた組長の声が響いた。
「はい」
座敷から出て犬の様子を見たが、桜海の姿が見えないマツには、犬の吠える方向に、小さなネズミでもいたのだろうと思ったようだ。
「何もいませんぜ、親分」
桜海は料亭から去りながら、マツと呼ばれる二の腕の刺青が印象的な手下に目をつけた。
どうやら組長の右腕のようで、彼に始末させた可能性が高いと考え、彼の行動を追ってみる事にしたのだった。
翌日。
桜海は気配と姿を消し、組事務所から出てきたマツという男の後をつけていった。
マツが駐車場から車に乗りこんだので、桜海はこっそり標を車につけて、ゆっくり追う事にした。
桜海はのんびり標が延びていくのを見送った。
車で移動する距離だが、桜海は標の伸びが止まり、マツの車が止まっている場所をある程度特定できてから、タクシーで追って行った。
そこは、桜海にとっては少し苦手な場所だった。
「やだな。勘弁して欲しいよ、寺なんて…」
寺といえば、霊はつきものだ。
すべて見えてしまう桜海にとっては面倒でしかない。
「ここに住んでるのか?」
仕方なく自分の身に結界を張って中に入っていった。
墓石の陰に隠れて本堂の様子を窺っていると、マツが出てきた。
そろそろ、事務所に戻るようだ。
マツよりも少し年上に見える女性が彼を見送っていた。
マツが車で出て行ってから、本堂に近づいてみていると、足元に猫がやってきて、まとわりついて離れない。
猫がニャアニャア鳴くので、中からさきほどの女性が出てきて、桜海に声をかけてきた。
「何か御用?」
桜海はどう話すか考えていなかったため、
「あの、砂川…」
といきなり本題から話そうとした。
「しっ。キミは?」
とその女性に遮られ、思わず桜海は辺りを見回した。
桜海は女性との距離を縮め、改めて仕切り直す。
「桜海といいます。有一さんの依頼で、お母さんを探しているのですが…」
その女性は少し困ったような顔をして言った。
「死んだと、伝えてください。すべてを捨てて彼についていくことにしたのです」
彼女の表情は真剣で、生きていることを、誰にも知られるわけにはいかない、とその目が訴えていた。
組長が言っていた、始末したはずのハエが手下のもとで生きているとバレたら、二人とも命は無いであろうことくらい、桜海にも容易に想像がついた。
桜海は少し考えて、
「息子さんに、生きていると伝えてはいけないのですか? 理由を話せばわかってくれると思いますけど…」
と、念のため確認した。
「おうみさん? あなたの依頼主の命をも脅かす事になるんです」
彼女は、本当にヤバイ事に関わってしまったようだ。
「探し当てたのに、嘘の報告をしろとおっしゃるんですか?」
桜海の困り果てた顔を見た彼女は、着物の袷から紙幣を取り出して、
「ごめんなさい、探偵さん。少ないけどこれで引き受けていただけないかしら」
と、お金を桜海に差し出した。
桜海は首を横に振った。
「俺は探偵ではありません。だからお金は要りません。だけど…」
彼女は桜海の唇に人差し指を当てて告げた。
「世の中には、大切なものを守るために必要な嘘もあるのよ」
桜海は彼女の凛とした瞳を見つめた。
「もし有一さんに生きていることがバレたときは、俺のこと責めないように言ってくださいよ」
桜海は説得を諦めた。
「もちろんです。ありがとう」
彼女はひっそりと微笑んだ。
桜海は複雑な気分で寺を後にしたのだった。
「勘弁してほしいよ」
まだ、本当に死んでいて、霊とご対面する方がよっぽどマシだ。
「俺もバカだよな」
桜海は、どう嘘をつくかを考えながら、トボトボと帰って行った。
いろいろ考えた末に、景色の綺麗な遠くの海へ有一を連れて行き、そこで、母親の消息が途切れていると伝えたのだった。
「そうですか。やはり、母は…」
有一は遠い水平線を見つめた。
「俺の力では、ここまで辿るのがやっとでした。すみません、お役にたてなくて」
桜海にできる精一杯の、誠意ある嘘だ。
「いいえ。本当にありがとうございました。これ、調査費です」
有一はお金の入った封筒を差し出した。
「お金はいいです。秘密を守ってさえくれれば」
桜海は、両手でそれを押し返した。
「いえ。あれはあなたにイエスと言わせるための卑怯な手段でした。すみません」
桜海は、良心の呵責に無言で耐えた。
「順序を間違えました。まず、ネガと写真をお渡しします。改めて、調査費です。気持ちだけで申し訳ない」
そう言って、砂川はもう一度お金の入った封筒を写真とネガの封筒と一緒に差し出した。
桜海はひたすら良心の呵責と闘いながら、嘘を隠すために受け取った。
二人は沈みゆく夕陽に染まる美しい海を見つめた。
本当にこれでいいのか、という疑問はこの先もずっと、桜海の心に引っかかってしまいそうな気がしてならなかった。
だからせめてもの罪滅ぼしのつもりで、この綺麗な海辺を選んだのだった。
恐らく、墓参りのようなつもりで有一が訪れるであろうことを、慮って。