5 命の焔
「こんにちは~」
赤星は、桜海神社の小さな社務所を恐る恐る覗き込んで、細い声を出した。
しかし、シンと静まり返っていて、返事が返って来ない。
「居ないのかな…?」
赤星は神社の様子を観察した。
「独りなら住めなくもないかな…?」
小さな境内と社務所。
神社の敷地の隣には、誰かの家が建っている。
神社の敷地との境に塀などがなく、同じ敷地のようにも見えるが、和風な神社に比べて、まるで雰囲気が違っていた。
それは、煉瓦の壁で覆われ、暖炉用の煙突があり、3階建てになっている洋風の建物だったからだ。
「隣のうちの人に聞くのもなぁ」
赤星が隣の家をジロジロ見ていると、後ろから、
「何か御用ですか?」
と声を掛けられ、飛び上がるように驚いて振り返ると、桜海がいつもの作務衣姿で立っていた。
「…びっくり。居るなら返事してくれればいいのに」
赤星は、驚きつつも、いきなり訪問したのに会うことができて、ホッとする。
「こんにちは」
「あ。この前はありがとう」
赤星が軽く頭を下げると、
「どういたしまして」
と桜海もお辞儀をした。
「竜と達矢から合コンに誘われてるんだけど、メンツが1人足りないらしいんだ。会費は俺が出すから、一緒に参加してくれないかな~と思ってさ」
桜海は赤星が早口で言ったことを暫し消化してから、
「ゴウコン?」
と確認した。
「そう。男女が適当に集まってワイワイ楽しく過ごそうってわけ。健太がこないだ海で知り合った万里那ちゃんと上手くいっていて、この前とは違う女友達を呼んでくれるらしいんだ」
「へぇ」
赤星は半ば呆れたような顔をする桜海に、
「ひょっとして、女の子に興味ないの?」
と、尋ねた。
あまり興味なさそうな顔をしているくせに、
「え? そんなこともないけど…」
と桜海は呟くように言った。
「じゃあ、もう好きな人が居るとか…?」
適当に思いつきで言った赤星の言葉は、実は的を射ていて、
「ま、そういうわけでもないけど」
と桜海をうろたえさせた。
『あら? 大好きなお姫様が居るんじゃなかったかしら? 前世に』
と、タマコがホホホと赤星の肩で笑った。
桜海は、赤星のオーラに目を細めながら、
「その合コンとやらは、いつ?」
と尋ねた。
「今夜。ごめんね、いきなりで。でも、俺も誘われたの、昨日の晩だし…」
赤星は桜海の家や私生活を覗いてみたいという動機を、合コンに誘うという目的に置き換えているので、言い訳がましくなった。
「別にいいよ。でも、俺、何を着て行けばいいかな?」
桜海は場所や目的に合った服装が必要なことを前回学んだからだ。
「あ」
赤星は思わず、桜海の作務衣姿で洒落たお店に入る姿を想像して、内心引いた。
「俺、普段着がこれか、Tシャツくらいしか無いんだ。ちゃんとした服装しないといけないよね?」
慣れない付き合いに、まずは形から入ろうと桜海は思ったのだ。
「別に見合いじゃないから、そんなにめかし込まなくてもいいんだけど…?」
赤星は先日見た、桜海の突然のイメージチェンジを思い出して、
「それじゃ、今から服を買いに行く?」
と提案した。
「俺、わからないから、一緒に選んでくれると助かる」
不安そうに言う桜海に、
「仕方ないから付き合うよ。だけど、せめてさ、Tシャツと短パンくらいに着替えてこない? 待ってるから」
と、赤星が言った。
「わかった」
そういうと桜海は、スタスタと隣の洋館へと歩き出した。
「あれ? そっちが家なの?」
思わず赤星は桜海の後について行った。
「うん」
先程から気になっていた家に行けるとあって、赤星はワクワクしながら洋館を見つめた。
「へぇ。結構オシャレじゃん」
「お洒落?」
赤星が建物の外観に見惚れ、感心したように言ったので、桜海は少し首を傾げながら微笑んだ。
玄関を入ると何故かすぐにまた扉があるので、
「珍しいね」
と赤星が囁いた。
「そうかもね。昔ここは個人病院だったから」
桜海の説明を聞いて、
「そういわれてみれば、そんな感じだね」
と赤星は納得しつつ、玄関の中を見回した。
靴を脱いで中に入ると、すぐにリビング&ダイニングキッチンのスペースがあり、そこで赤星は椅子を勧められて座った。
広々と窓が続いていて、その下の壁にダイニングテーブルをくっつけるように置いてあった。
かつては病院の待合室だった空間をそのままリビングダイニングにしたといった感じだ。
診療の受付や薬の処方、料金の精算などをしていたのではないかと思えるカウンターの奥には、システムキッチンが設置してあって、割と便利そうだと赤星は思った。
キョロキョロ見回しながら、
「本当に、病院だったみたいだ」
と赤星が呟いた。
桜海は玄関を入って右に延びる廊下の右側のドアから部屋に入り、すぐさま先日購入した短パンに黒いTシャツを着て出てきた。
「アロハよりそっちの方が似合うね」
赤星に褒められ桜海は少し照れながら、
「行こうか」
と言った。
「うん」
「何かさっきから声が小さいね」
ふと気になって桜海が尋ねた。
「家の人が居るかな~と思って」
赤星は小声で遠慮しながら答えた。
「俺、一人暮らしだから、誰も居ないよ」
『いろいろ居ると思うけど』
タマコはコロコロ笑った。
桜海は笑うタマコを一瞥して玄関から外へ出た。
続いて赤星も靴を履いて玄関を出ようとした。
その時、ス~ッと赤星の足元に霊が足を出した。
「わっ」
赤星は見事に躓いて、先に出た桜海にしがみ付いた。
「うわっ…」
赤星の持つ強烈に美しいオーラをいきなり身体に感じて、桜海はよろめいた。
「ごめん。躓いちゃって…」
赤星は恐縮しながら桜海から身を離した。
『おや、すまんのぉ』
霊は、睨む桜海に白々しく言って消えた。
数時間後。
今時のスタイルに仕立て上げられた桜海は、そのまま赤星に連れられて待ち合わせ場所へと向かった。
「ちょっと、この駅前で竜と合流するから」
赤星は、夕闇迫る中、すぐに竜の姿を見つけて手を振った。
竜が先日の軽い感じとは打って変わって、渋くスマートなスタイルで登場した。
「ごめん。待った?」
「いや、全然。凄いナイスタイミング」
赤星がそう言うと、竜が片手を上げて、
「イェーイ」
と、赤星とハイタッチをした。
赤星の美しすぎるオーラが揺れた。
その陰に、女性が1人現れた。
竜と赤星、桜海、そして女性は、達矢の待つ場所へと移動した。
「よう。待ってたぜ」
達矢が赤星たちを見つけて近寄ってきた。
「これで、4人揃ったね」
赤星がにこにこしながら言った。
「え?」
思わず桜海が声を上げてしまった。
「あれ? 何か違った?」
赤星は、桜海の疑問を疑問に思った。
「いや。こっちからは男4人だから、大丈夫」
達矢はそれぞれの顔を数えて言った。
桜海は赤星に、
「女の子が1人来てると思うんだけど、見える?」
とこっそり確認した。
「へ? どこ?」
キョロキョロと女の子の姿を探す赤星に、
「リュウって人の隣に」
と桜海が付け加えた。
「何言ってんの? どう見てもただの植木じゃん」
赤星は首を傾げた。
赤星と桜海がこそこそ話していると、
「さあ、女の子たちが待ってるぞ」
と達矢が言った。
「急ごう」
赤星には竜の隣に佇む女の子の姿が見えなかった。
「ラジャ~」
脳天気な声で言った竜が張り切って歩き出すと、スーッとついていく女の子の姿が、桜海の目には映っていた。
桜海は仕方なく携帯電話を取り出して、
「もしもし…」
と女の子の霊を見つめて話しかけた。
『あれ? 私のこと、見えるの?』
「はい。桜海です」
電話がかかってきたようなフリをする桜海がその娘を見つめながら返事をし、歩く速度を少し落とすと、霊が桜海のそばに来た。
「キミは?」
なるべく聞かれても変に思われないように言葉を選びながら霊に尋ねる。
『澤野 結理です』
女の子は、遠ざかっていく竜の姿を目で追ったので、なるべく小さな声で、
「サワノ ユリ、さん? ひょっとして、リュウさんの…?」
と桜海は尋ねた。
『はい。付き合っていました、彼と』
赤星たちには見えず、桜海にだけ見える彼女は、竜の背中を心配そうに見つめた。
「そういえばこの前、海にも来てましたよね。どうしてですか?」
桜海は、結理の目的を尋ねたかった。
場合によっては、強制排除しなければならないからだ。
『私、彼のことが心配なんです』
「心配?」
『私が死んだ時、彼が怒ったから…』
「怒った…?」
結理と喋るのに集中していた桜海は歩くのが遅くなってしまった。
「桜海さん、早く。置いてかれちゃうよ」
赤星が、桜海が遅れていることに気付いて声を掛けた。
「俺、帰る」
「今更、何言ってんの! 人数が合わなくなっちゃうでしょ」
赤星は自身のオーラの影響力を知らないので、遠慮なく思い切りオーラの乗った言葉を桜海にぶつけてきた。
「わっ」
焦る桜海を見て、タマコが赤星の肩の上でニターッと笑った。
赤星は立ち止まった桜海のところにやってきて手を取った。
「わ、わかったから…」
赤星にグイグイ引っ張られ、桜海は真っ赤になりながら連行された。
小さな間口の、洒落たレストランの前の歩道で、健太と万里那と他女性4人が待っていた。
「全員揃ったね」
どうやら健太が幹事のようだ。
「お待たせしました。お店に入りましょう」
赤星が促すと、ぞろぞろとレストランへと入っていった。
当然だが、結理もついてくる。
桜海は何だが落ち着かない気分だ。
「何かソワソワしてる?」
赤星が桜海のことを気にして言った。
健太は、男女十人が交互に座って、尚且つ異性が正面で向かい合うように割り振った。
結理は、竜の後ろに立っている。どうやら、竜と女性との成り行きを見守っているようだ。
しばらく食事を楽しむうちに、次第に雰囲気が和んできた。
「これ、美味しいですね」
真向かいの席の女性が、竜と結理を注視している桜海に声を掛けてきた。
「はい…」
「ワインは飲まないんですか?」
頻りに女性から盛り上げようとしてくれているのだが、
「飲めないので…」
と、気の利いた会話ができない桜海だった。
「そうですか…」
桜海は、結理が憑いている竜の様子を気にしているのだが、
「あの、もし良かったら清華と席を替わりましょうか?」
と、あまりに盛り上がらないので、気を利かせてもらうありさまだ。
「え? あ、いえ。すみません」
あまりに竜の方を見ているものだから、その隣の席の女の子が気になるのだと誤解されたようだ。
「遠慮しなくてもいいんですよ」
「すみません。違うんです。ちょっと、失礼します」
桜海は、竜が席を立ってどこかに行こうとしているのが目に入り、自分も席を立った。
どうやらトイレに行くようだ。
竜に話しかけるチャンスだ。
だが、どう話したものかと思いながら桜海は彼の後を追った。
その様子をそれとなく赤星も気にしていた。
「あの、竜さん。ちょっとお聞きしたい事があるんですが…」
桜海は、用を済ませて席に戻ろうとする竜を引き止めた。
「何? 今日は合コンの勉強中?」
「あ、まあ。そうじゃなくて、竜さん、最近体調はどうですか?」
「へ?」
「例えば、ときどき目眩がするとか、疲れやすいとか、ないですか?」
桜海の指摘に心当たりがあるようで、
「なんで俺の体の心配するんだ?」
と竜は狼狽えた。
「信じてもらえないかもしれませんが、あなたに霊が憑いているので…」
「れい? って、霊?」
竜は自分の額に両手の親指と人差し指で三角形を作った。
「はい」
桜海は至って真面目に言ったのだが、竜は鼻で笑った。
「あんたが、男が趣味だっていう方がまだ、信憑性高いぜ」
竜は全く信じるつもりがないようだ。
『憑いてる、って何? 私は彼を見守っているだけよ』
結理も桜海に抗議した。
そこへ2人の様子を気にした赤星がやって来た。
「なあ、赤星。俺に幽霊がくっついてるっつーんだけど、こいつ何なんだ?」
「俺の知り合い。この人、そういうのが見えるんだよ」
赤星が桜海のことを紹介した。
「ふ~ん。まあ、霊媒師か何か知らないが、インチキじゃないのか?」
竜は桜海の目の前で、遠慮なく言い放った。
「え? じゃあ、霊が憑いてるって言ったら、桜海さんが何か得するとでもいうの?」
赤星は自分まで詐欺師扱いされたような気がして、膨れっ面で竜を睨みながら言った。
「いや、まあ」
赤星に睨まれて怯む竜に桜海が、
「あの、もういいです」と言って会釈し、
「ゆりさんも、失礼しました」
と丁寧にお辞儀をした。
そして信じてもらうのを諦めた桜海はフロアへと戻って行った。
「…結理?」
竜は桜海が言った霊の名を聞いて背筋が凍った。
驚いた表情の竜に、
「竜、あんまり気にしなくていいんじゃない? じゃ」
と、赤星は早口で言って、桜海の後を追った。
赤星はフロアからそのまま帰ろうとする桜海を引きとめ、
「帰るなら、みんなに挨拶くらいしてからにしよう」
と言った。
ムスっとした桜海をメンバーたちの席に連れて行き、
「悪いんだけど、この人熱あるみたいだから、ゴメン。帰ります」
と、赤星は不機嫌な桜海の体裁を繕うかのように挨拶した。
「俺たちはこの後ボーリングに行くことになったんだ。また、今度遊ぼうぜ」
達矢が、悪いが俺たちは楽しませてもらうぜ、と言わんばかりの顔で嬉しそうに言った。
「気をつけてな」
健太は万里那とにこやかに手を振ってくれた。
桜海は拗ねて、ひたすら黙ったまま店を出た。
赤星も桜海に続いて店を出た。
そして2人は駅に向かって歩き出した。
少し歩いてから、
「俺に付き合わなくても、みんなとボーリングに行けばいいのに」
と、桜海が言った。
「俺、別に好みの子が居なかったから、いいんだ」
「可愛い子ばっかりだったのに、好みの子が居なかったなんて、理想が高いんだね」
桜海は目を丸くした。
「理想が高いんじゃなくて、何ていうか、こんな子がいいっていう、理想がまだ無いんだよね」
赤星は、苦笑いしながら言った。
「竜っていう人は親しい友達?」
今更のように桜海は、竜と赤星との親密度を遠慮がちに尋ねた。
「う~ん。最近かな。よくつるんでるっていうか、遊んでるけど…?」
赤星の返事は曖昧だった。
「ふ~ん」
「霊がついてると、良くないの?」
「うん。…多分ね」
『私はこの子を護ってるけど、これも憑いてるってことかしら?』
タマコの独り言が桜海の耳に届いた。
「タマコは違うよ」
「そりゃそうだよ。幽霊じゃないんでしょ、タマコさんは」
『私がこの子に悪い影響を及ぼしてないなら良かったわ』
「うん」
「竜には、どんな影響があるの?」
「体調が悪くなったり、他にもいろいろ…寿命が縮むこともあるし」
桜海はボソボソと言った。
「それじゃ、ちゃんと言った方が良かったんじゃない?」
「うん。だけど、俺の言う事、信じてくれなかったからね」
赤星も自分の目には見えない存在が、桜海には見えるという事自体、半信半疑なのだ。
何度か救われているので、桜海を人としては信頼しているが、霊能力については、信じる方が強くなってきている、としかまだ言いようが無いくらいなのだ。
とてもじゃないが、まるで信じない相手を説得できるほどの力はない。
「俺は何となく信じてるよ」
いじける桜海を元気付けようと思った赤星の言葉は、イマイチ頼りないものだった。
「ありがとう…」
ちょうど駅に着いたので、桜海が軽く会釈をし、
「それじゃ」
と言うと、赤星も軽く手を上げ、
「うん。じゃあ、バイバイ」
と揃えたピースサインを敬礼みたいにカッコ良く出した。
そして、赤星は駅のホームの人ごみに、桜海は街の雑踏の中に消えていった。
数か月後。
日曜日の早朝、桜海がいつものように神社の掃除をしていると、
『援けて』
と声が聞こえた。
「どこ?」
桜海は声の主を探した。
聞き覚えのある声だった。
桜海は庭箒を置くと、すぐに声のした方向へ神経を向けて歩き出した。
桜海が辿り着いたのは病院だった。
「どこだ?」
『こっちよ』
声の主は、澤野 結理だった。
桜海は彼女の声の導きに従って歩いた。
「竜?」
病室のネームプレートには、(中谷 竜)と書かれていた。
『彼の命を繋ぎたいの。協力してほしいのよ』
「協力?」
桜海は、ドアを遠慮がちにノックして静かに開けた。
竜は以前会った時とは違う、やつれた顔でベッドに横たわっていた。
「竜さん…」
『彼に私の余命を譲り渡したいんだけど、受け取ってくれないの』
「どうしてですか?」
『前回の手術のときは、うまく渡せたんだけど…』
「竜さん、桜海です。わかりますか?」
桜海は青ざめた顔の竜に呼びかけた。
『彼は今、こっち側にいるの』
「そっち側?」
桜海は部屋の隅に、竜の幽体を見つけた。
『私の命の焔を受け取って』
竜は辛うじてこの世にとどまっているような状態だった。
『俺、もういいよ』
疲れ切ったような竜の声が聞こえた。
『私は、取り巻きの一人というだけで、あなたにとっては、どうでもいい存在かもしれないけど、私にとってあなたは唯一無二の存在なの。だから、お願い』
「ゆりさんが亡くなった時、どうして怒ったんですか?」
桜海は竜の本音を聞きたかった。
『そんなこと今関係ないでしょ?』
「いや。もしかしたら、竜さんの気持ちはその時と同じなんじゃないでしょうか?」
『…』
『俺、余命6ヶ月と診断されて、病院にじっとしているなんて、バカバカしいし、むしゃくしゃしてハチャメチャなことをしてた。なのに、結理は、そんな俺を暴走バイクからかばって死んだ。なんて無駄なことをするんだって、頭にきた』
「だから、怒ったんですね」
『無駄じゃないわ』
『半年経たないうちに悪化して、手術したらとりあえず死ななかった。それが、結理のおかげだったなんて…知らなかった』
『霊体の私があなたに伝える術はないから』
結理は今にも泣きそうな顔で言った。
『けど、また再発して、このザマだ』
竜はベッドに横たわる自分の体に視線を落とした。
「ゆりさんが命の焔を渡せば、竜さんはずっと生きられるんですか?」
桜海は経験のないことなので、首を傾げた。
『再発しなけりゃな』
『再発したのは、全部渡さなかったからだと思うの。もう少し、竜と一緒に居たかったから』
「ゆりさん、もしかして、あなたは術者ですか?」
命の焔を他人に譲るなど、一般の人間には思いつきもしないことだろう。
『私の祖母は霊媒師でした。だからかしら、寿命より早く死んだら、残りの命を分けてあげられるって、直感でわかったんです』
「それじゃあ…」
桜海は、結理を見つめて口を噤んだ。
結理は桜海の気付きを読み取り、
『そう。竜が、治療が難しい病気で余命宣告されているってことを、偶然病院で会ったお母様から聞いて知っていたの』
と告げた。
『まさか、俺のために、事故を利用して、わざと命を絶ったというのか?』
『そういうわけじゃないけど、死ぬ瞬間にできると思ったの』
「凄いですね」
『でも、あなたが言った通り、私が竜にとり憑いたことで、彼に悪影響が出てしまったのね…?』
「わかりません。ただ、あなたが竜さんのオーラからエネルギーを奪っていたのは事実です」
『だから私は命を渡してから逝こうとしているのに、受け取り拒否されて困っているの。桜海さん、何とかしてください』
「何とかって言われても…」
桜海は、困惑した。
『俺は、たとえ結理の時間をもらって長生きしても、この病気の再発に苦しむ人生なんて要らないんだよ』
『医療技術が進んで、治るようになるかもしれないじゃない』
『時間をどれだけ分けてもらえるのか知らないが、俺には辛いだけなんだよ』
『最後に私が竜にしてあげられる、たった一つのことなのに…』
結理は両手に顔を埋めた。
「竜さん、もしかして、あなたは肝心なことをゆりさんに伝えていないんじゃないですか?」
桜海は竜の辛そうな表情から推測した。
『肝心なこと?』
「そうです。あなたの気持ちです」
『竜の気持ち?』
「はい。あの時、竜さんが怒った本当の理由です」
『怒った理由?』
竜は、狼狽えた。
桜海は自分の勘が当たっていると確信した。
「竜さん、俺の口から言うより、ご自分でおっしゃった方がいいと思うのですが…」
『だからそれは、さっき言っただろうが』
「本当は、ゆりさんのことが好きだからでしょう?」
『え?』
結理は驚いて竜の顔を見つめた。
竜は顔をそむけ辛そうにギュッと目を閉じた。
「俺が勝手に竜さんの気持ちを代弁してもいいんですか?」
『桜海さん、それは違います。だって竜は…』
ずっと竜を見てきた結理は、彼の心を知っているつもりだった。
『そうだよ! なのに…』
『うそ。私があなたを庇って死んだからって、気を遣わなくていいのよ?』
「竜さん、ゆりさんを見て、ちゃんと言わないと、伝わりませんよ」
『俺は、俺の最期の時間を結理と一緒に過ごしたくて…』
『じゃあ、あの日、私を呼び出したのは、マヤが来られなくなったからじゃなくて…?』
『ああ』
竜が辛そうに続けた。
『だけど、もうすぐ死ぬヤツから、側にいて欲しいなんて言われても喜べるはずないし、結理を困らせるだけなのかもしれないと思うと、言い出せなくて…』
結理は竜に抱き付いた。
『早く言ってほしかった。私、マヤやユミの都合悪い時の代打だと思ってた』
『ごめんな。俺、あの時バイクを避けずに死のうとした。病気より事故で、結理の腕の中で死のうと思ったんだ。まさか結理が俺のことを庇うなんて思わなかったから』
『桜海さん、お願いがあります』
「なんですか?」
『今こうして竜と2人で居られるのが嬉しいの。なるべく引き延ばせないかしら?』
「それは、竜さんが生死の境を彷徨う状態を維持するということになりますよね?」
『ごめんなさい。諦めが悪くて。私の命の焔を桜海さんに託したい』
「えっ?」
桜海は戸惑った。
『俺も結理と同じ気持ちです。もしできるなら、今の、この時を延ばせないでしょうか?』
「でも、俺にはそんな力はありませんよ…」
桜海が、2人からとんでもないお願いをされて固まっている所へ、医者と竜の家族がやってきた。
咄嗟にベッドの下に入った桜海は隠れ蓑の術で身を隠した。
「どうされますか? この状態で生命を維持しておけますが、目を覚ますかどうかは、わかりません」
医師は淡々と言った。
「竜もこのままじゃ、生きても死んでもない、中途半端で辛いだけかもしれないな」
竜の父親が言った。
「あなた、何をおっしゃるの。竜の命を繋ぐこの管を抜いて殺すというの? 私は嫌です」
母親は泣き声を奮い立たせて叫んだ。
「しかし…」
「それに、竜を助けてくれたお嬢さんの気持ちはどうなるの? 申し訳が立たないじゃない!」
母親は少しでも竜に生きていてほしいと強く望んだ。
「…わかったよ。先生、このままお任せしていいですか?」
父親は、母親として必死に願う彼女の気持ちを尊重する決断を下した。
竜と結理は、竜の父母に頭を下げた。
もちろん両親には見えないが、二人の希望を叶えてもらえたことが嬉しくて仕方がなかったのだ。
「わかりました」
「よろしくお願いします」
泣きじゃくる母親を父親が連れて病室を出て、医師も後に続いた。
桜海は徐に姿を現して言った。
「とりあえず、最大の難関は突破したようですね」
2人はにっこり微笑んだ。
「では、俺の考えを言います」
桜海は頷く2人の前で一呼吸置いてから続けた。
「ゆりさんは命の焔を少しずつ竜さんに渡してください。彼の身体を維持することで、2人の零体の維持を図れると思います」
『わかりました。やってみます』
「俺は何も手伝うことができません。竜さんにとって本当に良い選択かどうか、俺には判断できません。それでも…」
『それは俺が決めていいんだよな。結理と少しでも長く、魂で触れ合っていたい』
『ありがとう。私たちのこと、分かってくれて』
結理は桜海に頭を下げた。
「いや。俺は別に…」
『もし、私が悪い霊だったら、あなたは排除するつもりだったんでしょ?』
『排除?』
竜は驚いた。
『そうよ。彼は術者だもの。霊を消すことができるはずよ』
『俺に結理が憑いてるって言ってきたとき、本当は結理を消すつもりだったということか…』
「最初はそうでした」
桜海が正直に言うと、竜がムッとした表情で桜海を見た。
『竜、怒らないでね。彼はあなたのために、そうしようとしたのよ。でも、どうしてあの時、踏み止まってくれたの?』
結理は、桜海がどうして見逃してくれたのか、ずっと不思議だったし、だからこそ今、桜海に相談を持ち掛けたのだった。
「それは…竜さんのオーラの中に、ゆりさんのオーラが見えたからです。命を分け与えたなんて、その時は分かりませんでした。ただ、竜さんを見守っているだけだって言ったゆりさんの言葉を信じることにしたんです」
『ありがとう』
結理は笑顔で感謝した。
『本当にありがとう』
竜は、真剣な表情で言った。
「それじゃ、竜さん、ゆりさん、お幸せに」
桜海は静かに病室を後にした。